「カーリングの石が曲がる謎が100年越しに解決」が誘う「異次元」の物理学

カーリングの写真

Shutterstock/Paolo Bona

選手が回転をかけて放った「ストーン」は、ゆっくりと曲がりながら裏に隠れた相手チームのストーンをはじき出す——。

冬季五輪などで話題になることが多い、「カーリング競技」のひとコマだ。

実はこの9月、カーリング競技において100年近く謎のままとなっていた「ストーンが曲がる理由」が、立教大学の物理学者・村田次郎教授によって明らかにされた。

ただ、村田教授はなにも「カーリング研究の第一人者」というわけではない。いつもは「宇宙には私たちがまだ知らない異次元(余剰次元)があるかもしれない」という一見突拍子もない仮説に挑む物理学者だ。

なぜ、余剰次元の研究をする物理学者が、カーリングの謎に挑むことになったのか。カーリングと宇宙の余剰次元をつなぐ実験について、村田教授に話を聞いた。

1924年に問題提起、激しい議論

カーリングの様子

Reuters/ Robert Deutsch-USA TODAY Sports

日本カーリング協会によると、カーリングは「ストーン」と呼ばれる取っ手のついた丸い石を氷の上で投げて滑らせ、約37メートル離れたハウス(目標区域)に入れて得点を競う、対戦型のスポーツだ。

相手チームのストーンをはじき出したり、ハウスへの侵入経路を阻むようにストーンで邪魔をしたりと、高度な頭脳戦も求められる。1998年の長野大会からオリンピックの正式競技となった

ストーンの軌道の例

ストーンの軌道の例。

提供:村田教授

ストーンは少しでも回転すると、その回転方向によって左右に曲がる。例えば、図のように反時計周りに回転していた場合の動きを考えてみよう。

物の動きを妨げる力「摩擦力」は、物が動く方向とは逆に働く。つまり、反時計周りに回るストーンの前方側(画像手前側)では、ストーンの回転とは反対方向である「進行方向に対して右側」(画像左側)に摩擦力が発生するはずだ。そう考えると、直感的にはストーンは選手から見て「右側」に曲がっていくように思える。

この直感に反し、実際にはストーンは左側に曲がっていく。

村田教授によると、こうした疑問は1924年に問題提起され、さまざまな仮説が飛び出しては激しい議論が交わされてきた「世紀の謎」なのだという。

どれが真実?ストーンが曲がる3つの仮説

村田教授によると、ストーンが曲がる原理について、これまで主に3つの仮説が提唱されているという。

ストーンが曲がる理由

  • 左右非対称説
  • 前後非対称説
  • 旋回説

一つ目の「左右非対称説」は、ストーンの右側と左側に「速度差」が生じることで曲がるという考え方だ。

リンクの上に張った氷に対する移動速度が速いと摩擦熱で氷が溶けて、摩擦力が弱まる。一方で、移動速度が遅いと氷は溶けにくく、摩擦力が強いままになる。結果的に反時計周りに回転するストーンは、ストーンを投げた選手から見て左側(地面に対する速度が遅い側)に強い摩擦が生じ、左に曲がっていくのではないか……という仮説だ。

ストーンの軌跡解析

村田教授によるストーンの軌跡解析。左右非対称説は、氷に対する速度の違いから左右で摩擦力が異なる事が曲がる原因とする考え方。

提供:村田教授

これに対し「前後非対称説」は、ストーンの底面が氷と接する際、「何らかの理由」でストーンの後方に摩擦が大きくかかり、曲がっていくとの考えだ。また、「旋回説」はストーンの底面の突起が氷に引っかかり曲がっていくという仮説だ(ストーンの底面は中央がくぼんでおり、氷との接地面が突起のようになっている)。

ただ、どの仮説が正しいのか、結論は出ていなかった。

村田教授は「物理学の観察対象としては極めて単純なのに、解明が難航してきたのは、こうした仮説を判定するに足る精密な実験データがなかったからです」と話す。

「これまでの論文を読む限りでは、ストーンの運動の様子は十分測られていませんでした。それなら、まずは測ってみようと思い、動きだしました」(村田教授)

立教大学で卒業研究としてカーリングの物理学に取り組んだ学生を指導したことがきっかけになったという。

観測風景

軽井沢アイスパークでの観測風景。

提供:村田教授

五輪出場選手も協力。自らストーンを122回投げて画像解析

村田教授は、国内の主要大会や国際大会も開催される軽井沢アイスパーク(長野県軽井沢町)で、自らストーンを122回投げて運動の様子をカメラで撮影。精密な画像解析を行った。

実験の様子。

提供:立教大学理学部、村田次郎教授(この動画は、クリエイティブ・コモンズ 表示 4.0 ライセンスの下に提供されています)

研究には、2018年の平昌オリンピックに出場したSC軽井沢クラブ所属のカーリング選手・山口剛史氏も協力したという。

村田次郎教授(左)とカーリング選手の山口剛史氏(右)。

村田次郎教授(左)とカーリング選手の山口剛史氏(右)。

提供:村田教授

精密観測の結果、主に二つのことが分かった。

一つ目は、ストーンが進むうちに底面の突起がリンクの氷にひっかかり、まるで歯車のように氷とかみ合うことで、そこを支点にストーンが旋回する現象が起こっていたこと。二つ目は、ものが動いているときに働く摩擦力の比例定数「動摩擦係数」が、実は一定の値ではないということだ。

村田教授は、それまでデータがなかった「止まる寸前」という非常に遅い場合のデータも含めた「動摩擦係数」を初めて詳細に観測。地面に対する相対的な速さが遅くなるほど、動摩擦係数が大きくなる(摩擦が強くなる)ことを実測で確認した。

実際に撮影したカーリングの様子。動画より抜粋。

実際に撮影したカーリングの様子。動画より抜粋。

提供:村田教授 (この動画は、クリエイティブ・コモンズ 表示 4.0 ライセンスの下に提供されています)

つまり、ストーンを反時計周りに回転させた際には、地面に対して相対的な速度が遅い(選手から見て)左側に大きな摩擦力が発生。ストーンが旋回する支点になった。

村田教授は「走っている人が左側の支柱を左手でつかめば、左に振られて曲がるのと同じ現象です」と例える。

つまり、「左右非対称説と旋回説の組み合わせによって、ストーンが左に曲がったと考えられます」という。

反時計周りのストーンが左曲がりになる理由。

反時計周りのストーンが左曲がりになる理由。

提供:村田教授

今回の研究結果は、カーリングの試合でブラシを使ってストーンの曲がり具合を制御しうる根拠や、停止直前に大きくストーンが旋回する仕組みを説明することにも通じるものだ。村田教授は「競技選手にも新たな視点を提供できるのではないかと期待しています」と話す。

隠された次元はどこにあるのか

イメージ画像

betibup33/Shutterstock.com

では、いったいカーリングの何が、村田教授が研究している「異次元」(余剰次元)につながっているのか。実は、その鍵は実験手法に隠されている。

今回、カーリングのストーンの撮影には、コンパクトカメラと三脚という「ごく一般的な道具」(村田教授)を使った。精密観測の肝になったのは、0.1ミリメートル単位でストーンの運動を計測できる「画像処理型変位計測技術」という村田教授の特許技術だ。

この技術は、物質の最小単位である「素粒子」の研究のため、村田教授が米国の研究所に滞在していた2000年ごろに開発したものだ。村田教授は、素粒子や原子核、重力などについて長年研究を続けている研究者であり、「宇宙には縦・横・高さの3次元の空間以外に、『隠された次元』があるかもしれない」という仮説を検証するためにこの技術を活用して実験を続けている。

「宇宙に私たちが知らない次元があるかもしれない」という考えは、1920年代から提唱されている。「5次元」や「9次元」など、私たちの知らない次元「余剰次元」の数を巡っては、さまざまな理論がある。

1998年には「5次元の場合であれば、ミリメートル程度で余剰次元の証拠を見つけられる可能性がある」と予言した論文が発表された。

村田教授は

「ミリメートルという肉眼で見えるような身近なところに、もしかしたら余剰次元が存在する証拠が見つかるかもしれない、というのは物理学者にとって大変な驚きで、世界中のさまざまな研究グループが実験に乗り出しました」

と当時を振り返る。

村田教授らのチーム

立教大学の重力実験室に集合した村田教授らのチーム。

提供:村田教授

村田教授も、2003年ごろから余剰次元の探索実験を進めている。

これまで村田教授や米国、中国の研究グループの実験では、ごく小さな2つの物体を1ミリメートルから0.05ミリメートル程度の距離にまで近づけた際に、その物体間に働く極めて微弱な重力(万有引力)を精密に計測した。

万有引力の法則は、基本的に世界が3次元であることを前提にした理論。もし余剰次元が存在しているのだとすれば、万有引力の法則からの「ずれ」が観測できる可能性があるというわけだ。

このわずかな変化を逃さず観測するために使われている技術が、カーリング実験でも利用された「画像処理型変位計測技術」なのだ。

重力の測定装置

立教大チームによる重力の測定装置。円盤形の装置に、ワイヤーを近づけて重力を計測する。

提供:村田教授

なお、2022年10月現在までに、余剰次元の存在を示唆する実験結果は得られていない。村田教授らのチームは装置を改良して、さらに物体間の距離を縮める工夫を重ね、0.01ミリメートルほどの距離で重力を観測する実験を続けている。

もし宇宙に余剰次元があるとの証拠が本当に得られたら、どんな意味があるのか。

現時点で『全世界』と信じている3次元宇宙は、未発見の余剰次元に浮かぶ薄っぺらい世界なのかもしれません。もしそうだとしたら、私たちの世界観には大きな変更が迫られます。もしかしたら、私たちはお釈迦様の掌の中にいる孫悟空のような存在なのかもしれません。それを確かめるために、重力の精密観測を続けていきたいと思います」(村田教授)

(文・川口敦子

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