「国にとって大事なものは、税収ではなく、この国に生きる1人1人であり、その人々が生み出す文化や付加価値だと思います」
「税を収めたら生きていけないというのは本末転倒ではないですか」
「成長産業だと期待されるクールジャパンを支える業界の裾野をインボイス制度はごっそり削ってしまうのです。裾野が削れれば、山は低くなり、海外に負け、日本の文化の未来は断ち切れてしまいます。作品の低下はじわじわやってきます 一度失われた文化は戻りません」
時折涙声になりながらこう語るのは、『スパイファミリー』『ワンダーウーマン』など、数々のアニメや映画に出演する声優の甲斐田裕子さんだ。
VOICTION共同代表で声優の甲斐田裕子さん。
画像:記者会見の画面をキャプチャ
11月16日、演劇、漫画、アニメ、声優のエンタメ4業界団体が「インボイス(適格請求書)制度」に反対する合同記者会見を開催。同日、超党派の国会議員55名による「インボイス問題検討・超党派議員連盟」(会長:末松義規衆議院議員)も発足した。冒頭の甲斐田さんの発言は、その第一回目のヒアリングで語られたものだ。
事業者が支払う「消費税」算出時の控除に関する新制度である「インボイス制度」は、さまざまな業界で議論を呼んでいる。
特に、これまで消費税の納税義務が免除されていた小規模事業者の多いエンタメ業界では、インボイスの発行に伴う登録によって消費税の納税義務が生じることから、「事実上の増税」とも指摘されている。収入の低いクリエイターが廃業に追い込まれる懸念があるという。
各団体が実施したアンケートによると、インボイス制度が施行された場合、約2割が廃業を検討しているという衝撃的なデータが明らかになった。各業界のアンケート結果のポイントを見ていこう。
各業界のアンケートのポイント
- エンタメ事業に携わる4団体の半数以上が年収300万円以下、2割の人が廃業を検討している
- 漫画業界では、漫画家だけではなくアシスタントにも大きな影響がある恐れがある
- クライアントとフリーランスの間で、力関係の弱い方が消費税を負担することになるリスクがある
- 芸名やペンネームで活動している人の本名が公開され、個人が特定される可能性がある
インボイス制度導入で2割が廃業を検討している
演劇関係者の約2割が廃業を検討している。
出典:インボイス制度を考える演劇人の会
「インボイス制度を考える演劇人の会」世話人の丸尾聡さんが実施したアンケート(10月14日~11月6日実施、回答数:567件)によると、演劇に携わっている人の約7割が個人事業主。約2割がインボイス制度が施行された場合、廃業を検討していると回答した。
また、収入が減り、煩雑な事務作業が必要になることから、若い演劇人が廃業し、技術の継承が途絶えてしまうのではないかという懸念が示された。
漫画業界も状況はよく似ている。
「インボイス制度について考えるフリー編集者と漫画家の会」代表で、漫画家の由高れおんさんは、「出版業界全体の体力が落ちている中、今後の継続的な収入増は見込めず、原稿料が上がるという見通しは立てられない」とした上で、
「もし、この状況でインボイス制度を導入すれば、これまで免税事業者だった多くの漫画業界のフリーランスたちが収入の減少に耐えられず、廃業が加速し、日本人の漫画離れが進む」
と危機感を示す。
漫画家の9割がインボイス制度に反対している。
出典:インボイス制度について考えるフリー編集者と漫画家の会
現に11月3日〜10日まで実施した「漫画家業界の実態調査アンケート」(回答数:1275件)でも、約2割が「インボイス制度が始まったら廃業する可能性がある」と回答していた。なお、このアンケートの回答者は98%が個人事業主であり、インボイス制度に反対する漫画家も9割を超えていた。賛成の声は、1275件中わずか17件だったという。
「政府はアニメやゲーム、漫画などのコンテンツを『クールジャパン』などと、もてはやして久しいが、今回そういった職に携わるクリエイターを困窮する方向で追い詰める指針には納得がいきません」(由高れおんさん)
と、このままでは業界全体が衰退すると危機感を表明した。
年収の低い漫画家アシスタントをインボイス制度による増税が直撃する。
出典:インボイス制度について考えるフリー編集(者)と漫画家の会
また、漫画家自身はそうした税負担増に耐えられたとしても、アシスタントの負担が重いとの声もある。アンケートによると、アシスタントの収入は、現状でも年収200万円以下が半数を占める。
アシスタントは税理士を雇うだけの金銭的余裕がなく、煩雑な事務作業をする時間もない。インボイス制度の導入によってアシスタントの収入が目減りしてしまうと、自然と漫画家の成り手はいなくなり、産業の衰退を招いてしまいかねない。
また、インボイス制度は漫画家とアシスタントに分断をもたらすとの指摘もある。
インボイス制度が始まると、漫画家はアシスタント側にインボイスの提出を求めるか、アシスタントへの課税分を負担するかのどちらかを選ばなければならない。言ってみれば、師弟関係にある漫画家とアシスタントの間で税負担の押し付け合いが生まれてしまうのだ。
由高さんは、
「日本の漫画産業が衰退した場合、早い段階で、勢いのある韓国や中国のような海外勢力に漫画産業は飲み込まれ、一部の大手出版社や有名作家が出す作品以外は死滅していく。その時にはもう漫画は日本が世界に誇れる文化ではなくなっているだろう」
と涙ながらに訴えた。
アニメ・声優業界でも廃業リスク
アニメ業界の状況について記者会見で語る、アニメーションスタジオ・トリガー代表の大塚雅彦さん。
画像:記者会見の画面をキャプチャ
アニメ、声優業界でもその影響は深刻だ。
アニメ業界のフリーランスを対象にしたアンケート(10月9日~16日、回答数:1132件)によると、約半数が年収300万以下という厳しい状況のなか、インボイス制度の導入で4人に1人が廃業もしくは廃業の可能性があると回答があった。
華やかにみえる声優業界でも、全体の半数が年収100万円以下で、声優業だけで生活できているのはほんの一部だ。全国で声優として活動している人は約1万人おり、そのほとんどが個人事業主。事務所に所属していても業務委託であることも多い。結果的に、業界の96%がインボイス制度の影響を受けることになるという。
声優業界のアンケートでも、4人に1人が廃業の可能性があると回答があった。
VOICTION共同代表で声優の岡本麻弥さん。VOICTIONはインボイス制度を憂慮する声優らによって立ち上げられた団体。
画像:記者会見の画面をキャプチャ
インボイス制度を憂慮する声優らによって立ち上げられた団体・VOICTION共同代表で声優の岡本真也さんは、「声優が政治的な声を上げるのは、ファンからも所属事務所からもクライアントからも敬遠されることが多い」としながらも、インボイス制度が声優業界に大きな影響を与え業界を衰退させてしまうという危惧があるからこそ声を上げていると強調した。
声優の半数が年収100万円以下というアンケート結果も。
出典:VOICTION
アンケートでは、既に「適格請求書(インボイス)発行事業者登録しないと、今後の契約は約束できない」「インボイス制度が始まったら、これまでお願いしていた仕事を継続するのが難しくなる」「適格請求書発行事業者にならないと、その分報酬を値引きする」といった言葉をクライアントからかけられた事例もあることが分かった。
インボイス発行事業者になれば消費税を支払う必要がある。登録せず免税事業者のままでいれば、クライアントから値引きされたり、仕事がなくなったりする可能性がある。
岡本さんは「どちらを選んでも、その先は崖なのがインボイス制度である」と語り、不景気でただでさえ生活が苦しいところにインボイス制度が始まれば「これがとどめの一撃になる」と強く主張した。
また会見では、インボイス発行者になった場合に国税庁のサイトに本名が出てしまうことから、ペンネームなどで活動している作家や声優などの個人を特定できる可能性に対する懸念も指摘された。アンケートの回答の中にも、過去にストーカー被害にあったという声優から「本名が公開されればまたストーカー被害に合うのではないかと懸念している」という声が上がっていた。
業界では、俳優の西田敏行さんが理事長を務める日本俳優連合が15日、インボイス制度施行ストップの声明を発表。インボイス制度に反対するオンライン署名も、10月末で10万筆を超えている。
(文・杉本健太郎)