イラスト:iziz
シマオ:皆さん、こんにちは! 「佐藤優のお悩み哲学相談」のお時間がやってまいりました。読者の方にこちらの応募フォームからお寄せいただいたお悩みについて、佐藤優さんに答えていただきます。さっそくお便りを読んでいきましょう。
Webを中心にライターをしている者です。20代の頃に一念発起してライター講座に通い、PR会社を辞めて、お付き合いのあった女性向け媒体を中心にインタビューや子育てコラムをやってきました。
昨年はまだ先と思っていましたが、今年に入ってから各所でインボイス制度について耳にするようになり、私も年間売り上げが1000万円未満、かつ取引先は基本的に課税事業者ということもあって、この制度の負の側面を背負わされる可能性が現実味を帯びてきました……。
正直、課税事業者登録をして、これまでもらえていた消費税分がなくなるのは痛いですし、freeeのようなシステムを使っていても、今後の手続きがより煩雑になるのは避けられないように思います。
また、調べていく中で、国が自分の都合のために作った制度という感覚がより強くなって、正直腹の底が熱くなるような怒りを感じることもあります。片手では、スタートアップの応援や副業の推進を進めているのに、もう片手ではそれをやりにくくする制度を作っていることにも矛盾を感じざるを得ません。
佐藤さんはインボイス制度やそれにまつわる政府の対応をどう感じてらっしゃるでしょうか?
(makima、30代前半、ライター、女性)
インボイス制度は誰も幸せにならない?
シマオ:makimaさん、お便りありがとうございます。インボイス制度には反対の声も多く、話題になっていますね。当初は、登録すると屋号で活動している人の本名や住所が公開されてしまう、いわゆる「身バレ」の問題も指摘されていました。
佐藤さん:言うまでもなく、納税にまつわる個人情報が公開されてしまうというのは論外です。この点は厳重な対策が求められます。
シマオ:ただ、実は僕、あまりこの制度がどういうものなのかよく分かっていないんですよね。副業もやってませんし……。
佐藤さん:インボイス制度とは正式名称では「適格請求書保存方式」というもので、この適格請求書のことを「インボイス」と呼びます。現在、課税売上高が1000万円未満の事業者は消費税の納税が免除されています。
シマオ:お店とかだと買ったものへの消費税を僕らが払って、それをお店が代わりに納税してくれるのが消費税の仕組みですよね。それを払わなくてもよかったんですか?
佐藤さん:これまではそうでした。例えば、シマオくんに私の仕事を報酬1万円で手伝ってもらったとします。私は1万円プラス消費税1000円で1万1000円をシマオくんに支払います。でも、シマオくんの個人事業主としての年間売上高が1000万円未満なら、その消費税1000円は納税せずに自分でそのままもらうことができた、ということです。
シマオ:実質的に報酬が10%多くもらえたんですね。
佐藤さん:そうです。さらに、私の方はシマオ君にお手伝いしてもらった仕事を成果物として納品した場合、支払った消費税1000円を仕入税額として自分の払うべき消費税から差し引くことができる。つまり、その分は納税しなくてよいというわけです。
シマオ:なるほど。それがインボイス制度の施行後にはどうなるんですか?
佐藤さん:2023年の10月からは、シマオ君がインボイスを発行できる「適格請求書発行事業者」にならない限り、先ほどの取引で言えば、私はシマオ君に払ったはずの1000円を仕入税額として差し引くことができず、消費税として納めなければいけなくなるのです。
シマオ:えっと……つまり、これまで通り1万1000円を支払うなら、佐藤さんは僕への1000円と納付する1000円、合わせて2000円分を消費税として納めなければいけないってことですか?
佐藤さん:その通りです。もちろん、シマオ君が適格請求書発行事業者になってくれればいいのですが、本格的に副業をしているのでなければ、登録の手間などを考えると煩雑でやりたくないという人も多いでしょう。ただ、その場合はインボイス発行ができる人に仕事をお願いされてしまう可能性があります。
シマオ:なるほど。それで僕がインボイス発行できるようになった場合は、消費税を納めなくてはいけなくなるし、その手間も生じると。う〜ん、でもなんでこんな面倒くさいことが始まるんですか? 誰も幸せにならなくないですか?
佐藤さん:そうではないと思います。元の事例で、シマオ君は消費税込みで1万1000円をもらったけれど納税せず、私は1万1000円のうち1000円を仕入税額として控除しました。では、その消費税1000円は結局誰が納めましたか?
シマオ:あれ……? 誰も納めていない?
佐藤さん:そうです。通常、私たち個人がお店で1万円の物を買って、消費税1000円を払った場合、最終的にはそのお店が消費税として1000円を納付しています。これまでの免税事業者はそれを免除されており、結果として誰も消費税を払っていなかったのです。
実は不公平だったこれまでの制度
シマオ:なるほど。ただ、ライターをしているmakimaさんは、「適格請求書発行事業者」になると消費税を納付しないといけなくなるし、ならなくても報酬が減る可能性がありますよね? だとしたら、この制度に怒るのも無理はない気がしますが……。
佐藤さん:厳しいことを申し上げるようですが、その認識は間違っていると言わざるを得ません。
シマオ:なぜでしょうか?
佐藤さん:消費税は誰もが払わなくてはならない税金です。makimaさんは「これまでもらえていた消費税分」と言っていますが、これまで本来納めるべき消費税を自分の収入にできていたという仕組み自体が不公平だと思います。
シマオ:むしろそちらが特例だったと。
佐藤さん:その通りです。私は、国民の三大義務である教育、勤労、納税は誰もが果たすべきだと考えますし、税の大原則である公平性はすべからく担保されるべきだと思います。本来、そのお金は国民の福祉や国の借金(国債)の返済に使われるべきお金でした。インボイス制度は、それまで不公平であった部分を是正したにすぎません。
シマオ:でも、発注側の企業は自分の払う分を増やしたくないから、個人事業主が実質値下げされてしまう可能性についてはいかがでしょうか?
佐藤さん:それは、お互い価格に転嫁していくようにする必要があります。これまで1万円の仕事で、税込み1万1000円を支払われていたとすれば、その1000円は消費税の預り金なのです。もし、その仕事に1万1000円の価値があるのだとすれば、そのような契約を結ぶべきです。
シマオ:ただ、個人事業主は相対的に力が弱いですよね? 交渉して取引先の心証を損ねれば、仕事を発注されなくなるリスクもあるのでは。
佐藤さん:防衛策としては、代替のきかない仕事内容を増やしたり、スキルを身に付ける努力を怠らないことです。私も仕事柄ライターの人たちとの付き合いがありますが、優秀な人であれば10%の増額で仕事量に影響が出るようなことはないでしょう。
シマオ:そこまで優秀ではない普通の人の場合は……?
佐藤さん: 資本主義社会である以上、市場競争に生き残れない人はその市場から退場せざるを得ません。もっとも、市場原理になじまない伝統文化の場合、国による保護が必要になります。
シマオ:厳しいですね……。
佐藤さん:もちろん、発注主の対応が行き過ぎだと感じたら、行政の力を借りることです。公正取引委員会や中小企業庁は下請け業者に過度な圧力がかかっていないかという調査も行っていますし、免税事業者に対して消費税分報酬を差し引くのは独占禁止法違反です。
「一人前」になるべき個人事業主
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シマオ:批判の多いインボイス制度ですが、消費税の仕組みや公共の福祉というものを考えると、必ずしも悪法とは呼べないように思えてきました……。
佐藤さん:はい。マイナスではなく、これまでプラスだったものがゼロになっただけです。このことにあまり被害者意識を持つべきではないと私は考えます。例えば、引っ越したアパートの共有スペースに隣人の洗濯機が置いてあって、仲良くなったことで一緒に使わせてもらっていた。隣人が引っ越して洗濯機を持って行ってしまったとして、それを嘆く権利はあるでしょうか?
シマオ:それは、ないですね……。ただ、makimaさんの怒りも僕は分かります。政府は副業や独立を推進しておきながら、小さい事業主を狙い撃ちしたような制度を作るなんて、と。
佐藤さん:そもそも、消費税は誰もが納めなければならないものです。これまで小規模な事業主にそうした恩恵が認められていたのは、逆に考えれば「ナメられていた」ということでもあると思います。
シマオ:ナメられていた? どういうことですか。
佐藤さん:小規模な事業主は複式簿記もつけられない「大福帳」方式だから見逃してやろう、という見方をされていたということです。それは一人前の事業者として扱われていないことの裏返しです。今は会計ソフトも充実してきましたし、少し勉強すれば自分で帳簿をつけて税金の管理をすることもできるようになりました。そうなってこそ、国民の義務を果たすことができるのです。
シマオ:そういう捉え方もできるんですね。
佐藤さん:物事は見方によって意味を変えます。makimaさんはライターとして生計を立ててらっしゃるわけですが、スキルと才能が物を言う世界でしょう。同時に、こうした知的労働は原価率が非常に低い。対して、製造業を見てみれば分かるように、原価率は非常に高く、原材料費や設備費、人件費で販売価格の80%を占めてしまうなんてことも珍しくありません。そうした中で10%の負担を過度に考えるよりも、自分の仕事のクオリティを上げて、単価を上げていくことにフォーカスしたほうがよほど意味があると私は思います。
シマオ:makimaさん、少し厳しいお答えとなりましたが、いかがでしたでしょうか。僕も毎月の税金が高いなあと思っていますが、仕事を通して社会を支えているということを改めて思い起こされたご相談でした。
さて、「佐藤優のお悩み哲学相談」、そろそろお別れのお時間です。引き続き読者の皆さんからのお悩みを募集していますので、こちらのページからどしどしお寄せください! 私生活のお悩み、仕事のお悩み、何でも構いません。次回の相談は12月7日(水)に公開予定です。それではまた!
佐藤優:1960年東京都生まれ。作家、元外務省主任分析官。85年、同志社大学大学院神学研究科修了。外務省に入省し、在ロシア連邦日本国大使館に勤務。その後、本省国際情報局分析第一課で、主任分析官として対ロシア外交の最前線で活躍。2002年、背任と偽計業務妨害容疑で逮捕、起訴され、09年6月有罪確定。2013年6月に執行猶予期間を満了し、刑の言い渡しが効力を失った。現在は執筆や講演、寄稿などを通して積極的な言論活動を展開している。
(構成・高田秀樹、イラスト・iziz、編集・野田翔)