「公共放送」のイメージを変えようと模索している。
出典:shutterstock
NHKの「若者戦略」をけん引する斬新な番組作りの背景を聞くインタビューの後編。
NHKチーフプロデューサーとして、「あさイチ」の「推し特集」や「沼にハマってきいてみた」「ゲームゲノム」などの番組を手掛けてきた石塚利恵さんは、商品名を放送しないとされてきたNHKのルールをどう乗り越えたのか。
※前編は「『2億年ぶりにテレビを観ました』NHKが『推し』『沼』『ゲーム』を推す理由」で公開中。
「商品名を出さないNHK」というハードル
「ゲームゲノム」公式サイトにあるゲームゲノムnoteでは、制作の裏側を語る短文コラムなども掲載されている。
撮影:Business Insider Japan
—— NHKは特定の商品名やサービス名を出さないというイメージがありますが、そうしたハードルをどのように乗り越えたのですか?
「推し特集」にしても「沼ハマ」にしても「ゲームゲノム」にしても、固有名詞を出さないと成り立たない番組です。ポイントはあくまで「“作品”を取り上げる」ということで突破しました。実際、NHKはこれまで音楽・映画・文学やアートを取り上げてきた番組はあるので、そこにゲームが加わるのはなんらおかしくないということです。
—— 商品ではなく作品だということが大事なんですね。
そうです。作品を紹介するときに「タイトル」を出さなければ視聴者には伝わりませんよね。
例えば、7月にあさイチで「ドラマ推し特集」を放送しましたが、この回では視聴者の方の人生を支えた作品として、民放ドラマの映像もたくさん流したので皆さん驚かれていました。
でも、その人にとって唯一無二のドラマですし、その作品の「何が琴線に触れたのか」も含めてしっかり伝えなければなりません。これはスポンサーの縛りないNHKなので逆にフラットにできることなんです。
—— 石塚さんが「推し」や「沼」という言葉を知ったきっかけ、番組として放送しようと思った理由はなんでしょうか?
ディレクター時代に、同じジャンルを極めた3人のカリスマが語り合う「ディープピープル」というトーク番組を担当していたんですが、中でも印象深い回が「宝塚トップスター」です。
100年も愛されているエンタメの中には絶対に深い話があるはずだ —— と思って宝塚を選んだんですが、取材を進めるうちに、タカラジェンヌを支えるファンの方々の愛の深さにも圧倒されまして。日本のカルチャーは、こうしたファンの下支えがあって発展してきたんだなと感じました。
その頃は「推し」「沼」という言葉は知りませんでしたが、ファン側の話も本当に面白い……とインプットされました。
後にプロデューサーになり、新しい若者向け番組のコンセプトを「10代が熱中しているさまざまな世界を取り上げる」と決めたときに、チーフディレクターが「ネット上では“沼”と言ってますよ」と教えてくれたんです。「ハマると抜けられないほどの奥深い趣味や熱中ごと=沼」と聞いて、「なんてうまいこと表現するの!」と感心しました。言葉選びが絶妙ですよね。そして同時に「沼」をキーワードにすれば、番組を多様に展開できるとピンときました。
ディレクターには「沼といっても、よどんだ沼ではなくて美しい沼である」と。「まるで金の斧・銀の斧を持った女神が出てくるような、美しい沼にしよう。セットもロゴもそんなイメージで……」と言った記憶があります。実際、10代にアンケートをとると、「沼にハマってきいてみた」というタイトルが一番支持されたんです。迷うことなく番組名を決めました。
「美しい沼」を伝える
「あさイチ」「ゲームゲノム」チーフプロデューサーの石塚利恵さん。
撮影:杉本健太郎
—— 石塚さんは若者向け番組を多く手掛けてきたのでしょうか?
平成7年(1995年)に入局して、初任地は長野でした。そこで4年ほどニュースの企画やドキュメンタリーを作り、ディレクターとしてのいろはを学びました。
それから東京に異動し、青少年やこども番組を制作する部で「週刊子どもニュース」「天才テレビくん」「トップランナー」等を担当しました。30代半ばに大阪放送局に異動しましたが、毎日公開生放送をしていた「あほやねん!すきやねん!」という若者向けの番組や「ディープピープル」というトーク番組を制作していました。
ディレクターや調整役のデスクとして、ずっと若い人向けの番組に携わってきて、46歳のとき、初めてプロデューサーとしてイチから立ち上げたレギュラー番組が「沼にハマってきいてみた」です。そして2年前に「あさイチ」にやって来て、初めて同世代向けの情報番組を担当するようになりました。同時に昨年「ゲームゲノム」を開発することになり、今年に入ってレギュラー放送にこぎつけました。結果的に、ずっと若者向け番組を制作し続けています。
NHKも「若者のテレビ離れ」に危機感
—— 2018年に「沼ハマ」の立ち上げプロデューサー、2020年に「あさイチ」のチーフプロデューサー、2021年に「ゲームゲノム」のパイロット版プロデューサー、2022年10月からレギュラー放送のチーフプロデューサーですね。
せわしないですよね。今は「あさイチ」と「ゲームゲノム」の制作統括を兼務しています。昨年開発した「ゲームゲノム」は、若者のテレビ離れを何とかしたいという組織の思いと重なった部分があるんです。「次世代チャレンジ」といって、35歳以下の職員から若い視聴者に向けた番組企画を募ったんです。「新しいNHKらしさ」を打ち出せるような番組が求められていたんですね。
実はこの募集の少し前に、「ゲームゲノム」の相談を受けていました。
当時31歳の男性ディレクターで、「いかにゲームが作品として奥深いか。自分の大事な価値観はゲームのプレイ体験によって培われてきたか」ということを熱弁してくれました。私は“これは面白くなるな”と思ったんです。ゲーム×教養番組は見たことがないし、文化として捉え直すことは大きな意味があると。そこで「次世代チャレンジ」に提案してもらい、パイロット版制作のチャンスを得たんです。
私自身はそこまでゲームに詳しくなかったんですが、聞けば聞くほど作品として面白い。一方で番組開発の経験や「トップランナー」や「ディープピープル」といったトーク番組でテーマ立てをしながら深掘りするノウハウは持っていたので、ディレクターの熱い想いを形にする手助けはできるなと思いました。
「沼ハマ」でゲームやeスポーツを取り上げたときにも感じたのですが、今の10~30代の人にとって、私達世代が小説や映画やドラマから受けてきた影響と同じか、あるいはそれ以上にゲームから大きな影響を受けているのだとわかりました。それはゲームをプレイすることが、とてもインタラクティブな体験だからです。ですから、ゲームというものをネガティブに捉える年長世代の誤解も解けるのではないかという期待も込めて番組を作っています。
実際、パイロット版を放送した後に「ゲームに対する親の見る目が変わった」というツイートもありました。親世代の方から「ゲームも作品として素晴らしいものがたくさんあるんですね」という声をいただいた時は、ゲームの文化的価値を高めることができたと嬉しかったですね。
「推し」を想う気持ちには力がある
—— 番組作りを通じて「推し」や「沼」に対する見方は変わりましたか?
羨ましいと思うくらい変わりました。番組では「推し」の存在に励まされて病気を乗り越えた方や、「推し」にふさわしいファンでいたいと寄付を募って途上国に井戸を掘った方など、さまざまな方の“推し活”を取り上げてきたのですが、推しを持つ皆さんは確実に生活をポジティブな方向に向けています。この前向きなパワーは本当にすごいので、大袈裟ではなく、「推し」には世界を平和にする力があるのではないかと思うくらいです。
実際、心理カウンセラーの方にも推しのいる効果について取材したのですが、「人には愛し愛されたい本能がある」と。「愛されたい」だけでは足りないんですね。「愛したい」という欲求を満たしてあげることが心の幸せには必要なんです。「推し」という存在が励みになって頑張れるし、「なぜ自分はこの人を、このキャラクターを推しているのか」という理由を突き詰めて考えることは“自己理解”にも繋がるという話を聞いて深いなと思いました。
—— 最後に、石塚さんの「推し」と「沼」を教えていただけますか。
マンガが好きなので あえて言うならマンガ沼です。
最近推しているのはマンガ家の田村由美さんですね。『ミステリと言う勿れ』はドラマ化もされましたが、主人公のセリフにハッと考えさせられるものが多いんです。仕事に家事に子育てにと時間がない中でも、スキマ時間で読むことができるのでありがたくて。お気に入りのマンガは紙で大人買いします。
実は自分の知らないジャンルを取材する前に、まずその世界を扱っているマンガを読むようにしています。よく取材されているので、パッと全体像が把握できるんです。それくらい日本の漫画はテーマや表現が多様化していて、ものすごく成熟した文化だなと思います。
(文・杉本健太郎)