Hollis Johnson/Business Insider
- デニムを考案したのはリーバイス(Levi's)ではないが、ブルージーンズを考案したのはリーバイスだ。
- 創業169年のリーバイ・ストラウスは世界大戦、大恐慌、そして周期的に変化するファッション・トレンドを乗り越えてきた。
- アメリカ西部のカウボーイに愛されたリーバイスのジーンズは、今ではセレブやZ世代の若者に崇拝されている。リーバイスのこれまでを写真とともに見ていこう(以下、敬称略)。
リーバイ・ストラウスは1829年、バイエルン王国で生まれた
リーバイ・ストラウス。1850年代に撮影。
AP Photo
ストラウスは1847年、アメリカに移住した。ニューヨークに着いたストラウスは異母兄たちが営む織物の卸売事業を手伝い始めた。
リーバイスによると、その6年後の1853年、ストラウスは西海岸に織物事業の支店を立ち上げるためにアメリカ西部へ向かい、サンフランシスコで服や毛布といった商品を雑貨店に卸していた。
今日のようなジーンズが生まれたのは、それから数十年後のことだ —— ストラウスは仕立て職人と協力して、人々を夢中にさせるパンツを考案した
リーバイ・ストラウスの工場(1882年、サンフランシスコ)。
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1870年代初め、ストラウスの顧客で仕立て職人のジェイコブ・デイビスは、パンツの補強に銅のリベットを使うことを思い付いた。
デイビスはストラウスから生地を購入し、ボタンフライパンツを作った。これが客の間でヒットしたため、デイビスは特許を取ることにした。デイビスはストラウスにも声をかけ、1873年に特許が与えられた。
このパンツは現在のリーバイス501 —— 当時このモデルは「XX」と呼ばれていた —— に似ていて、バックポケット(1つ)、ウォッチポケット、サスペンダーボタンが付いていた。
今日のジーンズが誕生した。ただ、当時は「ウエスト・オーバーオール」または単に「オーバーオール」と呼ばれていた。リーバイスによると、「ジーンズ」と呼ばれるようになるのは、1960年代に入ってからだ。ジーンズはフランス語の「Gênes(ジェーヌ)」から来ていて、イタリアの港街ジェノヴァ —— この港街では船乗りたちがしばしばデニムを着用している —— を意味するとViceは報じている。
1886年、リーバイスは2頭の馬のロゴが入ったレザーパッチを付けるようになった —— このロゴは今でも使われている
Sean Gallup/Getty Images
時間とともに、ジーンズのデザインも変化していった。1901年にはバックポケットが2つになり、1922年にはベルトループが付くようになった。
リーバイスによると、1937年には客のリクエストに応えて、トレードマークであるバックポケットのリベットを覆った。座り心地を良くし、馬具や布地に傷をつけないためだという。
ただ、1880年代に作られたリーバイスの製品の中には、アメリカの暗黒時代を思い起こさせるようなものもある
リーバイスの工場でジーンズを作る女性。
Getty image
1880年代、アメリカは中国人労働者のアメリカへの移住を禁止する「中国人排斥法」を成立させた。ゴールドラッシュや鉄道建設を経て、反中国人感情が高まる中でのことだった。
この法律はのちに撤廃された —— 非難もされた —— ものの、リーバイスは一時、独自の反中国人労働者の方針を掲げ、自社の製品や広告に「白人労働者によって作られました(made by white labor)」などとするキャッチフレーズを採用していたこともあると、ウォール・ストリート・ジャーナルは伝えている。
同社の広報担当者は、リーバイスは現在「わたしたちのプラットフォームと声を用いて、真の平等を支持し、あらゆる形の人種差別と戦うことに全力を注いでいます」と同紙に語っている。
1900年代初期を通じて、リーバイスは"労働者やカウボーイが好む服"との評判を維持した —— これは大恐慌を受け、同社が打ち出したイメージでもある
リーバイスのジーンズを履いたジョン・ウェイン(1939年)。
Alain BENAINOUS/Gamma-Rapho via Getty Images
大恐慌の後、リーバイスはカウボーイの財布を狙って『ワシントン・ファーマー』や『アリゾナ・プロデューサー』といった西部の州で発行されている農業新聞に広告を出した。
ただ、第二次世界大戦がはじまると、リーバイスはやり方を変え、米海軍の要望でジーンズを海外へ送るようになった。同時に、リーバイスによると、アメリカ国内の工場や造船所で働く女性たちが溶接火花などから身を守ってくれるリーバイスを履き始めたという。
Timeによると、リーバイスは1950年までに9500万本のジーンズを作った。当時の価格は3.50ドルだったという。
1960年代と1970年代はアメリカのファッションは復興期を迎えた —— おかげでリーバイスの需要は国内外でさらに高まった
ロサンゼルスのリーバイスの店舗(1975年)。
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20世紀半ばには、よりカジュアルな服が人気となり、ブルージーンズはさらに主流となった。公民権運動の指導者らがブルージーンズを履き、ヒッピーがブルージーンズを履き、ロックバンドがブルージーンズを履いた。1960年代後半には、ジェファーソン・エアプレインといったバンドがリーバイスのラジオコマーシャルを作っていた。
アメリカではデニムが平等と自由の代名詞になったと、歴史家のキャロライン・A・ジョーンズは2020年、雑誌『スミソニアン』に語っている。
「若い活動家たちは、男女間の平等や社会階層間の識別にデニムを使っていました」とジョーンズは指摘している。
変化は海外でも起きていた。冷戦期の東ドイツでは、ジーンズといったアイテムが「自由、独立、おしゃれの象徴」と見なされていたとドイツ史研究家のゲルト・ホーテンは以前、Insiderに語っている。
東ドイツではリーバイスの販売は1960年代まで禁止されていたため、リーバイスの闇市が作られ、高いものでは1本500ドルで売られていた。
ただ、1970年代後半になると東ドイツの経済は崩壊し、政府はリーバイスに対して、ホリデーシーズンに先駆けて80万本近いジーンズを出荷するよう求めた。ドイツの若者たちはデニムを買うために行列を作った。
1990年代初め、リーバイスは「カジュアル・フライデー」(金曜日はカジュアルな服装での出勤を認めるという慣行)の普及にひと役買った —— 同社のチノパンブランド「ドッカーズ(Dockers)」を強化するためでもあった
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カジュアル・フライデーという概念自体は1950年代のヒューレット・パッカードの取り組みまで遡るが、リーバイスと同社のチノパンブランド「ドッカーズ」が主流になったのは、この概念のおかげだ。
1990年代初めはアパレル業界にとって苦しい時期で、アメリカ企業の人事部にとっても難しい時期だっただろう。カジュアル・フライデーという考え自体は広まっていたものの、それが何を意味するのか、はっきりとしたルールはなかった —— 多くの労働者はだらしない服装や不適切な服装で出勤する機会と見なしていた。
リーバイスはこれをチャンスと捉え、1992年には『カジュアルなビジネスウェアの手引き』と題したパンフレットを作った。パンフレットには職場にあった服装の具体例 —— 主にドッカーズのチノパンやリーバイスのジーンズ —— が挙げられていて、「ビジネス・カジュアル」がどんなものを指すのか、ヒントやアドバイスを提供した。
「わたしたちがカジュアルなビジネスウェアを作ったのではありません」と、リーバイスの元消費者マーケティング・ダイレクター(北米担当)のダニエル・チューは1996年、ブルームバーグ・ビジネスウィークに語った。
「わたしたちはトレンドを見つけ、ビジネスチャンスを見出したのです」
パンフレットはアメリカの大企業の関心を集め —— チャールズ・シュワブはパンフレットを従業員に配布した —— 、ブルームバーグによると、リーバイスは1995年に当時としては過去最高となる67億ドルの売り上げを記録した。これは前年比10%増にあたるという。
1984年のロス五輪では、リーバイスがアメリカ代表選手団にウエアを提供した
ロサンゼルス五輪体操女子個人総合で優勝したメアリー・ルー・レットン選手。
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同社は大会でリーバイス501の広告を放送し、売り上げが急増したという。
その1年後、1971年に上場していたリーバイスは、リーバイ・ストラウスの子孫によるレバレッジド・バイアウト(LBO、買収先企業の資産などを担保とした資金調達による買収)で公開されていた株式を買い戻し、再び私有企業となった。約17億ドルのLBOは当時としては最大規模のものだった。
ただ、1990年代後半になると、リーバイスの需要は減り始める
CP Kevin Frayer/AP
1997年、リーバイスは11の製造工場を閉鎖し、約6400人の従業員 —— 全体の約34% —— を解雇すると発表した。
「1960年代、1970年代、1980年代は需要に追い付こうとしてきましたが、製造が追い付きませんでした」と同社の広報担当者(当時)ギャビン・パワーはロサンゼルス・タイムズに語っていた。
「もうそういう状況ではありません」
リーバイスは当時、ブランドネームのアパレルメーカーとしては最大手だったが、いくつかの課題 —— 1) 1980年代に比べて、1990年代はアパレル消費が3%減少した、2) 製造技術の発展によって、少ない人数でより多くの服が作れるようになった、3) ラルフローレンや百貨店のより手頃なプライベートブランドなどのおかげで競争が激化した —— に直面していた。
「多くの人が、リーバイスが提供しているよりも安い値段で同じ品質のジーンズを買うことができる」と小売業コンサルタントのカート・バーナードは1997年、Timesに語っている。
売り上げはその後10年間下がり続けたものの、2007年には再び黒字に
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その後、リーバイスはNFLサンフランシスコ・フォーティナイナーズの新スタジアムの命名権を獲得した。
リーバイスはチームに11年で2億2000万ドルを払うことで合意し、当時としてはアメリカ国内で史上3番目に高額な命名権契約だった。
2019年には再上場を果たした
2019年3月21日、ニューヨーク証券取引所。
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これに合わせて、ニューヨーク証券取引所は「ブルージーンズ禁止」のルールを緩和し、立会場の誰もがジーンズやデニムのジャケットを着用できるようにした —— フロアトレーダーや証券取引所の従業員までリーバイスの服を着ていた。
CNBCのボブ・ピサーニ記者は当時、ニューヨーク証券取引所の立会場が1969年の大規模野外コンサート「ウッドストック・フェスティバル」のようだったと語った。
2020年のパンデミックはリーバイスの売り上げに響いた —— 専門家たちはステイホームの影響で部屋着で過ごす人が増えたことから、"ジーンズの終わり"を予想し始めた
Brendan McDermid/Reuters
新型コロナウイルス感染症(COVID-19)のパンデミックはアパレル業界に打撃を与え、リーバイスも例外ではなかった。リーバイスは店を一時的に閉めることになり、サプライチェーンの問題や売り上げの低迷に直面した。消費者は「ハードパンツ」よりも伸び縮みするウエストを求めたからだ。
パンデミックの影響でコストが上がる中、2020年3~5月期には収益が前の年の同じ時期に比べて62%下がった。2020年7月には従業員700人 —— 全体の15%をレイオフした。
2021年には損失が縮小し始めたが、売り上げはまだ減っていた —— CEOのチップ・バーグは、長引くファッションの「カジュアル化」を含め、「変化はここにとどまるように見える」と認めた
Richard Drew/AP
ただ、リーバイスにとって明るい材料もあった。コロナ禍の体重変動が2021年の売り上げ増に一役買ったと、バーグは当時話していた。また、同社はヨガのアパレルブランド「ビヨンド・ヨガ(Beyond Yoga)」を買収するなど、アクティブウェアやラウンジウェアにも手を広げた。
そして、以前からサステナビリティ(持続可能性)を重視する会社だったリーバイスは近年、その取り組みをさらに強化し、消費者には「より良いものを購入し、より長く着よう」と訴え、2050年までに温室効果ガスの排出量実質ゼロ企業になろうとしている。
その一方で、リーバイスはモデルやミュージシャン、ファッション好きの定番アイテムとなっている
リーバイスのビンテージのシャツを着るモデルのベラ・ハディッド。
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2000年代初めには高価なデニムが大流行したものの、2010年代に入るとトレンドに変化が見られ、手頃な価格のリーバイスが支持されるようになった。
「自分にとって、反動… もしくは『デニム疲れ』は(市場に出回っている)全てのジーンズがまったく同じに見えるからだ」とデニムブランドRe/Doneの共同創業者シーン・バロンは2015年、Fashionistaに語っていた。
「ジーンズは全てスキニーで、ストレッチの効いた青い生地でできている。しばらくの間、『それ以外に何が買えるんだ?』という感じだった。こうしたブランドが人々を均一に見せている」
一方、リーバイスはリラックスフィットの505や1800年代からあまり変わっていないストレートレッグの501といった昔ながらのスタイルを売り続けていて、トレンドに詳しいサミュエル・トロットマンはリーバイスのジーンズを「究極のオリジナル・ジーンズ」だとファッション情報サイトのHigh Snobietyに語っている。
そして"マストハブ"になっているアイテムは、フルレングスのジーンズだけではない。音楽フェスの人気が高まる中、501のカットオフの売り上げが急増している。
「リーバイス501のカットオフ・ショーツは今期50%以上伸びて、フェスシーズンに欠かせない定番ユニフォームとして再びコーチェラを席巻した」とCEOのチップ・バーグは2019年、第2四半期の決算発表で語っている。
ただ、リーバイスのビンテージは、流行に敏感で環境意識の高い若い世代の間で"聖杯"のような存在になっている
Shannon Stapleton/Reuters
Z世代やミレニアル世代の客は、新品のジーンズを買うよりも古着屋やインターネットでビンテージのリーバイスを探し回っている。『GQ』や『InStyle』ではビンテージかどうかの見極め方やリーバイスのサイズ選びのコツなどを紹介し、完璧な1本を見つけることは芸術の域に達している。
リーバイス自身もこうしたトレンドに乗って、2020年には古着を扱う独自の店を立ち上げ、そのプロモーションのためにヘイリー・ビーバーやジェイデン・スミスといった有名人やトレンドセッターを次々と起用した。
1800年代のスーパービンテージのリーバイスは、コレクターから崇められるような存在になっている。2022年10月には、オークションで7万6000ドル(約1060万円)で落札されたこともあった。
数年前に古い鉱山で見つかったというこのリーバイスのパンツは、バックポケットが1つで、ウエストにはサスペンダーボタンがあり、小さな穴やキャンドルワックスといった年代を示すサインもあった。今でも「良好/着用可能」なコンディションだと見なされている。
とはいえ、インフレと景気後退への懸念が買い物客を遠ざける中、リーバイスも多くの小売業者同様、警戒を強めている
Richard Drew/AP
リーバイスは最近、通期の業績予想を下方修正した。慎重な消費者が支出を減らす中、第3四半期の収益が期待外れに終わったためだ。
幹部の交代も相次いでいる。2022年2月には、コロナ禍での学校閉鎖やマスク着用義務に異議を唱えたグローバル・ブランド担当のプレジデントが辞任した。11月には新たなプレジデントを指名し、百貨店コールズ(Kohl's)のCEOだったミシェル・ガスが来年リーバイスに加わり、その後、チップ・バーグの後任としてCEOに就任するという。