失っても構わない金額以上のお金は貸すべきではない。
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- 友達や家族にお金を貸して欲しいと頼まれた時、筆者は返事をする前に6つの点を確認するようにしている。
- 貸せるお金がある場合、返済を望むか、そしてそれが相手との関係に害を及ばさないか自問する。
- 借金の使い道を考慮し、そして返済条件を明確にする。
1993年の秋、私の14歳の誕生日の少し前に、私は父と近所のシネコンに『ブロンクス物語/愛につつまれた街(原題:A Bronx Tale)』という映画を観に行った。その映画で主人公カロジェロが、20ドルを貸したままのルーイという男を見つけるシーンが印象に残っている。通りの反対側からカロジェロは大声でルーイに金を返せと怒鳴りつけ、何とか言い訳をして走り去るルーイに、カロジェロは暴言を浴びせるのだ。
カロジェロが憧れる地元マフィアのソニーは、このやりとりを見てカロジェロに聞く。
「そいつは友達か?」
「いや、嫌いだ」とカロジェロが答える。
それに対しソニーがカロジェロを諭すように言う台詞が、私の脳裏に焼き付いている。
「それなら答えは簡単だ。20ドルで縁を切ったと考えろ。二度とカネを貸せと言われない。たった20ドルで済んだんだ」
ソニー流の教えに私は驚いた。借りや借金があることは、望まない関係を断ち切るための単純な戦略であるだけでなく、支払いや残高よりはるかに大きな影響力を持つものであるということを学んだ。
お金の貸し借りには、金銭的なものだけでなく社会的、倫理的、法的な影響が付随しており、そのどれを怠っても問題が発生してしまう可能性がある。だから私は人から借金を頼まれると(もしくは自分が誰かから借りないといけない時は)大局的に考えるようにしている。以下、私が熟慮する点を紹介しよう。
返済を望むかどうか
多くの場合、私はお金を貸すよりはあげたいと考える。特に金額が低ければなおさらだ。ランチに出かけた時に友達が財布を忘れてしまったら、後で代金を返してもらうよりご馳走してあげたい。このような親切はいつか自分に返ってくると思うし、もしそうでなかったとしても、わずかな金額の立て替えをいちいち気にしているより、寛大な人間でいたいと思う。
この考え方は友達や家族との日常の付き合いの中で、だいたいうまく機能しているが、誰もがこれに共感する訳ではないということは忘れないように心がけている。どんなにわずかな金額でも、借りたお金は絶対に返すと頑なにこだわる人もいて、私が返してもらうことを気にしていなくても、彼らは気にするのだ。どうしても返したいという人に対しては、受け取ることを拒否したりはしない。自分の善意を押し付けることはしないようにしている。
お金を貸す余裕があるか
当然、お金がなければ貸すことはできない。しかし、お金があるからといって貸すことができる(もしくは貸すべきである)という訳ではない。
何年か前に、ある友人から事業のつなぎ融資として4000ドル(約55万円)貸してくれないかと頼まれたことがある。彼女には返済能力もあり、絶対すぐに返してくれると思ったが、当時の私にとってその金額は、私の流動資金のほぼ全てだったので、万が一、突然無職になったり車が故障したり、急にお金が必要になる事態になった時のことを考えると、その金額を貸してしまうのは危険だった。私は助けてあげたいのは山々だったし、すぐに返済されると分かってはいたが、自分をそのリスクにさらすのは賢明ではないと判断した。
その時の経験のおかげで、基本的なルールを自分の中で明確にすることができた。
それは「誰かにお金を貸すことで、自分の財政状態にリスクが及ぶ可能性がある場合は、貸さないこと」だ。
返済を望む場合、どれくらい信用できるか
私は銀行ではないので、まるで引受業者が住宅ローンの申し込みをするように個人的なローンの依頼を精査するようなことはしない。しかし、私は慈善団体でもないので、お金を貸す時は、少なくとも不履行の可能性については考えておかなければいけない。
金融機関と違って、私は資産や返済履歴などの定量評価よりも、社会的信用を重視する。社会的なプレッシャーは書面の契約と同じくらいの強制力があるので、相手が内輪の人だったら不履行はほとんどないと思っている。最も親しい友人と家族には迷わず貸すが、その内輪というものは、より大きなコミュニティへと広がる場合もある。
返してもらえなかったらどうなるか
「失っても構わない金額以上のお金は貸すべきではない」という忠告をよく聞く。同感だが、私が気になるのは、失うのはお金だけじゃないという点だ。未返済の借金は、たとえ親しい間柄であっても不和の原因となる可能性があり、経済的に支援したことで私が大切に思っている人との間に緊張や怒り、距離感が生じてしまうことは避けたい。
最近、親しい友人の1人が高額の医療費を自己負担しなければならない事態になったが、その時全額払えるだけの現金を持ち合わせていなかった。自分の家族に連絡するのは少々恥ずかしかったそうで、不足分を貸してくれないかと私に連絡してきた。彼が返す前提だったのは分かっていたが、返してもらえなかったらどうなるか私は自問した。返済が先延ばしになったり、彼との関係を守るために借金を帳消しにすることになっても大丈夫か? 私はそうなっても良いと決断した。結局、何の問題もなく返済されたが、この質問を自分に投げかけたことは良かったと思う。
この時の経験で、私は前述の忠告をアレンジし、もう一つルールを明確にすることができた。それは「その人との関係を失ってしまうリスクがあるほどの金額を貸さないこと」だ。
借金の使い道
お金はツールであり、私は自分のお金は持続的な利益を生み出すために使いたいと思っている。そのため、お金を貸すことが私の財政や貸す相手との関係にどのように影響するかのほかに、それがもたらす結果をより広範に考え注意を払うようにしている。新しい事業を軌道に乗せたり、緊急時に助けたりするためなら喜んで貸すが、無駄使いされたり悪い行動を助長したりする資金を貸すのは気が進まない。
お金の管理が下手なことで有名な親戚から、高利のカードローンを完済するためにお金を貸して欲しいと頼まれたことがある。私は完済するという考えには大いに賛成だったが、私に借りたお金でローンを返済するというのは、対症療法にすぎないと感じた。彼の浪費癖から言って、彼はまた借金を増やし続け、振り出しに戻ってしまうのではないかと思った。彼にお金を貸しても彼の助けにはならないように思えたのだ。
その結果、お金を貸す代わりに、私はより永続的な解決に導くアドバイスを与えた。年利0%のクレジットカードに残高を移行するのを手伝い (少しでも返済を楽にするため)、同じ過ちを繰り返さないためにもっと賢くお金を管理する方法を彼に教えた。その結果は完璧とまでは行かなかったが、役には立った。単純に現金を渡すより、こうして良かったと思っている。
私からの条件
私は誰かにお金を貸す時、ただポンと渡すようなことは滅多にしない。私のお金には通常、さまざまな期待が伴うので、それらを事前に明確に設定しておくことで、後で衝突や混乱が起きるのを避けることができる。
私にとって借款協定で最も重要なのは、いつ、どのように返済するかが明確になっていることだ。現金で貸す場合、ギフトカードで返されるのは嫌なので、言わなくてもわかりそうであっても、支払い形式は具体的にしておきたい。返済のスケジュールも明確にしたい。分割払いを了承する時もあるかもしれないし、シンプルにするため一括の返済を希望する場合もあるかもしれない。いずれにしろ、最初から明確にしておきたい。
私がお金を貸す時、利子をつけたことは一度もない。それは親切心でもあり、税金がかかるのを避けるためでもある。しかし、手料理のディナーやスポーツ観戦のチケットなど、追加の好意をオファーされた時はありがたくいただくようにしていている。
私は相手が親しい友人だったり、金額が少なければ、形式ばらない口頭の合意で構わないが、そうでなければ条件を文字で残しておきたいと思う。法廷で使うような大袈裟なものを起草するわけではなく、合意内容を文書化するだけでいいので、印刷、署名するような契約書はどうしても過剰に感じてしまう。私はメール上のシンプルな文面で十分だ。
[原文:Whenever someone wants to borrow money, I ask myself 6 questions to decide if saying yes is smart]
(翻訳・小森谷美江子、編集・長田真)