10月に大阪にオープンしたSHEINのポップアップストア。
SHEIN
11月に東京・原宿にショールームをオープンし、アパレル界の“寵児”的扱いを受けているアパレルECの「SHEIN」。知名度上昇に伴い、デザインの盗用疑惑も取りざたされている。サプライチェーンを集約してデザインから販売まで1週間しかかからないことや、インフルエンサーを活用した巧みなデジタルマーケティングなど、同社のビジネスモデルも徐々に知られてきたが、企業の成り立ちは相変わらず霧に包まれている。中国での報道や創業者のビジネスパートナーだった人物の話などから、分かっていることを紹介したい。
貧しい家庭で育ち、働きながら大学卒業
SHEINを創業した許仰天(クリス・シュー)氏は1984年生まれ。後の起業家仲間である李鵬氏(同名の元首相とは別人)によると、山東省の農村で生まれたシュー氏の経済環境は恵まれたものではなく、高校3年生でアルバイトを始め、大学時代も働きながら学んでいた。日本で学生のアルバイトは普通だが、中国は授業が忙しくて生活コストがそれほどかからないので、生活のためにアルバイトする大学生は多くない。
同省青島市の大学でITを専攻した(国際貿易専攻という説もある)シュー氏は2007年に卒業し、故郷から遠く離れた南京市のオンラインマーケティング企業でSEO対策の業務に就いた。当時の中国はインターネット人口が急激に増え始めた初期で、一般家庭でPCはそこまで普及しておらず、iPhoneが誕生したところだった。オンラインマーケティングという業種や職種自体が非常に新しく、そこでの体験がシュー氏のその後のビジネスの方向性に大きな影響を与えたと言われている。
シュー氏は2008年10月に、知人2人と起業した。方向性の違いからほどなく2人と離れ、中国で数百元(日本円で数千円~1万円)のウェディングドレスが、米国では数十倍の価格で売れるのを見て、「中国の商品を米国で売る」越境ECに狙いを定め、2011年ごろには「Sheinside.com」のドメインを取得した。
金融危機から米国消費の変化を洞察
SHEINで買う理由を聞かれた消費者の多くが「安さ」を最初に挙げる。
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ウェディングドレスの越境ECを手掛けていたシュー氏は2012年ごろ、商品カテゴリーがより広く、買い替え頻度も高い女性向けアパレルにシフトした。商品は概ね20ドル(約2800円、1ドル=140円換算)以下で、毎日600点の新商品を投入するなど、ビジネスモデルの原型はこのころつくられている。
インフルエンサーが商品をお勧めするマーケティングを始めたのもこの頃だ。Facebook、Twitter、Instagramはもちろんのこと、2010年代初めに米国で話題になった他のSNSも一通りアカウントをつくり、フォロワーを増やして自社のECサイトに流入させる手法を編み出した。
インフルエンサーやKOL(Key Opinion Leader)という言葉もない時代で、今から振り返れば、SHEINは世界でも最も早くインフルエンサーマーケティングに着手した企業の一社だろう。それはビジネス経験が少なく、米国でのネットワークも少ないシュー氏なりの弱者の戦略でもあった。
李鵬氏によると、シュー氏は2008年の世界金融危機の直後に、「金融危機は米国の中流家庭の消費に大きな影響を与えるだろう。この変化を自分たちの機会とするには、安い服を提供するのがよいのではないか」と話しており、起業当初から「経済的に余裕のない女性に、格安のアパレルを提供する」イメージもあったようだ。
注文増えサプライチェーン構築に着手
アパレルの越境ECで「ブランド力」「影響力」の必要性を痛感したシュー氏は、ブランド力を高める施策から始めた。SNSを駆使して細かな導線を張り巡らせることで2012年にはSheinsideのユーザー数は25万まで増えた。注文数が増大するにつれて次の課題として浮上したのが、サプライチェーンの問題だった。
今では信じられないが、Sheinsideはスタッフが広州市のアパレル卸売市場に出向き、そこで売られている商品の写真を撮ってECサイトで表示し、海外ユーザーから注文が入ると、スタッフが再訪し買い付けていた。いわばオンラインのバイヤーであり代理購入だ。
サイトでの注文が急増するとアナログ的なやり方では全く追いつかなくなり、シュー氏は2014年、広州市にプレハブのオフィスを建てて南京から本社を移転する。
デザイナーのチームを発足させると同時にサプライチェーンの構築にも着手し、広州市内の縫製会社に他社よりよい条件を提示して、「少ロット」「短納期」で取引してくれるサプライヤーを開拓していった。「経済的余裕がない」若者を顧客にしているとは言え、先進国の米国の消費者は、中国の当時の消費者よりも高い価格で商品を買ってくれる。その利ざやが、取引会社を開拓し「デザインから販売まで1週間」のモデルをつくる軍資金になった。
目立ちたくないグローバル企業の創業者
SHEINはデザインから販売にかかる期間が最短1週間で、売れ筋を素早く市場展開できるサプライチェーンも強みだ。
SHEIN
2015年、SheinsideはSHEINにブランド名を変更した。ビジネスモデルが整備され、投資家からも注目されるようになる。
2013年にジャフコ子会社から500万ドル(約7億円)を調達し、資金調達とM&Aを加速させる。最初の起業仲間だった李鵬氏が後に立ち上げたアパレルECの「ROMWE」など複数の同業ブランドを買収した。2018年にシリーズCでセコイア・キャピタル・チャイナなどから資金を調達した際の評価額は25億ドル(約3500億円)だったが、翌2019年の評価額は50億ドル(約7000億円)に倍増。その後も報じられるたびに評価額が跳ね上がり、ついに1000億ドル(約14兆円)を突破した。この数年も、家具EC企業などを買収しており、傘下のポートフォリオから同社の成長戦略の方向性が見える。
取材を受けず、SNS周りのデジタルにマーケティング資金を全投入していたSHEINが広い世代、広い業界の前に姿を現したのは、2020年のコロナ禍だ。ZARAやH&Mなどアパレル大手が店舗の休業を強いられ大打撃を受ける中で、若い女性の関心がオンラインに向かい、一人勝ちの状況が生まれた。経済誌フォーブスが2022年11月に発表した長者番付でも、シュー氏は保有資産100億ドル(約1兆4000億円、推定)で中国の富豪トップ100の25位に入り、初めてランクインした。
SHEINの成功の要因はさまざまに分析されているが、他の中国企業と大きく違う点は、中国のECの萌芽期であった2010年前後に、地の利がある中国ではなく、北米市場に目を向けた点だろう。2010年は楽天もバイドゥ(百度)と組んで中国に進出しており、世界中の有力企業が伸び行く中国市場への投資を本格化させていた。
その中で、「金融危機」と「価格差」をヒントに北米にフォーカスしたシュー氏は、今思えば「コロンブスの卵」だが、当時は無謀とも言えるチャレンジだった。中国で成功した企業が先進国で同じように成功するのは非常に難しいが、SHEINは米国で爆売れしたからこそ、原宿オープンのときもこれほどの注目を受けることになった。
グローバルでTikTokを大成功させたバイトダンスの創業者、張一鳴氏も1983年生まれでシュー氏と同世代だ。2人とも米国のユーザーをつかみながらも、中国企業であることが足かせとなっており、また、メディアに出ることを好まない点も共通している。
SNSやデジタルが国境をなくす時機を捉え、20代から30代にかけてグローバルの消費者をつかんだ彼らには、あと数回起業できる時間も残っている。自社サービスを通じて直接ユーザーとの接点を持つ彼らは目立つことを必要としないし、むしろ目立ちたくないのかもしれない。
浦上早苗: 経済ジャーナリスト、法政大学MBA実務家講師、英語・中国語翻訳者。早稲田大学政治経済学部卒。西日本新聞社(12年半)を経て、中国・大連に国費博士留学(経営学)および少数民族向けの大学で講師のため6年滞在。最新刊「新型コロナ VS 中国14億人」。未婚の母歴13年、42歳にして子連れ初婚。