イラスト:iziz
シマオ:皆さん、こんにちは! 「佐藤優のお悩み哲学相談」のお時間がやってまいりました。読者の方にこちらの応募フォームからお寄せいただいたお悩みについて、佐藤優さんに答えていただきます。さっそくお便りを読んでいきましょう。
以前の連載から読者です。広告系の会社で課長をしているのですが、最近すごく悲しい出来事があり、相談をさせていただければと思います。
私には高校時代からのクラスメイトで、大学が別々になっても、社会人になってからもとても仲のよかった友人がいます。2人とも、お互いを「親友」と呼んで憚らない関係で、お互いが結婚したら、絶対にスピーチをし合おうとも事あるごとに話していました(私は現在独身です)。
我ながら男臭い関係だと思うのですが、その友人が1年ほど前、新卒から勤めていたシステム会社から同業の大手に転職したことで、一気に年収が数百万円も上がったそうです。それ以来、私に対しても、制作会社をやめて代理店に行けとか、もっと身なりに気を遣った方がいいんじゃないのか、などと言ってきます。関係している会社に対しても「下請け」とか「使えない」といった言葉を連呼するようになりました。かつてはそういう会社を「パートナー」と呼んでリスペクトしていた奴にも関わらず、です(もともとは自分がそうだったからだと思いますが)。
佐藤さんが以前、親友は3億円の価値があると話されているのを見て感激したのですが、今ではこいつを親友と呼ぶのも嫌になっています。結婚を考えている彼女もいますが、スピーチは絶対させないし、正直今は呼びたくもないです。とはいえ、15年近くずっと兄弟のように仲良くしてきた彼と絶交というのも考えづらく……。私は彼とどう距離を取っていったらいいんでしょうか。
(カツ丼、30代前半、会社員、男性)
親友であっても、冷却期間が必要な時期がある
シマオ:カツ丼さん、お便りありがとうございます! 転職を機に友人の態度が変わってしまって悲しい思いをされているということですね。親友だった人の変質に対して、どのように付き合っていけばいいのでしょうか?
佐藤さん:まず、当面の対応としては、この友人と少し距離を置くことをおすすめします。かつて親友だと思っていたにせよ、現時点でカツ丼さんはこの人に不快感を感じている。つまり摩擦が生じているわけで、それを避けるためには接点を減らすことです。
シマオ:絶交までする必要はない?
佐藤さん:はい。その必要はありません。これまで親友として定期的に会っていたかもしれませんが、徐々にその頻度を下げていけばいいのです。必ずしも仲違いをするのではなく、年賀状やメールのやり取りくらいの接点は残しておけばよいでしょう。
シマオ:友人は転職後にカツ丼さんや下請け会社を下に見るような発言をしだしたとのことですが、親友ならそれを注意して正すというのはどうなんでしょうか。
佐藤さん:それはやめておいたほうがよいでしょう。職場の価値観を内面化した彼に何かを言っても、変わるとは思えません。下手をすれば喧嘩になって、余計関係がこじれてしまうかもしれない。今は人間関係における冷却期間だと思うことです。
シマオ:冷却期間ということは、ほとぼりが冷めればまた親友に戻れるかもしれないということでしょうか?
佐藤さん:それは分かりません。ただ、友人は一時的にそういう価値観に染まっているだけかもしれない。簡単に言えば、年収がアップしたことで舞い上がった状態になって、それが傲慢な態度につながっているのでしょう。
シマオ:時間が経てばそういう傲慢さも薄れるかもしれませんね。
佐藤さん:自分は成功者だと思って傲慢なままかもしれませんが、それならば彼はそういう人だったということです。ただ、人生に失敗はつきものです。年齢を重ねたり、自分が仕事や家族関係で挫折を経験したりすれば、また変わるかもしれない。それまでは、何を言っても負け犬の遠吠えだと思われるのがせいぜいです。
シマオ:友人関係も、時間が解決してくれるのを待ったほうがいいということですね。
「役割」と「役柄」の違い
シマオ:ところで、僕も大学時代の友達に久々に会うと「この人、こんな性格だったっけ?」と思うことがあります。年収の多寡や職業で人の価値を判断するような人もいます。お金や仕事って人を変えてしまうものなのでしょうか?
佐藤さん:ポストは人の性格を変える力を持っています。このことをうま手く説明しているのが、哲学者の廣松渉です。廣松は役割理論を提唱し、人の在り方を「役割」と「役柄」という言葉で捉えました。
シマオ:役割と役柄。どちらも似ているように思いますが……。
佐藤さん:この2つを廣松は区別しています。彼は人生を演劇のようなものとして考えます。例えば、私は「作家」としての役割や「夫」としての役割、「父」としての役割などを、場面に応じて使い分けています。ただ、人によってはある1つの役割が固定化してしまうことがある。それが役柄で、この役柄は反対に人の行動を縛る規範となってしまうのです。
シマオ:ちょっと難しいですが、いわゆる「昭和のサラリーマン」みたいな人は、会社人間であることが「役柄」となってしまい、家に帰ってもそれが抜けなくて家族とギクシャクしてしまう、みたいなことでしょうか?
佐藤さん:その通りです。カツ丼さんの友人も新しい会社のスタイルが役柄として固着してしまい、今のような態度として表れているのかもしれません。
シマオ:なるほど。役割を使い分けられるようになれば、カツ丼さんとの関係性も変わるだろうということですね。
佐藤さん:はい。50代くらいになると、高校の同窓会などが増えてきますが、それはどうしてだと思いますか?
シマオ:やっぱり昔の友人が懐かしくなるんでしょうか。
佐藤さん:それもありますが、大きな要因は、その年代になると自分の「行く末」が見えてくるからです。
シマオ:行く末、ですか。
佐藤さん:端的に言えば、会社員ならば自分がこの先どの程度出世できるのかが、その時期に決まってくるということです。
シマオ:そうなると、同窓会がしたくなるものなんですか?
佐藤さん:若いうちは、会社が違っていても同世代はライバルだという感覚があります。すると、どうしても競争意識が働いてしまう。50代になって体力も衰え、おおよそ人生の先が見えてくると、他人の成功を妬むことなく称賛できるようになってくる。だから、学生の頃のように純粋に友人として会うことができるわけです。
友情は過ごす時間の長さで決まるものではない
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シマオ:なるほど! 絶交しないというのは、そういう可能性を残しておくためでもあるんですね。
佐藤さん:そもそも、カツ丼さんがこうしてお便りをくださったということは、この親友との関係をできれば維持したいと思っているということだと感じます。
シマオ:そうなんですか?
佐藤さん:絶交したいのであれば、質問の内容は「どうやったら、友人関係を壊したアイツをおとしめることができますか?」になりますから(笑)。それに、友人にもカツ丼さんに対する悪気はないはずです。だから、この摩擦をやり過ごせば、意外と早く関係性は戻るかもしれません。
シマオ:たしかに、「身だしなみに気を付けたほうがいい」とか「代理店のほうがいい」というのは、カツ丼さんならもっといい社会的評価を受けられるはずだということが言いたいのかもしれないですね。
佐藤さん:カツ丼さんに知っておいていただきたいのは、友情というのは、必ずしも共にする時間に比例するものではないということです。
シマオ:でも、仲が良ければ一緒に遊んだりするものではないですか?
佐藤さん:親友であるということは、単に長時間一緒にいるということよりも、心が通い合っていることのほうが大切です。私は『友情について』という本で、浦和高校で同級生だった豊島昭彦君について書きました。
豊島君と私は親友と言ってよい間柄でしたが、高校卒業後は連絡を取っていませんでした。2018年の同窓会で40年ぶりに再会した直後、彼がすい臓がんで余命いくばくもないことが判明したのです。私は彼の人生を書籍にまとめることを提案しました。それは、彼と私との間に共有するものが確かにあったからできたことです。
シマオ:そういう通じ合いは、時間が経っても変わらないものなんですね。そういえば太宰治の『走れメロス』でも、人質になったセリヌンティウスは、久々に会った親友メロスのことを命を懸けて信じたんですよね。でも、そんな親友と呼べる人、どれくらいいるかな……。
佐藤さん:SNSの時代には、友人の数が多いほどよいという価値観がはびこっています。ですが、本当の友人は人生を通じて片手で数えられるくらいしかできないものです。むしろ、ただ1人でもそういう人に出会えたなら、その人の人生は幸せだと言ってよいでしょう。
シマオ:そういう意味では、カツ丼さんとこの友人は、トラブルを乗り越えて本当の親友になるのかもしれないですね。結論を急がず、今は距離と冷静さを保つとよさそうだと感じました。カツ丼さん、ご参考になりましたら幸いです!
「佐藤優のお悩み哲学相談」、そろそろお別れのお時間です。引き続き読者の皆さんからのお悩みを募集していますので、こちらのページからどしどしお寄せください! 私生活のお悩み、仕事のお悩み、何でも構いません。それではまた!
佐藤優:1960年東京都生まれ。作家、元外務省主任分析官。85年、同志社大学大学院神学研究科修了。外務省に入省し、在ロシア連邦日本国大使館に勤務。その後、本省国際情報局分析第一課で、主任分析官として対ロシア外交の最前線で活躍。2002年、背任と偽計業務妨害容疑で逮捕、起訴され、09年6月有罪確定。2013年6月に執行猶予期間を満了し、刑の言い渡しが効力を失った。現在は執筆や講演、寄稿などを通して積極的な言論活動を展開している。