NPO法人「あなたのいばしょ」理事長の大空幸星さん。
撮影:今村拓馬
周囲の意見に惑わされず、自分が信じる道をいく人たち。しかし、迷いなく見えるその人にも、人生やキャリアに悩んだ瞬間はきっとあるはずだ。そんな時、道しるべになった本とは何なのか。
連載「あの人が死ぬまで手放さない一冊」では、当時を振り返ってもらいながら、その本から影響を受けたポイントや考え方の変化、読みどころなどを紹介する。
第3回はNPO法人「あなたのいばしょ」の理事長を務める大空幸星(おおぞらこうき)さんが登場。「あなたのいばしょ」では、死にたい・つらい・苦しいといった、一人で悩みを抱える人たちから24時間365日チャットで無料・匿名の相談を受け付けている。
大空さんは、慶應義塾大学在学中にこのNPOを立ち上げ、望まない孤独をなくすべく政策提言にも積極的に関わっている。
そんな大空さんの「死ぬまで手放さない一冊」は、絞り切れず2冊に。レイモンド・ブリッグズ『さむがりやのサンタ』(福音館書店)と、吉田拓郎『気ままな絵日記』(立風書房、のちに角川文庫)だ。
少年時代から「自分」のあり方に悩み続けた大空さんがこれらの本から学んだことは、現在の相談支援活動に大きな影響を与えていた。
NPO職員とサンタクロースの意外な共通点
撮影:今村拓馬
「両親は、僕が小学校5年の時に離婚して、しばらくは父と一緒に愛媛で暮らしていました。
ですが、父との関係はうまくいかず、中学1年の夏休みに母と再婚相手が暮らす東京へ出てきました。この2冊は、その際に持ってきた本です」
大空さんの少年時代の体験は、著書『望まない孤独』などに詳しい。
小学校時代に父母が不仲で離婚し、「なぜ自分は生まれてきたのか」と思うまで追い詰められたこと。中学・高校時代はそこから逃れたい一心で上京したものの、学校で見せる自分と本当の自分との落差に悩んだこと。そして、「死にたい」と考えていたところを一人の恩師に救われたこと—— 。
そうした苦しい経験が、大空さんに自分と同じように孤独に悩む人の支援を行うNPOを作らせる原動力となった。
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そんな大空さんが選んだ1冊目が、『さむがりやのサンタ』だ。サンタクロースのおじいさんが、クリスマスの当日、「ふゆはいやだよまったく!」「えんとつなんてなけりゃいいのに!」などとぼやきながらプレゼントを配りに行くというストーリーの絵本。小さいころに読んだことがある人も多いだろう。
「サンタクロースって、世の中からはプレゼントを配ってくれる優しいおじいさん、というイメージで見られるじゃないですか。
でも、この絵本で描かれるサンタは、気難しくて面倒くさがりのおじいさんで、仕事だからプレゼントを配るわけです。とはいえ、やればやったで嬉しいこともある。それって人間や仕事の本質ですよね」
この本は大空さんが中学時代に東京に持ってきた1冊だが、今になってより心に響いているという。
「というのも、NPOの人たちもある意味で〈サンタ〉なんです。清貧で、自分を犠牲にして他人を助ける人というイメージで見られますが、僕たちも結局、『さむがりやのサンタ』と同じように、ただの人間なんですよ」
こうした考え方を広める意味もあって、大空さんは自身のSNSで、あえてカフェに行く姿など、生身の姿を見せるようにしている。
「支援する側も人間であるということを積極的に発信するようにしているのです」
大空さんはよくこの本の英語版を人にプレゼントしているという。自宅にも何冊かストックがある。大空さんは、NPOに向けられる従来のイメージは、むしろ若者のNPOへの参加を阻害しているとも考える。
「僕はよく『NPOをしている間はポルシェには乗れない』と言います。仮に僕がポルシェに乗れば『そんな金があるなら支援に回せ』と必ず言われるでしょう。でも、お給料やローンで外車を買っても、本来は何の問題もないはずですよね。
もちろん、NPO法人のお給料はそんな贅沢をできるものではありません。だからこそNPOは理念やビジョンを掲げ、それに共感して集まってくれる人たちで組織を運営しています。
ただ、これは職員たちに対して、どうしても自己犠牲を強いてしまう危険性をはらんでいる。そのことを、僕はいつも忘れないようにしています」
平成生まれの小学生が吉田拓郎に憧れた理由
撮影:編集部
大空さんが選んだもう一冊は、吉田拓郎の『気ままな絵日記』だ。それにしても、大空さんは1998年生まれのいわゆる「Z世代」。なぜ吉田拓郎に惹かれたのだろう?
「吉田拓郎のことが好きなのは、曲そのものというよりも、その人間性みたいなものに憧れたからだと思う」と大空さんは言う。父親が音楽関係の仕事をしていたため、家にはレコードや書籍がたくさんあり、吉田拓郎やYMOなど古い音楽に興味を持った。
「だからというわけではありませんが、僕は周囲の人とあまり趣味が合わなかったんです。
だんだん、自分が何を好きで、何をいいと思うのかを友達と話すことも少なくなっていきました。この本は、そういう自分の内面を受け止めてくれるような感覚があったのだと思います」
正直、最初に手に取ったのがいつだったかは覚えていないという。だが、中学1年生で東京に持ってきたということは、当時からこの本に救われていたのだろう。大空さんが感じた吉田拓郎の人間性とは、どのようなものだったのか。
撮影:今村拓馬
「今になって考えてみると、僕がこの本に惹かれた理由は、吉田拓郎の人間観、特に『自分』というものの捉え方にありました。
吉田拓郎は、自分の理念や哲学、アイデンティティを自分の言葉で表現している。もちろん小学生にそんな語彙はありませんが、そこに共感したのだと思います」
吉田拓郎がデビューしたのはフォークソングの全盛期だ。本書に「友だち」として登場する小室等や南こうせつらと共に、彼も「フォーク歌手」として括られていた。
当時フォークソングは「4畳半の貧しさ」や「社会への反抗」を歌うものだという認識が一般的だったため、『結婚しようよ』という恋愛ソングでヒットを飛ばした吉田はフォークファンから「軟弱だ」と批判された。ライブで吉田が登場すると「帰れ!」と罵声を浴びせられたという。
それに対して彼は、本書で次のように反論する。
“フォーク、やっぱり狭い世界でしかない。[…]
フォークの世界の中にある、型にはまったコチコチの考え方に、僕は反発を感じる。自分と同じような人間に、他人をしようとする……ヘンですネエ⁉[…]
僕の歌っているものもフォーク・ソングではないと思うし、フォーク・ソングであろうがなかろうが、そんなことはどうでもいいことだと思う。(102-103ページ)”
「歌は歌でしかない。良い歌はいい、悪い歌は悪い」と続ける吉田には、他人にどう思われようと自分は自分であるという強烈な自負がある。そこに大空さんは憧れを抱いたのかもしれない。
相談支援は「本気の他人事」
もう一つ、大空さんがこの本に共感したのは、吉田が人間の多面性を肯定している点だと言う。
撮影:今村拓馬
「吉田拓郎は、自分はこういう人間だ、ということを表現するわけですが、一方で必ずしもそれが唯一の正解だという言い方はしないんですね。
自分の思う自分も、他人の思う自分も、それぞれ一つの側面でしかないという考え方なんです」
例えば、「他のミュージシャンが吉田について批判的なことを言っていた」という週刊誌のゴシップ記事について、彼は次のように書く。
“結局のところ、僕は僕、他人は他人でしかなく、他人に何を言われようと、今の自分を変える気など毛頭ない。そして他人がどう思おうと、僕は僕なりに、彼等を素晴らしいと言うのであって、彼等が僕のことをどう言おうと、それは自由だ。[…]
僕について、いかほどのことを、誰が知っていると言うのか? (215-216ページ)”
少年時代の大空さんは、自分の悩みを誰にも共有できなかった。それが「望まない孤独」ということの本当の意味だ。だからこそ「あなたのいばしょ」は、24時間365日いつでも相談に乗れるような体制を整えている。
撮影:今村拓馬
だが、それは相談者の悩みを「解決」するためではない、と大空さんは言う。悩みは人それぞれで、第三者がすぐに解決することなどできはしない。
「僕たちにできるのは、『死ぬ』という最終手段を思いとどまってもらうところまでです」
実は、吉田拓郎も似たようなことを述べている。彼は当時、深夜ラジオのDJをしていた。若者が悩みを相談し、彼に答えを求めようとする手紙を寄せてくることについて、疑問を呈し、その理由を次のように語る。
“『悩みや不安の中には、その人自身が生きている』と思えるし、その悩みは、一つの言葉で解決してはいけないものだと思う[…]
もし、一つの言葉で解決したら、単一人間ばかりが多くなって、その人個人の魅力も可能性も、個人個人の色合もまぜ合わせで、どれも同じになってしまう。[…]
どんな小さな悩みや喜びでも、自分のものだし、自分の所有物で切りバリは不可能なんだと思い、そのへんは、ガンコなくらい、自分の胸の中にしまっておいた。(58-59ページ)”
もちろん、吉田は悩みを人に相談してはいけないと言っているわけではない。人の悩みはそれぞれであり、簡単に「一つの正解」が導き出せるものではない。だからこそ「こうでなければならない」という近視眼的な答えを求めるのではなく、いろいろな側面を持つ自分や他人を受け入れることが大切だと説く。
「僕の本でも、自分自身が孤独から抜け出すことができた体験を書いていますが、それは唯一のやり方や正解を示そうとするものではありません。読者の中には、そのやり方が合わない人も当然いるはずです。
だから僕の発信はあくまで選択肢を示すもので、答えを与えるものではないということは常に意識していますし、支援者になりたいという方に僕がまず伝えるのは、相談支援とは『本気の他人事』であるという言葉です」
コメンテーターとしてメディアに多数出演する大空さんだが、その背景にはこんな意図もあったのだ。
誹謗中傷あっても「言わなきゃいけない」
撮影:今村拓馬
かつての大空さんは自分の意見を口に出せない子どもだったが、それを発信できるようになったのはNPOを始めてからだと言う。「そこには吉田拓郎など、これまで読んできた本の影響が大きい」と話す。
とはいえ、意見を多くの人の目に触れる場で言葉にすれば、SNSなどでの反発も当然ある。
「ネットで誹謗中傷が書き込まれているのを見れば、落ち込んだり臆したりしてしまうこともあります。これを言えば反発が来るだろうということも、予想できるようになる。それでも、自分が言わなきゃいけないと思うことは言おうとがんばっています」
『気ままな絵日記』の終わり近く、吉田拓郎の日記にはこんな記述がある。
“長い人生、誰しも一度くらいは、「死にたい」と思うことがあると思うが、僕は、今夜初めてその体験をした。[…]
カミソリを手に取った瞬間、[…]背筋がゾーッとして、思わず、カミソリを放り投げてしまった。しばらくしてから、ものすごい恐怖感が襲って来た。[…]
世間には、悩める若者も多いと聞く。でも、自殺という手段は、あまりにも悲しいし、馬鹿げている、としみじみ思った。[…]
俺は今日以後、もがき、あがきながらでも生き抜いてやるぞ!! (217-218ページ)”
大空さんはこの箇所には触れなかった。だが、孤独に悩む少年の心に刻まれたのは、こんな言葉だったのかもしれない。