アフリカに生息する牛の仲間「ヌー」。数十万の大群となり大移動を行うことでも知られている。そんな一体感のある事業を目指したいとの思いから名付けられたのが、社内起業から生まれた電通グループの『GNUS(ヌース)』だ。
ビジネス感度が高い読者は、もはや電通グループの事業がCMやイベント、キャンペーンだけに留まらないことは認識しているだろう。最先端のCT&T(カスタマー・トランスフォーメーション&テクノロジー)領域のソリューションを統合的に駆使する、テクノロジー企業という認識のほうが正しいかもしれない。クライアント企業の事業課題解決だけでなく、その先にある社会の持続的な発展までを視野に入れている。
文分邦彦(もんぶ・くにひこ)氏/電通 営業局を経て、雑誌局で新規事業を立ち上げ、プロダクトマネージャーとして事業を推進。以降、クライアントの新規事業支援やマーケティングサービス開発に従事、多くの新規事業支援を行う。2017年からニューヨークのDentsu Holdings USAに出向、DXのコンサルティングや新規事業企画などを中心に行っている。 2019年7月より、プロダクト開発の新会社GNUS代表取締役CEO。
GNUSもDX領域でプロダクトの企画や開発、運用で企業の持続的成長にコミットするミッションを担う。率いるのは、電通グループで過去に2つの新規事業を起ち上げてきた文分邦彦氏だ。なぜ文分氏はGNUSを立ち上げたのか、そして、その先に見据えるものとは。社内起業で目指す未来について、話を聞いた。
プロジェクト内容に合わせて、フリーランスのスペシャリストでチームを組む
「GNUSの主な事業内容は、デジタルプロダクトの企画・システム開発・運用を中心としたDXソリューションです。一般的にDX支援を手掛ける企業の中でも、プロダクトに特化した会社は多くはありません。その専門性を持ちながら、企画から実装、そして運用までをワンストップで提供する。これが僕らのコアバリューです」(文分氏)
額面通りに受け取るとさほど珍しくない業態のように聞こえるが、GNUSはシステム開発の体制に特徴があると言う。一般的に、システム開発の体制には2通りのパターンがある。ひとつは、クライアント企業から受けた案件を自社で抱えるエンジニアで開発する方法。もうひとつは、パートナー企業に委託して開発する方法である。
「GNUSではフリーランスのメンバーを中心としたネットワークを構築。クライアントのニーズに合わせて適切なメンバーをアサインし、チームをつくってシステム開発に取り組みます。よく派遣会社との違いを尋ねられますが、派遣会社が人をクライアントに紹介するのに対して、僕らはチームでサービスを提供しています。もうひとつの大きな違いは、指示系統。人材派遣の場合、派遣されたスタッフに対する指示の責任は全てクライアントにあります。僕たちの場合、チームを率いるプロジェクトマネージャーが適切な指示を出します」(文分氏)
プロジェクトに対して、専門性を持ったメンバーがその都度集められて課題を解決する。このまるで映画「オーシャンズ11」を彷彿させるアイデアはどこから生まれたのか。文分氏に尋ねると「2017年に、ニューヨークのDentsu Holdings USAに出向したときの経験がきっかけです」との答えが返ってきた。
「当時は、DXが今ほどバズワードではなかったのですが、Dentsu Holdings USAでは先んじて日系企業の現地法人のDXプロジェクトを手掛けていました。僕のミッションは、新規サービスのプロダクトを開発すること。しかし、プロダクト開発のパートナーが見つからないといった課題に直面します。実は、日本でもプロダクト開発に携わっていて、開発のパートナーが少ないことは実感していました。しかし、アメリカならすぐに見つかるだろうと勝手な先入観を持っていたのです。それが、全く見つからない。特に、エンタープライズシステム(全社規模の大規模システム)との連携までできるパートナーは皆無でした」(文分氏)
このピンチを脱したのは、西海岸に本拠地を置くスタートアップ『Gigster(ギグスター)』との出会いだ。Gigsterは、フリーランスメンバーと共にチームを組んでソフトウェア開発ソリューションを提供する仕組みを構築していた。この仕組みを活用して、文分氏はプロダクト開発プロジェクトを成功へと導く。
電通がDX領域に踏み込むときのために、Gigsterの仕組みを日本で試す
文分氏はそのDXプロジェクトを進めつつ、すでに新しいチャレンジに思いを馳せていた。それは、Gigsterの仕組みを日本で試すことだ。
「当時は、日本でDXという言葉はまだ一般的ではありませんでした。しかし、これから必要になることは確信していました。電通がDX領域に踏み込むときには、DX人材の確保がミッシングピースになるはず。そこを埋めるのが、Gigsterのモデルだと直感しました」(文分氏)
やりたいことを見つけたら行動せずにはいられない。それが文分氏の性分だ。本人の言葉を借りれば「のんびりしているとDXの波に乗り遅れて、ビジネスチャンスを逸してしまっているかもしれない」。そうしてニューヨークにいながら、日本のチームに連絡をとって、フリーランスエンジニアと共にチームを組んでプロダクト開発ソリューションを提供する仕組みのPoC(概念実証)に踏み切る。
「今考えると、やらせてくれた電通グループに感謝です。一時帰国した際に、さまざまな役員に話をしました。すると“面白そうじゃないか”とポジティブな反応が返ってきたんです」(文分氏)
PoCによって見えてきたのは、リスクマネジメントの方法だ。文分氏は、「市場のポテンシャルに不安はありませんでした。考えたのは、ネガティブ面。Gigsterのビジネスモデルはアメリカ社会に最適化されたものです。日本での契約慣行やオペレーションと照らし合わせて、コンプライアンス的なリスクはないかネガティブチェックを行いました」と振り返る。PoCを経て、電通とGigsterは独占的な業務提携契約を締結。2019年のGNUS設立へとつながった。
社内新規事業のメリットとデメリット
文分氏が新規事業を立ち上げたのは、実はGNUSが3回目だ。1回目は雑誌をアプリで読むサービス。2回目はアプリ開発基盤サービスだった。その経験から、新規事業を社内でやるメリットとデメリットが見えてきたと言う。
「メリットは、その企業が持つ信頼感です。企業内で始めたものは最初から大手と組むことができますが、それはスタートアップには難しい。一方でデメリットもあります。企業には人事異動があって、立ち上げたプロダクトから異動で離れてしまうということも出て
きますし、あとはP/Lの考え方も企業とスタートアップでは異なる、という点もあります。」(文分氏)
また、文分氏がGNUSを立ち上げるにあたり、最も意識したのは、文化的分離だ。
「GNUSでは、これまで電通の経済圏にいなかったテック系の人材との協力が不可欠です。当時の電通はCMやマーケティング領域のイメージが強く、テック人材との関係を作る上で必ずしもプラスには働かない。そう考えると、GNUSは社内で事業化するのではなく、社外で子会社化したほうがいいと判断しました」(文分氏)
当初、文分氏は電通からの出向として代表取締役を務めていたが、2022年の10月からは完全に転籍し、GNUSの経営者となった。設立して3年半、文分氏は「クライアント企業に価値を提供し、自分たちがやろうとしてきたことが市場に受け入れられるのか、しっかりと検証することに全力で取り組んできた」と振り返る。
「事業自体のポテンシャルや成長性に疑う余地はありません。直接の雇用契約がないフリーランスのメンバーを中心に、専門性を持ちながら、プロダクトの企画から実装運用までをワンストップで提供するコアバリューも守っていきます。一方で、さまざまな分野で高い専門性を持つフリーランスと連携できれば、デジタルプロダクトの企画・システム開発・運用を軸に、多角的に価値を発生させることもできるはず。この3年半で培ってきた事業を軸に、サービス展開やビジネス戦略の可能性をさらに広げていきます」(文分氏)
要望を出せば全て叶うとは限らない。でも、要望を出さなければ絶対に叶わない
現在の電通グループは、複数のソリューションを有機的に統合する、「IGS(Integrated Growth Solutions:統合成長ソリューション)」を事業の中心に置いている。20年近く電通に在籍する文分氏も、昨今の変化を肌で感じている。
「以前は、既存事業の領域で活躍していくことで成果をあげられたかもしれません。しかし、これからのビジネス環境変化の中では、これまで以上に攻める姿勢が必要となる。そういった意味でも、電通グループ内での社内起業は増えていく気がしています」(文分氏)
そう語る文分氏は、いち早く社内起業に取り組んできた「責任」を感じていると言う。
「GNUSの事業が継続して、電通グループのなかでグループ企業とともに成長する。そして、GNUSの社員もハッピーになる。そんな姿を見せるのが僕の責任。それができれば、新規事業の成功例としてひとつの型になれると思っています。前例があると、これからチャレンジする人もやりやすい。これからは、GNUSのようなやり方を電通グループに横展開したいと思ってもらえるようになりたいですね」(文分氏)
事業領域を拡大し、社会の持続的な発展までを視野に入れた統合的なソリューションを提供する電通グループ。そのためには、新しい事業にチャレンジする人材が必要不可欠だ。最後に、文分氏が必ず後輩に掛けている言葉を教えてくれた。
「僕は、事業を作ろうと思うくらいの課題を見つける経験を電通の中でできた。それが電通が用意できる舞台だとも思います。
企業に勤めていると、要望を出したからと言って、全て叶うとは限らない。でも、要望を出さなければ絶対に叶わない。とりあえず声に出して、ダメだったらそこから考えればいいのではないでしょうか。
新しいことへのチャレンジに対してはオープンなので、せっかくアイデアがあるのに、どうせダメだろうと思って行動を起こさないのはもったいないですよ」(文分氏)