人口600万人弱のデンマークが、なぜ世界経済競争力ランキング1位になれたのだろうか?
撮影:井上陽子
2022年の夏、デンマークは世界の経済競争力ランキングで堂々の1位に輝いた。スイスのビジネススクールIMDが30年以上発表しているランキングで、デンマークはここ数年は3位以内につけていたが、首位は初めてだ。
競争力1位となった感想を周囲のデンマーク人に聞こうとして、「え、デンマークが何で1位だって?」と何人に聞き返されたか分からない。確かにデンマークでの日常風景は、“競争”という言葉とは無縁に見える。小学生のうちはろくに宿題もテストもなく、日本のような受験もないし、そもそも競争とかランキングとかいう考え方を嫌がるきらいがある。
「普通の人に理由を聞いても分からないと思うよ。複雑だから」と言うのは、日本の経団連のような企業団体である「デンマーク産業連盟」(DI)で22年の経験があるチーフコンサルタントのフランク・ビル氏である。
「デンマークのほとんどの企業は、規模が非常に小さい中小企業だ。人件費も生活費も非常に高いうえ、小国だから国内市場は小さい。だから、成功している企業は例外なく、国際市場を見ている。そして、海外の顧客が高い価格でも喜んで払うような製品やサービスを提供している」
デンマーク企業の特徴について解説するフランク・ビル氏。
撮影:井上陽子
デンマークでは大企業とされている企業、例えば、玩具メーカーのレゴや、糖尿病治療薬で知られるノボノルディスクなどを含め、デンマークで成功している企業の共通点は「1つのニッチな分野に深く特化している」点だという。そして、こうした企業が狙うのは「アップマーケット」と呼ばれる高級市場である。
「もちろん、皆が皆そんな企業というわけじゃなく、大企業の下請けだってたくさんある。でも、成功している企業の共通点は、非常に創造性に富み、国際的視野を持った、ニッチに特化した企業だ」とビル氏は言う。「そして、デンマークと他の国との間に違いがあるとすれば、これを、研究開発部門を持つような大企業ではなく、ごく小さな企業でもできるという点なんだ」と続けた。
デンマーク企業の98.5%は従業員50人未満の小企業。250人以上の企業は0.3%しかない。
(出所)デンマーク統計局
なぜデンマークでは小さな企業でもそれを達成できるのか、と聞いてみた。するとビル氏はこんな説明をしてくれた。いわく、溶接工や機械オペレーターといった職業でも4〜5年の訓練を受けるなど、教育やスキル向上に力を入れているため、一般労働者の教育レベルが高いこと。はたまた子どもの頃から先生に対しても意見を言うよう教育されてきたこともあって、上司や社長に対しても物申す企業文化があり、そんな“フラットさ”が自由なアイデアとイノベーションを育んでいること——。
なるほど。きっと一般化すればそういうことなんだろうけれど、これは実際に企業を訪れて、直接その現場を目にした方が腑に落ちそうだ。そう思った私は、いくつかその「ニッチに深く特化して成功している小さな企業」を紹介してほしい、とお願いしてみた。
連載第2回の記事でも、歴史家のボー・リデゴー氏は、デンマークには「非常に特殊なニーズに特化して世界的な顧客を持つ、数多くのニッチ産業が存在している」と語っていた。それは具体的にどういうビジネスなのか見てみたい、と思っていた。
ビル氏が挙げたいくつかの企業の中で私が特に惹かれたのは、人工衛星のごく小さな部品に特化しているという、「FLUX(フルックス)」という会社だった。デンマーク人でもほとんど知る人はいないが、宇宙産業にいる人間なら誰でも知っているのだという。
世界でもここでしか作れない、“高付加価値の極み”のような製品を作っており、この会社の部品なしに飛んでいる欧州の人工衛星はないのだとか。これは行くしかない。
こうして私がたどり着いたのは、競争力とかイノベーションというシャキッとした響きとはほど遠い、人口3000人ほどののんびりとした田舎町だった。社屋もまた素朴というか、ずいぶんと地味で、「本当にここ?」と戸惑ったくらいである。
のんびりとした田舎町に社屋を構えるFLUX。本当にここで“高付加価値の極み”が作られているのか?
撮影:井上陽子
欧州宇宙機関が最高レベルの技術資格を認定
FLUXは創業が1980年、従業員は60人という会社である。私を案内してくれたCOOのラース・グレガソン氏は、1年のうち2カ月は海外出張をしているという人で、外向けに製品の説明をすることも多く、この会社が何を作っているのか、素人の私にも分かりやすく説明してくれた。
FLUXの人工衛星用部品を担当するCOOのグレガソン氏。
撮影:井上陽子
「例として僕がよく使うのはiPhoneのチャージャー。これって変圧器なんです。我々の電圧は230ボルトだけど、iPhoneが必要なのは3〜5ボルト程度。もし変圧器なしに230ボルトをiPhoneに一気に流したら? 焦げますね。
これは人工衛星でも同じです。太陽光パネルでエネルギーを受け取り、巨大なバッテリーに蓄電し、電力を小分けにしてアンテナとかカメラとかさまざまな装置に送っている。われわれが作っているのは、衛星の心臓部に当たる電源供給ユニット(PSU)内部にある変圧器。これなしには電力が送られないという、非常に重要なパーツです」
地球上で使われる製品との最大の違いは、環境である。空気も水もなく、オゾン層による紫外線の保護もなく、超高温から超低温まで一気に変わることもある厳しい環境を耐える必要がある。それに、一回飛び立ったらミッションによっては何十年も修理はできない。だからこそ宇宙に関わる製品の品質は、欧州宇宙機関(ESA)によって厳しく管理されている。
ESAは、衛星の部品を供給するメーカーを、技術資格によって3つのレベルに分けている。その中で最高レベルの「技術フロー資格」というのは、個々の商品ではなく、会社そのものに対して与える資格で、この水準の会社が製造する製品はすべてESA基準を満たす、と見なされるそうだ。
グレガソン氏は、ESAの「技術フロー資格」を持つ企業は世界に6社しかなく、その中でFLUXのような磁性部品を扱っているのはこの会社だけだと説明した。この小さな会社の強みは、こんなところから来ているわけだ。
指先ほどの大きさの変圧器。顧客のリクエストによって、銅線と磁性物質の最適な組み合わせをデザインする。
撮影:井上陽子
ESAからこの資格を得られたのは、同社が宇宙ビジネスに参入してから25年目の2020年のこと。人工衛星に使われる部品の作動状況は、コンピューターですべて記録されるため、不具合があったらどこに問題があったか一目瞭然なのだという。そんなガラス張りの環境で、同社の製品は過去に一度も不具合を起こしたことがない。
ビジネスの相手は、世界的な航空宇宙企業のエアバスやタレス・アレーニア・スペースなど。FLUXの部品を搭載した人工衛星はいったい何基くらい飛んでいるのかと聞いたら、「それはもう、分からないね。数百か、もしかすると数千というレベルか」ということだった。
同社は衛星用の部品を1年間に約1万5000個作っているが、1つひとつが手作りで、すべての製品はその一社に対するカスタムデザインである。これまでの依頼はすべて顧客の口コミを通じたもので、意図的に一般には知られないようにしてきたのだそうだ。
「顧客に忠実で、製品の秘密を守ること。最高品質の製品を、安定的に、期限通りに届けること。それがビジネスの拡大につながってきた」
とグレガソン氏は話す。
価格は産業製品の100倍
FLUXはタイに子会社を持っており、そちらでは従業員が260人と、デンマークの4倍以上の規模である。興味深いのは、デンマークとタイとの分業体制。製品のグレードによって分担を明確に分けており、人件費や生産コストの高いデンマークでは、高付加価値の製品に特化しているのだ。
同社は製品のグレードを、「産業」「高信頼性(航空)」「宇宙」の3つに分けている。違いは、壊れた時に修理や交換ができるかどうか、である。産業用の製品はいつでも修理や交換ができるが、航空機や軍用機など地表を離れるものに搭載する場合は、飛行中に不具合が起きても着陸まで持ちこたえる必要があり、求められる品質の基準は一気に上がる。いったん地球を離れたら修理ができない人工衛星となると、要求水準はさらに高くなる。
このうち、産業グレードの商品製造を担っているのが、タイの子会社だ。電気自動車の充電施設の変圧器や風力発電機の変圧装置など、さまざまな産業製品をここで作っている。
「われわれがデンマークで1年かけて作る量を、タイでは1週間で作る。タイの工場の競争相手は、大量生産をする中国のメーカー。品質を保ちながらどのくらいの量を作れるのかが競争力となる」
一方、デンマークで作る製品は、価格を競争力の武器にしていない。可能な限り高いクオリティの製品をそれに見合う価格で売る、という姿勢である。グレードが1つ高くなるにつれて価格も10倍、というのがだいたいの目安だといい、「航空」は産業グレードの10倍、「宇宙」になるとさらに10倍なので、産業グレードと宇宙グレードでは100倍もの価格差がある。
あまりに値段が高いため、顧客から「もっと安くならないなら、ライバル社に移る」と交渉されたこともあった。
「いいですよ、と言いました。それでどうなったか。2年後、その顧客は戻ってきた。2年間、ライバル社でわれわれと同じ品質のものを作ろうとして、結局できなかった。だから、やはりうちの商品が欲しいと。で、私は言いました。『もちろんいいですよ。ただしこの2年間で値段はさらに上がりましたが』」
すごい自信ですね、と私が言うと「品質に自信がなかったら、われわれには何もなくなってしまう。価格では競争できないわけだから」とグレガソン氏は言った。「価格では競争しない」という言葉を、この取材の間、私は何度も耳にした。
FLUXは自らの競争力を、実現可能な限り、世界で最高品質の商品を作る力だと明確に定義している。だから、自分たちよりも安い値段で売られているライバル社の製品は、買って分解して調べるのだそうだ。
「すると必ず、品質のどこかに妥協の跡が見える。だからわれわれは、品質には値段がかかり、安くしたいなら品質で妥協するしかない、それでもいいのかと顧客に聞くんです」
そんな高額な製品であるにもかかわらず、生産工程は次の6カ月間、予約でいっぱいだそうだ。まさに、DIのビル氏が言っていた「海外の顧客が高い価格でも喜んで払うような製品」ということなのだろう。
イノベーションは「一歩先に進むための手段」
DIのビル氏は、デンマークの強さの特徴は、小さな企業でもイノベーションを起こす力があることだ、と言っていた。では、FLUXのイノベーションの源泉はどこにあるのか。
グレガソン氏は、2011年にエアバスから「衛星の完全電子推進システム」についての話を持ちかけられた時の逸話を語ってくれた。
人工衛星は、宇宙空間で位置を調整したり、同じ位置を保つだけでも、何らかの推力が必要となる。化石燃料を燃やして進む「化学推進」が一般的な手法だが、エアバスはこれを完全に電力化したい、と持ちかけた。
「もしもそれが可能になれば、それまで搭載していた2〜3トンの化石燃料の代わりに、数百キロの電子製品で済むことになる。衛星打ち上げの大幅なコスト削減につながるので、経済的に大きな意味があるプロジェクトだった」
ただしこれを実現するためには、それまでに存在しない新たな技術が必要だった。
「例えば、耐久性。ローラーコースターの負荷は5G、戦闘機は11Gで、13Gを超えると人間は死にます。われわれの商品はそれまで、平均500Gに耐えられるように作ってきた。この時のエアバスの要求は、2000G。それまでのレベルをはるかに超えるものだった」
真っ白なホワイトボードにエンジニアがアイデアを出すところから始めた。新しい技術を用いた製品を作る場合、試験を行う施設なども一から作らなくてはいけない。巨大なコンクリートを高い位置から落下させつつ耐久性を試し、6年かけて作ったのがこの製品だ。
6年をかけて開発した、全電気推進の衛星用の変圧器。
撮影:井上陽子
このFLUXの部品を搭載したのが、2017年に打ち上げられた「Eutelsat 172B」という通信衛星だった。欧州初の全電気推進の衛星で、エアバスは「ブレイクスルー」と評している。
振り返ってみれば成功物語だが、2011年当時、エアバスは3社に同じ話を持ちかけていたという。FLUXが契約を勝ち取ったのは、開発費用の90%を同社が持つ、という条件を示したからだった。
「エアバスから衛星の完全電子推進システムのアイデアを聞いた時、これは将来、宇宙ビジネスのゲームチェンジャーになると直感した。技術開発に成功すれば、われわれのビジネスの相当大きな部分を占めるようになると。逆に、われわれの会社が将来、危機に直面するとすれば、競合企業がこの技術をものにした時だと。だから、この契約はどうしても勝ち取る必要があった」
衛星の電子推進システムが将来のビジネスの核になる、という予測は見事に当たり、エアバスとのプロジェクトの後、FLUXはフランス、スペイン、アルゼンチン、トルコ、イスラエルなどの企業から、電子推進システム関連の部品を受注した。
この話を聞きながら、私はIMDの競争力ランキングを思い出した。20ある評価項目の中で、デンマークが例年、高い評価を得ているのが、市場の変化やビジネスの機会、脅威となる事態に機敏に対応しているかなどを見る「経営手法」の項目で、63カ国中トップの評価だった。ちなみにこの項目、最下位だったのは日本である。
この連載の第2回で私は、労働者の生活を守ろうという場合、日本では企業の雇用を通じて生活保障をしようとするが、北欧では労働者を直接救済しようとする、だから結果的に競争力を持たない企業が淘汰され、産業の新陳代謝が早くなる、という専門家の指摘に触れた。
デンマーク政府が手厚い補助でバックアップしてきた例外的な産業は、再生可能エネルギー分野などごく限られており、宇宙産業は含まれていない。なので、デンマークの宇宙関連企業は、政府が宇宙ビジネスの支援に積極的なフランスの企業などと比べ、常に不利な立場に置かれているという。政府が補助する研究開発費用などのケタが違うからだ。
デンマーク企業であるFLUXが生き残るためには、商業ベースで成功するほかに道はない。デンマーク人の高い賃金と、高額な生産コストに見合う金額を稼がなくてはいけない。
「だから、われわれにとってイノベーションとは、常に一歩先を行くための手段であり、新しいアイデアに挑む意思の力なんです」
変圧器は、ごく単純にいえば銅線と磁性物質の組み合わせなのだが、銅にも磁性物質にも数多くの種類があり、その最適な組み合わせと形状のデザインによって製品の性能や重さがまちまちとなる。ここが、会社としての創造性と技術力の試されるところだ。
顧客から求められる機能に応じて最適な製品を作るため、数多くの種類の銅線を取り揃えている。
撮影:井上陽子
「我々の製品はすべてカスタムデザインなので、社員は日常的に顧客の要望に応えるための解決方法を考えている。だから、5年に1度くらいの頻度で、まだこの世に存在しない全く新しいものを求められたとしても、新たなアイデアを生み出すことができるんです」
異なるプロジェクトに関わるエンジニアも同じ部屋で作業し、アイデアを交換しながらデザインのアイデアを練っている。
撮影:井上陽子
人材がここでしか育てられないという強み
ここまで話を聞いて、この会社が生き残るために相当な危機感を抱き、世界にないものを作ろうとしているのは分かったが、不思議なのは、どうやってそんな世界トップの人材を確保しているのか、ということだ。
なにせ私がいるのは、北欧の小国・デンマークの中でも、さらに首都から電車と車を乗り継いで2時間ほどかかる、(こう言っちゃ悪いが)田舎の地味な会社なのである。
人材確保、大変じゃないですか?
「大変です。というのも今、宇宙ビジネスが急拡大していて、公的予算が世界的に膨れ上がっているから。理由は、月と火星です。地球から月まで行くことは可能だが、地球から直接火星に行くのは非常に難しい。だから、月をガソリンスタンドに使うイメージで、そこで燃料を積んでから火星まで到達する。この動きに乗り遅れまいと、世界各国が宇宙関連の予算を増やしている——もちろん、デンマーク政府を除いてですが」(グレガソン氏)
とはいっても、人材確保のやり方は、世界トップの頭脳をリクルートする、という手法ではない。驚いたことに、60人の従業員中50人が地元出身者で、残りの10人もコペンハーゲンから採用した人材だそうだ。
これは、コペンハーゲンの企業が海外から優秀な人材を積極的に採用しようとする姿勢とはかなり違うな、と思ったが、田舎に会社があることも関係しているのだろう。それに、こんな地元志向で世界レベルの製品が作れるのは、一般的なデンマーク人の能力の高さを表しているようにも思える。
この会社はESAの「技術フロー資格」を得ていると書いたが、これは、材料の購入担当、エンジニア部門、セールス担当などすべての部署がESAの基準を満たしているという意味で、会社全体がESA認定の教育機関になっている。
逆に言えば、FLUXのレベルの部品を作る人間はこの会社でしか訓練ができない、ということだ。これはある程度の素養があれば人材を会社で育てられるという会社としての強みであり、働く側としては貴重な職務経験、ということにもなるのだろう。
社内の訓練を経てESAの資格を得たオペレーターが、エンジニアが描いたデザインを実装していく。
撮影:井上陽子
連載第2回に登場した歴史家のボー・リデゴー氏へのインタビューで、デンマーク企業が競争力を持っているのはなぜかと聞いた時、リデゴー氏が語ったことの一つが「イノベーションを人材に落とし込むこと」だった。
FLUXの例を考えてみると、確かにその通りだなと思う。日常的に新しいアイデアを模索し、時にはこれまで存在したことがないような大きなイノベーションに挑む。その新たな技術を形にすることで人材力が伸び、さらに次の「ゲームチェンジャー」となるプロジェクトに挑む機会を模索する。
それをこの小さな企業でやってのけ、ろくに政府の後ろ盾もないなかで40年以上、しぶとく生き残っている。「ニッチすぎて潰せない」とリデゴー氏は例えたが、この会社もそんなデンマークの経済競争力の一端を見るようだった。
井上陽子(いのうえ・ようこ):北欧デンマーク在住のジャーナリスト、コミュニケーション・アドバイザー。筑波大学国際関係学類卒、ハーバード大学ケネディ行政大学院修了。読売新聞で国土交通省、環境省などを担当したのち、ワシントン支局特派員。2015年、妊娠を機に首都コペンハーゲンに移住し、現在、デンマーク人の夫と長女、長男の4人暮らし。メディアへの執筆のほか、テレビ出演やイベントでの講演、デンマーク企業のサポートなども行なっている。Twitterは @yokoinoue2019 。noteでも発信している(@yokodk)。