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今週も、早稲田大学ビジネススクールの入山章栄先生が経営理論を思考の軸にしてイシューを語ります。参考にするのは先生の著書『世界標準の経営理論』。ただし、本連載はこの本がなくても平易に読み通せます。
Business Insider Japanで連載を持つ佐藤優さんは、日本は人口当たりの博士号取得者が欧米に比べ少ない「低学歴国」だと指摘しています。このことは、近年指摘されている日本の競争力低下と関連しているのでしょうか? 日米双方の高等教育の現場を知る入山先生が、日本ならではの課題に斬り込みます。
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「日本=低学歴、欧米=高学歴」?
こんにちは、入山章栄です。
ミレニアル世代代表としてこの連載に参加してくれているBusiness Insider Japan編集部の野田翔さんは、佐藤優さんの連載「お悩み哲学相談」の担当でもあるのをご存じでしょうか。今回はそちらの連載から派生したお話です。
BIJ編集部・野田
日本の競争力が落ちていると言われていますが、これはもしかしたら日本人の学びへの姿勢に原因の一端があるのでしょうか?
というのも以前、佐藤優先生が「お悩み哲学相談」で、「日本は低学歴国だ」とおっしゃっていたからです。欧米では官僚や経営層に博士号や修士号を持つ人が普通にいる。しかし日本にはほとんどいないと。
僕が思うに、日本は「新卒現場主義」みたいなものが強すぎて、特に文系だと「大学で何を勉強したか」はあまり関係なく、とにかく大学名だけで採用する。だから「大学で勉強してもどうせ評価されないし、だったら学生のうちに遊んでおこう」という風潮につながってしまうのかなと思います。
入山先生は、日本人の専門性の浅さや学びへの意識の低さが、昨今のグローバル競争力に影響していると思われますか?
佐藤優さんのご意見は、さすがのご指摘ですね。基本的には僕も同意見で、7割以上は賛成です。ただ、佐藤さんはよくご存知の上での発言だと思いますが、読者の方に誤解してほしくないのは、「日本=低学歴、欧米=高学歴」と必ずしもシンプルに考えないほうがいいかも、ということ。これが残りの3割です。
まず、7割の「賛成」の部分の話をしましょう。
日本では長い間、大学院というところがまったく重視されていませんでした。僕は慶応の大学院で修士まで行っていますが、大学院はあくまで将来研究者になりたい人、もしくは就職活動に失敗した人が行くところ、というイメージでした。
さらに、野田さんが言うとおり、日本企業への就職では大学の成績も重視されていませんでした。つまり日本では「大学に入った時点で学歴社会が終了」しているんです。
アメリカは違います。「どこの大学に入ったか」の次に、「そこでどういう成績を取ったか」を見られる。GPA(Grade Point Average:成績平均値)といって、大学の成績が一生ついて回る。だから4年間、死ぬ気で勉強するしかない。
ではなぜこのような違いが生じたかというと、もうこれは簡単。日本はメンバーシップ型雇用かつ終身雇用であり、アメリカはジョブ型雇用かつ雇用が流動的だからです。
僕はアメリカの大学院で博士号を取得後、アメリカの大学で教鞭をとり、2013年に日本に帰ってきたわけですが、そのころ日本ではいろいろな大学が少子化に備えて社会人大学院をつくっていました。まさに僕が今いる早稲田大学ビジネススクールもその一つ。しかし当時は入学希望者はそれほど多くなく、社会人大学院はまだ冬の時代でした。
でも僕は、「それはある意味で当たり前だろう」と思っていました。なぜなら当時の日本は今よりもっと終身雇用の会社がほとんどだったからです。社員は同じ会社に定年までいるわけだから、その会社で必要とされる能力だけ高めればいい。MBAなど行っても意味がないわけです。
ではアメリカではなぜMBAが生まれ、社会的インフラにまでなったかというと、ずばり、アメリカはジョブ型雇用だから、というのが僕の理解です。
ジョブ型雇用の社会というのは聞こえはいいけれど、すごく面倒くさい社会でもあります。なぜかというと、ジョブ型雇用の社会は「ジョブチェンジが難しい」からです。
大学卒業してすぐなんて、自分のキャリアで本当にやりたいことなんて分かりませんよね。例えば、とりあえず大学を卒業して人事の仕事を始めたけれど、なんだか違う。「私、本当はマーケティングをやりたかった」「実はファイナンスをやりたかった」と気づくことはよくあるはずです。でも、ジョブ型の社会では人を採用するとき、その人が過去にどういうジョブをしていたかで判断するわけだから、人事畑しか経験のない人は、次も人事の仕事でしか採用されないわけです。
中途採用の面接で「私は今まで人事をやってきました。マーケティングは未経験ですが、御社ではマーケティングをやりたいです。ポテンシャルを評価してください」といっても門前払い。これがジョブ型雇用の社会の難しいところなんです。ジョブチェンジが難しいんですよね。
そこで必要になるのがMBAなのです。MBAに行き、そこで2年間徹底的に勉強して修士号をとることで、その分野の専門家を名乗れるようになるというわけです。マーケティングに自分の専門をチェンジしたいなら、MBAでマーケティングを集中的に勉強してマーケティング専攻になればいい。それをきっかけにジョブチェンジできるわけです。
BIJ編集部・野田
なるほど。転職のためのパスポートみたいなものなんですね。
その通り。とはいえ実務経験はないから、本当に能力があるかどうかは分からない。だからアメリカでは「どの大学でMBAをとったか」が重要になる。はっきり言うと、あまり名の知れていない大学でMBAをとるよりは、スタンフォードやハーバード、コロンビアなどでとったほうが強いんです。
BIJ編集部・野田
そうなんですね。ジョブ型社会だからMBAが不可欠ということは、メンバーシップ型雇用の日本の社会人大学院が冬の時代になるのは当然かもしれません。
ところが今は状況が変わってきました。早稲田大学ビジネススクールは、ありがたいことに日本の伝統的な大学が持っているビジネススクールの社会人大学院の中でもおそらくかなり人気があります。プログラムによってはいまや倍率5倍です。本当にありがたいことです。
そしてこうなった大きな理由の一つはもうお分かりだと思いますが、終身雇用が崩れ始めているからですね。多くの若い方々が「会社は永久に自分の仕事を保証してくれるわけではない」と気づき始めた。だからMBAで学んで自分を成長させて、少しでも転職や将来のキャリアに役立てようという人が増えている。
しかしアメリカと違うのは、日本のMBAは明確なジョブチェンジを狙ってというよりも、「不安定な世の中だから、会社に籍を置いたまま、とりあえず何か学ばなければ」と思ってやってくる人がほとんどだということでしょう。
このように違いはありますが、働きながら、あるいは会社を辞めて、再び学ぼうとする人はこれから日本でどんどん増えてくるでしょう。これはいいことだと思います。
これからは人生ずっとリスキリングの時代。リスキリングとは一度社会に出た人が再び新しいスキルを学んで身に着けることですが、学ぶのは別にMBAでなくとも、アートでもデザインでも音楽でもいいでしょう。学生のころは文系だった人がエンジニアリングに挑戦するとか、コンピューターサインスを勉強するとか、どんどんやりたいことをやればいいと思います。
「大学院に行けば高学歴になる」わけではない
さて、ここまでが佐藤さんに7割賛成の部分です。そしてここからが残り3割の、反対ではないけれど、「日本は低学歴で、欧米は高学歴だ」という説に対する僕が持つ小さな違和感の表明です。
学位だけ見れば、日本は学卒が多くて、アメリカや欧州は大学院卒も多いというのはその通り。そうなると、「もっと大学院へ行こう」ということになりますが、僕は単純に大学院への進学率を増やせばいい、という問題でもないと思うのです。
なぜならアメリカや欧州の大学院で勉強するのは、日本と比べるとめちゃめちゃ大変だからです。入るのも大変だし、入ってからも大変です。アメリカのトップクラスの大学院は、倍率も下手すると何十倍だし、入ってからも徹底的に勉強しないと追い出されます。そして毎日寝られないぐらいの、とてつもない量の宿題が出る。入って1年目の睡眠時間は平均3時間くらいではないでしょうか。
BIJ編集部・常盤
そうなんですか! そんなにヘビーだったら、授業中に寝ちゃいませんか?
ところが授業中に手を挙げて発言しないと、「授業に参加する気がないな」と思われて成績をもらえない。だからアメリカの大学院を卒業したというだけで、「地獄を生き延びた」と言っていいくらい。だからこそ大学院に行ったことに価値を認めてもらえるのです。
残念ながら日本は長い間、冒頭で述べたように、大学院というものへの評価が低かったので、比較的誰でも入れるし、入ってからも生ぬるいところも多いのではないでしょうか。特に僕が危惧しているのは博士課程です。アメリカでは博士(PhD)を取るのは本当に大変です。最低でも5〜6年はかかり、しかも大学や専攻で差はあるものの、おそらく5〜6年を生き残って博士を取れるのは、3割程度といったところです。そのくらい競争が激しいのです。
勉強のしすぎとプレッシャーで心を病んで脱落する人も多くいます。日本の博士も優秀な方は多いでしょうが、そこまで競争は激しくない。逆にアメリカの博士は、そこまで競争が厳しいから価値があるとも言える。修士は博士ほどば厳しくないですが、でもかなりキツいプログラムです。
このような傾向は、欧州も中国も韓国もシンガポールも同じになってきている、というのが僕の理解です。そう考えると、今のままでは日本の大学院に行ったからといって、海外のスタンダードと比較して、必ずしも「高学歴」とは言えないのではないでしょうか。
ですから、僕は大学院を出た方が実社会でもっと活躍すべき、という点は佐藤さんに大いに同意なのですが、日本の大学院そのものがもっと国際標準になるくらいの厳しさを求めるべき、という質の向上が大事だと思っているのです。そういう意味では、まさに大学院の教員である僕も頑張らないといけないですね。
BIJ編集部・常盤
呼称は同じ「大学院」だけれど、中身はだいぶ違うということですね。お話を聞いて、自分のゆでガエルぶりを反省しました。来たるべき2023年は「学びの年」にしたいと思います!
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入山章栄:早稲田大学大学院経営管理研究科(ビジネススクール)教授。慶應義塾大学経済学部卒業、同大学院経済学研究科修士課程修了。三菱総合研究所に勤務した後、2008年に米ピッツバーグ大学経営大学院よりPh.D.を取得。同年より米ニューヨーク州立大学バッファロー校ビジネススクールアシスタントプロフェッサー。2013年より早稲田大学大学院経営管理研究科(ビジネススクール)准教授。2019年から現職。著書に『世界の経営学者はいま何を考えているのか』『ビジネススクールでは学べない世界最先端の経営学』『世界標準の経営理論』など。