東京工業大学の益一哉学長。12月初旬、Business Insider Japanの単独インタビューに応じた。
撮影:今村拓馬
「このままでは世界に置いていかれるという危機感があった」
東京工業大学の益一哉学長は、Business Insider Japanの取材に少し険しそうな顔でそう語った。
東京工業大学といえば、東京医科歯科大学との統合を電撃的に発表したことに加えて、8部局同時に教授・准教授ポストで女性限定の公募をかけたり、入試改革における「女子枠」の導入を決定したりと、2022年のアカデミアの話題をさらった。
この動きの狙いはどこにあるのか。日本の科学技術を支える屋台骨である大学は、これから先どこに向かうべきなのか。
アカデミアの激震地の中心にいる人物の一人、東工大・益学長の単独インタビューを前・後編でお伝えする。
世界の中で日本だけが停滞している危機感
東京工業大学と東京医科歯科大学の統合は、2022年にアカデミア界隈で起きた大きな出来事の一つだ。
撮影:三ツ村崇志
—— 東京医科歯科大学との統合に至った経緯は?
益一哉学長(以下、益):まず、僕は研究者として半導体の研究をしていました。1982年に東工大で博士号を取って、東北大に行き18年間研究した。その後、教授として東工大に戻ってきて、2018年から学長になったんです。
最初の頃は、日本の半導体産業はイケイケだったから、むっちゃ楽しくて(笑)。
「大学ではどんな研究をやってるんだ?」とか言われながら、産業界とも楽しく仕事をして、教授になってからも新しい研究を色々とやってきた。
ただ、いつの間にか日本の半導体産業がこんなことになっちゃったでしょう。
世界全体で半導体産業が縮小しているなら分かりますよ。でも、日本だけがこういう状態になっている。なんでそうなったのか、という危機感がずっとありました。
—— それが今回の大学統合とどう関係しているのでしょうか?
益:半導体産業の場合は、「日米半導体摩擦」も影響したとは思いますが、日本には「既存の製品の品質を良くしよう」という「技術偏重」の思いが強かった。加えて、(当時は)DRAMビジネスから、プロセッサーなどに移行してく流れだったのに、その流れを読めなかった。投資をしなきゃいけない局面で、新しいものに投資できなかった。
もちろん企業も悪いのですが、そういう考え方しかできない人材を輩出した大学に何か責任はなかったのだろうかと、すごく感じていたんですよ。
—— 大学が次世代を担う人材を輩出する機関としての役割を果たせなかったと。
益:それは半導体研究者としての発想ね。もう一つ、学長になってから考えていたことがあります。
平成の30年間、日本の産業は停滞していた。確かにGDPは全然伸びていない。
でも、世界のGDPは伸びている。それはGAFAMに代表されるITプラットフォーマーの影響が強い。日本にはそういう産業がないから「じゃあ製造業で頑張ろう!」という話になりがちだった。
ただ、アメリカも製造業のGDPは伸びてないんですよね、全然。
つまり、日本経済の停滞はどう考えても「新しい産業を作ってこなかったこと」に尽きるわけです。
—— 医科歯科大学との統合は、そういう産業創出を意図したものということですか?
益:1881年の東京職工学校(東工大の前身)の設立理念に戻ると、「人を育てて、新しい工業を興すんだ」と、今風に言えば「新しい産業を興してなんぼだ」と書いてある。
製造業は大事です。大事なんですが、世界の産業を見るとどう考えてもそこだけに力を入れるのとは違う。
大学が何もしてこなかったという強烈な反省の下、2022年4月からの中期計画を議論する過程で、理工学が関わる製造業以外の新しい産業を作っていく必要があるという話になった。それを実現するには、理工学のあり方も変えなきゃいけない。
それが、2020年くらいですかね。
「医工連携」が生み出す新たな産業の芽
—— そこで白羽の矢が立ったのが、医科歯科との連携による「医工連携」ですね。
益:カーボンニュートラルの動きを見ている中でも、理工学はどう変化していくべきかをすごく考えていたんです。ただ、少子高齢化は日本だけではなく世界で進む。そう考えると「医療分野」がより重要になる。
そんな中で東京医科歯科大学の田中雄二郎学長から話を持ちかけられたんです。
—— 田中学長からなんですね。
益:当時、僕は東工大のことばかり考えていたので(笑)。
強烈な危機意識も手伝って、(話を聞いてみると)理工学を再定義しようとするならパートナーがいても良いんじゃないかと思いました。それがきっかけですね。
—— ちなみに、統合に向けた議論はどれくらいの期間続いていたのですか?
益:それは秘密です。確実なのは、田中さんが学長になってからかな※。
※編集部注:東京医科歯科大学の田中学長は2020年4月就任。
—— 統合後は、大学の名称も新しくなるようですね。ノーベル賞受賞者を輩出した大学としてのブラントを捨てるのはもったいないような気もしますが。
益:東工大は全然ブランド力がないと言われていますから(笑)。
それは半分冗談として、確かに在学生も卒業生も、東工大生としてのプライドやブランドを感じていると思います。でも、今はこれまでのブランド力を守っている場合じゃないくらいの危機意識を持つことの方が重要。
逆に、今までのブランドを超えるものを生み出せるはずだという確信を得た、と言ってもいいかもしれない。
2016年に東京工業大学の大隅良典博士がノーベル生理学・医学賞を受賞したことは記憶に新しい。
TT News Agency/Stina Stjernkvist/ via REUTERS
—— 大学統合は大きな変化ですが、医工連携は割とよく耳にする話のようにも思います。そこまで大きなインパクトを生み出せるものでしょうか。どこからその確信が?
益:当初、連携法人の話を医科歯科大の田中学長から聞いたとき、本気で変えるんだったら一つの大学を作るくらい非連続なことをやろう、と田中さんに話したんです。「それでも良い」というので、実現した。
そのくらいやらないとみんなの意識も変わらない。そういう思い切りのあることに挑戦してこなかったのが平成の30年間だった。
東京大学をはじめとした旧帝国大学などの総合大学には、工学部も医学部もある。確かにそれとなにが違うんだと。
気合が違う。
世の中には部局や大学の壁があるわけです。日本は壁だらけなわけ。
一つの大学になってももちろん専門分野の壁は残る。けれども、「一つの大学になって新しいチームを生み出そう」「そのために我々は汗をかきましょう」というのが前提なんです。そこが全然違う。
なんとか世界と戦っていこうという危機感が沸々と湧いて、統合が決まったんです。
よく「文科省に言われたんじゃないか」と言われるんですが、こんなこと言われてやっていたら絶対に成功しないですよ。
—— 統合による医工連携の「効果」はどう現れるのでしょうか。
益:もともと、東工大の中でも医工連携的なことに強い興味を持っていた人はいるんです。そういう人にとっては大学や部局の壁が取り払われることへの期待感はあると思う。
あと、研究者の研究者たる所以(ゆえん)なんだけど、「自分も何か考えようか」という人が出てくるはずですし、すでにそのような動きもある。
—— 今までは発想がなかったけど、大学として一つになったことで、新しい視点のアイデアが出てくる可能性があると。
益:もちろん、考えようとしただけですぐにうまくいくものなんてありません。でも、アイデアは100個出して一つか二つうまくいくかどうかです。今までは「100個出そう」という発想に至っていなかった。
もしかしたらそれが、新しい産業の芽になるかもしれない。
ただ、中には「自分は関係ない」と思う人もいる。
東工大の研究者の分野は広い。一日中数学に没頭している人や、星のことばかり考えている人。惑星探索に命をかけている人もいる。彼らに医工連携をやるのは難しいでしょう。でも、 こういう人材の幅広さは、僕らの強みでもあるので、そこはお互いを尊重して進めていく必要があると思っています。
世紀の大発見は、凡人の思いもよらないところから生まれます。今は関係ないと思う人もいることが大事なんです。
日本の科学力の衰退、どう止める?
撮影:今村拓馬
—— 昨今、日本の科学力が衰退しているとよく指摘されています。先生はどう感じていますか?
益:私も衰退していると思う。
ただ、個々の研究者はめちゃくちゃ一生懸命やってますよ。研究者のパフォーマンスが下がったというより、研究者に研究に集中できる環境を提供できなかったり、研究者・博士の数が増えていなかったり…。そこに投資したり、そういう人材を育成し活用することに注力してこなかった。
—— 確かに、博士号(いわゆるPh.D)を持つ人材にうまく活躍してもらう仕組みは日本全体で不足しているように感じます。
益:産業界も高度な人材を使いきれない。それは結局、経営者に博士がほとんどいないから。これは官庁にも言えることです。
国際会議のような場に出ていくと、名刺にPh.Dと書かれていることが多いんですよ。みんなそう話すのに、自分の会社や官公庁ではそういう人を積極的に採用していない。
今までやってきたことから地続きでしか進めようとしない。誰も悪者になりたくないから、思い切って変える判断ができない。
—— 失敗するリスクを恐れているのでしょうか。
益:そうでしょうね。
東工大の医科歯科大との統合にしても、入試の女子枠創設にしても、もちろん失敗する可能性はあります。どう考えたってゼロじゃない。
ただこれは、社会に対するメッセージなんだ。「僕らはリスクを取る」それをやるのが、経営者なんだと。
この30年間、日本経済の中心にいた人たちは、それを十分にできていなかったんじゃないのかなと僕は言いたい。
—— なぜ、日本社会はリスクを取って新しいことに挑戦できなかったのでしょうか?
益:僕が東工大の危機意識について話すときはいつも「明治や昭和の時代には東工大が貢献できた一方で、平成では貢献できなかった。その反省があります」という文脈で語るんです。
明治の殖産興業の時代は、欧米に追いつけ追い越せで「やらなかったら日本が潰れる」という危機意識をみんなが持っていた。だから東工大だけが何か意志をもっていたわけじゃない。
—— 社会全体がそういう危機意識を共有していた。
益:昭和、敗戦後の高度成長期も、朝鮮戦争から特需が始まって繊維工業が重化学工業に変わっていったけど、僕らが世界の工場になりたかったわけじゃない。そうしないと経済が伸びないから、世界の流れの中でやるしかなかった。
それが平成になって、日本もある程度GDPが伸びてきたところで、新しいものを生み出さないといけない立場になった。ただ、そこで日本は挑戦する気概につなげなかった。
—— 今までは「これをやらないと死ぬ」と、いわば無思考に進んでこれた。それが通じなくなった。
益:何かを生み出すということを、日本の社会が学んでいなかったんですよね。
厳しい言い方かもしれないけど、平成の経営者は、自分たちが変化を生み出しても良かったはずなのに、以前の成功体験にすがりそれをやらずに進んできた。それでも生きてこれた。その「ゆでガエル」が平成の30年間だった。
研究者としての私もそうだったし、大学もそうです。
東工大だけでも、医科歯科大だけでも生きてはこれた。
(大学の取り組みの良い例として)ハーバード大学の基金の話をよく聞きますよね。あれだって、1970年代から始まったものです。彼らは、意志をもってそういうことをやらないと大学の経営が立ち行かなくなると思っていたということですよ。
そういう努力を、僕ら日本の大学はしてこなかった。
「科学を文化に」
ときに真面目に、ときにユーモアを交えながら答える益学長。歯に衣着せぬ物言いに、決意も感じられた。
撮影:今村拓馬
—— 大学統合による医工連携の取り組みは、産業創出という意味では期待できる一方で、少し応用に寄った話のようにも感じます。基礎科学を含めた日本の科学力全体を底上げするには、どういったことが必要だと思いますか?
益:良い例があります。
芸術は、アーティストの自己満足ではなく「文化」です。見る人が文化だと思っていることが、芸術の重要さだと思う。
同じように、東工大の大隅良典博士も常日頃から「科学を文化にする必要がある」と言っていますよね。
多くの人は、自分たちに恩恵がないものは科学技術ではないと思っている。そういう軸でしか科学技術を見れていない。
でも、科学は文化の一つなんだと。芸術と同じなんだと。
僕ら(日本人)が科学をそう認識することが、科学技術力向上のために必要不可欠なんじゃないかと思います。
——本当にそうなれば何か変わりそうではありますが、簡単にはいかない気もします。
益:そこは日本がまだ欧米の認識に追いついていないところなんだと思います。
1600年代、1700年代のヨーロッパの科学者って、貴族のお抱えでしたよね。今で言う「お金持ちがアートを買うような感覚」で、科学者を囲っていたわけです。だから文化だった。
その時代、日本では平賀源内のような技術者や、蘭学という考え方はあったけど、それが科学だとは認識されていなかった。
日本は明治が始まった頃から、150年くらいしか科学の歴史がないんです。それに対して、ヨーロッパは400年。日本には科学を文化として捉える歴史がまだ浅いんだと思います。
—— 一方で、文化を楽しむにはある程度「経済的な余裕」も必要ではないでしょうか。そういったことも、日本で科学を文化にすることが難しい要因の一つになってしまっているようにも思います。
益:そうですね。日本に本当の金持ちがいなくなったんだと思いますよ。
創業者が減り、雇われ社長が増えた。東工大大岡山キャンパスの入口には、Taki Plazaという国際交流センターがあるんですが、ぐるなびの創業者の滝久雄さん(東工大出身)の寄付で作りました。30億円も寄付してくれた。こういう寄付文化は創業社長でないとなかなかできない。
—— 新たな産業の芽を育て、創業者を輩出し、いずれ大学に資金が循環することを期待する。そうやって基礎科学を始めとした「文化としての科学」を維持していくと。
益:そう。だから産業を作って大儲けしてくれないと(笑)。
リッチになった分を何らかの形で教育や文化に循環させる。日本でもそういう寄付文化が回るようにならないといけない。給料が安いのに寄付しようなんて、みんな思いませんよね。
経済的に成功した人が寄付しているのをみるのを見ると、その周りの人も「一口くらい寄付しようかな」という空気になってくる。そういう循環を作っていく必要があると思っています。
※後編はこちらから。