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シマオ:皆さんこんにちは。「佐藤優のお悩み哲学相談」のお時間がやってまいりました。今年もいよいよ最後回です! コロナの相変わらずのまん延、ロシアのウクライナ侵攻など、波乱の1年でしたね。
さて、いつもは読者の皆さんからこちらの応募フォームにお寄せいただいたお悩みについて、佐藤優さんに答えてもらっています。ただ今回は年末特別編ということで、編集部から質問が来ました!
お正月休みでチェックしておくべきおすすめ本をぜひ教えてください。ビジネス分野はもとより、世界の今後を見つめるような人文学書もおすすめいただけたら幸いです。
上司の命令に背く部下が組織を救う?
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シマオ:せっかくの年末年始休み、この機会にじっくり読書したいですもんね。佐藤さん、どんな本がおすすめでしょうか?
佐藤さん:まずビジネス関連書として、慶應義塾大学の教授で経営学や組織論を専門にする菊澤研宗さんの『命令の不条理——逆らう部下が組織を伸ばす』をおすすめしておきましょう。
シマオ:逆らう部下、ですか。ちょっと刺激的なタイトルですね。たしかに、僕も会社に所属していて、なんで上の人はこんな判断をするんだろうってガッカリするシーンがけっこうありますが……。
佐藤さん:組織が間違った選択をするのは、トップやリーダーの能力が足りていないからだと考えられがちです。ですが、菊澤さんに言わせると、合理的な選択をしているつもりでも、結果として誤ってしまう場合があるといいます。
シマオ:どうしてでしょうか?
佐藤さん:結論から言うと、人間という存在がそもそも不完全な存在であるということです。これは行動経済学などで明らかになっていることですが、そもそも人間の認知自体に歪みがあるんです。シマオくんは「プロスペクト理論」という言葉は聞いたことがありますか。
シマオ:ちょっと、聞いたことがありません……。
佐藤さん:人間は得をした「嬉しさ」より、損をした「がっかり感」の方を強く感じるという考え方です。
シマオ:どういうことでしょうか?
佐藤さん:例えば株式投資で自分の持っている株が下がってもなかなか損切りができず、ズルズル下がるまで持ち続けてしまう人がいます。なぜそんなことをしてしまうのかと言えば、売らない限り損は確定しないためです。逆に、もう少し待っていればもっと株が上がったのに、たいていの人が早い段階で株を売って利益確定してしまう。
シマオ:もったいないですね。
佐藤さん:しかしこれも、きっと株価は上がるだろという期待感よりも、もし反転して下がったときの「がっかり感」の方が強く感じられてしまうから、結果的には非合理な判断をしてしまう訳です。それゆえに、素人は特に株式投資で失敗しやすいと言われています。
シマオ:なるほど。当の本人は合理的に判断しているつもりなんですね。でも、そこには認知の歪みがあると。
佐藤さん:その通りです。どんなに優秀なリーダーでも、人間である限りバイアスがある。自分では合理的な判断と考えていながら、結果的には不条理な判断をしてしまうものなんです。
シマオ:それで「逆らう部下が組織を伸ばす」というタイトルにつながるんですね。
佐藤さん:そうです。菊澤さんはいかに上手に命令違反をするかが、組織を守る最後の手段だと指摘しています。
シマオ:でも、若いビジネスパーソンが会社や上司の命令に逆らうなんて、なかなか考えられませんよ……。
佐藤さん:それはそうかもしれません。ただ、このような不条理が生まれる構造を知っておくだけでも、一歩引いて、冷静に対応することができるようになると思います。それに、あからさまに命令に逆らわなくても、あえて一生懸命やらないという選択は可能です。
シマオ:なるほど。いちおうやってますよ〜というスタンスは見せておく訳ですね。
難しい本に挑戦することで知性を磨く
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佐藤さん:もう一冊紹介したいのが、柄谷行人さんの『力と交換様式』という本です。柄谷さんは、私がとても尊敬する哲学者であり文芸評論家です。もともとマルクス主義を研究した人ですが、独自の視点でマルクスを解釈し直し、新たに展開した天才的な人物です。最近は、「哲学のノーベル賞」と言われるアメリカの「バーグルエン哲学・文化賞」を受賞しています。
シマオ:哲学のノーベル賞! すごそうですが、ビジネスパーソンにはどういった点からおすすめなんでしょうか。
佐藤さん:このバーグルエン賞を作ったニコラス・バーグルエンという人は億万長者の慈善家なのですが、投資家としてもシリコンバレーにも通じているんです。そんなバーグルエンの賞をとったということで、いまやシリコンバレーの経営者、起業家たちがこぞって英訳された柄谷さんの著作を読んでいます。
シマオ:そうなんですね! でも、どうしてテック界隈の人たちが哲学書を読むんでしょうか。スティーブ・ジョブズが禅にハマっていたというのは聞いたことがありますが。
佐藤さん:これから先の社会がどうなっていくか、彼らも興味を持っているということだと思います。テクノロジー業界の最先端企業家たちも、今の資本主義の限界を薄々感じているのでしょう。だから柄谷さんに限らず、一見経営とは関係ない、難しい哲学書を競うように読んでいるんです。
シマオ:なるほど。哲学から未来の社会のヒントをもらおうとしている訳ですね。
社会の構造を「交換様式」から読み解く
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シマオ:佐藤さんすみません、いま目次を見たら、上部構造や下部構造とか、交換様式だとか、難しい言葉が並んでいてとても理解できそうにありません!
佐藤さん:シマオくん、せっかくじっくり時間をかけて読むなら、こういう哲学的な本を読むことで、物事を根本的に考える力をつけることも大事ですよ。
シマオ:で、でも……読破する自信が……。せめて柄谷さんが話している概念に関して、先に少し教えてもらえないでしょうか。ちょっとヒントがないと、この本を読むのは今の僕には難しそうです。
佐藤さん:では、マルクスが提唱した「生産様式」について、先に少し説明してみましょう。柄谷さんの著書の前提知識になりますから。
シマオ:お願いします。
佐藤さん:生産様式というのは、簡単に言えば、産業がどんな形で成り立っているかということです。近代以前は農業など一次産業が中心で、そういう社会では封建的な社会が合っていました。
シマオ:あ、それは歴史でもやりました! 領主が土地を持っていて、それを農民が耕して、年貢を納める、みたいな社会ですよね。
佐藤さん:そうです。ただ近代以降、第二次産業が興って、工場が生産現場の中心となると、人々は土地を離れて労働者として都市に移り住むようになりました。
シマオ:産業革命ってやつですね。
佐藤さん:はい。そうなると、国民は財産を持ち始め、社会は封建制度という着物が合わなくなってくる。そうやって市民社会が生まれ、自由主義や民主主義という新しい着物に着替える訳です。ここで重要なのは、いずれにしても生産様式が社会の在り方を決めているという点です。
シマオ:なるほど。服の例えは分かりやすいですね。体が成長したら前の服が小さくて合わなくなると。
佐藤さん:はい、この場合、体が生産様式で、服が社会形態ということになります。ただ、柄谷さんはその体の部分を生産様式ではなく「交換様式」で考え直してみた訳です。すると、4つの社会形態が浮かび上がってきました。
交換様式A:互酬(贈与と返礼)
交換様式B:略取と再分配(服従と保護)
交換様式C:商品交換(貨幣と商品)
交換様式D:A、B、Cを超える新たな交換様式X(Aの高次の回復)
シマオ:すみません、よく分かりません……!
佐藤さん:一つひとつ説明していきましょう。まず、交換様式Aの互酬(贈与と返礼)とは「贈与に対してお返しする」という関係のことです。いわゆる先住民族の交換などがこれに当たります。
シマオ:あ、それはこの連載でも前に説明いただいてましたよね。アメリカの先住民族の中には、互いに莫大な財産を与え合う部族がいるとか。
佐藤さん:はい。文化人類学者マルセル・モースの『贈与論』で解説されているものです。そして、交換様式Bの「略取と再分配(服従と保護)」はある共同体がある共同体を支配し、隷属させると同時に保護をする関係です。封建社会や近代以降の国家も、この交換様式の中に当てはめられます。
シマオ:戦争をして征服して、自国の領土として守っていくようなやつですね。
佐藤さん:その通りです。交換様式Cの「商品交換(貨幣と商品)」は私たちが今生きている資本主義社会のことですから、一番分かりやすいでしょう。ただし資本主義が発達すると生産手段を持つ資本家とそうでない労働者の間に格差や階級差が生まれてきます。
シマオ:社会問題になっているポイントですね。
佐藤さん:最後に交換様式D。これが柄谷さんが言う、これからの新しい社会のヒントを握っているものです。
シマオ:「Aの高次の回復」とありますが……。
佐藤さん:はい。互酬性社会は未開社会の交換様式とされていますが、現代社会では別の形で互酬性が見直されると柄谷さんは指摘しています。
シマオ:どうしてでしょうか?
佐藤さん: BやCの社会では、国家の論理や資本の論理が絡み合って、不況や恐慌、戦争や飢餓、不平等が必ず起きるからです。今回のロシアのウクライナ侵攻などはまさにその典型例です。
シマオ:なるほど。
佐藤さん:そうならない社会としてどんなものがあるか? それを考えると、どうも交換様式Aの互酬性がポイントになる。柄谷さんはそこで宗教の力が再び見直されると考えているようです。
シマオ:う〜ん、なんだかすごく大きな話になってきましたね。でも、それくらいの視点で考えないといけない時代ということなんでしょうか。
佐藤さん: 2023年以降も政界情勢はもちろんですが、コロナや自然環境の変化など、不確定要素ばかりです。世の中を根本的に見る能力や、ちょっと離れて俯瞰的に見る視点はとても重要です。このお正月の時間に、その力を少しでもつけることができれば、とても有意義な冬休みになると思いますよ。
シマオ:ありがとうございます。ちょっと難しい本ですけど、挑戦してみます!
「佐藤優のお悩み哲学相談」、そろそろお別れのお時間です。引き続き読者の皆さんからのお悩みを募集していますので、こちらのページからどしどしお寄せください! 私生活のお悩み、仕事のお悩み、何でも構いません。次回は1月4日(水)、お正月特別編をお届けします。それではまた!
佐藤優:1960年東京都生まれ。作家、元外務省主任分析官。85年、同志社大学大学院神学研究科修了。外務省に入省し、在ロシア連邦日本国大使館に勤務。その後、本省国際情報局分析第一課で、主任分析官として対ロシア外交の最前線で活躍。2002年、背任と偽計業務妨害容疑で逮捕、起訴され、09年6月有罪確定。2013年6月に執行猶予期間を満了し、刑の言い渡しが効力を失った。現在は執筆や講演、寄稿などを通して積極的な言論活動を展開している。