2023年の干支は「卯(ウサギ)」だ。
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「ピーターラビットやミッフィーさんとか、ウサギは愛玩動物やキャラクターとしてすごく愛着を持たれています。
ただ、現実に生きているウサギは、全然繁栄できていない。ウサギはその種族の『縛り』の中で、ギリギリで生きているんです」
ウサギの研究を始めて45年になる『ウサギ学 隠れること逃げることの生物学』の著者・沖縄大学の山田文雄客員教授は、ウサギの現実をこう話します。
2023年は卯年。その愛らしい姿とは対照的に「ギリギリ」の生存戦略で生き続けるウサギの知られざる秘密を山田教授に聞きました。
ウサギは「時速80キロ」で駆け回る
野を駆け回るウサギ。
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ウサギといえば、ぴょこぴょこと元気に跳ね回っているイメージがあります。
実は、山田教授によるとウサギの中でも「ノウサギ」と呼ばれるタイプのウサギの中には、時速80キロメートルで走る(飛び跳ねる)種もいるそうです。
「もちろんそんなに長距離を移動できるわけではありませんが、とにかく目の前の捕食者をかわすことに全力を出せるように特化しているんです。その瞬間だけ全力で逃げて、どこかに隠れてじっとしている」(山田教授)
危機からの確実な脱出を可能にするのは、大きく強靭に発達した「後脚」です。
ウサギの後脚の骨は長く、筋肉も発達しています。筋肉の質も、ノウサギの場合は特に瞬発的な力を発揮するタイプの筋肉(いわゆる「速筋」)が多くなっています。
「ウサギは、イタチやタカなどに狙われる『被食者』です。『隠れること』と『逃げること』という2つの手段に特化して生き残ってきました」(山田教授)
特にノウサギが高速で跳ね回るのは、その進化の賜物なのです。
ウサギの足跡。ウサギは両脚を同時に踏み切るため、左右の後脚の跡が揃う。
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また、一般的に動物が移動するときには、足を動かすタイミングを少しずつずらしながら地面を蹴り出すものですが、ウサギは両足を同時に踏み切る、いわゆる「うさぎ跳び」しかできないことも特徴です。
「いついかなるときにも常に(両足で)全力でジャンプしてあらゆる方向に逃げられるようにスタンバイしている状態なんです」(山田教授)
片足よりも両足で蹴り出す方が、単純に大きな力で「逃げ」に徹することができます。一方で、両足でジャンプすること「しか」できないことは、生存環境を縛る制約にもなっています。
いわゆる「ウサギ」は、ウサギ目というグループの総称を指します。ウサギ目はウサギ科(61種)とナキウサギ科(30種)の91種。これに対して、例えばリスなどが属するげっ歯目は全部で2000種を超えるほど繁栄しています。
生物は本来、種としての多様性を獲得しながら、さまざまな環境に生息領域を拡大させていくものです(これを「適応放散」という)。
「ウサギの場合は進化の形にほとんど多様性がないんです。ウサギの住んでる空間は地上か地下しかない。ジャンプしかできないこと、手(前脚)でモノをつかむことができないこと。(両足で)走るという性質が最初に備わってしまったことで、別の方向への進化の選択肢がなかったんです」(山田教授)
大きな耳の3つの役割
ウサギはその長く大きな耳も特徴だ。
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ウサギといえば、その大きな「耳」も誰もが思い浮かべる特徴の一つです。ピーターラビットやミッフィーのような大きな耳は、ウサギ目の中でも特に「ウサギ科」にみられる特徴です。
ウサギの耳の役割は大きく3つ。どれも捕食者から逃げ、隠れるための戦略と密接に関係しています。
一つ目は、耳本来の役割である「集音装置」としての機能です。
その大きな耳で周囲の音を察知することはもちろん、ウサギの二つの耳はそれぞれ独立に動かすことができます。
「草むらに隠れているときなどにキョロキョロしてしまうと捕食者に見つかってしまうので、耳だけを静かに動かして、敵が来る方向を察知しているのではないかと考えられています」(山田教授)
また、ウサギの耳は「衝撃吸収材」としての役割も果たしていると考えられています。
ウサギは前述した通り、ぴょんぴょん跳ねながら移動します。捕食者から逃げる際には、その速度はかなりのものです。勢いよく飛び跳ねれば、その分着地時にはその小さな体の特に頭部にかなりの衝撃が加わることになります。
どうやらこの衝撃を「耳」で吸収しているというのです。
加えてウサギの耳には、「体温調節」の機能もあります。
ウサギの耳には、毛細血管が張り巡らされており、ここに冷たい風が当たることで血液を冷やしています。気温が高い場所で体を冷やす意味合いがあることはもちろんですが、外敵から逃げようと激しく運動した時に効率よく熱を逃がす仕組みとしても機能しているといいます。
これもまた、ウサギの「逃げる」戦略をサポートする役割を果たしているわけです。
なお、世界的に広く分布しているノウサギの中では、暑い環境に生息しているウサギの方が大きな耳をもっています。一方で、寒い地域に生息するウサギの耳は比較的小さいものです。
これは、寒い地域に生息する動物と暑い地域に生息する同種の動物を比較すると、寒い地域に生息している動物の方が身体構造が小さくなる「アレンの法則」と呼ばれるもので、生態学の世界ではよく知られている現象です。
北海道に生息するエゾナキウサギ。
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ウサギ目の中でも、「ナキウサギ科」の場合は比較的小さい耳が特徴です。
「ナキウサギはもともと『氷河期の生き残り』と言われるほど、寒冷地に適応した種です。また、外敵に襲われたときにも、巣穴や岩の割れ目など、比較的近場に逃げ込みます。(巣穴を持たない)ノウサギのように長い距離を逃げ続ける必要がないため、(耳を大きく進化させて)熱を放出する必要はそこまでなかったのかもしれません」(山田教授)
ここまで見てきたウサギの特徴を鑑みると、童話『ウサギとカメ』や、「月のウサギ」の逸話など、素早く動いたり、長い耳をもっていたりする日本人が考える「いわゆるウサギ」のイメージは、基本的にノウサギのイメージから派生したものだといえます。
ウサギが世界の食糧難を救うかもしれない?
焼きウサギ。世界ではウサギを食べる文化があるところも。
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ペットとしても一定の人気をもつウサギですが、
「ウサギは本来、群れをなさず単独で生きます。他の個体に対して、非常に攻撃的なんです」(山田教授)
と、本来人が飼育するには適さない動物でした。
現在ペットとして飼育されているウサギは、唯一家畜化に成功した「ヨーロッパアナウサギ」という比較的穏やかな種です。
ウサギの「家畜化」という名前からも想像できるように、ウサギはペットとして飼育されるよりも、「食肉用」などとして利用されているケースの方が一般的だといいます。
「中世のフランスなどでは、ウサギは食料としてよく消費されていました。牛肉は牛のブロックにして保存する必要がありますが、ウサギは生きたまま簡単に放し飼いにしておくだけで食料として備蓄もしやすい。そのため、Biological Refrigerator(生物学的冷蔵庫)とも呼ばれます」(山田教授)
実際、FAO(国連食糧農業機関)の統計データによると、2020年段階でも世界で約100万トンのウサギ肉が生産されています。
また、ウサギは同量のエサ(牧草)を与えた場合、ウシの約5倍の肉を生産できるとされています。
昨今、世界の人口増に対して十分なタンパク質を補うために、代替肉などの普及が注目されていますが、もしかすると「ウサギの食肉文化の普及」も、世界の食糧難を解決する一つの戦略になるのかもしれません。
環境の変化に脆弱なウサギたち
取材に応じる、山田文雄教授。
取材の画面をキャプチャ
ウサギは被食者として、そこまで大規模に種族を拡大させることなく逃げ隠れる方法で、なんとか生き延びてきました。
ただ、気候変動の影響が加速しつつあり、人間との共存関係も劇的に変化している現代において、そのぎりぎりの生存戦略も危ぶまれる自体に陥っていることを理解してほしいと山田教授は話します。
「ウサギの世界でも気候変動の影響は注目されています」(山田教授)
例えば、ノウサギの中には、冬に毛が茶色から白に生え変わる種類がいます。夏は山の岩場などで、冬は雪上でそれぞれ保護色の役割を果たしています。
ただ、気候変動の影響で気温や積雪量が変化し、ウサギの毛の生え変わり時期に「ズレ」がみられているとの報告があるそうです。これでは逆に捕食者に発見されやすくなってしまいます。
人間が自然に介入して生態系に劇的な変化を生んでしまうことも、そもそも脆弱な生き物であるウサギにとっては脅威にほかなりません。
日本では、奄美大島と徳之島に国の天然記念物として指定されているアマミノクロウサギが生息しています。ただ、アマミノクロウサギは、亜熱帯の島嶼(とうしょ)という特殊な環境で生き延びてきたため、他のウサギと比べてもさら「脆弱性」を抱えている、と山田教授は指摘します。
亜熱帯の島で生き残るアマミノクロウサギ。短い耳や小さな目、短い四肢など原始的な特徴をもつ。奄美大島で撮影。
撮影:勝廣光
奄美大島や徳之島を含む琉球諸島は、かつてユーラシア大陸の「端」が大陸から切り離されることでできた島です。
「当時、イタチやキツネなどの捕食者は大陸にもいたはずです。ただ、かつて奄美大島や徳之島が誕生したときに捕食者が入りこまなかったことで、そこにたまたまいたウサギの個体が自然淘汰というセレクションにかけられることもなく、現代まで生き延びてこられたわけです」(山田教授)
生物は本来少しずつ多様性を獲得しながら、その時々の環境に適応した個体が生き延びることで進化していくものです。アマミノクロウサギは、たまたま外敵のいないいわば「楽園」のような環境に放り込まれたことで、激しい生存競争にさらされることなく、現代まで生き延びてしまいました。
しかも、大陸から渡ってきた少数の個体が祖先となることで遺伝的多様性を失い、さらに遺伝的に近いもの同士が交配することでより脆弱になっていったと考えられます。
そこに人間によって劇的な環境の変化が起こっている——。
「例えば、交通事故にあうアマミノクロウサギが一定数いる。外敵が来た時に逃げられる能力があれば、ある程度避けられたかもしれない。マングースなんかもそうでしたが、犬やネコなど、新しい捕食者が現れたときに、経験がないので非常に弱い。
こういう島々に生き延びた動物は非常に脆弱性があるということをぜひ知ってほしいと思います」(山田教授)
参考文献:『ウサギ学 隠れることと逃げることの生物学』(著・山田文雄)