秋田南高校吹奏楽部。コンクール全国大会は17人が欠員する状況で参加したが、その後、もう一度同じステージで演奏できる奇跡が起きた。
撮影:横山耕太郎
「全国大会に向けて出発する朝、コロナ抗原検査をしました。祈るような気持ちだったのですが、陽性を示す紫色の線がはっきりと出ていました」──。
吹奏楽の名門・秋田南高校吹奏楽部は、2022年10月23日に開催された吹奏楽の全国大会「全日本吹奏楽コンクール」の本番をたった38人で迎えざるを得なくなった。いつも一緒に演奏している55人のうち17人が本番直前にコロナに感染。出場できなくなったのだ。
しかし全国大会から約2カ月後の12月中旬、全国大会の舞台だった愛知県・名古屋国際会議場センチュリーホールに、秋田南高校吹奏楽部が今度はフルメンバーで立っていた。
秋田南高校吹奏楽部に何が起きたのか?その悲劇と奇跡を取材した。
高校2年で経験した初の全国大会
全日本吹奏楽コンクールの高校部の全国大会の会場・センチュリーホール。客席は3階席まである。
撮影:横山耕太郎
吹奏楽では最大規模の大会の一つである「全日本吹奏楽コンクール」。
中学、高校、大学、職場・一般合わせて約1万団体が参加し、2022年は予選大会を勝ち抜いた計99団体(中学30、高校30、大学13、職場・一般26)だけが全国大会に出場した。
毎年10月に開催されている全国大会だが、2020年は新型コロナの影響で中止に追い込まれるなど、コロナに翻弄され続けてきた。
「コンクール1週間前にコロナが出て、翌日にはさらに体調不良者が続出しました。毎日祈るような気持ちで過ごしていました」
前部長でファゴット担当の3年生・高橋初実さん(17)にとって、センチュリーホールは、中学生の頃から夢見ていた舞台だった。
ファゴット担当の前部長・高橋初実さん。
撮影:横山耕太郎
高橋さんは、全国大会に何度も出場経験がある強豪・秋田山王中学校の出身。中学時代も全国区大会を目指していたが、全国大会への出場は叶わなかった。
2020年に秋田南高校に入学し、高校でも再び全国を目指そうと吹奏楽部へと入部した。しかし、高校1年生の時には、新型コロナの影響でコンクール自体が中止になり、部員が自宅で個人練習をする時期もあった。
2021年には吹奏楽コンクールが復活し、高橋さんは初めての全国大会を経験した。
しかし、全国大会の結果は銀賞。「来年こそは金賞を」という思いが強まった。
三善晃作曲『管弦楽のための協奏曲』のフルートのパート譜。編曲したのは秋田南高校OBでもある作曲家の天野正道氏。
撮影:横山耕太郎
高橋さんが部長を任されてからも、度々コロナによって部活は中止せざるを得ない状況が続いた。
それでも2022年夏、コンクールシーズンに突入してからはコロナの影響はほぼ無くなっていた。
秋田南高校が2022年のコンクールの自由曲として選んだのは、2021年のコンクールで演奏した自由曲『竹取物語』の作曲者でもある三善晃(1933〜2013)の『管弦楽のための協奏曲』。過去にも秋田南高校が演奏したことのある曲で、秋田南高校にとっては勝負曲だった。
8月、秋田南高校は青森県で開催された東北大会で実力を発揮。福島県立磐城高校、聖ウルスラ学院英智高校(宮城県代表)とともに全国大会への出場権を勝ち取った。
しかし、10月23日の全国大会の1週間前、誰も予想していなかった悲劇が彼らを襲った。
全国大会に出発当日、コロナに
ホール練習する秋田南高校吹奏楽部。
撮影:横山耕太郎
全国大会の6日前。コンクールメンバーがコロナに感染していることが確認され、その翌日から体調不良が続出したのだ。
すでにコンクールまで1週間を切っており、コロナに感染した部員は全国大会には出場できない。
部員たちは毎朝、自宅で抗原検査を実施。日を追うごとに、感染者は増え続けた。
前部長の高橋さんも秋田を出発する前日から、軽い微熱があった。そして、出発当日の朝、祈るような気持ちで自宅で抗原検査をした。
「頼むから(陽性を示す)線が出ないでという思いでしたが、期待を裏切るようにはっきりと紫の線が浮かんでいました」
トランペットの高橋保乃和さん(中央)。コロナ感染で全国大会のステージには立てなかった。
撮影:横山耕太郎
トランペットの3年生、高橋保乃和さんも、出発の前日に発熱した。
「発熱してすぐ、もう名古屋には行けないなと思いました」
高熱で意識が朦朧としていたが、出場する仲間のために何ができるのかと考え、「この部分はこう吹いてほしい」と付箋に書いて、出場できるメンバーに届けてもらった。
「私にとって“全国”は小学校の頃からの憧れの舞台。目の前の目標が突然なくなってしまい、今までの努力はなんだったんだろうと思いました。あの時は正直、吹奏楽は聴きたくないという思いになっていました」(高橋保乃和さん)
欠場か?出場か?迫られた決断
秋田南高校吹奏楽部顧問の奥山教諭。
撮影:横山耕太郎
顧問の奥山昇教諭は、メンバーが欠けた状態で出場するのか、出場を辞退するのか判断を迫られた。
当初はコンクール3日前に名古屋入りする予定だったが、感染者の増加を受けて出発を2日前に変更。名古屋に到着してからも、コンクール前日にも体調不良者が出て秋田から保護者に迎えにきてもらった。大会当日の朝に不参加が決まった部員もいた。
「名古屋に来てからも欠員が出た時は、ホテルのカーテンの前で立ち尽くしました」
もはや、これまで通りの演奏ができる状況ではなかったが、それでも奥山教諭は残ったメンバーで出場する道を選んだ。
その理由は、「秋田で待つ部員からの言葉」だったという。
「『私たち出られない部員のためにも、なんとか全国大会に出てほしい』と。、その言葉で、たとえ部員が1人になってもステージに立つと決めました」
全国大会での「壮絶な演奏」
迎えた全国大会当日の10月23日午前9時。秋田南高校は、高校の部で1番目の演奏だった。
奥山教諭は「鬼気迫るものがあった」と振り返る。
「私も吹奏楽人生は長いですが、あんなに壮絶な本番は初めてでした。みんなズタズタになりながらもいい音楽をしなくてはいけないという責任感にあふれていた」
佐藤愛結さん。トランペット3年生の中で唯一、全国大会のステージに立った。
撮影:横山耕太郎
トランペットの佐藤愛結さんは、3人いるトランペットの3年生の中で唯一、全国大会の舞台に立った。
「パートの中で楽譜を変えた部分もあって、本番は心細かった。直前まで本番を迎えたくないという気持ちでした」
コロナによる欠場者はトランペットやトロンボーンなどの「金管パート」の割合が多く、トランペットは本来5人で演奏する予定が3人で出場、5人だったトロンボーンはたった1人になった。
「1週間前からどんどん人が減ってしまい、なくなってしまう音を補うために、音を足していく作業が毎日続きました」
全国大会での演奏中、本当は鳴っていないはずの仲間の音も頭の中で鳴り続けていたという。
あのステージに、今度は全員で
2022年の全国大会で金賞を受賞した愛知工業大学名電高校吹奏楽部。
撮影:横山耕太郎
前部長・高橋さんは、秋田の自宅からオンライン中継された演奏を見ていた。
高橋さんが担当するファゴットは、同じパートの2人ともがコロナに感染したため、フルートとファゴットだけが演奏する部分は、フルートだけでの演奏だった。
演奏の結果、秋田南高校は銅賞。
「あんなに複雑な曲を38人で成り立たせただけすごい。不完全燃焼な気もありましたが、もう気持ちを受験勉強に切り替えました」
3年生はそのまま引退する予定だった。
しかし、思いがけないサプライズが彼らを待っていた。
愛知県の強豪校・愛知工業大学名電高等学校の吹奏楽から、ジョイントコンサートの誘いがあったのだ。しかもその舞台となるのは、全国大会と同じ名古屋国際会議場・センチュリーホールだ。
両校をつないだのは吹奏楽作家で、新聞や著書、SNSなどで吹奏楽部のストーリーを発信しているオザワ部長だった。オザワ部長は約10年前から、全国の約300校の吹奏楽部を取材。2022年春に秋田南高校を取材していた。
「2020年以降、自由に練習できず苦しい思いをしてきた吹奏楽部はたくさんありコンクールを辞退する学校もありました。苦しい思いをしてきた子たちに、頑張っていればいいことが起きると思ってもらいたかった」(オザワ部長)
「失われたコンクール」を再現
12月17日、全国大会と同じ舞台に立った秋田南高校吹奏楽部。
撮影:横山耕太郎
12月17日に開かれたジョイントコンサートでは、両校による合同演奏の前に、それぞれが単独で演奏を披露した。
秋田南高校の単独演奏では、「失われたコンクール」を再現するために、あえて本番と同じアナウンスに続き、課題曲と自由曲を演奏した。
「プログラム1番、東北代表・秋田県、秋田県立秋田南高等学校吹奏楽部。課題曲Vに続きまして、三善晃作曲『管弦楽のための協奏曲』。指揮は奥山昇です」
課題曲はトランペット、トロンボーンなどの音から、力強く始まった。
課題曲V『憂いの記憶ー吹奏楽のための』のトラペットのパート譜。冒頭に三連符がある。
撮影:横山耕太郎
「頭の音がきっちりはまって、一気にスイッチが入った。今度はみんなで曲を始められて心強かった。安心感を感じながら演奏できた」(トランペット・佐藤愛結さん)
クラリネットソロを担当した3年生の甲本優太さんは、コンクール本番とは違う感覚を味わった。
「みんなが音楽をよりワイドに捉えて、豊かに表現していた。一度は音楽を離れていたものの、また同じメンバーでお互いの音を聴きながらアンサンブルができていた。みんなで吹くのはやっぱり楽しかった」
3年生の甲本優太さん。吹奏楽部ではコンサートマスターを務めていた。
撮影:横山耕太郎
自由曲も各パートが超絶技巧を繰り出しながら、複雑なリズムを乱れなく正確に吹き切った。
12分間の演奏には、この一回にかける緊張感がみなぎっていた。
ステージ上で流した涙
トランペット3年生の武田愛花さん(中央奥)。
撮影:横山耕太郎
コンクール曲の後には、天野正道・作曲『GR』などを演奏。
演奏しながら、涙を拭う姿もあった。
トランペットの3年生パートリーダーの武田愛花さんも、ステージ上で涙を抑えられなかった。
「高3の全国大会を母に見せられなかったことが、心残りでした。高2の全国の時は、母が見にくることができず、『最後のコンクールは絶対に見に行く』と言ってくれていたのに、私がコロナにかかってしまって。
家ではまだ反抗期なのですが、今日やっと、夢見た舞台に母をつれて来られて嬉しかった。賞はつかないけれど、やっぱりここまでの道は無駄じゃなかったと思います」
全国の舞台に立てず、一度は吹奏楽を聴くのも辛かったというトランペットの高橋保乃和さんも、演奏後には清々しい笑みを浮かべていた。
「3年を振り返ると、コンクールじゃない時間こそが大事だったんだと思えるようになりました。昼の休み時間に紙で作ったボールでバレーをしたり、くだらないことでふざけ合ったりしたなって。そんな仲間と最高の思い出で終わることができました」
愛工大名電との合同演奏では、トランペットの3年生3人が並んで演奏した。
撮影:横山耕太郎
前部長・高橋さんも、コンサートの後には笑顔で取材に応じた。
これからは大学の音楽科に進むため、受験勉強に集中するという。
「音楽はずっと続けたいと思っています。色々あったけれど乗り越えられたのは音楽があったから。こんな経験はもうすることはないし、後輩にも同じ思いは絶対にしてほしくない。でも私にとっては一生忘れられない経験ができました」
本番前のセンチュリーホールのステージに立ち、涙を浮かべる部員たち。
撮影:横山耕太郎
憧れのステージ上でふざけながら記念撮影する部員たち。
撮影:横山耕太郎
センチュリーホールのステージで記念撮影する3年生。
撮影:横山耕太郎
新型コロナウイルスの流行によって、失われたものは計り知れない。
しかしそれでも、前を向いて進み続けた彼らの姿は輝いていた。