REUTERS/Sarah Silbiger
2022年に起きた現象のうち、一般家庭に一番大きな影響を及ぼしたのは、世界的なインフレーションだったかもしれない。
この連載でも2022年2月の記事で、コロナ禍によるサプライチェーンの混乱やエネルギーおよび原料価格の上昇によって押し上げられた物価の動向を取り上げたし、同年4月の記事では、対ロシア経済制裁や物流の混乱がさらなる物価上昇を招いたことについて触れた。
こうした要因に加え、コロナ禍を機に労働者たちが自分の生業について考え直したことによって起きた「大退職(Great Resignation)」現象により労働力不足が恒常化し、労働コストが上がったことがインフレの大きな要因とされてきた。
連邦準備理事会(FRB)が、史上例を見ない速度で利上げを繰り返してきた背景には、賃金が上昇したためにインフレが起き、それを食い止めるためには金利を引き上げる必要があると信じられてきたことがあったのだ。
私自身、昨年の半分以上をアメリカで過ごしたが、インフレの影響は大きかった。それに応じて賃金も上がっているのだ、と言われてきたが、価格上昇の度合いに比べたら賃金上昇率など焼け石に水でしかなかった。
ガソリン代が高騰し、相対的に安いガソリンスタンドの前に長い列ができ、スーパーに行くのにカープール(車の乗り合い)を始める人が増えた。食料価格や人件費の上昇によって外食のコストが上昇し、レストランでの会合が減り、ホームパーティが増えた一方で、外食産業に関わる人たちからは悲鳴が聞こえてきた。価格が上がると同時に、物品の量やサイズが縮小する「シュリンクフレーション」なる言葉も登場した。
急速な円安によって、特に日本円で給料や報酬を得る人たちの嘆きは深刻だったが、多くの人がコロナ禍や戦争、その他の地政学的要因を考えればこれも必然と、値上げを受け入れているかのように見えた。
「便乗値上げ」で最高益を記録したエクソン
アメリカでは2022年夏頃にガソリン価格が上昇、消費者の生活を直撃した。だがその陰で、エクソンモービルは四半期ベースで最高益を記録していた。
REUTERS/Andrew Kelly
こうしたナラティブによって、私自身見落としてしまっていた点があった。それは、末端の消費者が商品やサービスに払う対価が、さまざまなコストの上昇幅以上に上がっていた、ということだ。
それが明白になったのは、2022年10月末に石油大手のエクソンモービルが四半期決算を発表したときだ。
特に昨年夏から秋にかけて、アメリカの消費者はガソリン価格の上昇にあえぎ、共和党や多くの保守系論客はそれをロシアに対する経済制裁やバイデン政権の政策のせいにしたりしていた。
にもかかわらず、エクソンモービルはそのさなかに、152年前の創業以来四半期ベースで最高益を達成したのである。同社の2022年第3四半期の売上は1120億ドル(約14兆8999億円、1ドル=133円換算)と前年同期比で2倍以上に増加し、純利益は196億ドル(約2兆6000億円)にのぼった。
CEOのダレン・ウッズは決算発表の席で、好業績の要因として設備投資による石油の増産を挙げたが、同社はコロナ禍初期の2020年、アメリカ政府がパンデミックによる危機を乗り越えるために準備したPPPローンと呼ばれる給付金を受け取っていた。エクソンモービルの利益はガソリンの末端価格に織り込まれているが、これも「price-gouging(便乗値上げ)」とみなされるものである。
また、同社はS&P500の企業の中で2番めに高い、1株あたり0.91ドルの配当金を株主に還元している。このことを指してウッズCEOは「われわれの業界内では、利益の一部をアメリカ市民に還元することについての議論が出ているが、それはまさにわれわれがやっていることだ」と発言した。
この発言は物議を醸し、バイデン大統領は「こんなことを言わなければならないとは信じられないが、株主に利益を還元することと、アメリカの一般家庭のために値段を下げることは違う」とツイートした。
ちなみにエクソンモービルは、2022年12月にSEC(証券取引委員会)に提出した書類の中で、ウッズ以下、役員の報酬を上げることを明らかにしている。
「少しのインフレはビジネスにプラス」
目立った買い控えは起きなかったことから、企業にとっては値上げしやすい素地ができた。
REUTERS/Andrew Kelly
便乗値上げは、エクソンモービルやエネルギー業界に限ったことではない。食料品を含む小売、消費財、原料といった消費者の家計に大きく影響する業界において企業が2022年に発表した利益は、サプライチェーンの混乱、エネルギー価格や人件費の高騰によって増加したコスト以上のものが価格に織り込まれていたことを示している。
ニューヨークのシンクタンク、ルーズベルト・インスティテュートによると、2021年のアメリカ企業による値上げは、1955年以来最大の利幅に相当する。
また、投資家や株主に対する企業幹部の発言をまとめることで企業の社会責任を追及するプログレッシブ系のシンクタンク、グランドワーク・コラボレーティブによると、スーパー大手のクローガーの役員が「少しのインフレーションはわれわれのビジネスにとって良いこと」と発言しているほか、多くの企業のCEOや役員が、便乗値上げによる利益拡大を可能にするインフレを歓迎する趣旨の発言をしている。
コロナ禍は、物価を押し上げると同時に、多くの消費者が物価高を受け入れて消費を続けることをも証明した。
特に2020年から2021年にかけては、企業や個人に対するさまざまな形の支援やローンを受け取った一般家庭は消費を控えることなく続けたし、一時的な品不足なども起きたことから、非常事態に備えて物品を買い溜めする消費者も増えた。価格が上昇しても出費を続ける消費者動向に機を見た大企業やチェーンが値段を上げ続けた、というわけだ。
企業の強欲が生んだインフレ
アマゾン創業者のジェフ・ベゾス(左)など、世界長者番付の上位10位に名を連ねる億万長者の純資産はコロナ禍を経てむしろ大幅に増えた。
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こうしたことによって恩恵を受けたのは、投資家や株主であり、彼らに評価されることで報酬の増額に成功した経営陣である。コロナ禍に入ってから、多くのCEOや大富豪がさらに資産を増やしたことも、便乗値上げと無関係ではない。
クリントン政権で労働長官を務め、現在は公共政策を専門とするカリフォルニア大学のロバート・ライシュ教授は、ガーディアン紙への寄稿記事の中で、企業のこの姿勢が許されている背景には、買収や合併によってできた独占状態があると指摘している。
「企業は、資材や労働力などのコストの上昇を口実に、それ以上の値上げをして利益を拡大している。企業利益が半世紀以上もの間、見たことのない水準に達しているのはそのせいだ。企業が、顧客を失わずに価格を上げることができるのは、競争がほとんど存在しないからだ。
1980年代以来、アメリカの業界の3分の2で統合が進んだ。食料品価格が急上昇しているのはなぜだろう? 食肉・鶏肉の加工の85%を4社が独占しているからだ。この国の大半の種トウモロコシの価格を決めているのはたった1社だ」
大企業が便乗値上げをした事実が明らかになるにつれ、それに対する批判の声は大きくなっている。コスト高を口実にしたインフレは企業の強欲によるもの、という意の「グリードフレーション」という新概念まで登場した。
とはいえ、世論の風当たりが強くなろうと、企業が自ら利ざやを手放すことは考えにくい。CEOや役員といった企業幹部たちが財務的/法的な責任を負う相手は、企業や株主だからだ。そして、四半期ごとに利益を計算する現行の株式市場の仕組みが存在する限り、企業が利益よりも公益を優先する未来は望めないだろう。
バイデン大統領が追求したビルド・バック・ベター(より良い復興)計画が縮小され、妥協案として可決された「インフレーション軽減法案」は、エネルギー業界や製薬業界に規制を加えることで限定的なインフレ対策を導入した。だが、その大半は気候変動対策の意味合いを持つもので、直接的なインフレ対策効果は望み薄だ。
ライシュ氏は、独占禁止規制の敢行や値上げに対する増税を提唱しているが、昨年の中間選挙によって下院の過半数を共和党に取られた今、企業にこれ以上の規制を課す法案を採用することは難しいだろう。
そうこうしている間にインフレはようやく減速し始めたようだが、今度は大型リセッションがやってくると言われている。ミドルクラスへの経済的圧迫はこのまま続くのだろうか。
2020年12月に刊行した拙著『Weの市民革命』では、株主よりも公益を優先するBコープの存在や、ロングターメリズム(長期主義)を紹介したが、こうしたあり方にコミットする企業はまだまだ少ないうえに、株式市場からは嫌われる傾向にある。
消費者の家計を圧迫せずに存在する企業のあり方が評価される未来を作るための方策は、少なくとも今のところ見えない。
佐久間裕美子:1973年生まれ。文筆家。慶應義塾大学卒業、イェール大学大学院修士課程修了。1996年に渡米し、1998年よりニューヨーク在住。出版社、通信社勤務を経て2003年に独立。カルチャー、ファッションから政治、社会問題など幅広い分野で、インタビュー記事、ルポ、紀行文などを執筆。著書に『真面目にマリファナの話をしよう』『ヒップな生活革命』、翻訳書に『テロリストの息子』など。ポッドキャスト「こんにちは未来」「もしもし世界」の配信や『SakumagZine』の発行、ニュースレター「Sakumag」の発信といった活動も続けている。