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シマオ:皆さん、こんにちは!「佐藤優のお悩み哲学相談」のお時間がやってまいりました。今日も読者の方から応募フォームにお寄せいただいたお悩みについて、佐藤優さんに答えていただきます。さっそくお便りを読んでいきましょう。
こんにちは、私はもうすぐ子どもが生まれる30代前半の男です。
SESという客先常駐型のシステムエンジニアとして働いていますが、なかなか次の派遣先が見つからず、社長からは「貴方のスキルでは営業に苦労します」と言われたり、客先面談で落ちるたびに「努力が足りない」「質問がド素人過ぎて貴方はマイナス」と怒鳴られたりしており、エンジニアに向いてないのではと思い始めています。
常駐先が決まっても1人で常駐するため、周りに聞ける環境でもなく、コミュニケーションが取りづらい環境です。
職業訓練校で学び直した後にエンジニアになり、もうすぐ2年近くになりますが自信がなくなってきています。エンジニアとして働き続けたい気持ちはあり、病院の社内SEの書類選考に応募し、通ったりはしています。
ただ、子どもも生まれるため転職するべきかまだ迷っています。この先どうしたらよいかアドバイス頂けると幸いです。
(ベンゲル、30代前半、システムエンジニア、男性)
派遣会社の「良し悪し」はどこで決まる?
シマオ:ベンゲルさん、お便りありがとうございます。学び直してSEにはなったものの、今の仕事を続ける自信を失いつつあるとのことです。佐藤さん、転職すべきかどうかを含め、いかがでしょうか。
佐藤さん:大前提として、この方はプログラマーではなくSEのお仕事をされています。一般的に、SEの仕事はクライアントと打ち合わせをし、その方針に従ってシステムを設計すること。対して、プログラマーはその設計通りにプログラムを書く仕事だと言われています。
シマオ:いわゆる上流工程をSEが担当して、その後をプログラマーが担当するっていうことですよね。
佐藤さん:はい。ただ、1人で客先に常駐しているという状況から考えると、プログラマー的な仕事まで任されている可能性が高いのではないでしょうか。
シマオ:僕も少し調べてみたのですが、SES(システムエンジニアリングサービス)では下流工程の仕事を任されることが多いようですね……。ブラックな会社が多いという評判も多数見かけました。
佐藤さん:こういった派遣型の業務では、契約でどんな仕事をするのか最初にしっかりと取り決めたとしても、実際の現場では曖昧になっている場合もあります。本来は常駐先のクライアントは指示ができないはずなのに指示をしていたり、残業や休日出勤を命じたりと、厳しい環境であることは確かでしょう。
シマオ:大変なのですね……。ベンゲルさんの悩みとして、どうもSEの仕事自体に自信を失い、派遣会社の社長との関係もうまくいっていないということもあるようです。
佐藤さん:ベンゲルさんは職業訓練校に通ってSEになったとのことです。職業訓練校では3カ月から最大2年間ほど基礎教育を受けることができるとされていて、その間、条件を満たせば生活費の支援もしてもらえます。
シマオ:けっこう手厚いんですね!
佐藤さん:ベンゲルさんは受講後に就職に成功し、しかもすでに2年間、SEとしてのキャリアも積んでいる。その事実から、一定レベルはクリアしていると思います。
シマオ:たしかにそうですね。病院の社内SEの書類選考にも通っている訳ですし……。そうすると、社長の「あなたのスキルでは営業に苦労する」とか、「努力が足りない」という言葉は、理不尽な言葉にも感じられますね。
佐藤さん:そもそも派遣会社のオーナーの仕事は、自社の人材のスキルと実力に合った派遣先を見つけることです。あるいは能力が足りなければそれを補う方法をアドバイスするなど、サポートもすべきでしょう。そういうものが相談の文章からは見えて来ません。私はそれが一番の問題だと思います。
シマオ:ちょっと社長の一方的なパワハラ体質を感じますよね……。
佐藤さん:中小の派遣会社でも、もっとしっかりとした会社はあるはずです。オーナー自身がSE出身で現場をよく知っているとか、そうでなくても、適切にマネジメントしてくれるとか。
ベンゲルさんにはエンジニアの仕事を続けたいという気持ちがあるとのことですので、同業者の口コミなどを参考にして、そういうところに転職することをお勧めします。すでに行動されているように、社内SEの仕事を目指すのもいいでしょう。
シマオ:同業種で転職して初めて、前の会社の異常さが分かったというのはよく聞く話ですもんね。
SEの経験は他業種でも生きる
佐藤さん:もし人と会って話をするのが苦にならない、好きだというのであれば、将来的にキャリアアップをして、クライアントとの折衝がメインである上流工程を目指すのもいいでしょう。私は、ベンゲルさんはある程度コミュニケーション能力のある方ではないかと予想しているので、適性があるかもしれません。
シマオ:どこからそう感じられたんでしょうか?
佐藤さん:まず、問題を抱え込まずに相談してくるという行動力です。問題の投げかけも現実的でした。それから、これはあくまで余談に過ぎませんが、結婚しているということは、少なくとも価値観の違う他者と自らをすり合わせて生活しているということです。
シマオ:なるほど。この文章からそこまでプロファイリングされているとは……。
佐藤さん:それにもし仮に、エンジニアとしてやっていくのはやはり難しいと感じて、異業種の正社員に転職したとしても、例えば営業職になった場合でも、SEのスキルや経験は大いに武器になる可能性があります。
シマオ:例えば、どういったシーンが想定されるんでしょうか?
佐藤さん:あくまで一例ですが、Excelなどでマクロを組めれば、営業の数字を管理する上で役に立つでしょう。それだけでも中小企業であれば重宝される可能性がある。加えて、培われた論理的な思考力はクライアントを納得させる上で一役買うかもしれません。
シマオ:確かに! もし自信を本当に失ってしまったとしても、SEだけに囚われず、視野を広く取った方がいいってことですね。
地方への移住も考えてみる
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佐藤さん:さらに考えれば、転職で年収を上げることが難しいのであれば、思い切って住むところを変えてしまうという手もあります。
シマオ:「地方移住」ってことですか?
佐藤さん:そこまでしなくても、例えば東京に住んでいるのであれば、そこから出るだけでもずいぶんと生活費は抑えられるはずです。都内は家賃が高過ぎますから。
シマオ:例えば住居費を半分に抑えることができれば、生活に余裕ができますね!
佐藤さん:それに教育費です。地方は高校以上になると、私立よりも公立の学校がハイレベルになるケースもあります。そうすれば、教育費も抑えることができます。
シマオ:佐藤さんは埼玉県立浦和高校のご出身ですが、埼玉でもトップクラスの進学校ですもんね。
佐藤さん:私は受験時期に少し横道に逸れていましたが……。いずれにしても、東京ではなくちょっと離れた地方都市に居を構えるというのは、人生設計としてありだと思います。それに、もし都内の企業であっても、エンジニアであればリモートで働けるかもしれない。
シマオ:そうなれば、かなり東京から離れて生活費を下げられそうですね!
地方の優良企業は人材を大切にしてくれる
佐藤さん:もしくは、地方の企業に転職する方法だって考えていいと思いますよ。
シマオ:でも、地方はどうしても仕事が少ないというイメージが……。
佐藤さん:大企業に勤めたいというなら難しいかもしれません。ただ、地方の中堅都市にも優良な中小企業は存在しますし、そもそも人口流出しているので、人材不足なんです。ですからスキルがある人なら、喜んで採用してくれて、しかも大切にされる可能性が高い。
シマオ:なぜでしょうか?
佐藤さん:地方の有力企業で2代目以降の若い社長の場合、東京の有名大学の経済学部や経営学部などを卒業して、Uターンして家業を継いだ人が多いんです。地元愛が強く、地域の発展や従業員の幸せを考えながら、持続的な経営を目指すケースが多い。
シマオ:なるほど。里山資本主義とまではいかずとも、地方の企業の方が、売り上げ至上主義的な資本主義の論理に縛られていない、ということですね!
佐藤さん:各県もUターンやIターン促進に前向きに取り組んでいて、移住する場合、住居はもちろん仕事の斡旋、各種の助成金や補助制度を整えている自治体も多いんです。
東京の有楽町には「ふるさと回帰支援センター」というNPOがあるんですが、全国44都道府県がそれぞれブースを出していて、専属の相談員と個別に相談ができるようになっています。実際、新型コロナによる雇用環境の変化もあって、活況を呈しているようです。
シマオ:やっぱりリモートワークの影響は大きいんだなぁ。ちょっと僕も考えてみようかな……。
佐藤さん:将来にわたって支出を減らし、精神的にも経済的にも余裕を持ちながら仕事をする地方生活というのは意外に可能性があるんじゃないでしょうか。ベンゲルさんのようにこれから子どもが生まれるということであれば、人生設計における初期設定を思い切って変えてしまうというのも手だと思います。
シマオ:視点を広げると、実はいろんな解決方法と可能性がある訳ですね。なんだか元気が出てきました! ベンゲルさんもぜひ、視野を広げてさまざまな可能性を検討いただけたら幸いです。
「佐藤優のお悩み哲学相談」、そろそろお別れのお時間です。引き続き読者の皆さんからのお悩みを募集していますので、こちらのページからどしどしお寄せください! 私生活のお悩み、仕事のお悩み、何でも構いません。それではまた!
佐藤優:1960年東京都生まれ。作家、元外務省主任分析官。85年、同志社大学大学院神学研究科修了。外務省に入省し、在ロシア連邦日本国大使館に勤務。その後、本省国際情報局分析第一課で、主任分析官として対ロシア外交の最前線で活躍。2002年、背任と偽計業務妨害容疑で逮捕、起訴され、09年6月有罪確定。2013年6月に執行猶予期間を満了し、刑の言い渡しが効力を失った。現在は執筆や講演、寄稿などを通して積極的な言論活動を展開している。