今や2人に一人ががんになる時代。がんの治療法といえば、「外科的手術」に抗がん剤などを使う「化学療法」、そして「放射線治療」が3大療法として知られている。
実は今、放射線治療の一種である「陽子線治療」を誰もが手に取れる医療にすべく尽力している、あるベンチャー企業が注目されている。国立の研究機関である旧・放射線医学総合研究所※(放医研)発のベンチャー、ビードットメディカルだ。
※現在は量子科学技術研究開発機構として統合。
限られた医療から「誰もが手に取れる医療」に
ビードットメディカルの古川卓司代表。後ろにあるのは、同社が開発する装置の実寸大模型。
撮影:三ツ村崇志
陽子線治療は、2003年に手術が難しい頭部の腫瘍の治療法などとして国の先進医療として治療がスタート。2016年春には小児がんの治療法として保険が適用され、その後も徐々に適用疾患が拡大。
2022年春には、肝臓がんや膵臓がんの治療法としても保険適用になるなど、がんの治療法として期待されている。
ただ、陽子線治療装置は巨大なうえ数十億円と高額であることから、国内で導入されている施設の数はわずか19施設。「限られた医療」になってしまっている状況だ。
ビードットメディカルの古川卓司代表は、
「陽子線治療は、“古くて新しい治療法”なんです。いい治療法なんですが、装置が大きくて非常に高額なこともあり、広く使われていない。期待されたほどの価値を出せていない」
と現状を指摘する。
ビードットメディカルでは、そんな陽子線治療装置の大幅な小型化・コスト削減を実現。2022年には医療機器として承認申請し、厚生労働省からの認可を待っている状況だ。
2022年12月には、東京都にある江戸川病院と初号機導入に向けた基本合意書も締結。実際に導入されれば、都内で陽子線治療ができる施設が初めて誕生することになる。
放射線治療の限界を超える
画像:ビードットメディカルの資料をもとに編集部で作成
ビードットメディカルが陽子線治療の普及に力を入れるのには、ワケがある。
日本では、がんといえば外科手術で切除するものだというイメージが強く、放射線治療が選択肢として注目されにくい。しかし、欧米ではがん患者の6割近くで実施されているほど、放射線治療はメジャーな治療法だ。
放射線治療は、食道がんや肝臓がんなど、いわゆる「腫瘍」ができるようながん(固形がん)に適用される。放射線の一種である「陽子線」を使った治療も同様だ。
外科手術では身体に負担がかかったり、抗がん剤などの化学療法では副作用の懸念があったりするように、放射線治療にも当然「デメリット」が存在する。
放射線治療ではX線を用いるのが一般的だ。ただ、身体の中にあるがんにX線を照射して治療する過程で、健康な皮膚や臓器などの組織にも、少なからずダメージを与えてしまうのだ。
「例えば、体の表面から5センチ、10センチ先にある肝臓がんに放射線を当てようにも、がんそのものよりもその手前にある皮膚や、がんに達するまでの健全な肝臓の方がより大きなダメージを受けるんです」(古川代表)
放射線技師・医師らは、さまざまな方向から弱い放射線を放ち患部で重ねる(強度を高くする)ことで、周囲の健全な組織へのダメージを極力抑えながら、がんを集中的に攻撃しようと試行錯誤するわけだ。
実は、陽子線を使うことでこの難しさが劇的に改善されることが期待されている。「陽子線治療は、放射線治療をアップグレードしたようなものなんです」と、古川代表は説明する。
体内のがん組織だけを狙い撃つ
hxdbzxy/Shutterstock.com
陽子線は、X線と同じ放射線の仲間ではあるものの、その性質はまるで異なる。
というのも、X線は光と同じ「電磁波」である一方で、陽子線は水素原子の原子核そのものを加速した「粒子線」と呼ばれるタイプの放射線だからだ※。
※放射線には、高エネルギーの電磁波と加速した粒子(粒子線)の2種類がある。
身体に侵入するにつれて与えるダメージが小さくなっていくX線に対して、陽子線は、粒子が停止する「直前」に大量のエネルギーを放出する(放射線量が高くなり、周囲に与えるダメージが大きくなる)点が特徴だ。
つまり、陽子線をうまく制御してがんが存在する場所で止まるように照射すれば、
「がん以外の場所を被曝させずに、がんにのみしっかりとダメージを与えることができる。そこに従来の放射線(X線)とは歴然たる差がある」(古川代表)
という。
例えば、眼のすぐ裏にあるような手術できない脳腫瘍を放射線で治療しようとした場合には、どうしても失明のリスクが付きまとう。できるだけ眼にダメージを与えないように、放射線を精密に制御することに苦心しなければならない。
陽子線を使えば、そういったリスクを大きく減らして治療にあたることができる。
後遺症のリスクを下げることは、治療効果を最大化する上でも重要だ。
「放射線による治療は、周囲の組織にダメージが出ると分かった上で実施します。例えば70グレイ(グレイ:放射線によって与えられるエネルギーの単位)照射すれば治療できたとしても、それで深刻な障害が出るとわかっていれば弱めに照射することもあります。
ただ、陽子線で障害を抑えられるなら、確実に治療できる線量を照射することが可能になります。結果として生存率などに差が出てくるわけです」(古川代表)
陽子線のこの物理的な特性は、50年ほど前から知られていた。現在、陽子線治療が一部の疾患に対して保険適用されているのも、こういった特性が認められたからにほかならない。古川代表が「陽子線治療は古い治療法」と話すのはそのためだ。
ただ、こういった大きなメリットがある一方で、陽子線治療は保険適用が始まってからの20年間でたった19施設にしか拡大しなかった。その原因は、「価格が高く、装置もでかい」(古川代表)という点に集約される。
大きさ3分の1。価格は半分。全ての人に受ける権利を
従来の装置とビードットメディカルが開発する装置のサイズ比。比べてみるとその違いは一目瞭然だ。
画像:ビードットメディカル
陽子線治療では、「サイクロトロン」などの巨大な「加速器」で加速させた水素の原子核(陽子)を陽子線治療装置に送り、患者に照射する。
加速器自体が大きいことはもちろんだが、陽子線を照射する装置そのものもビル3階分に相当する高さ12メートル、重さ200トンとかなり巨大だ。
装置が巨大になればなるほど、設置できる病院も限られる。
結果的に、郊外にある大病院などでしか陽子線治療は選択肢になり得なかった。最も人口が多い東京に陽子線治療を実施できる施設が現時点で1カ所も存在しないのも、その巨大さ故だといえる(2023年1月段階)。
「20年間で19施設にしか広がらなかったことが物語っているんです。(例えば)どんながんでも治せるけど、1億円かかってしまう薬はお金持ちの手にしか届きません。それと同じで、今の陽子線治療は庶民からすると存在しないのと一緒になってしまっている」(古川代表)
古川代表は、もともと放医研で重粒子線(粒子線の一種。水素よりも重たい原子を加速したもの)治療装置の小型化や、高精度の照射技術の開発などに取り組んできた研究者だ。
ただ、研究を続けていく中で、大きなコストをかけて研究する一方で、なかなか患者に還元できないあり方に「違和感」のようなものを感じていったことから、ビードットメディカルを創業したという。
陽子線照射装置。
画像:ビードットメディカル
ビードットメディカルでは、従来の陽子線治療装置では陽子線をあらゆる方向から照射するために必要だと考えられていた「回転する機構」を撤廃。これにより、高さ4メートル、重さ20トンという劇的に小型化した陽子線治療装置の開発に成功。コストも、既存製品の約50億円から半分の25億円ほどにまで削減できる。
「保険適用されている以上、基本的には全ての国民が等しく受ける権利があります。でも、今は四国にも沖縄にもない。地域の中核病院に必ず陽子線治療装置があれば、『午前中だけ半休を取って治療する』というように、働きながら治療をすることもできるはずです」
陽子線治療装置を日本の産業にする
国の研究所で研究していた研究者として、「日本に産業を作りたい」と古川代表は話す。
撮影:三ツ村崇志
実は、古川代表がビードットメディカルを創業した背景は、もう一つある。
「陽子線治療装置の開発が日本の新しい産業の芽になるのではないか、と国の研究機関にいた立場としてそこに貢献したいという気持ちもありました」
古川代表によると、陽子線治療に関する技術は世界的に見ても日本に優位性がある分野だという。
「日本では医療機器が『輸入超過』になっています。内視鏡こそ日本のメーカーが世界シェアを取っていますが、そこが例外なんです。レントゲンやMRI、CTなどはほぼ海外製です。そういう中で、日本発の技術で輸出産業を作りたいという気持ちもありました」(古川代表)
ビードットメディカルによると、世界で稼働しているX線治療装置は約1万4000台。毎年その10%ほどに買い替え需要が生じるという。
「X線治療装置は10億円程度です。少し手を伸ばせば陽子線治療装置が手に入る状態にできれば、例えば病院に2台あるX線治療装置のうちの1台を陽子線治療装置に切り替えて運用するようなところも出てくるはずです」(古川代表)
ビードットメディカルでは現在、国内外含めて今後10年で700施設程度(国内で100施設)の陽子線治療装置の販売を目指し活動を進めている。これも「無理な数字ではないと思っている」と古川代表は意気込む。
「医療機器の世界では大企業が強いイメージがあると思うんですが、彼らが強いのは診断機器のようなマスプロダクトです。歴史的に見ても、陽子線治療装置のような医療機器の開発は、大企業が挑戦しては失敗している領域です。
一度立ち位置を確保してしまえば、ビジネスとして手堅い。技術に特化したベンチャーだからこそ、こういったプロダクトを生み出せるのではないかと思っています」(古川代表)