2022 年スロバキアの ヴラーヴル・ヴェルケ・レヘンビー遺跡で頭部のない骸骨が発見された。
Dr. Till Kühl, Institute for Pre- and Protohistoric Archaeology/Kiel University
- スロバキアで、頭部のない骸骨で埋め尽くされた7000年前の墓が発見された。
- 発掘されたのは38人の遺骨で、1人の子どもを除いてすべて首がなかったという。
- 戦いによる残虐な行為、あるいは死者を祀るために司祭が頭を切り落とした可能性があるという。
スロバキアで7000年前の集団墓地と38体の骸骨が発見されたが、考古学者によると、一体を除いてすべて頭部が切り取られていたという。
これらの骨はヨーロッパ新石器時代の最大級の集落であるスロバキアの ヴラーヴル・ヴェルケ・レヘンビー(Vráble-Vèlke Lehemby)の遺跡で発見された。
研究者の一人がInsiderに語ったところによると、現段階では、頭部は死後に意図的に取り除かれたと考えらている。6 歳未満の子どもと思われる1体の骸骨だけ、頭蓋骨がそのまま残っていたという。
考古学者は今、これほどまでに整然と頭部が取り除かれた理由を解明しようとしている。警告なのか、葬儀の儀式なのか、死者を祀るためなのか。
きれいな切り口
スロバキアのヴラーヴル・ヴェルケ・レヘンビーの位置を示す地図。
Google Maps
発掘に携わったドイツ・キール大学(Kiel University)の人類学者カタリーナ・フックス(Katharina Fuchs)は、「これらの首のない遺体は、同じ地域の伝統的な埋葬とは一線を画している」と話している。
フックスは遺体の初期の観察から、首を切り取ったのは意図的なものであった可能性が高いとInsiderに話している。首の骨が観察できるほど保存状態の良い遺体には、頭蓋骨の真下にある第一椎骨がそのまま残っていたという。
このことから、頭部は戦いのために切り落とされたのではなく、非常に鋭い道具を使って首が切断されたことが示唆されている。
「中世のように剣や斧で激しく首を切った場合は、首の部分に切り傷や砕かれた椎骨の跡が見られる」と彼女は言う。
この地域の人々は、割ると鋭くナイフのようになる黒曜石という石を手に入れることができたため、これは可能なことだった。
頭部が生前に切り落とされたのか、または死後に切り落とされたのかは分からないとプロジェクトリーダーでキール大学の先史学・社会考古学教授であるマーティン・フルホルト(Martin Furholt)はInsiderにメールで語っている。
新石器時代の人々が、死後に遺体の頭を切り取って持ち去ったという話はいくつか報告されている。
「人々はそれらの頭を家や別の場所に保管したりしていたようだ」とフルホルトは話している。
戦いだったのか、生け贄だったのか?
スロバキアのヴラーヴル・ヴェルケ・レヘンビーで発見された墓地の空中写真。
Dr. Till Kühl, Institute for Pre- and Protohistoric Archaeology/Kiel University
「戦いや抑止のための暴力行為として、頭部が取り去られた可能性は十分にある」とフックスは話す。
「たとえば、頭をトロフィーとして取り、柵に置くというイベントのシナリオだったかもしれない。その可能性を排除することはできない」
このことから、この場所は洗練された農耕社会でありながら残忍な行為も行われていたことがうかがわれる。
他にもヨーロッパにはタールハイム(Talheim)とハークスハイム(Herxheim)という2つの有名な集団墓地がある。
ドイツのタールハイム遺跡では、34人の男女や子どもの遺骨が残酷な争いがあったことを物語っている。犠牲者たちは近隣の村の人々によって虐殺され、そのまま放置されたと考えられている。
同様にドイツのハークスハイム遺跡では、溝の中から、完全にバラバラに切断された骨と頭蓋骨が少なくとも450体発見された。これは遺体を穴に入れる前に、骨から肉を切り取られたことを示唆している。2009年の調査では、これは儀式的な食人の風習の証拠の可能性が示唆されたが、この仮説は同遺跡を大きな共同墓地と見る他の研究者によって否定されている。
新石器時代の人々は、遺体には魔力があると考え、彼らの遺体は柵の強度を補強するのに役立つと考えていた可能性があるとフルホルトは述べている。
「実際、ヨーロッパ各地の集落を囲む新石器時代の囲い溝の多くには、人間の体や身体の一部の堆積物が見られる」と、ハークスハイム遺跡の堆積物を例に挙げてフルホルトは説明している。
ヴラーヴル・ヴェルケ・レヘンビーの遺跡周辺の要塞。
Karin Winter, Institute for Pre- and Protohistoric Archaeology/Kiel University
ヴラーヴル・ヴェルケ・レヘンビーは紀元前5250年から同4950年の間、三つの集落で構成されていた。
集落のうち、上図の左にある大きな集落は厳重に要塞化されていた。
この図から柵がその集落を取り囲んでいるのが分かる。集団墓地が発見された溝は、村の周囲を1キロにわたって1周している。
予想外の発見
スロバキアのヴラーヴル・ヴェルケ・レヘンビーで発見された集団墓地。
Prof. Dr. Martin Furholt, Institute for Pre- and Protohistoric Archaeology/Kiel University
墓の中にはさらに多くの遺体があるかもしれない。フックスによると、発掘は約5週間に制限されていたため、中止せざるを得なかったという。だが、墓地の端で見つかった骨は彼らが発見したものがさらに続いていることを示唆している。
「だから、これほど大規模な首のない遺体の発見は驚きだった」とフックスは言う。
「多くの可能性があり、新しい洞察やアイデアに対してオープンであることが重要だ。しかし、この発見がこれまでのヨーロッパの新石器時代の中で絶対的にユニークであることは間違いない」と、発掘に携わったキール大学の考古学者マリア・ヴンダーリッヒ(Maria Wunderlich)は語っている。