「物言う株主」エリオット・マネジメント(Elliott Management)のマネージングパートナー、ジェシー・コーン。
Elliott Management
ジェシー・コーンの動きがまた慌ただしくなってきた。
米ヘッジファンドのエリオット・マネジメント(Elliott Management)が米顧客関係管理(CRM)ソフトウェア大手セールスフォース(Salesforce)の株式を大量取得したことが判明した。各社の報道によれば、出資額は数十億ドル規模とみられる。
同社は目下、大規模な人員整理による混乱と経営幹部の流出に苦しんでいる。
アクティビスト投資家、いわゆる「物言う株主」として知られるエリオットの陣頭指揮を取る同社マネージングパートナーのコーンは報道機関を通じて声明を発表。
セールスフォースのマーク・ベニオフ共同最高責任者(Co-CEO)に対する深い敬意を示した上で、「会社の名声にふさわしい価値を実現するために建設的に協力することを楽しみにしている」(ブルームバーグ、1月23日付)としたが、具体的にどんな変革を求めていくのかは明らかにしていない。
いま確実に分かっているのは、 コーンがアクティビズムを主戦場とする百戦錬磨の手練ということだ。
現在42歳のコーンは過去にInsiderの取材に応じた際、メディア王(ルパート・マードックがモデルとされる)の後継者争いを描いた人気ドラマ『メディア王〜華麗なる一族〜 』にハマったと語った。
しかし、ポールシンガー率いるエリオット・マネジメントに在籍18年、アクティビズム部門の中心人物としてコーンが闘い抜いてきた委任状争奪戦や取締役会との論戦のいくつかは、演出に満ちたドラマを超えて史上最も醜い争いだったと言っていいかもしれない。
株式の大量保有を通じて企業に社内改革を迫る彼の戦略は、これまで数々の経営者を苦しめてきた。
デトロイトの著名実業家でソフトウェア会社コンピュウェア(Compuware)共同創業者のピーター・カルマノスは、突然の敵対的TOB(株式公開買い付け)に翻弄された末、身売りを強いられた。
すでに引退を決断し、幸福な老後生活が待つばかりだったカルマノスは、実業家人生の最終盤に公の場でヘッジファンドを口汚く罵(ののし)る日が来るとは思ってもいなかっただろう(詳しくは後述)。
ジョージ・W・ブッシュ元大統領のいとこでヘルスケア関連ソフトウェア会社アテナヘルス(Athenahealth)を創業したジョナサン・ブッシュは、10年かけて上場まで導いた同社を追い出された。
米ニューヨーカー(New Yorker)の報道によれば、コーンはアテナヘルスの取締役会にブッシュの経営トップとしての不適切性を指摘する調査資料を提供。同社の業績推移とブッシュのインスタグラム投稿を並べて示したり、社内イベントでの飲酒時の悪態など第三者には知り得ないような事実を暴き立てたりした。
ブッシュはコーンが自分を尾行・盗撮させているのではないかと疑心暗鬼の日々を過ごす羽目になった(こちらも後述)。
そうした過去を知ってか知らずか、通信大手AT&Tは2019年9月、エリオットが株式大量取得と同時に取締役会に対して経営改革を通じた企業価値の向上を求めると、わずか1カ月余りでその提案を受け入れることを決めた。
結果として、AT&Tの株価は直後に52週高値(当時)の水準まで一気に上昇している。
「神童」の成長の軌跡
自分が何をしたいのか掴(つか)めていなかった20代前半で金融業界に飛び込み、ポール・シンガー率いるエリオット・マネジメントでいくつかの再重要案件の切り込み隊長を務めてきたコーンは、いまやアメリカの優良企業に改革を断行させるだけの実力を持つアクティビスト投資家としてその名を広く知られる存在だ。
ただ、AT&Tに対するキャンペーンを張っていた2019年、Insiderがコーンの同僚や競争相手、敵対する人物や友人ら20人以上に話を聞くと、彼は幾多の経験を積み重ねるうちに進化を遂げてきたことが分かった。
キャンペーンを張るターゲット企業の規模が大きくなるにつれ、経営改善を迫るにしても、長期投資目的で株式を保有し議案の成否を握るブラックロックやステート・ストリート、ヴァンガードといった米ウォール街の大手金融機関を納得させる必要が出てきたため、コーンは外交術を駆使するようになっていく。
ここでコーンの半生を振り返っておこう。彼は紙一重の差でエリオットに巡り合わなかったかもしれない。
米金融大手モルガン・スタンレー(Morgan Stanley)の合併・買収(M&A)担当チームで2年働いた後、コーンはヘッジファンドへの転職活動を開始し、ディストレス(財務危機で割安な企業に投資、経営再建や債務整理などを通じて価値を向上させてから売却して利益を得る)投資専門でやっていた時代のエリオット・マネジメントからオファー(内定)を受けた。
モルガン時代の上司で、のちに米銀大手シティグループ(Citigroup)の副会長に就くレイ・マグワイアによれば、コーンはより「定評のある」別のヘッジファンドからもオファーを受けていたようだ。
いずれにしても、コーンにそうした選択肢があったことは特段驚くに値しない。
米ニューヨーク州ロングアイランド生まれの彼の幼少時代は、いわゆる「神童」だった。中高生向けの夏季プログラミングキャンプに参加し、車の運転ができるようになる前(アメリカでは州によって異なるものの、15歳前後から)にはソフトウェア開発会社ノベル(Novell)からコーディング能力の資格認定を得た。
なお、コーンは後年、このノベルを競合するアタッチメント(Attachmate)への身売りに追い込み、自ら取締役に就任して経営改革にあたっている。
幼少時代に話を戻すと、コーンはその後、名門ビジネススクールとして知られる米ペンシルベニア大学ウォートン校に進学。学生時代は文学研究会(!)に所属し、2002年には最優等(summa cum laude)の成績で卒業した。
新卒時はモルガン・スタンレーに就職し、直属の上司は先述のマグワイアと、のちにモルガンの法人・機関投資家業務向け証券部門の共同統括責任者を務めるM&A業界の凄腕ディールメーカー、ポール・タウブマンの2人だった。
Insideの取材に応じた複数の人物によれば、このモルガン時代に築いたソフトウェアひいてはハイテク分野での人脈が、のちにエリオットでの獅子奮迅の活躍の土台となる。
マグワイアの証言によれば、コーンとその同僚でフェローアナリストのアルタ・タバエ(現在はクリアレイク・キャピタル・グループのマネージングディレクターとして活躍中)は当時たいていマグアイアの見えるところにいて、新たなアイデアをひらめいてはしょっちゅう彼のオフィス(執務室)をノックしたという。
コーンの印象は「大胆不敵」で「最高にスマートな頭脳の持ち主」だったとマグワイアは語る。
そうして、エリオット移籍を会社に伝える日がやって来た。直属の上司であるマグワイアとは話し合ったものの、コーンは自らの直感を信じることに決めた。
「ジェシーにとって、あれはその後の人生を変える決定的瞬間だったと思います。彼は自分の人生に自分で責任を取る決断をしたのです」
その後、コーンはエリオットでアクティビズム部門をゼロから立ち上げた。トライアスロンをこよなく愛する彼の集中力とエネルギーは、敵対する経営者たちを震え上がらせ、一方で同僚たちからは深い愛情と尊敬を集めている。
「会社を良くしたい」純粋な熱意から始まった
コーンがアクティビズム部門を立ち上げたのは2005年のこと。
最初の標的はシスコシステムズ(Cisco Systems)の競合でネットワークスイッチ製造を手がけるエンタシス・ネットワークス(Enterasys Networks)だった。少額の株式取得から始め、身売りを求めるプロセスで(圧力を賭けるため)投資額を倍に増やした。
投資額はたったの1500万ドルと現在の規模感と比べるべくもないが、それでもコーンにとっては大きな第一歩だったようだ。
一つの企業の内情を徹底的に調べ上げ、その顧客や従業員、エンジニアらに前触れもなく電話をかけてはスイッチ製造業界をより深く理解する生の情報を得ていく、そんな仕事はコーンの性に合っていた。
エンタシスの場合、ロイヤルカスタマー(ブランドに高い忠誠心を持つ顧客)がすでに付いているものの、製品の潜在顧客へのリーチが十分でない、というのがコーンの出した結論だった。
いずれにしても、コーンの目指すキャリアはこの最初の経験を通じて、おぼろげながら形を取り始めた。要するに、彼は会社を良くするのが好きなのだ。
間もなく、小規模なハイテク企業がいくつもコーンの視界に飛び込んできた。どれもこれも魅力的な製品を抱えているのに、株価は低迷を続けていた。彼はそれらの株式を大量に取得して経営陣に近づき、やり方が間違っていると説いて回った。
しかし、話がこじれることもしばしばだった。
2006年、ハリー・ノウルズ率いるバーコードシステム製造会社メトロロジック(Metrologic Instruments)との一件はその典型的な例だ。
ノウルズの回顧によれば、コーンと初めて顔を合わせたのは、業績不振に終わったその年の年次株主総会の席だった。彼はノウルズのそばにやって来て、CEOを辞任して会社を売り渡したほうがいいと語ったという。
「彼は『どうも、ちょっと話していいですか?』と話しかけてきました。そしてこう言ったのです。『あなたに選択肢はありませんよ』と」
当時70代だったノウルズは、寄る年波を前に経営トップを続けていくのは難しいと以前から考えていた。
そこで彼はコーンの提案に同意し、メトロロジックをエリオットおよびプライベートエクイティ(PE)のフランシスコ・パートナーズ(Francisco Partners)に4億4000万ドルで売却することを決断した。
ただ、エリオットらは即座にノウルズから別のCEOにバトンタッチさせ、ノウルズの親しい友人たちを解雇するとともに、ノウルズの個人的つながりで続けていた事業を全て廃止した。
ノウルズは当時の一連の出来事を「苦痛しかなかった」と振り返る。
「くたばりやがれ」
コーンがターゲット企業に圧力をかけた結果、経営陣との軋轢(あつれき)が生じたのは、このメトロロジックの案件が最後ではもちろんない。
2012年まで調査を重ね、コーンは冒頭で紹介したデトロイトのソフトウェア会社コンピュウェアに狙いを定めた。創業者のカルマノスは当時すでにCEOの座を後進に委ね、悠々自適の引退生活が始まるまさにその時だった。
エリオットが同社の株式を取得し、レイオフ(一時解雇)とコスト削減を迫ると、カルマノスと彼が選んだ後継CEO、ボブ・ポールの関係に亀裂が入り始めた。
エリオットが株式を買い増すにつれ、両者はコスト削減策の是非をめぐって口汚い罵り合いを繰り広げるようになっていく。
カルマノスが取締役会のメンバーを相手取って起こした裁判の資料によれば、コスト削減策の中には、150万ドルの予算をかけてデトロイト空港を貸し切りにして開催する予定だったカルマノスの引退記念パーティーまで含まれていたようだ。
カルマノスの怒りがピークに達したのは2012年末。コンピュウェア株を買い増してきたコーンはついに敵対的TOB(株式公開買い付け)に乗り出したが、その事実を後継CEOのポールに電話口で告げたのは、マスコミ報道が出るわずか30秒前のことだった。
結局、コンピュウェアはエリオットの総額23億ドルに及ぶTOBを拒否した上で、PEのトーマ・ブラボー(Thoma Bravo)に24億ドルでの身売りを決めた。引き続き筆頭株主だったエリオットはもちろん(大きく膨らんだ売却益を手にできるため)その決定を承認している。
地元メディアのデトロイト・フリー・プレス(Detroit Free Press、2015年7月25日付)によれば、カルマノスは数百人が参加するイベントの場でこう語ったという。
「自分がまだ経営トップだったら、あのヘッジファンドに言ってやったでしょう。『くたばりやがれ(go f--- themselves)』ってね」
前出の裁判資料では、コンピュウェアの複数の取締役会メンバーが、コーンの強引なやり方について詳細に証言している。
それによれば、コーンは取締役それぞれの配偶者の仕事や子弟の通う学校などプライベートな情報をいくつもの分厚いファイルにまとめ、取締役会が揃ってエリオットのニューヨークオフィスに面会に訪れた際、会議室のテーブルにそれらをずらりと並べて置いたそうだ。
その時の衝撃は、取締役会が最終的に(トーマ・ブラボーへの)身売りを決めた要因の一つではなかったかと、後日カルマノスは語っている。
尾行と盗撮を疑われるも……
エリオットの突撃隊長としてのコーンの名声を否応なしに高めたのは、ブッシュ元大統領のいとこが創業したアテナヘルスに対するキャンペーンだった。
冒頭でも紹介した米ニューヨーカーの報道によれば、コーンがアテナヘルスの取締役会に提出した調査資料に登場するインスタグラムの画像について、ブッシュは、匿名のユーザーが彼と女友だちといるところを盗撮し、彼の妻にまでその画像を送り付けたと主張し、その一連の動きの背後でエリオットが糸を引いていたとの持論を展開した。
この主張に限らず、他にもブッシュが最終的にアテナヘルスを去る直接の原因になった過去の家庭内暴力などに関する報道(ブルームバーグ、2018年6月4日)の背後にエリオットがいるといった見方も含めて、エリオットは繰り返し関与を否定している。
いずれにしても、こうしたエピソードが広がることで、コーンの名声に傷がつくことはない。むしろエリオットにとってはプラスだ。
エリオットのように高い評価を受けるアクティビスト投資家との決闘を望む取締役会や顧問弁護士はそもそも多くないし、エリオットが経営改革キャンペーンのターゲットに定め、株式の大量取得を公表した企業は、しばしば株価が急上昇するからなおさらだ。
エリオットの創業者ポール・シンガーも、組織内部に変化を生み出すコーンの手腕を高く評価する。
なお、セールスフォースに先立つ直近の大型事例の筆頭に挙げられるのは、あのツイッター(Twitter)だ。
エリオットは2020年3月、共同創業者兼CEO(当時)のジャック・ドーシーを追放すべく、同社の株式を大量取得。取締役ポストを獲得して、成長、イノベーション、売上高目標の達成を一貫して要求した。ドーシーを経営トップから引きずり下ろすことにも成功した。
ただ、米電気自動車大手テスラ(Tesla)を率いるイーロン・マスクがツイッター買収に乗り出す展開はさすがに想定していなかったと思われ、買収計画が明るみに出た直後の2022年第2四半期中には、保有する全ての株式を売却している(ロイター、2022年8月16日付)。