大企業が相次いで賃上げを進めている。
撮影:小林優多郎、REUTERS/Toru Hanai、REUTERS/Hideyuki Sano
春闘がスタートしたが、労使交渉前にすでに賃上げを表明する企業が登場するなど、賃上げムードが盛り上がっている。
とくにユニクロを運営するファーストリテイリングの国内従業員の年収の最大約40%の引上げが注目を集めている。
しかも新入社員の初任給も25万5000円から30万円、入社1~2年目で就任する店長も29万円から39万円に引き上げる。
初任給は年収で約18%アップ、店長は約36%のアップとなる。今春闘で労働組合の中央組織である連合が掲げる5%賃金アップをはるかに上回る。
大手が続々。春闘にも好影響
日本生命では2023年度から平均7パーセントの賃上げを引き上げる。
REUTERS/Hideyuki Sano
ファーストリテイリング以外にも、ロート製薬が昨年10月に年収を平均7%引き上げることを表明。
日本生命も2023年度から7%の賃上げ。サントリーホールディングスもベアを含めて月収ベースで6%の賃上げを検討、日揮ホールディングスもベアを含む月額10%の賃上げを表明している。
いずれも物価上昇率を上回る賃上げであり、これから本格化する春闘の企業労使の賃上げ交渉に好影響を与えるのは間違いないだろう。
とくに物価上昇分に見合う賃上げができなければ社員の可処分所得が減少し、離職の引き金になる可能性もあるだけに、賃上げせざるを得ない。
加えてもう1つの賃上げのプラス要因としては、日本企業の経営者は業界横並び意識が強く、とくにライバル他社の賃上げには敏感だ。
競合他社が賃上げすれば、無理をしてでも他社に負けない賃上げに踏み切る企業も出てくるだろう。
人材獲得への危機感
ユニクロを運営するファーストリテイリングの柳井・会長兼社長。2017年撮影。
REUTERS/Issei Kato
相次ぐ大手企業の賃上げの背景には、人材獲得競争の敗退がある。
歴史を振り返ると、日本の賃金が上がらない理由は、バブル崩壊以降に物やサービスの付加価値創造よりもコスト削減、つまり賃金を抑制する事業戦略を優先してきたことにある。
その結果、賃金抑制の歪みで企業の人材獲得競争力は失われている。
デジタル化など、イノベーションによる付加価値創造には優秀人材の獲得が不可欠だが、今では新卒を含めて外資系企業に奪われているのが実態だ。
少子高齢化による労働人口の減少で人手不足が深刻化することは明らかであり、近年、大企業を中心に新卒初任給を25~30万円に引き上げる動きがあるが、まさに人材獲得や流出への危機感の表れだろう。
例えばファーストリテイリングの給与水準は国内企業では高いが、それでも海外大手に比べると見劣りする。
同社のニュースリリースでも「今回は特に、海外に比べて報酬水準が低位に留まっている日本において、報酬テーブルを大幅にアップするとともに、これまで以上に成長意欲と事業への貢献能力に基づいて個々の人材に報いることができるよう、人事制度を見直すことにしました」と述べている(2023年1月11日発表)。
また柳井正会長兼社長は「デジタル人材の確保が重要となっている。アマゾン・ドット・コムやアルファベットなどGAFAと呼ばれる米テック企業などから『優秀な人材を獲得したい』と語った」と報じられている(日本経済新聞電子版1月20日)。
折しもアマゾンやグーグルは大規模リストラの真っ最中であり、人材獲得のチャンスでもある。グローバル規模での優秀人材を獲得したいというのが同社の狙いであることは間違いない。
ロート製薬、年収「平均7%」引き上げ
ロート製薬は2022年10月、人事・報酬体系の見直しを発表した。
提供:ロート製薬
ただし、今回の賃上げは社員に平等に配分されるわけではない。
例えばロート製薬は「年収を平均7%程度」引き上げるとしているが、あくまで平均であって全員が上がるわけではない。つまり大幅に上がる社員もいれば、わずかしか上がらない社員もいるということだ。
ロート製薬を含め、年功型賃金から実力主義賃金へシフトする動きが相次いでいる。
年功型賃金の場合は勤務年数別に基本給額を記した「賃金表」があり、仮に3%のベースアップがあれば、3%分を上乗せした賃金表に書き換えられ、全員がその恩恵を受ける。
しかし、実力主義賃金はそうではない。
ベースアップ、引き上げ配分は企業次第
ベースアップと言っても、賃上げに傾斜がつく場合もある。
撮影:今村拓馬
実力主義賃金の代表格は今流行のジョブ型賃金(職務給)や役割給と言われるものだが、基本的にはジョブや役割が変わらなければ給与が上がらない仕組みだ。
職務給は職務の内容を定めたジョブディスクリプション(職務記述書)をベースに、責任や仕事の範囲などの職責の格付けを行い、職務等級(例えばジョブグレード1~10)と報酬を紐付ける。
また従来の定期昇給にあたる年齢給や諸手当も廃止され、職務給1本に統一される。
導入にあたり、社員の現在の職務を分析し、新たな職務等級に当てはめていくことになるが、その結果、給与が上がる社員もいる反面、下がる社員も発生する。
いきなり給与を下げると社員の不満も出る。そのため下がる分を2年ほど調整給として支給し、その後、本来の給与に戻すのが一般的だ。
年収で平均7%引き上げたロート製薬も年齢給を廃止し、職務給を導入した。
同社の杉本雅史社長も「年齢給がなくなることで、一部の社員には給与水準が下がるケースが生じる。そこで移行期における減少分は補填する形にして、不利益変更にならないように意識した。ただ2年間の時限措置とし、本人に一つ上の職務レベルで仕事を担う覚悟を持って昇格に挑戦してもらうことを期待している」と述べている(『日本経済新聞』12月19日付朝刊)。
つまり、下がる社員がいなくて上がる社員がいれば全体の平均賃金は上がる。ロート製薬は、年収ではなく月給ベースで見たときには平均4%引き上げたと言っているが、あくまで平均であって全員が4%上がったわけではないのだ。
ベースアップをするとしても、年功型であれ、ジョブ型であれ、どの賃金等級に配分を厚くするかは会社の自由だ。
ベア分を上位の等級の社員に配分し、低い等級の社員はわずかしか昇給させない可能性もある。
あるいは平均5%アップ分の人件費を初任給など若手社員の賃金アップに充当し、中高年の社員の給与はそのまま据え置くという可能性もある。
実力に対しての「フェア」
ベースアップといっても、一律に配分しない企業も少なくない。
出典:経団連『2021年人事・労務に関するトップ・マネジメント調査結果』
経団連の「2021年人事・労務に関するトップ・マネジメント調査結果」(2022年1月18日発表)では、ベースアップ実施企業に具体的な配分方法について聞いている。
それによると「一律定額配分」の企業は35.1%、「一律定率配分」は10.4%である。こうした企業であれば等しく恩恵を受けることになる。
一方、「業績・成果等に応じた査定配分」の企業が26.1%も存在する。
また、「若年層(30歳程度まで)へ重点配分」と答えた企業は18.7%もあるが、「ベテラン層(45歳程度以上)へ重点配分」する企業はわずか2.2%にすぎない。
ファーストリテイリングの場合も年収の引上げは「数%から最大40%」という幅を設けている。しかも前述したように若年層の年収を大幅に引き上げている。
これにより国内の人件費が平均で約15%増える見込みとされているものの、何度も指摘しているようにこれはあくまで平均であって、全員の賃金が等しく上がるわけではない。
前出のリリースでも「成長意欲と能力ある従業員一人ひとりにフェアに報い」と述べているように、平等ではなく、実力に応じてフェア(公正)に報いるという意味だ。
ファストリは「ジョブ型」推し進めた
またファーストリテイリングは年収引き上げと同時に賃金制度改革も実施している。
「従業員一人ひとりの新たな報酬を決めるにあたっては、グローバル共通のグレードの基準を、仕事の実績・成果、成果を出し組織に貢献する能力、成長意欲・成長性などの視点から改めて明確に」(リリース)
とあるように、グローバル共通と言えば、当然ジョブ型賃金を標榜しているということだ。
同社はもともと世界共通の人事制度があった。日本では役職や勤務地に応じた手当があったが、今回廃止し、基本給1本に統一することにしている。
つまり、ジョブ型賃金の精度を高めることになる。
「来年もベースアップ」とはならない理由
撮影:今村拓馬
ところで日本企業のジョブ型賃金は、年功型の特色である定期昇給は存在しない。
人事評価によって成果が高い人は賞与に反映されるか、あるいは本人のジョブグレードのレンジ(賃金の幅)内の賃金を上げる方法を取る。
逆に成果が低い人は賃金を下げる、あるいはグレードダウン(降格)を行うことが多い。つまりグレードのアップダウンや給与の増減によって、人件費全体を一定に保つ仕組みといえる。
したがって本来はベースアップという概念はない。
例えばジョブ型賃金に近いキヤノンは2005年に制度を導入して以来、今回、初めてベアを実施している。ファーストリテイリングも約20年前に現行の制度を導入して以降の全面的な賃上げだ。
こうした異例の措置の背景には前述したように人材獲得などの人事戦略がある。
そう考えると、今年全体的な賃上げを実施していたとしても、年功型賃金からジョブ型賃金へ移行している企業であれば来年も賃上げが発生する可能性は低いといえる。
賃金を上げるには成果を出すか、今よりも職務価値の高いグレードに昇格するか、個人の努力次第ということになるのだ。