教師だったジャック・マーは、かつての教え子、ジャーナリスト、新卒のITエンジニアら18人の創業メンバーとアパートの一室でアリババを創業した。
Future Publishing/Getty Images
ブライアン・A・ウォンはアリババグループ(Alibaba Group)の古参経営幹部で、同社を創業したジャック・マーの特別補佐を務めた人物だ。
そのウォンが2022年11月、アリババの企業文化を描いた新著『アリババのタオ(道)〜世界を変える巨大デジタル企業の内幕』を上梓した。
以下では、同社が躍進の第一歩を踏み出す瞬間を描いた印象的な記述部分を抜粋して紹介する。
ジャック・マーは部屋の前に立ち、手を叩いた。「よし、みんな。夜の会議の時間だ」。
2000年1月、米カリフォルニア州育ちの私が、中国・杭州市に赴任して間もない頃のことだ。
アリババグループ創業の地、杭州西湖のほとりの住宅街にあるアパート。2部屋のうち一方をジャックとルーシー・ペンら数人のリーダー、エンジニアたちが使い、もう一方は製品担当、デザイナー、カスタマーサービスのスタッフが働く部屋、つまり私の仕事場だった。
ジャックの呼びかけで、かつてリビングルームだった場所にスタッフが集まり、ソファーや不揃いの椅子で円陣を組んだ。総勢30人ほどのスタッフのほとんどが、膝の上にメモ帳を置き、ジャックの話を待った。
彼はこう切り出した。
「今日は素晴らしいニュースがあるんだ。ついに国際的な投資家から資金を調達できた。我々がグローバル企業を目指す時が来たんだ!」
部屋のあちこちで歓声が上がった。
「ゴールドマン・サックスからの500万ドルの資金調達が正式に完了した。これから杭州で新しいスタッフを採用し、香港にも新たにオフィスを設立して、ヤフーやイーベイに負けない会社をつくる。
今こそ、中国企業の存在を世界に知らしめる時だ。我々の使命は、世界が中国と貿易できるようにすること。それをインターネットを使って実現することだ」
小さな会社なのに、ずいぶん大きなことを言うものだ。期待しすぎてはいけない——。私はそう思った。なにしろ、シリコンバレーの巨人たちに対抗するために必要な、世界レベルの教育や経験を彼ら彼女らが持っているとはとても思えなかったからだ。
ジャックの教え子、英語教師、商社マン、ジャーナリスト、新卒のITエンジニア……シリコンバレーの巨人たちから見れば、有象無象(うぞうむぞう)の寄せ集めとも言うべき顔ぶれ。
インターネットビジネスの経験者はほとんどおらず、中国国外への渡航経験者もほんの一握り。どうやって、世界的なハイテク企業に勝とうというのだろう。オフィスに椅子を並べるスペースすら足りないのに。
ジャックは発言の最後を、当面の目標で締めくくった。
「現在の会員数は3万人だが、来年は100万人を目指す。我々ならできる」
何の見込みもない壮大すぎる目標だと私には思えた。しかし、会社のミッションやジャックのビジョンに共感する他のスタッフたちには、熱意がみなぎっていた。それがミッションの一部であるならば、目標は必ず実現できる。全員がそう信じていた。
そして、彼らのその信念は、その後数カ月かけて私の心に染み渡っていった。その信念は、私の懐疑的な気持ちを和らげた。
やがて私は、アリババのミッション、ビジョン、バリュー、そしてそれらが従業員に与えるモチベーションについて、より深く理解し、受け入れるようになったのである。
ジャックの話が終わると、皆は自分のデスクに戻り、私はホテルから引っ越したばかりの社宅に向かった。
オフィスに近いアパートの1階(オフィス自体もアパートではあるが)で、交通量の多い道路に面していた。壁紙の一部は剥がれて垂れ下がっていて、基本的な設備は整っていたものの、家具はほぼなしの状態だった。
私はベッドに腰を下ろし、部屋の様子をぼんやり眺めた。その時、窓の外を工事車両が轟音(ごうおん)を立てて走り去り、巻き上げられたホコリが換気口から部屋の中に流れ込んできた。私は咳き込んで口を覆った。
ジャック・マーの考えを形にする
アリババの第一期生たちは、ジャック・マーの理想主義、端的に言えば「ナイーブさ」を共有していた。
ジャックにはカリスマ性があり、目の前の現実とは全く異なる複雑で広大な未来を想像させ、チームを動機づける強い力があった。
私たちはよく冗談で「很傻很天真」つまり「シンプルで無邪気」であることが、今の自分たちに必要な特性だと言っていた。ベストを尽くせば何でもできると信じていた。
しかし、そんな私たちの楽観的な考えとは裏腹に、時折、現実が見えてくる。
「なぜ、こんなところにいるのだろう」と、がらんとした社宅の室内を見回す夜もあった。このままでは、人生を棒に振ってしまうのではないか。
自前で作ったホームページがうまく立ち上がらなかったり、苦労したプロジェクトが最終段階でつまずいたりで、私たちは数え切れないほど徹夜を繰り返した。
会員数100万人という目標は、ムーンショット(ここでは文字通り月ロケットの打ち上げの意味)以上に無謀なのではないか。本当に可能なのか。私は何度も自問した。
ジャック個人のエネルギーに支えられて、そういう疑問を乗り越える同僚も何人かはいた。その意味で、経営者が壮大なビジョンを持つことはもちろん重要だ。だが、日々の現実的なビジネスは、それだけでは回らない。
ジャックの考えを会社のミッション、ビジョン、バリューとして体系化したアリババの初代最高執行責任者(COO)サヴィオ・クワンはこう振り返る。
「2001年1月13日、土曜日のことです。今でもはっきりと覚えています。ジャックのオフィスの前で、創業メンバー6人が立ち話をしていた時、ブレークスルーは起きたんです」
6人のメンバーとは、最高経営責任者(CEO)のジャック、最高財務責任者(CFO)のジョー・ツァイ、最高技術責任者(CTO)のジョン・ウー、最高製品責任者(CPO)のルーシー・ペン、そしてのちにプレジデントを務めるジン・ジアンハン、そしてサヴィオだ。
彼らはジャックのメモや過去のスピーチの中から最も重要な考えを拾い出し、それを基に一貫したミッションとアクションプランを作成する必要があると考えた。その結果、アリババのコアとなるミッション、ビジョン、バリューが生まれた。
ミッションは会社のパーパスであり、みんなが集まっている意義を示すもの。ビジョンは未来をのぞくための窓。バリューはビジネスの基盤となる原則を定義し、チームの行動を方向付けるもの。
これらの概念は、アリババの「タオ(道=原理原則)」のピラミッドの頂点を占め、正しい道を示す道標となっている。
ミッション、ビジョン、そして6つのバリュー。それぞれの構成要素の重要性を私たちは認識していたが、個々の構成要素が組み合わさって1つのフレームワークを形成しなければ、持続可能で再現性のある成長はできない。
私たちは長年の試行錯誤を経て、どうすればフレームワークを形成できるかを発見したのだ。
以来、私たちはその知識を中国や他の新興市場の何千人もの起業家と共有し、それを自社に取り入れるための教訓を提供してきた。実際、多くの起業家たちが組織を変革し、業績を大きく向上させるのに役立っている。
[参考]
『アリババのタオ〜世界を変える巨大デジタル企業の内幕』(原題:'The Tao of Alibaba: Inside the Chinese Digital Giant That Is Changing the World' by Brian A. Wong, PublicAffairs, 2022)