最終営業日を迎えた東急百貨店本店(2023年1月31日)
撮影:吉川慧
東京・渋谷の東急百貨店本店が1月31日に最終営業日を迎えた。再開発事業に伴い、55年の歴史に幕を下ろした。この日は渋谷のランドマークの最後の姿を見ようと、別れを惜しむ多くの買い物客が訪れていた。
隣接する文化施設「Bunkamura」は、年末年始のジルベスターコンサートの会場として知られる「オーチャードホール」を除き4月から休館する。
閉店に際し、店頭には稲葉満宏・本店長名で感謝のメッセージ「THANKS&LINK」が掲げられていた。
店頭のメッセージ
撮影:吉川慧
渋谷・東急本店は1967年11月1日より、渋谷区立大向小学校跡地において、都市の商業地と閑静な住宅地の接点に位置する百貨店として営業をスタートしました。
開業以来、55年の永きに亘り、渋谷・東急本店を支えてくださったお客様、地域の皆様、関係者の皆様、本当にありがとうございます。
これまで育んでいただいてきた絆を大切に終幕の瞬間まで、あふれる感謝をお届けいたします。
そして、その想いと美しい未来へつながる希望をこれからもずっと皆様と、ともに。
最後にもう一度、心を込めてお伝えしたいのは、ただ一つ。
ありがとうございました。
東急百貨店本店は1967年に開店。かつての商号「東横百貨店」から「東急百貨店」に改め、小学校の跡地に建てられた。
店内に展示されていた開業当時の新聞広告。
撮影:吉川慧
東急百貨店はいわゆる「電鉄系」の百貨店だ。ターミナル型百貨店の先駆けとして1934年11月に誕生した東急百貨店渋谷駅・東横店(2020年3月末閉店)をはじめ、鉄道のターミナル駅や沿線の駅で商うのが「電鉄系」の特徴だ。
2020年3月末、85年の歴史に幕を下ろした東急百貨店渋谷駅・東横店。(2020年3月撮影)
撮影:吉川慧
だが、本店は渋谷駅直結ではなく、駅から徒歩5分ほどの道玄坂2丁目に位置。ハイブランドのアパレル商材を揃え、松濤や富ヶ谷など店舗周辺の高級住宅街の住民らに愛された。
約50年前に東急百貨店でショッピングや包装紙に使用されていたデザイン。「復刻グッズ」と題し、手ぬぐいやバッグとして販売されていた。
撮影:吉川慧
1979年には道玄坂と本店通りの三角地帯に「ファッションコミュニティ109(現SHIBUYA109)が誕生。1989年には東急本店の隣接地に複合文化施設「Bunkamura」がオープン。東急グループは渋谷駅を起点に新たな人の動きを生み出すことで街の発展を目指してきた。
高度経済成長の渋谷を見届けた東急文化会館は2003年6月に閉館し、2012年4月には新たに「渋谷ヒカリエ」がオープンした。
撮影:吉川慧
折しも現在の渋谷は「100年に一度」と言われる都市改造の最中だ。今回閉店する東急百貨店本店のように、1964年の東京オリンピック前後に作られた施設も多かった。老朽化による脆弱性が指摘され、古い建物の建て替えが進んでいる。
東急グループでも、2003年6月に東急文化会館が閉館。2012年4月に新たに「渋谷ヒカリエ」がオープン。オフィスや飲食店のほか劇場「東急シアターオーブ」が併設され、新たな文化の起点となっている。
3年前には85年の歴史を誇った東急東横店が閉店。地下にあった「東急フードショー」は、閉店後に渋谷マークシティの地下1階に移転。日本初の名店街「東横のれん街」もヒカリエで営業を継続している。西館・南館は、最終的に「渋谷スクランブルスクエア」の別棟として生まれ変わる予定だ。
東急東横店の跡地は再開発が進む(2023年1月31日)
撮影:吉川慧
バブル経済の崩壊、ファストファッションの隆盛、Eコマースの発達、そしてコロナ禍……。時の移り変わりと共に人々の消費行動やサービス需要は多様化し、それと共にデパートのかたちにも変化の波が訪れている。
小田急新宿店が入る新宿西口ハルク。(2022年9月25日)
撮影:吉川慧
例えば、日本橋高島屋の新館「日本橋高島屋 S.C.(ショッピングセンター)」には専門店がテナントとして入居する。小田急百貨店の新宿店は新宿駅西口の再開発に伴い隣接する別館ハルクに移転したが、アパレルはほぼ取り扱わない売り場構成にリニューアルされた。何から何まで全てが揃う「百貨店」は、そのあり方が問われている。
東急、L Catterton Real Estate、東急百貨店はが計画する「渋谷アッパー・ウエスト・プロジェクト」の外観イメージと用途配置図。
出典:東急株式会社
渋谷の半世紀を見届けた東急百貨店本店の跡地には、地上36階地下4階の高層複合施設が建てられる。竣工は2027年度中を予定する。
その頃の渋谷は、どんな街になっているだろうか。