早稲田大学の学生街カルチャーに危機感「商店街は大学の外にある“キャンパス”だった」

早稲田の街には、学生に愛される多くの飲食店がある。

早稲田の街には、学生に愛される多くの飲食店がある。

撮影:沈意境

「ランチ大盛り無料、ご飯おかわり自由」

飲食店の看板が林立している早稲田の学生街。

「ワセメシ」の愛称で親しまれている早稲田大学周辺の飲食店は、学生たちの胃袋を満たしてきた早稲田の「文化」の一部だ。

コロナ禍で一時は「学生が消えた」早稲田の街の雰囲気も、いまや活気を取り戻しつつある。ただ、かつてと同じ姿に戻っているかというと、そうでもない。

コロナに翻弄された学生街は、これからどこへ向かうのか。

「客は1日3人」危機を支えたのは早稲田の卒業生だった

油そばの人気店「麵爺」の店主・石田正徳さん。

油そばの人気店「麵爺」の店主・石田正徳さん。

撮影:沈意境

2011年に創業してから十年来早稲田大学の学生に愛されてきた油そばの人気店「麵爺」の店主・石田正徳さんは、

「昔は、お昼頃に学生がどっとやって来て、相席にしてもらったり、次の授業がある人を優先したりすることも珍しくなかった。夜になると、サークル活動が終わってうちに集まってくる学生たちもたくさんいて……。今ではそういう様子を見かけなくなって、ちょっと寂しいですね」(石田さん)

と、今の早稲田の街の雰囲気を語る。大きく状況を変えたのは、もちろん新型コロナウイルスの流行だ。

2020年4月、新型コロナウイルスの流行1年目には、早稲田大学も講義を全面的にオンラインに転換。キャンパスに通う学生がほぼいなくなり、商店街の人流は激減した。普段はランチタイムに行列が伸びていた麺爺も空席ばかり。石田さんは、全4店舗での営業を止めた。

当時の様子を石田さんはこう語る。

「コロナ前は4店舗で1日1000人ほどお客さんが来てくれていました。ただ、緊急事態宣言が出た後は、1日3人というような日もありました。

売り上げはもうしょうがないと思っていたんですが、スタッフもメンタルがやられてしまって。ただ、テイクアウトをやろうにも、油そばって調理してすぐに食べないとだめなんです」(石田さん)

そこで考えたのが、ゆでる直前の麺などの食材を届け、自宅で調理してもらう「おうち麺爺」だった。

おうち麺爺は、当初、各店舗の店長が自転車で配達できる新宿区周辺で展開していたが、徐々に配達範囲は拡大。Twitterなどを通じて噂は全国に広がった。

「青森にいるんだけど、なんとかなんない?」

そんな連絡がいくつも届いたことで、石田さんはおうち麺爺の「全国版」のリリースを決定。販売初日となった2020年4月29日には、売り上げが100万円を超えた。

「『おうち麺爺』の発売を公開した時、早稲田の学生や卒業生などを中心に配達希望がたくさん来ました。スタッフも配達にいく楽しみができて、すごく充実しました。一番衝撃的だったのは、福岡に住む早稲田のOBから85食の注文を受けたことでした。本当にうれしかった」(石田さん)

学生と商店街が生み出す街の「熱量」

「早稲田モンスターズキッチン」の店主の花田富樹さん(左)と店員の竹本亮太さん(右)。

「早稲田モンスターズキッチン」の店主の花田富樹さん(左)と店員の竹本亮太さん(右)。

撮影:沈意境

コロナ禍では、早稲田の街に新たな「ワセメシ」もやってきた。2022年5月に大隈通り商店街にオープンした定食屋・早稲田モンスターズキッチンには、いまや多くの学生が詰めかけている。

「早稲田にお店を出したのは、もともと学生街で営業したかったというだけで本当に偶然です。ちょうど2021年の12月に今の物件を見に来たんですが、時間帯もよかったのか大隈通りに学生が溢れていて。早稲田駅に降り立った瞬間に『あ、いいぞ』となったんです」(モンスターズキッチン・花田さん)

店主の花田富樹さんは、2019年に沖縄から上京し、都内で飲食店の開業準備を進めている最中にコロナ禍に突入した。しばらくの間、板橋区のシェアキッチンで生計を立てていたが、「デリバリーサービスだけではそこで人気店になっても利益はトントンかマイナスでした」と、自分の店舗を構える頃合いを見計らっていた。

そんな中たまたま見つけたのが、大隈商店街で40年以上にわたって早大生の胃袋を満たしてきた老舗そば屋「浅野屋」の居抜き物件だった。モンスターズキッチンには、今でも浅野屋の看板やそば屋時代に使っていた「畳の座敷席」といった当時の名残がある。

「浅野屋の看板を残しているのは、卒業生らにとっての思い出の場所だということも理由です。40年〜50年続けてきた縁起ものでもありますしね」(花田さん)

大隈通り商店街の一員になって以来、モンスターズキッチンは、早大生とのコラボや早稲田の街限定のデリバリーサービスなど、商店街の取り組みに積極的に参加。そこで花田さんが感じているのは、街の「熱量」の大きさだ。

「とにかく街が背中を押してくれて、本当にありがたいです。

学生を応援したい街の雰囲気が先にできたのか、周りの人々が飲食店を応援してくれるのが先なのか、どっちが先なのかはわかりません。でも、どっちが欠けてもダメなのかなって思います。長い歴史を学ばせてもらいながら、僕たちは僕たちで新しい価値を生み出していきたいと思っています」(花田さん)

コロナが最後の後押しに…「街も変わらなければならない」

ランチタイムに行列ができる三品食堂。(2023年1月26日撮影)

ランチタイムに行列ができる三品食堂。(2023年1月26日撮影)

撮影:沈意境

「学生街は、大学がオンラインになると本当にゴーストタウンでした」

早稲田大学周辺にある7つの商店街を取りまとめる早稲田大学周辺商店連合会の北上昌夫さんは、コロナ禍が始まった当時をそう振り返る。北上さんは1965年から続く老舗の牛めし屋・三品食堂を経営。取材で訪れた店内の壁一面には、早稲田大学の卒業生から送られた寄せ書きが飾られている。

2020年3月、コロナ禍の真っ只中に卒業した学生からの色紙には、空白が目立っていた。

三品食堂の店内に飾られていた色紙。2020年3月(令和2年)に卒業した学生たちからの色紙には、空白が目立つ。

三品食堂の店内に飾られていた色紙。2020年3月(令和2年)に卒業した学生たちからの色紙には、空白が目立つ。

撮影:三ツ村 崇志

コロナ禍の前後で、街の雰囲気は確かに変わっていったと北上さんは語る。

「2018年時点で、商店街には94店舗の飲食店がありました。まだ(現状の)正確な数字は把握できていないので私の印象にしかすぎないのですが、コロナでダメージを受けて辞めてしまったお店は結構あったんじゃないかと思います」(北上さん)

前述したモンスターズキッチンのように、新たに早稲田の街にやってきたお店もあった。ただ、全体としてはコロナ以前から減少傾向が続いている状況だ

街の形態が変わっていったのだと思います。大学の中にもコンビニなどの大きな企業も入ってきています。(商店街では)高齢化もあって跡継ぎがいなくなって辞めてしまうお店もあった」(北上さん)

早稲田大学周辺商店連合会事務局長の滝吉道信さんは、

「学生が溜まって食べたり、話をしたりする場が、学校の中に集約されてきたんです。辞めるタイミングを見計らっていた商店にとって、(コロナは)最後の後押しになってしまった側面もあると思います

とも。

北上さんは、「早稲田の商店街は今まで大学に依存しすぎていた」と、コロナ禍でその現実があらわになったと語る。

「例えば、次にコロナのようなものが来た時にどうするかを考えておかなければならない。やっぱり街も変わらなくちゃいけなくなってきているんだと思います」(滝吉さん)

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