BEYOND MILLENNIALS 2023受賞者、不妊治療専門クリニックtorch clinicをプロデュースするARCHのCEO中井友紀子さん(左)と、着物アップサイクルブランド季縁の代表取締役北川淑恵さん(右)。
撮影:伊藤圭
1月26日、27日に開催されたBusiness Insider Japan主催のアワードイベント「BEYOND MILLENNIALS (ビヨンド・ミレニアルズ)2023」。
「着物アップサイクル、不妊治療DX…異業種からの起業はなぜできたのか」と題したセッションでは、着物をドレスにアップサイクルするブランド季縁の代表取締役北川淑恵さんと、不妊治療専門クリニック・torch clinicをプロデュースするARCHのCEO中井友紀子さんが登壇。
「異分野からの起業」という共通点を持っている二人に、なぜ新しい世界に飛び込もうと思ったのか、起業にあたってどんな苦難を乗り越えてきたのか、そして新しい挑戦をしようと考えている方に何を伝えたいかを聞いた。
自分の大切な友人や家族がきっかけに
──お二人は共に異分野からの起業ですが、北川さんは起業のきっかけは「京都の職人を助けたい」という思いからだそうですね。
北川淑恵さん(以下、北川):はい。私は京都に生まれて、多くの職人に囲まれて育ちました。以前から職人のDX化のお手伝いをしていたんです。
その中で、着物の染色職人である高校の先輩から真剣な顔で「このままでは着物の業界が衰退していってしまう。サポートしてほしい」と言われました。「これは私がどうにかしないといけない」という勝手な使命感からこの事業を立ち上げることを決めました。
──もともと「伝統工芸の職人のDX化」に取り組んでいたとのことですが、どのようなお手伝いをしていたのでしょうか?
北川:私の周りには陶芸家や刺繍の先生などさまざまな職人がいるのですが、5年ほど前にインバウンドが大盛況だった時に、職人たちが手掛ける体験教室やホームページの仕組み作りをしていました。着物の職人の方もその中の一人だったんです。
── 一方、中井さんが起業した理由は「世の中から不妊治療をなくしたい」からだと伺いました。
中井友紀子さん(以下、中井):私は前職のヤフーで、月間利用者数2000万人以上の女性向けサービスのヘッドとして毎日数千本の連携コンテンツを配信していました。
2人目の子どもをなかなか授からず、不妊治療のために2年半で3つのクリニックに通っていました。そこで「妊孕性(にんようせい)」、つまり子どもを産み育てる力には限りがあることを知りました。
「知らなかった」だけで既に選択肢がなくなってしまっているという現実に直面して、「なぜ私はこの情報をもっと届けてこなかったんだろう」と思ったんです。ヤフーでこれを解決することはできなかったのかどうか、自分でも考えました。
これはもっと踏み込んで解決しないといけない。伝えるだけ、つまり「妊孕性」の認知度を上げるだけでもある程度行動変容を促すことはできますが、「真にできる」というところまでやりたかった。
例えば、「体の状況を適切な検査で確認し、残存卵子がどの程度あるか」などをなるべく早く知った上で選択肢を持ち、ライフステージをコントロールする世界が実現できれば、不妊治療そのものがなくなっていくのではないかと思います。
──それを実現するためには、ヤフーを辞めて起業するしかないと。
中井:はい。私はヤフー卒業生の中でもかなりヤフーが好きな人間だと自負しているんですが、やはり医療機関の受診体験を根本的に変えようと思ったとき、ゼロから立体感を持って一緒に事業を作る必要があると思ったんです。
ヤフーでそれを実現するのは難しいと思って、元ボスの川邊健太郎(Zホールディングス代表取締役社長)さんに「残りの人生で解決したい課題を見つけてしまったので挑戦します」と直接伝えに行きました。
「おお、不妊治療をしている方は本当に大変だよね。よく分かる、頑張ってよ!」と背中を押してもらって、事業立ち上げが始まりました。
壁は「仲間探し」と「新しい文化づくり」
撮影:伊藤圭
──中井さんは起業の際に「仲間探し」が大変だったということですが、どう大変だったんでしょうか?
中井:不妊治療の問題を解決したいと本気で思っていたのですが、私は医者ではないし、もし医師になって専門医の資格を取るとしても10年以上かかります。友人に1人も医師がいなかったので、並行して医師になることを考えながら、できる限り足を使って(仲間になってくれる)医師を探していました。
会う人会う人に「産婦人科の方をご存じないですか」と言って回って。それで2年かけてようやく志をともにできる医師に出会えました。ここが一番しんどかったです。
──ご自身で医師も目指されたことがあったんですね。
中井:勉強しながらでもやらなければと思っていました。20年かけてでもやりたいかを考えた時、(医師になるための)10年は短いと思えたので。今の仲間の医師には「中井さんの10年を縮めてあげられたよ」と言われました(笑)。
──仲間はどのように探されたんですか。
中井:あらゆるルートを考えました。マンションやインターネット業界のママ友ネットワークや、前職の先輩たちを訪ねて、事業の壁打ちをしてもらいながら人づてに聞いたりとか。結果として事業がブラッシュアップされました。
──特に産婦人科医を見つけるのは難しいのでしょうか?
中井:日本に30万人以上いる医師の中で産婦人科の専門医はざっくりと1万人くらいです。しかも、私たちがやりたい生殖医療を専門とされている医師は当時800人近くしかいませんでした。
専門医が少なくて、難しいとは思ってはいました。最終的には出会った方の中から「同じようなことを言っている若手の医師がいるよ」とつないでいただき、奇跡的に出会うことができました。
──仲間探しで大事なことは、足で稼ぐことですかね。
中井:言い続ける、踏み出す、諦めない。心がくじけたら終わってしまうので、心をくじけさせないところですね。あと、創業前が一番大変でした。
──開業してまだ半年ほどですよね。
中井:まだ一歩目を踏み出している途中です。我々が目指しているのは 日本全国の方々の選択肢を増やすこと、出生率に寄与すること。それにはまだ仲間が足りないと思っています。
これからもミッションに共感してくださる方を一人でも増やして、「働く」とか「授かる」という選択肢を持ち、自分で選び行動できる方を支えていきたいです。
新しい「文化をつくる」ために必要なこと
撮影:伊藤慧
──北川さんが一番大変だったのは「新しい文化づくり」だと。
北川さん:もともと、着物は数千年前からフォルムが決まっていて、私たちはその生地自体に焦点を当てて価値化する事業を進めています。
着物の様式を変換して、今生きている人たちの生活にフィットする提案をする、すなわち「新しい文化をつくる」ようなアクションをしています。
広告費の費用対効果やウェブマーケの分析データを使っていくといった、商品を売るための手法が、文化をつくることに対してはマッチしないことが多いんです。そういった意味で、文化づくりは難しい感じています。
──どのような状態になれば目指すべき「新しい文化」ができたと言えるのでしょうか。
北川:今は、着物を洋服に変えるという選択肢があること自体の認知度が低いので、何%の方に認知されているかが指標になると思います。
着物は着物のままで終わると思っている方が多いと思いますが、生地には何百年と持つ素材が使われています。着物を洋服に変えられること、そしてその洋服を長く使えるということを広めたいです。
──「文化づくり」「習慣づけ」のようなところで、不妊治療の分野でも大変さを感じた部分はありますか?
中井:はい。日本の25歳くらいまでの方は約半数しか婦人科に行ったことがないという調査結果を見たことがあります。私もそうだったんですが、忙しく働くのが大好きだと生理が来ないことがラッキーだと思ってさらに働いてしまうことも……。
日本の女性の約4割が月経困難症という症状になっているのですが、腹痛や月経血の異常、月経周期の異常は何かしらのサインである可能性があるんです。
だから私は、婦人科に行くというカルチャーを作りたいと思っています。何かあったら、両親に相談しにくいことなどでも医師に相談できるカルチャーを10代の学生のうちから作ることが重要だと思っています。
──「産婦人科に行く」という意識について、北川さんはどう思われますか?
北川:私も20代の時から忙しく働いていました。体調が悪くなっても少し薬を飲めば普通に戻るので、体の歪みに気づかないまま働き続けてしまうんですよね。もし若い時から産婦人科に行くという習慣があれば、もっと救われたのではないかと思います。
中井:ある日突然生理が来て「(体調が悪くても)我慢するのが当たり前」だと思い込むことは少しおかしいですよね。
北川:そうですね。私が体調を悪くした当時は、薬を処方されただけだったと思います。そうすれば普通の生活に戻れました。でも、それが10年後に悪化する可能性があるとは誰も教えてくれませんでした。女性はストレスや時間に影響を受けやすいので、 仕事に熱中している人こそ必ず検査を受けてほしいと思います。
10年でも15年でも信じられるかどうか
セッションのモデレーターは、Business Insider Japan 記者の横山耕太郎(写真左)が務めた。
撮影:伊藤圭
──最後のテーマは「新しい挑戦をしたいと思ってる人へアドバイスするとしたら?」です。中井さんは「自分の心に素直に」とのことですが、これはどんな意味ですか。
中井:私はもともと働いていた環境や一緒に働いている人が大好きだったんですが、出産後に感じる世界観や自分自身の価値観が変わっていきました。
2人目の出産直後に会社を登記したのですが、子どもと過ごす時間がとても重要だと感じている中で、自分の大事な時間をオールインして事業に取り組んでいます。
そこに10年でも15年でも信じて最後までやり抜けるかどうか、自分の心が「もちろんできる」と思えないとできないなと思いました。
──自分の心に素直になったとき、「この事業の方向性は違うな」と感じるときもありましたか?
中井:はい。私の場合は、子どもを抱きしめながら、子どもの未来のためになるかどうかを考えました。
「大丈夫、ママがあなたたちの未来を明るくするよ」という気持ちで毎日元気に「行ってきます」と言えるかどうか、そこが私の中では重要な点でした。
──北川さんのアドバイスは、 「タイミングを見逃さない」ということですね。
北川:自分がどれだけそこに熱量を注げるか、自分がどうしたいのかを常に向き合っていればタイミングを見逃さないはずだと思っています。その熱量を自分自身で分かっていることが大事なのかなと思います。
これからの時代は文化が大切だと強く思っているのですが、私たちが日本の特徴ある文化をいかに育んで豊かにできるかを考えた時に、私の場合は「今しかない」と思いました。
──最後に一言ずつお願いします。
中井:出生数が下がっています。2022年は、出生数が80万人を大きく割って約77万人と言われている中、私たちは今こそ不妊治療のDXに向かって頑張っていかないとと思っています。
北川:女性の起業家が注目されています。ただ、私たちもそうでしたが、起業するには分からないこともたくさんあると思います。起業家の先輩というのとおこがましいですが、企業を目指す若い人たちに、何か役に立てればと思っています。
季縁 代表取締役。龍谷大学卒業後、2004年4月に半導体企画販促としてロームに入社。その後、ポーセリンアートやヴェネチアングラスの技術指導のサロンを運営。並行してさまざまな京都のクラフトマンのサポートをしていたことから着物ドレスが生まれ、2020年3月に「季縁(きえん)」を創業。使われなくなった着物を現代の⾐⽣活にフィットするようアップサイクルし、新しい着物の楽しみ⽅を提案している。
ARCH 代表取締役 CEO。2009年オプト(現DIGITAL HOLDINGS)入社、2013年にコミュニティファクトリーに入社し、その後ヤフーへ転籍。2015年に同社子会社であるTRILLの代表取締役に就任し、2000万人規模の媒体に成長させる。2021年6月、自身の不妊治療の経験から感じた課題感を解決すべく、仕事と両立できるクリニック受診体験を創り、一人でも多くの「人生の選択肢」を増やしたいとARCHを創業。婦人科・不妊治療診療に関するDXに取り組む。