ウクライナのキーウから南へ約300kmのところにある戦略ロケット軍博物館のミサイル管制室。
REUTERS/Gleb Garanich
今週も、早稲田大学ビジネススクールの入山章栄先生が経営理論を思考の軸にしてイシューを語ります。参考にするのは先生の著書『世界標準の経営理論』。ただし、本連載はこの本がなくても平易に読み通せます。
ロシアによるウクライナ侵攻が始まって間もなく1年。この間にウクライナで起きた惨劇は、東西冷戦を経て脅威は遠のいたと思われていた「国家間の戦争」が再び起きる時代に戻ってしまった、という事実を私たちに突きつけました。この先、世界の均衡はどのように変化していくのでしょうか?
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誰もが「もう国家間の戦争は起きない」と楽観していた
こんにちは、入山章栄です。
前回はイアン・ブレマー率いるユーラシア・グループが発表した2023年の10大リスクの話題から、権威主義国家が陰りを見せているという話をしました。今回も引き続き、これに関連した話題について話してみたいと思います。
BIJ編集部・常盤
前回はロシア、中国、イランという権威主義国家のリスクが高まっているというお話でした。今はネットの情報などもあるので、昔ほど内部統制が効かず、内部もガタがきている。独裁者が間違った意思決定をしてもガバナンスが効かない。そういう意味で、世界各地に戦争を起こす火種がくすぶっているというお話でしたね。
はい。脅かすようで申し訳ありませんが、ロシア・ウクライナの戦争が起きて以来、他の地域でも戦争が起きやすくなった可能性が高い、と僕は考えています。その理由をお話ししましょう。
先日、僕は今テレビで毎日のようにお見かけする、ロシアの軍事・安全保障の専門家である小泉悠さんの『ウクライナ戦争』という本を買ったんです。
BIJ編集部・常盤
お読みになったんですね。
実はまだ全部読んでないんですが(笑)。とはいえ前半の50ページくらいだけは、とりあえず読みました。
この本は小泉悠さんが、この紛争が起きる前に、ウクライナにあるソ連時代の国防省付属戦略ロケット軍博物館を訪問したときの話から始まります。
この博物館を建設した当時、ウクライナはまだソ連(ソビエト連邦)の一部でした。実はこの博物館は、当時、大陸間弾道ミサイルの発射場だったのです。アメリカとソ連が冷戦で睨み合っていた時代にもし核戦争が起きていたら、ここから核ミサイルが発射されていたかもしれないのです。でも冷戦が終わって、ウクライナが独立し、その基地が不要になったので博物館になった。
本書によると、小泉さんがそこを訪れたら、やる気がなさそうにしている元軍人のおじさんがいて、「お前、ボタン押してみるか?」と言うんだそうです。そのボタンとは、正真正銘、本物の核のボタン。それを観光客が押せるようになっている。記念写真も撮れる。「君も核のボタンを押してみよう」というくらいの気軽さ(笑)。
それが2019年6月のことなので、ついこの間まではそれくらいにのどかだったということです。それで小泉さんは、「そのころは、もう国と国の間の戦争は起きないだろうと思われていた」と述懐します。これからもサイバーテロや内戦はあるかもしれないけれど、それなりの大きさの国と国が武力をもってガチで戦う戦争はもう起きないはずだ、というのが国際政治の専門家の間の通念でした。
ところが今回のロシアとウクライナの戦争は、それを完全に打ち砕いてしまった。
権力の源泉は「恐怖」
さて、ここからは僕の意見です。僕は政治学は専門ではありませんが、この分野の基礎的な考え方や理論を当てはめていくと、ある結論に至らざるを得ません。それは、「国家間の戦争が再び起きる時代に戻ってしまった」ということです。
BIJ編集部・常盤
なぜ、そう思われるのでしょうか。
これは僕の理解ですが、そもそも戦争に対する人間の根源的な心理的ドライバーは何でしょうか。例えば、ビジネスであれば「お金を儲けたい」という欲とかですよね。最近の若い方なら「世の中に貢献したい」とか、「社会の役に立ちたい」という社会善がドライバーになりえます。
一方、戦争の最大のドライバーはシンプルで、これは僕だけでなく慶應大学の有名な国際政治の教授である細野先生の本にも書かれていますが、それは「恐怖」です。
だってみんな死にたくないし、家族を失いたくない。さらに言えば、「すべての権力の源泉は恐怖だ」というのが僕の理解です。
BIJ編集部・常盤
恐怖……。どういうことでしょう?
つまり人間は、その人に逆らうと不利益を被るとか、暴力を振るわれるとか、ひどい場合には殺されることが分かっている人には逆らえない。だから相手に恐怖を与えられる人は、相手を操る権力を手にするんですよ。
どうして国家が犯罪者を逮捕したり、税金を払わない人の財産を差し押さえたりできるかというと、究極的には警察とか公安とか軍隊などの暴力装置を持っているからですよね。近代社会は法律で統治していることになっていますが、根本は恐怖で統治しているんですよ。
だから相手に恐怖を与えるために戦争を仕掛ける。その一方で、戦争を抑止するのも恐怖です。
政治学には「リアリズム(現実主義)」という考え方があります。これは国と国が緊張関係にあるときでも、お互いが核兵器など致命的な武器を持っているときは、戦争を避けたほうが得だという考え方のこと。例えば、核兵器で殺し合いをしたら互いに滅亡する可能性がある。そんなことになったら怖すぎるから、合理的に考えて「ケンカはやめようぜ」となる。リアリズムとは、こういった考え方をいいます。
例えばアメリカとソ連は冷戦時代に睨み合っていて、途中でキューバ危機などもあったけれど、結局、両国の間で核戦争は起きませんでした。それはお互いがギリギリのところでリアリストだったからです。
万が一、ソ連がアメリカに核ミサイルを発射したら、アメリカはもちろん報復する。そうなれば尋常でない数の死者が出るし、国も崩壊する。それをお互い承知しているから、口頭では脅すことがあっても、本当にはやらないよね、というギリギリの暗黙の了解があった。これは経済学のゲーム理論でいうところの「ナッシュ均衡」という状態です。
そういう状態で緊張関係が成り立っていたから、大国同士がぶつかり合う本格的な戦争は、ここ数十年の間なかった。つまり「もし戦争になったら、今度は核兵器を使うことになる。そうなったら人類は終わりだ」という恐怖が戦争の抑止力になっていたのだと思います。
「核兵器は使われない」と分かってしまった
さて、今ままでは一般に言われていることですが、ここからは僕の派生的な解釈です。今回のロシア・ウクライナ戦争が明らかにしたのは、「多くの国が核兵器を持っているけれど、核戦争は多分起きない、起こせない」ということです。つまりロシアは「撃つぞ、撃つぞ」というポーズはとるけれど、ロシアも本当に撃ったら自分たちは終わりだと分かっている。そんなことをしたらアメリカをはじめ西側諸国から大量の核ミサイルが降ってくるからです。
だから核兵器は使用しないけれど、戦闘機など昔ながらの軍備を使った殺し合いはやる。つまり「核兵器を使うのはルール違反だけれど、ルールに則った戦争ならしてもいい」というような世界になってきているのではないでしょうか。
今までは核戦争の恐怖があるからみんな戦争をためらっていたけれど、逆説的ですが、互いに多くの国が核兵器を持ったからこそ、むしろ核戦争には発展しないことが分かった。結果、むしろ普通の戦争ができると明らかになった。そんな、まったく新しい時代が始まったのだと思います。ですから残念ですが、ロシアとウクライナのような戦争は他の地域でも起きるのではないでしょうか。
BIJ編集部・常盤
思えばロシアがウクライナに侵攻したのが、2022年2月24日でした。それまでは私も「国家間の本格的な戦争はもうないだろう」と思っていたので、ロシアがウクライナに侵攻する映像を見ながら「人類は歴史から何も学んでないな」と絶望したのを覚えています。
前回に引き続き今回もあまり明るい終わり方にはできないテーマでしたが、やはり広い視野をもって世界の現状を確認することは重要ですね。入山先生、ありがとうございました。
入山章栄:早稲田大学大学院経営管理研究科(ビジネススクール)教授。慶應義塾大学経済学部卒業、同大学院経済学研究科修士課程修了。三菱総合研究所に勤務した後、2008年に米ピッツバーグ大学経営大学院よりPh.D.を取得。同年より米ニューヨーク州立大学バッファロー校ビジネススクールアシスタントプロフェッサー。2013年より早稲田大学大学院経営管理研究科(ビジネススクール)准教授。2019年から現職。著書に『世界の経営学者はいま何を考えているのか』『ビジネススクールでは学べない世界最先端の経営学』『世界標準の経営理論』など。