米オンライン決済大手・Stripe日本法人元代表の荒濤大介氏(中央)。2023年1月から日本のスタートアップ・キャディに入社した。
撮影:横山耕太郎
東大卒業後に自治省に入省し、マッキンゼーで戦略コンサルに転身、アップル日本法人で法人部門のリーダーを務めた後、米オンライン決済大手・Stripe日本法人代表に就任 ——。
そんな絵に描いたようなエリートキャリアを歩んできた荒濤(あらなみ)大介氏(52)が、次なるキャリアとして「異例の転職」を選んだ。
荒濤氏は2023年1月、製造業のサプライチェーン変革へと各種サービスを提供するスタートアップ・キャディに入社した。
外資系企業で日本トップを経験した人材のキャリアとしては、外資系企業を渡り歩くことも少なくないが、3年務めた「日本支社の代表職」を捨てて、肩書きは「スタートアップのグロース(成長)責任者」になった。
荒濤氏は「これまでのキャリアはアンラーン(身につけた知識・スキルを意図的に捨て学び直すこと)の連続だった」という。
ユニークなキャリアを歩む荒濤氏に、新たなキャリア選択を続けるモチベーションの源泉を聞いた。
自治省から「ほぼ例のない」コンサル転職
荒濤氏は旧自治省を経て、外資系コンサル・マッキンゼーに転職した。
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「20代は官僚。30代は経営コンサル。40代は外資系テック企業のトップ。そして50代でスタートアップに飛び込みました。これまでのキャリアは、どの選択をすれば『世の中に一番インパクトを与えられる仕事ができるか』を一番に考えてきた結果です」
荒濤氏がファーストキャリアに選んだのは、1993年に入省した自治省(現・総務省)だった。
「日本を元気にしたい」と思い官僚を志望し、約7年間、地方創生に携わったが、自分が心地よいと感じるスピード感との乖離を感じることもあった。
29歳でマッキンゼーに転職を決断した。今でこそ、官僚から外資系コンサルへの転職は珍しくないが、当時はほぼ例のない転職。しかし、荒濤氏は「経営コンサルとしての約10年でビジネスの基礎を叩き込まれた」という。
「マッキンゼーではよく使う言葉なのですが、最初の2年はとにかくアンラーンの期間で、めちゃめちゃ苦労しました。ただコンサルとして向き合う顧客は、日本を代表するような大企業。大企業が成長することで、日本を元気にしたいと燃えていました」
アップルで経験した「チーム解体の危機」
アップルに転職した荒濤氏だが、当時担当した法人部門と教育部門では、アップルの存在感はまだまだ薄かったという。
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10年間勤めたマッキンゼーを辞め、2013年、荒濤さんが43歳のときに入社したのはアップルだった。
当時は日本でiPadが普及し始めていたタイミング。ただ荒濤さんが任されたのは法人と教育部門の責任者で、法人利用のマーケットで見れば、マイクロソフトが圧倒的なシェアを握っていた。
「iPadが投入されたての頃でした。今でこそ会社でもお店でもiPadは当たり前ですが、日本ではまだまだ浸透していなかった。
どうすれば法人市場に食い込めるのか試行錯誤しましたし、教育事業に関しては『あと半年で成果がでなかったらチーム解体の危機』というくらい追い詰められていました」
「加えてアップルは私にとっては初めてのテック企業。Macを使ったことがなかったので、まそずはMacの操作から学ぶ、またしてもアンラーンの日々でした」
荒濤氏が責任者を務めて7年、法人・教育事業での収益は安定し、少人数だった教育チームの社員も増えて組織が成熟したこともあり、今度はStripe日本トップへの就任を決めた。
「リクルーターからコンタクトがあるまでStripeの存在も正直知りませんでした。ただ、会社を知っていくうちに、世の中にインパクトを与えられるに違いないと思いました」
外資系企業で感じた「限界」
ストライプ共同創業者のパトリック・コリソン。
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2020年、荒濤さんがStripeの日本社長に就任したのは、50歳の時。
シリコンバレーで2010年に創業したStripeは、アメリカではユニコーン企業として急成長をとげていたが、当時はまだ日本での知名度は低かった。
「私はGTM(Go to Market、サービスを市場に届ける戦略)の責任を担う立場で、もちろん高い数値目標も負っていました」
高い製品力を武器に、荒濤さんがトップを務めた3年で、日本法人の売上は毎年、倍速成長を達成し、組織も4倍に成長させた。
ただ一方で、環境に限界を感じることもあったという。
「顧客のためにと提案を通したくても、米国本社に働きかけるのはエネルギーも時間も消費し、もどかしさがありました。
あるべき姿に向けて自分たちで問題解決できる組織で働きたい、選択肢として日本のスタートアップで働くことを真剣に考えるようになりました」
31歳CEOとの出会い
キャディの加藤勇志郎CEO。加藤氏もマッキンゼー出身だが、これまで2人に接点はなかったという。
撮影:伊藤圭
Stripe日本法人のトップを務め3年目に入ったあるとき、リクルーターの紹介により、荒濤氏はキャディの加藤勇志郎CEOと出会った。
「加藤と話したとき、社会課題を解きインパクトを与えることへの熱量の高さと、グローバルをみている本気さを感じました。スタートアップは多くあれど、その両方が揃う企業は限られます。
あと加藤と話して、『人の本質を見る目がある人だな』と感じたのを覚えています」
加藤CEOは現在31歳。荒濤氏とは20歳以上の年の差があるが、「年齢は全く気にならない」と言う。
「Stripeを創業したコリソン兄弟もまだ30代前半。シリコンバレーには、熱意と才能のある若いリーダーの周りに、経験を積んだ人材が集まってくる。日本でもそんな形の企業や働き方が増えるといいなと思っています」
そもそも、荒濤氏は自分で起業しようとは思わなかったのだろうか?
「向き不向きがあって、私は自分で会社をつくろうとは思いません。ゼロイチではなくて、1から10をドライブする方がワクワクするので」
海外展開を進めるキャディ
荒濤氏が担当する「CADDi DRAWER」は、図面データを自動解析して検索可能にするサービス。過去の類似図面と発注データを参照することで、調達原価の削減につながる(写真はイメージです)。
Shutterstock/T.TATSU
荒濤氏がキャディで担うのが、2022年6月にローンチしたばかりの新サービス「CADDi DRAWER」のグロースだ。
「入社してまだ1カ月ですが、製造業が抱える課題にテクノロジーの力で解決できている。確実に売れる商品だと思っています。5年後には確実に大きな規模になっていると思うのですが、私の仕事はそれを1年で実現すること。すごいスピード感を出せるかのチャレンジになる」
荒濤氏は、キャディでもこれまで外資系企業で実践してきた「西海岸流モデル」の販路拡大戦略を再現できると目論む。
「ゼロからマーケットを切り開いてきたStripeの経験が活かせるはず。具体的には週次や月次の数値目標のたて方、組織を横断した協働の仕組みは応用できると思っています」
キャディは、ちょうど海外展開も本格化しつつあるタイミングにある。
キャディは2022年4月、初の海外拠点となったベトナム法人、続いてタイ法人を開設。また2023年1月にはアメリカに現地法人の設立を発表したばかり。
荒濤氏は現地での販売戦略だけでなく、これまでの経験で培った国籍を超えた社員のマネジメントでも貢献できることがあるのではないか話す。
「グローバル展開する企業組織の作り方は、これまで主戦場としてきたところです」
50代で初のベンチャー「思いっきりチャレンジしたい」
台東区蔵前のキャディのオフィスで取材に応じた荒濤氏。
撮影:横山耕太郎
1月にキャディに転職してから、約1カ月が経過した。すでに東京ビッグサイトの展示会場で製品解説の場に立つなど、いきなり前線で働いている。
これまでは、アップルやStripeで、リーダーや日本代表を務めてきた荒濤氏だが、協働するCADDi DRAWERの事業責任者は31歳、マーケティング担当者も29歳、若いメンバーとフラットな関係性で仕事をしているという。
責任範囲は、新事業の売り上げのグロースとなり、前職に比べれば役割が狭まった印象も受ける。「異例」に見えるキャリアチェンジだが、現在の役職や待遇は気にならないのだろうか?
「まだ成果も出していない状況なので、フォーカスした領域を任せるのは正しい責任の持たせ方だと思っています。待遇についてもよく聞かれますね(笑)。企業のフェーズが違いますから当然同じではありません」
荒濤氏は「欲しかったのは肩書きではなく、爆発力のあるチャンス」だという。
「何より、製造業は世界でも最大級の市場で、この事業を成功させることで世の中に与えられるインパクトはこれまでの比ではありません。
50代となりキャリアの終盤をむかえていますが、私にとってキャディは初めての日本発・スタートアップ。思いっきりチャレンジしたい」