マイクロソフトのサティア・ナデラCEO。
Sean Gallup/Getty Images
マイクロソフトが米国時間2月7日に開催したイベントは、まるでスティーブ・ジョブズがiPhoneを発表したときのような話題性と技術水準を兼ね備えた内容だった。
シアトル郊外のマイクロソフト本社で報道陣が会場を埋め尽くすなか、サティア・ナデラ(Satya Nadella)CEOが今世界で最もホットな技術、GPT(OpenAIが開発した大規模AI言語モデル)の新バージョンを搭載したBing検索エンジンのアップデートを披露した。
ナデラはにこやかな表情を浮かべ、ジョークも飛ばした。そして、いつもは冷静で思慮深いナデラが、20年にわたってオンライン検索の分野を独占してきたグーグルにこう宣戦布告したのだ。
「検索の新しい日だ。急激なイノベーションがやってくる。事実、今日からレースが始まる」
さんざんこき下ろされて消滅の運命をたどった携帯音楽プレーヤーZuneを販売したのと同じ企業だ。Bingはこの10年、ジョークのネタにされてきた。Windows Mobileを覚えているか? もちろん、忘れていただろう。
これまでマイクロソフトが成功したのはエンタープライズ向けソフトやクラウドインフラといった地味な領域がほとんどだった。しかし今回、同社はついにコンシューマー向けテクノロジーの限界を押し広げ、何十億もの人々の想像力をかき立てる何かを手に入れたという大きな手応えをひしひしと感じている。
マイクロソフトの元幹部であるソマ・ソマセガー(Soma Somasegar)は言う。
「ほんの数カ月前まで、グーグルが後塵を拝することになるなんて誰が想像したでしょう。このような機敏で斬新なイノベーションがマイクロソフトから生まれるのは素晴らしいことです。自分たちの曲に合わせて象を踊らせているんですから。(中略)マイクロソフトのこの動きに圧倒される人は多いでしょう」
マイクロソフトの救世主
マイクロソフトがコンシューマー向けAIに初めて大きく踏み込んだのは、2016年初頭、チャットボット「Tay」の発表だった。しかし、Tayはわずか数時間でヒトラーファンのセックスロボットに変貌し、同社はプロダクトの停止を余儀なくされた。
グーグルとの競争ではこれ以上ないほど負けていた。Tayのわずか数日前、グーグルのDeepMind部門は囲碁の世界チャンピオンに勝ったソフトウェアとして驚異的なAIのマイルストーンを達成した。ほかにもグーグルは、Google Photo、Google翻訳、検索エンジンなどの人気のプロダクトに機械学習などのAI技術を次々に取り入れていた。
AI分野におけるマイクロソフトの救世主となったのは、同じく2016年、リンクトイン(LinkedIn)をマイクロソフトが買収した際に現れたケビン・スコット(Kevin Scott)だ。スコットは、グーグル、アドモブ(AdMob)、そして2001年にマイクロソフトでもインターンとして働いた後、当時リンクトインのエンジニアリング業務を担当していた。
マイクロソフトのCTO、ケビン・スコット。
Vetala Hawkins and Microsoft
ナデラは2017年初め、スコットをマイクロソフトの最高技術責任者(CTO)に任命した。当初の任務は幅広く、マイクロソフトでは比較的目立たない存在だった。最近Insiderが取材した社員の間でも、スコットのことを知る者はほとんどいなかった。Bing事業部に所属する人物は「ケビン・スコットって誰?」と言い、ある現職の幹部も、スコットは社内の一部では直接のやりとりが「見えない」状態だと語った。
しかし、その裏では影響力を持ち尊敬されており、管掌する組織の社員の満足度は概ね高い。スコットの友人であるテック企業の幹部は、次のように評する。
「彼は積極的でとても好感が持てるし、人柄もいい。技術に明るく、強い意見を持っている。さまざまなソフトウェア言語を使いこなし、システム設計にも定評がある優秀なソフトウェアエンジニアだ」
OpenAIと組むというアイデア
Tayの大失敗にもかかわらず、マイクロソフトはAIをあきらめてはいなかった。この重要な技術分野で前進するためのエネルギーは、まだ社内にふんだんにあった。
CTOになったスコットは2018年頃からAIにいっそう強い関心を寄せるようになり、OpenAIに接触することを思いついた。スコットがOpenAIのCEOのサム・アルトマン(Sam Altman)を知ったのは、アルトマンがアーリーステージのスタートアップであるループト(Loopt)に自分を採用しようとしたのがきっかけだ。そして2人は、後に画期的な結果につながるパートナーシップを築き始める。
OpenAIのサム・アルトマンCEO。
Drew Angerer/Getty
「本件のすべてを最初に思いついたのはケビンだ」と語るのは、OpenAIとのパートナーシップ案件に関わった、匿名での取材に応じたマイクロソフトの関係者だ。その人物によれば、OpenAIに最初にアプローチしたのはスコットのほうだったという。
「彼はAIで大成功を収めたいと思っていた。ターボをくっつけて他のテック企業をゴボウ抜きにしたかったのだ」
ストラテチェリー(Stratechery)のアナリストであるベン・トンプソン(Ben Thompson)の最近のインタビューで、スコットとアルトマンは経緯の一端を語っている。2018年夏のカンファレンスでナデラと軽く話をした後、アルトマンは、OpenAIはことの始まりからスコットと一緒に仕事をしてきたと述べている。スコットも次のように振り返っている。
「あれは2018年だったと思うが、実はいろいろとすり合わせをして、マイクロソフトとOpenAIが提携するのは実はとても良いアイデアだと判断した。以来、私たちはかなり密接に協力してきた」
Google CloudからMicrosoft Azureへ
当時、OpenAIは大規模な言語モデルをリリースしたばかりで、AI分野における2つの既存のアイデア、つまりTransformerと教師なし事前学習を組み合わせることで得られる利益に関する研究論文も発表していた。
その結果生まれたのが、GPT(Generative Pre-Trained Transformer:生成的事前学習済みTransformer)と呼ばれるものだ。そしてこのGPTの第3世代であるGPT-3こそが、2022年11月末の公開以来、世界を席巻しているOpenAIのチャットボットChatGPTに使われている言語処理モデルだ。マイクロソフトの新しい検索エンジンBingは、複雑な質問に答えるための機能としてGPT-3の新バージョンを使用している。
2018年当時、OpenAIの初期のGPTモデルはGoogle Cloud上で稼働していた。スコットとアルトマンの最初の契約では、マイクロソフトが10億ドルの投資と引き換えにGPTを独占的にライセンスし、OpenAIはグーグルではなくマイクロソフトのAzureクラウドサービスを利用することで返済しなければならないことになっていた。
この提携を直接知る人物によると、当時の主な目的は、マイクロソフトの検索機能を強化することと、WordをはじめとするMicrosoft Office製品内の言語翻訳機能を提供することだった。この関係はその後、「マイクロソフトの無謀な期待を上回る成果を上げている」と、この人物は述べている。
スコットは、長年AIのボスであったハリー・シャム(Harry Shum)が退職した後、2020年初頭にマイクロソフトのAI戦略を正式に引き継ぎ、AI戦略、インフラ、サービス、アプリに関する研究開発、Bingを含むAIに特化したプロダクト群を担当することになった。同年、彼はAIに関する本を出版している。
正のフィードバックループ
OpenAIとのディールは、マイクロソフトがAI競争でグーグルに追いつくための基礎を築いた。ChatGPTはローンチから2カ月ほどでユーザー数が1億人に達し、史上まれに見る急成長を遂げたコンシューマー向けアプリケーションとなった。
そのすべてが、マイクロソフトのサーバーとデータセンターの拡大するネットワーク上で実行され、実質的に巨大なスーパーコンピューターとしてOpenAIのモデルがすべてのやりとりを解析・学習するのを助けている。
このような消費者の大規模なエンゲージメントはITプロダクトの改良の原動力になる場合が多く、その結果、さらに多くのユーザー、多くの学習、そして多くの利益を引き寄せる。グーグルは、誰かが質問をし、結果をクリックするたびに学習する検索エンジンでこの正のフィードバックループをマスターした。
そして今、マイクロソフトはそのループをBingやOfficeのアプリケーションをはじめとするソフトウェアで再現するチャンスを手にした。最近、OpenAIとの新たな契約を発表し、その価値は100億ドル(約1兆3000億円)とも言われている。これまでと同様、Azureがこの新しい技術のすべてを動かす独占的なクラウドプロバイダーだ。
AIスタートアップを手がけるあるベンチャーキャピタリストは、Insiderの取材にこう答えている。
「グーグルはすべてを手にした完全無欠の業界No.1だったが、今後はシェアを維持するために戦う必要があります。PCも使わないような友人たちが突然、Bingを使う順番待ちに並んだわけですから」
いずれマイクロソフトとOpenAIによる新しいプラットフォームが登場し、外部の開発者、スタートアップ企業、大企業にジェネレーティブAIツールを提供できるようになるかもしれない。スコットは、ストラテチェリーのトンプソンにこう語っている。
「我々が開発しているのは、強力なコンピューティングと強力なAIモデルのプラットフォームであり、他にもあまたの人たちがそれを基盤にして開発しようとしている。いま目にしているのは、この新しいプラットフォームの出現のごく初期段階だ」