リクルートの学びアプリ「スタディサプリ」。
撮影:三ツ村崇志
「営業のプロセスやその通過要件を整理して、ちゃんと営業を“やっているつもり”でした。でも、実際には多くの場合で、ちゃんとできていないことが分かったんです」
そんな悲しい現実を語るのは、リクルートのスタディサプリの営業部隊を統括している、まなび教育支援Division・組織長の木村健太郎さんだ。
リクルートといえば営業力に定評があることで知られる大企業だ。スタディサプリといういち事業部の出来事とはいえ、そのリクルートの営業部隊が「やるべきことができていなかった…」というのは、一体どういうことか。
「分かる」と「できる」の間を埋める
多くの社員が営業を”やっているつもり”になっていた。
撮影:今村拓馬
リクルートが販売するスタディサプリは、もともとは個人向けに開発されたオンライン学習ツールだ。ただ、数年前から学校現場への導入が増え、いまでは全国にある約5000の高校の約4割(約2000校)への導入が進んでいる。
ただ、事業が急拡大する中で課題が出てきた。
「この6〜7年の間に、営業人員やマネジメント人材を、属人的な規模から誰がやっても一定の品質に保てる状態にしておく(標準化する)必要がでてきたんです」(木村さん)
例えば、学校現場に営業をかけるには、校長先生や管理職から学校としての理想や現状の課題をヒアリングした上で、自社のサービスが寄与できる部分を説明、提案する。学校の年間スケジュールや、予算を組むタイミングなどは全国の高校である程度共通しているため、営業プロセスそのものは比較的標準化しやすい。
ただ、そのプロセスにまつわる情報をうまく引き出す「営業ノウハウ」は属人性が高い。
やらなければならないことは分かっていても、実際にそれをうまくできるかというと難しい。
組織が急拡大していく中で、「分かる」と「できる」の差分を埋めていくために何ができるのか。
そこで目をつけたのが、リクルート出身でもある中野慧さんが創業したブリングアウトのサービス・BringOut(当時はまだβ版)を使った「商談のDX」だった。
商談を「科学する」
リクルートの木村健太郎さん。スタディサプリの営業を率いるまなび教育支援Divisionの組織長を務める。
画像:取材画面をキャプチャ
BringOutでは、商談の録音データを精度良く文字起こしした上で、営業を次のステップに進めるための「鍵」になる重要箇所を抽出。該当箇所だけを聞き直したり、報告書などとしてまとめたりすることができる。
営業担当者がうまく顧客とコミュニケーションを取れているかどうかを確かめるには、極端な話、商談の音声データをすべて聞き直せば良い。ただ、それでは圧倒的に効率が悪い。
「『聞きたいところだけ』を聞けるようにしたかったんです。また、これまではまとまった商談データをちゃんと分析していませんでした。『営業を科学する』ための素材を集めて、特定の情報を抽出して適切なアドバイスができるようになれば、時間の節約や組織構成の見直しができると思ったんです」
と、木村さんは狙いを語る。
中野さんによると、音声データを文字起こしする精度自体は、比較的スムーズに高めることができたという。その上で「抽出する要素」を決めるプロセスをスタディサプリ側とすり合わせていった。
「お客様の予算や決済に関する“会話そのもの”を精度良く抽出しても、良し悪しの判断は属人的になります。そもそもどういった情報を『正しい情報』として抽出するべきなのか、商談を分解しながらAIをカスタマイズ設計していきました」(中野さん)
例えば、多くの営業現場では、顧客情報の聞き取りやサービスの説明がある程度できた段階で、担当者レベルに「あなたなら導入したいですか」とヒアリングする「テストクロージング」と呼ばれる意思確認の工程が存在する。
「サービスを使いたいですか?」という確認工程を認識できることを前提に、「そのプロセスの『通過条件』をいかに精緻に言語化するか。これについては、我々も正直甘かったと思っています」と、木村さんはすり合わせの中でも営業の課題が見つかっていったと話す。
サービス画面のイメージ。画面右側に、商談の要素が抽出されている。
画像:ブリングアウト
基本的に、営業は顧客に断られたくない。一方、顧客側も明確に断るのは気が引ける。
結果的に、営業からの「どう思いますか?」という質問に対して、顧客側がなんとなく「いいんじゃないですかね」と回答した段階で、「顧客側に『導入意向あり』と判断しているケースが多かったんです」と木村さんは話す。
これまでの営業では、「顧客の導入意向の有無」というゼロイチのチェックだけで、顧客側の実際の感触までを反映できていなかったのだ。
「契約が取れそうだった商談が突然ひっくり返ることがあります。そんな馬鹿な?と思うかも知れませんが、それは営業側がそう思っているだけで、顧客側は最初からそういう温度感だった場合もありえます」(木村さん)
ブリングアウトとスタディサプリは、マネジメント側が考える「正解」を仮定し、高いパフォーマンスの営業人材の商談データとすり合わせながら抽出すべき要素を精査。アルゴリズムを構築していった。
こうして、2022年4月から、商談DXツールBringOutをスタディサプリの営業部で試験的に運用。7月には本格的に導入することとなった。
「できる営業」と「できない営業」の違いとは?
商談でヒアリングできている項目を抽出した結果、予算のヒアリングやテストクロージングがうまくできている割合が低かったという。
画像:ブリングアウト
導入開始から1年弱。木村さんは、BringOutを営業ツールとして活用していく中でできる営業とできない営業の「パフォーマンスの違いが見えてきた」と話す。
実際のサービスでは、商談の録音データをアップロードすることで、例えば「予算」などのように特定のテーマを検索したときに、関連する会話が抽出される。上長やチームリーダーは、それを踏まえて顧客とのコミュニケーションをアドバイスしている。
「事前のロールプレイングとは異なる状況でも、聞くべき要素を聞けているのか確認できるようになりました。そこで、今までの営業の何が問題だったのか、自分たちが想定していなかった課題が分かってきました」(木村さん)
その最たるものが、冒頭で紹介した営業のプロセスやその通過要件を「聞けているつもりになっているだけで、実際には正確に聞けていない」こと。つまり、形だけの営業になっているということだった。これは、商談を進めていく上で致命傷になりかねない。
例えば、受注に関連した情報は、直接成功率に効いてくる。
受注に直接は関係していなくても、サービス導入後のコミュニケーションや現場に導入するタイミングで必要な情報を聞きそびれていれば、失注につながったり、顧客の満足度を下げたりする要因になる。
ブリングアウトの中野慧代表。BringOutを使って、自らの営業ノウハウもアップデートし続けているという。
画像:ブリングアウト
スタディサプリに限らず、あらゆるサービスは商品を販売して終わりではない。
中野さんはさまざまな分析を進めていく中で、ハイパフォーマーの一般的な営業手法を捉えることができたと話す。
「パフォーマンスが上がらない営業は、『予算はどの程度なんですか?』というふわっとした質問に、ふわっと返答されているケースが多かったんです。一方、ハイパフォーマーの営業は、特定のプランに対する導入意向を確認したり、競合サービスに使っている予算を聞いたりしていました。プロセスの通過条件をハイパフォーマーのやり方で定義してしまえば、営業はもっと効率的になるはずです」(中野さん)
ブリングアウトは、スタディサプリとの取り組みなどを通じて得られた営業の生産性にまつわる汎用的な知見を生かして、業界全体の営業の質を高めていきたいとしている。
もちろん、スタディサプリの営業部で培ってきた「秘伝のタレ」のような営業ノウハウは公開できない。ただ、「顧客のニーズを聞いて、解決策となるプロダクトを提案する大枠はどの営業でも変わりません。営業活動全体を良くしていった方が業界の改善につながる」(木村さん)という。
「同じ業界の中で営業の知見を貯めていくことで、底上げになっていく。営業の教科書のようなものを作って、みんなでレベルアップしていく世界観に貢献していきたい。そうすれば、成果が上がらない営業はもちろん、そういう営業に付き合ってきた顧客も救われるはずです」(中野さん)
「分かる」を認知可能な感覚に
「できないことができるようになっていく」というプロセスをより認知可能なものへと変える。
Shutterstock / Gumbariya
また、営業を精緻に言語化していく過程で、木村さんは「できないことができるようになっていく」というプロセスをもっと認知可能なものへと変えていける可能性を感じたと話す。
例えば、営業で必要となる「コミュニケーション力」は一般的には「非認知能力」と言われる。
ただ、「できる営業」のノウハウを抽出したように、コミュニケーションに必要なプロセスを抽出していくことができれば、「うまいコミュニケーション」を実現するための戦略を考えることができるはずだ。
「私たちは教育事業を担っている者として、どうやったら子どもが自律的に勉強するようになるか、どうやったら人は成長するのかを考えています。
パズルのピースみたいに10個そろわないといけないけど、9個までしかそろっていないようなことってありますよね。実はその10個目が見えていなかっただけなのかもしれない。それが見えるようになれば、アプローチのやり方は全然違うものになってくるはずです」