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「経営の肝は選択と集中」——。ビジネスにおいて「フォーカス」することがいかに重要かについては、改めて力説するまでもないでしょう。おそらくみなさんも耳にタコができるほど聞かされているので、「フォーカスの重要性? そんなことは分かってる」と感じるかもしれません。
ところがいざ自分が組織を率いる立場になり、戦略を絞らなければならない立場になると、あれもこれもやりたがる人が多いのに驚きます。
戦略ほど大きな話でなくても、例えば「毎日やることが多くて忙しい」と言っている人も同様です。毎日あれやこれやで忙しい、だからもっとフォーカスすることが重要だ、と頭では分かっているのです。そして実際に、30あるタスクのうち数個を減らしてみたりもするでしょう。
ただしここで注意が必要なのは、やることの数個をやめるレベルでは、フォーカスしたことにならないということです。
これは、フォーカスの重要性は分かっているものの、どの程度フォーカスすればいいかが分かっていない典型例です。頭ではフォーカスの重要性は理解しているけれど、本当の意味でフォーカスできていないのです。
そこで今回は、フォーカスの重要性と、なぜフォーカスすることが難しいのか、どうすればそれを克服できるのかについてお話ししましょう。このあとご紹介する2つのことを意識するだけで、本当の意味でフォーカスできるようになります。
「フォーカス」とはたった1つに絞ること
アップルに復帰したジョブズは「フォーカス」することで組織を立て直した。
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スティーブ・ジョブスはある企業の幹部向け講演会で、「多くの企業が1年以内に達成したいことを10個リストアップするが、賢い会社はその10個から3つか4つに絞る」と話し、こう続けたと言います。
「私のやり方はこうだ。紙を1枚用意し、『私の会社が来年、たった1つのことしかできないとしたら、それは何か?』と問う。そして文字通り、他のことはすべてやめるんだ」
つまり、ジョブスが率いたアップルにとってのフォーカスとは、多数のことを10に絞ることでも、3〜4に絞ることでもなく、たった1つにすることだったというわけです。
経営の大家ピーター・ドラッカーは、著書『マネジメント——基本と原則』でマネジメントについてまとめています。その基本原則の1つは「成功のためには1点の強みに集中して卓越する」。ここでも1点にフォーカスすることの重要性が述べられています。
フォーカスを阻む2つの壁
しかし、上述したようにフォーカスするのはなかなか難しいものです。なぜか。フォーカスを阻む2つの「壁」が存在するからです。その2つとは「不安の壁」と「バカの壁」です。
不安の壁
まず、「不安の壁」です。フォーカスするということは、絞る、集中するということです。先ほどのジョブズの言葉を借りれば「大事なことを10ピックアップし、それを3でも4つでもなく、1つにフォーカスする」ということです。
このとき、多くの人がこんな不安に襲われるはずです。「万が一、この1つが失敗したらどうしよう」。フォーカスして万が一失敗したら、責任をとらなければいけない——そんな不安が頭をよぎるかもしれません。
この不安に負けると、リスクヘッジという美名のもと「もう1つ、さらにもう1つ……」と選択肢を残したくなってしまうのです。この悪魔のささやきに打ち勝つ勇気が必要です。これを私は「不安の壁」を越える、と表現しています。
バカの壁
フォーカスした結果、話は往々にしてシンプルになるものです。そのシンプルな話を現場に伝えると、「そんなの分かってる」と、バカにしたような反応が返ってくることがあります。
バカと思われるより賢いと思われたいのが人の性(さが)です。不思議なもので、小難しい話をする人ほど「あの人は賢そうだ」と尊敬の目で見られる傾向にあります。そのため、特に高学歴やポジションが高い人たちなど、自分のことを賢いと思っている人ほど、小難しい話をしたい欲求に駆られます。これが私の言う「バカの壁」です。
不安の壁やバカの壁が現れたら、不振のアップルを立て直したジョブズを思い出してください。「あのアップルでさえフォーカスすることで成功したのだ」「我が社がフォーカスせずして勝ちはない」と肝に銘じて、2つの壁を追い払い、フォーカスすることを意識してください。
フォーカスすれば弱者にも勝機がある
フォーカスすることの重要性を教えてくれるのが「ランチェスターの法則」です。もともとは戦争の分析から始まったものですが、ビジネスのさまざまな場面でも応用がきくことが分かっています。
ランチェスターの法則とは、戦争開始から時間が経つにつれて戦力がどのように減少するかを予測するモデルです。法則は2つあり、それぞれ「弱者の戦略」と「強者の戦略」と呼ばれています。
- 弱者の戦略(第一の法則):弓や槍など古典的な近距離戦を想定しており、(前提として1人ひとりが同じ能力で、新たな戦力の投入がなければ)時間とともに減少する兵士の数は、最初の兵力差による、というもの。例えば最初の兵士の数が50人(強者) vs. 30人(弱者)が戦うと、時間が過ぎると同数の30人ずつ被害を受けて、残る兵士の数は20人(強者) vs. 0人(弱者)になる。弱者は全滅するけれど、強者にも大きなダメージ(30人)を与えられるので「弱者の戦略」と呼ばれる。
- 強者の戦略(第二の法則):機関銃など近代的な遠距離戦を想定。前提は弱者の法則と同じだとすると、強者の法則では、被害は最初の兵力の差の二次的に減少することになる。つまり、50人 vs. 30人で戦うと、結果は40人 vs. 0人になる。第一の法則に比べて強者(50人)の被害が10人とより少なく済むことから「強者の戦略」と呼ばれる。
フォルクスワーゲンは新しい市場に進出する際、ランチェスター戦略を巧みに応用していた。
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実際、自動車メーカー大手のフォルクスワーゲンは、経験則的にランチェスター戦略を実行していたことが知られています。
同社は新市場に参入する際、自社の市場シェアが40%を超える地域を1つ獲得することを最初の目標としていました。その一方で、既にシェアが40%を超える強者がいる地域は後回しにしていました(同社ではこれを「40%コントロール主義」と呼んでいました)。
つまり、新たな市場に参入する際に、強い競合が存在せず自社の市場シェアが40%以上にしやすいエリアにフォーカスしていたということです。
もちろん、必ずしもフォーカスが絶対とは限りません。それは強者の戦略を選択できる場合です。無限にリソースがあれば、フォーカスせずにすべてやることもできます。
つまり、フォーカスは弱者の戦略だともいえます。弱者が強者に勝つには、フォーカスして逆に強者になればいいのです。
例えば、先ほどの50人 vs. 30人の戦いの場合、30人が弱者です。しかし、もしもこの50人が20人と30人とに分かれていたらどうでしょう。弱者が20人のエリアを集中的に攻めれば、20人vs. 30人の戦いに持ち込めます。つまり、戦うエリアをフォーカスすれば弱者が強者に代わることがあるのです。
私がリクルートで営業を担当していた時代に参考にしたのは、まさにこの戦略です。
フォーカスして形勢逆転
当時私は、横浜支社の営業担当でした。ところが競合企業のほうがシェアが高く、私たちは劣勢でした。
この形勢をなんとか逆転させようと考えた私は、顧客を通して競合企業の担当営業の名前と特徴を教えてもらうことにしました。
そこで分かったのは、競合企業の方が営業担当の数が多いということでした。このままでは、まさにランチェスターの弱者の状況で、負けてしまいます。
皆で知恵を絞った結果、私たちは競合企業の特定の営業担当にフォーカスすることにしました。
競合企業の特定の営業担当に狙いを定めたら、その営業担当が抱えている顧客群を割り出し、そこに自社の営業担当全員で営業攻勢をかけたのです。つまり、特定の顧客群に対してだけ、こちらのほうが営業担当数で優位になるような状況を作ったわけです。
当然、私たちに攻勢をかけられた競合の営業担当者は大変な状況に陥ります。ここでもし、競合企業の営業担当者同士が協力していれば、私たちの攻勢を防ぐことができたかもしれません。しかし実際には、私たちにとっては幸いなことにそうした協力関係は起きませんでした。結果的に、私たちは時間とともにその顧客群でのシェアを逆転させることに成功しました。
1人の営業担当者に対して勝利したら次の営業担当者に狙いを替え……という具合に繰り返していき、最終的には全体のシェアをひっくり返すことに成功したのです。
このように、たとえ弱者であっても、フォーカスすることで強者を相手に形勢を逆転させることができます。
ポイントは、まずニッチな市場やセグメントを見つけること。そしてその狭い戦場で1対1の戦いに持ち込み、力を集中させることです。
たとえ相手が大手企業でも、ニッチ市場には十分な経営資源(人、モノ、金、情報)を投入していないことが多いものです。しかも、大企業ほど社内の手続きが多くスピードが遅いもの。そこをうまく突いて個別撃破すれば、限られたリソースでも勝つことができます。ぜひあなたの組織でも試してみてください。
そして、フォーカスする際には、上述の「不安の壁」と「バカの壁」が来ることを予測し、むしろそんな状況を楽しんでください。「アップルでさえフォーカスするのですから、私たちだって当然フォーカスするんです」と。
中尾隆一郎:中尾マネジメント研究所代表取締役社長。1989年大阪大学大学院工学研究科修了。リクルート入社。リクルート住まいカンパニー執行役員(事業開発担当)、リクルートテクノロジーズ社長、リクルートワークス研究所副所長などを経て、2019年より現職。「旅工房」、「LIFULL」、「ZUU」社外取締役、「LiNKX」非常勤監査役、「博報堂テクノロジーズ」 フェローも兼任。新著に『「本当に役立った」マネジメントの名著64冊を1冊にまとめてみた』がある。