2月3日、米空軍の偵察機U-2から撮影した撃墜前、米大陸横断中の中国気球。
U.S. Air Force/Department of Defense/Handout via Reuters
中国の気球がアメリカ大陸を横断し撃墜された事件は、対話の機運が芽生えていた米中関係を悪化させた。
バイデン米大統領は「新冷戦は望まない」として、習近平国家主席との対話を呼びかけたが、米中外交トップ会談は物別れに。
結果的には、アメリカは気球事件を通じて「中国の脅威」を可視化することに成功した。その一方、中国という「外敵」を叩くことで内部の団結を強めることを優先し、外交を犠牲にする代償は小さくない。
2024年初頭の台湾総統選挙に向け、米中関係“炎上”の恐れが高まっている。
外交問題であり、内政問題でもある
事件の経過を振り返ろう。米国防総省の報道官が、中国の気球がアメリカ領空に入ったと公表したのは2月2日。ホワイトハウスの報道官は翌3日の会見で、気球は1月28日にアラスカ州から米領空に入ったと発表した。
大統領が最初に説明を受けたのは1月31日で、バイデン氏は対応策を軍に指示。これに対しオースティン国防長官は、「地上に残骸が飛散する危険が大きいため撃墜しない」と進言した。
アメリカの大陸上空を飛行する偵察気球は今回が初めてではない。ここ数年間で数回確認していたとされるが、今回はそれらより飛行時間が長かった。
ブリンケン国務長官は2月3日、中国外交トップの王毅・共産党政治局員に電話し、「無責任な行動であり明白な主権侵害と国際法違反」と非難。2月4日に予定していた初訪中の延期を伝え、事態は一気に外交問題へと発展した。
この訪中は、2022年11月にインドネシアのバリ島で行われた米中首脳による初の対面会談で合意したもので、双方に対話の機運が生まれた象徴でもあった。
しかし、米連邦議会では、気球をめぐってバイデン政権の対中弱腰に対する批判が出て、訪中中止を求める声が高まる一方だった。
気球は外交問題であると同時に、対中政策をめぐり政権と野党・共和党の対中強硬派が対立する、内政の争点にもなった。
中国側は2月3日、外務省ホームページ掲載の声明で気球を自国のものと認め、「民間の気象研究用の飛行船が航路を外れ」「西風の影響を受けて不可抗力でアメリカに迷い込んだ」ことを初めて明らかにし、遺憾の意を表明した。
軍事偵察用の気球の可能性
2月5日、米サウスカロライナ州沖の米領海で撃墜した中国気球の回収を進める米海軍の爆発物処理チーム。
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気球は2月4日、南東部のサウスカロライナ州沖に達し、米軍戦闘機F22が空対空ミサイル1発で撃墜した。残骸は米領海内の約11キロメートルの範囲に広がったが、気球の下部に付いたプロペラなど約1トンの搭載物を含め、2月16日までに全ての回収作業を終えた。
野党・共和党の対中強硬派は、撃墜を歓迎するどころか、「発見から8日間も要し、遅きに失した」と批判を続けた。
一方、中国外務省は2月5日、撃墜について「明らかに過剰反応で国際慣例に違反する」として「強烈な不満と抗議」の声明を発表。今後の対応について「さらに必要な反応をする権利を留保する」と対抗措置を示唆した。
中国側は気球を「民間の気象研究用の飛行船」と主張するが、説得力はない。軍事用偵察が目的だったことはほぼ疑いない。
ただ、多くの気象観測用の気球や機器が「軍民両用」で使われているのも間違いなく、その意味で中国側の主張は「うそ」とまでは言えない。
気球の下には約1トンもの搭載物があり、複数のアンテナで地上の通信の情報を集め、発信地の位置も把握していたとみられる。
複数のプロペラが付いていて、ジェット気流の中でも向きを変えられるとされるものの、最も重要な針路の決め手は気流だったようだ。
米ワシントン・ポストは2月14日、米政府関係者の話として、米軍は中国が海南島から気球を飛ばした後、米領空に入るまで約1週間、常に気球を追跡していたと報じた。
同記事によると、気球の当初の目的地はグアム島だったものの、偏西風で北に針路を変え米本土に到達したのだという。
気球事件をメディアが大きく報じた理由は、人工知能(AI)など先端技術を駆使したドローンによるピンポイント攻撃が行われているウクライナ戦争のような現代戦に比べ、「風まかせ」の気球による前近代的な情報収集が対照的な光景として映ったからではないか。
米中両国は低軌道の偵察衛星から相手側の軍事情報を探っているが、それでも気球を使うのは、衛星より滞留時間が長く地上に近い場所を飛べるメリットからとされる。気球は高度6万フィート(約1万8000メートル)を飛び、「衛星に比べ探知されにくく、コスト上の利点もある」と指摘する専門家もいる。
人工衛星では困難な「地上近くを飛び交う電波情報の収集」が目的、と米側は分析しているようだ。
中国に対し「下手に出た」?
ここまでが気球の米大陸横断と撃墜の経緯だが、これで幕引きにはならなかった。
米軍は2月10〜12日に3日連続で大陸上空の飛行物体を撃墜した。カービー戦略広報調整官は2月13日の記者会見で「国籍や所有者は不明」「偵察を疑う理由もない」と説明したが、メディアでは、これらの飛行物体も中国が偵察目的で飛行させたように受け取れる「印象操作」的報道が続いた。
バイデン大統領は2月16日の演説で、3日連続で撃墜した飛行物体を中国の気球とする証拠はないとし、「民間企業や研究機関、気象研究などにかかわる気球だった可能性が高い」と発表した。うち一つはイリノイ州の気球愛好団体のものとされる。
大統領はこの演説で「(撃墜の)謝罪はしないが、米中の競争が紛争に発展しないよう責任を持って管理する」と述べ、中国の習近平国家主席と協議して「真相を解明したい」と訴えた。「新冷戦は望まない」とも述べた。
演説内容から筆者は、バイデン氏が「下手」に出たのではという印象を抱いた。
大統領就任後、バイデン氏が習氏と対話・協議したのは計6回。2021年11月の初ビデオ会談後に中国側は、バイデン氏が習氏に約束した内容を「四不一無意」として発表した。
「四不」は、アメリカ側が(1)新冷戦を求めない(2)中国の体制変更を求めない(3)同盟関係の強化を通じて中国に反対することを求めない(4)台湾独立を支持しない、ことを指す。
また、「一無意」とは、アメリカに中国と衝突する意図がないことを意味する。
バイデン氏は「紛争に発展させない」「衝突を防ぐ」との発言はたびたび繰り返してきたが、「新冷戦は望まない」という表現を使ったことはほとんどない。
そのような表現をあえて取り入れてまで「下手」に出たとすれば、その理由は何か。
第1は、ブリンケン国務長官の訪中延期という政策決定の妥当性だ。
訪中延期の主要な背景は、議会で強まった対中弱腰批判という内政上の要因だった。しかし、それでは両国のリーダー間に生まれた対話の機運に水を差すことになる。中国は「対抗措置」を予告する強烈な反応を示しており、ここで「下手」に出て、外交失策の修正をする必要があったのではないか。
第2は、気球撃墜という軍事対応が攻撃用兵器ではない気球にとられたこと。安全保障上の緊急性がないのに、撃墜は果たして「釣り合うか」という疑問だ。
鈴木一人・東大大学院教授は「自国に脅威とならない場合は特段の措置は取らないのが基本姿勢で、それが賢い選択」と、朝日新聞(2月11日付)のインタビューに答えている。過剰対応とみるのだ。
日本の「悪乗り」
一方、日本政府は一連の事件を受け、撃墜など武器使用要件を緩和する検討に入った。
気球の日本上空飛来は、政府が確認しただけでも2019年11月から2021年9月までの間に、鹿児島、宮城、青森上空で3件。防衛省は当時「安全保障に影響はない」として、緊急発進はせず警戒監視にとどめた。
ところが今回アメリカが撃墜すると、「脅威ではない」との従来の認識を一転させ、航空機の安全確保を理由に武器使用要件の緩和案が急浮上した。安保関連3文書に関して閣議決定した、対中軍事力を強化する新たな方針に乗じた「悪乗り」と言うべきだ。
大統領と国務長官に「温度差」
ブリンケン国務長官は2月18日、ドイツ南部のミュンヘンで王毅氏と約1時間会談したが、撃墜対応をめぐり非難の応酬となった。
ブリンケン氏が中国の対ロシア支援まで取り上げ警告したことで、王氏も妥協の余地はないと考えたはずだ。
対中観をめぐり、バイデン大統領とブリンケン氏の間に温度差が生じているのではとの疑念も沸く。
バイデン氏は2月24日、米ABCテレビとのインタビューで、習近平氏が「気球事件」を「知らなかった可能性がある」と述べ、軍事分野の高官対話が中断している現状について、「問題を素早く解決できるよう、大国同士には直接対話があるべき」と付け加えた。
外交トップ同士の協議が事実上決裂した後で、大統領がリーダー対話の重要性を強調したことは興味深い。
米中対立の最大争点である台湾では、2024年1月に予定される次期総統選で与野党の接戦と政権交代の可能性もささやかれ始めた。
総統選挙で米政権側は、与党・民主進歩党(民進党)の政権継続を期待して支援工作を強めており、国民党の政権復帰に期待をつなぐ中国側と、今後「代理戦争」の様相を呈するかもしれない。
気球事件のほとぼりがまだ冷めない2月21日、台湾の呉釗燮(ご・しょうしょう)外交部長(外相に相当)は、1979年の米台断交以来初めて「外交部長」としてアメリカを訪れた。
さらに、野党・共和党のマッカーシー下院議長も訪台に意欲を見せており、台湾情勢は総統選挙と絡みながら「炎上」する危険がある。
バイデン氏が対中対話に強い関心を示し続けるのは、総統選が近づけば近づくほど、双方が妥協できる選択肢の「のりしろ」が狭まるからだ。