LayerXの福島良典CEO(左)と、三井物産デジタルアセット・マネジメントの上野貴司CEO(右)。
撮影:竹下郁子
企業の支出管理SaaSを提供するLayerXが、ジャフコグループら複数のVCを引受先とした第三者割当増資で約55億円を調達したと発表した。リード投資家は三井物産だ。三井物産はLayerXとジョイントベンチャー「三井物産デジタル・アセットマネジメント」を立ち上げ、デジタル証券を活用した資産運用サービスを提供している。「ライバルは銀行預金」だというその運用総額は、約2200億円。
「苦しかった」という調達過程や、調達の鍵となった大企業とスタートアップの協業について、LayerXの福島良典CEO(35歳)と、三井物産から出向している三井物産デジタルアセット・マネジメント(以下、MDM)の上野貴司CEO(48歳)に話を聞いた。
「複数事業あるからいい」風向きの変化感じた
「スタートアップ全体の市況感は、かなり厳しいと思います。僕たちもVCなど投資家に何社も断られました」
LayerXの福島良典CEOは今回の資金調達の過程を振り返り、そう語る。実際、INITIAL(ユーザベース社)の調査によると、2022年にダウンラウンドで調達した企業は50社にのぼる。
そんな環境でも「適正なバリュエーションで調達できた」(福島さん)のは、同社が選択した「コンパウンドスタートアップ」という決断が評価されたからだという。
コンパウンドスタートアップとは、創業時から複数の商品・サービスや事業を提供するスタートアップの戦略を指す。「1プロダクトで突き抜けろ」というシリコンバレー流の成功ベンチャーの通説に逆行するが、
「この不安定な市況になったことで、『複数事業を立ち上げる能力を持つ会社のほうが、利益を上げる力も高い』という評価を受けるようになったんです。
これまでは『SaaSもアセマネ事業もR&Dもやって結局、何の会社なの?』『そういう会社はウケないから何か事業を売却したらどうか』という投資家もいました。そういう人が逆に『MDMがあるからこそいいね』という反応に変わって、風向きの変化を強烈に感じましたね」(福島さん)
憧れのビルに数十万円から投資できる「デジタル証券」
上記のR&Dとは、プライバシーテック事業「Anonify(アノニファイ)」のことだ。LayerXのビジネスは支出管理SaaS「バクラク」シリーズと、本記事のテーマであるアセットマネジメントの3つで構成されている。
アセマネ事業を行う「三井物産デジタル・アセットマネジメント」(MDM)は、三井物産とLayerX、SMBC日興証券、三井住友信託銀行らが出資して2020年につくったジョイントベンチャー(合弁会社)だ。
出資比率は三井物産が53%に対しLayerXが35%で、三井物産の子会社、LayerXにとっての持分法適用会社になる。
MDMが狙うのは、「不動産やインフラ」などを裏付けとした「デジタル証券」という新しい市場だ。デジタル証券は有価証券をデジタルデータにしてブロックチェーンで管理する仕組みで、紙と異なり販売単位が自由に設定できるため、小口投資が可能になる。
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MDMのビジネスモデルは、基本的に1物件につき1ファンドを組成し、家賃収入からファンド運用に必要なコストを差し引いて配当金として還元するという、極めてシンプルなもの。
その最大の魅力は、これまで機関投資家や一部の富裕層などプロ投資家に限られていた数百億円規模の不動産への投資を、「個人」が、「数十万円」単位からできるようになる点だ。
投票で政治に参加するように、投資で街づくりに参加する。憧れのビルはもちろん、再生可能エネルギーのインフラ施設に投資すれば、環境に「いいこと」をしている実感も得られるだろう。
アセマネ業務をDXして業界最安の手数料を実現
MDMはこれまで東京都心のマンションやビルをはじめ、大手外食チェーンの物流拠点、草津温泉の旅館など安定的な利用料収入が期待できる物件を獲得し、デジタル証券を発行してきた。
運用資産総額は約2200億円にのぼる。
通常のアセマネ会社は投資家への販売を証券会社に託すことが多いが、MDMではソーシング(物件探し)からファンド組成・運用、販売まで全てを自社で行うのが特徴だ。
なぜ一気通貫で行うのか? 実はアセマネ業務、特にファンド運用は膨大かつ単純な事務作業の連続だ。入居や退居の手続き、賃料入金の確認、紙とハンコによる承認などをデジタル化してソフトウェアで管理することで、人件費を浮かせ、「業界最低水準の手数料」を実現したという。
LayerXからMDMに出向するエンジニアは、証券業にまつわる資格を取得して良いプロダクトづくりに励んでいる。
撮影:竹下郁子
MDMはすでに「第一種・二種の金融商品取引業」「投資運用業」のライセンスを獲得し、機関投資家などプロ投資家向けに販売をしてきた。今後、「証券会社」として関係当局の最終承認が降りるのを待って、MDMの“本丸”である一般向けの販売を開始する。時期は2023年春頃の予定だ。
2022年11月にスタートした事前登録は開始3日で1000人を超え、現在は約2000人が待機している。上場株の値動きが不安定な中、不動産やインフラ投資への期待が高まっているようだ。
「証券会社のライセンスは最も重たいものの一つので、実績や信頼のない僕たちだけではこんなスピードで取れません。
大企業だからできるパワープレイの数々、競合スタートアップからすると『これやられたら困るな』というお金や人の投資を三井物産はしてくれました。こうした利益を受けられるのは大企業と協業する醍醐(だいご)味ですね」(福島さん)
煮詰まり、事業ピボットを経て現在へ
撮影:竹下郁子
三井物産とLayerXが合弁会社を設立することになった経緯は、2018年に遡る。LayerXが事業のピボット(路線変更)をする前の、ブロックチェーンを主力事業としていた時期に三井物産が声をかけ、テクノロジーを活用した協業ができないか探っていたのだ。
その流れが一旦煮詰まり、何かアイデアがないかと同僚に声を掛けられたのが上野さんだった。2020年の改正金融商品取引法施行を見越し、個人向けのデジタル証券サービスをやりたいと思っていた上野さんにとっても、LayerXとの出会いは格好のチャンスだった。
はじめにつくったのは、スマホ上でデジタル証券の売買が成立する機能だ。しかし、前述のようにアセマネ業務を圧迫している、つまり解消すれば大きな付加価値になるのは「流通させる」過程ではなく、ファンド運用の膨大な事務作業だと気づき、方向転換。現在にいたる。
「アセマネ業務の人件費って何に使ってるかといえば『高度な判断』なんですが、一方で人が担っている事務作業をソフトウェアに変えるだけでも、金融業界的には相当なインパクトがあるだろうと」(上野さん)
ジョイントベンチャーに三井物産社内からは不安も
MDMの社内。
提供:LayerX
気になるのが、三井物産にはアセマネ事業を行う部署や関係会社がすでにある。なぜLayerXと合弁会社を新たに設立する必要があったのか?
「三井物産はアセマネ事業で数千億円を運用してきた実績があります。既存のやり方を変えるのは時間がかかるし、恐怖感も大きい。ゼロから作り上げたほうがいいと判断しました」(上野さん)
しかし、三井物産社内からは不安の声も上がっていた。
「これまで三井物産がやってきたアセマネ事業と違い、今回は販売も自分たちでやる。個人向けの商売ってBtoBの会社からすると、これまた恐怖感があるんですよね。
従業員のマネジメントも含めて本当にうまくできるの? 大丈夫か? と」(上野さん)
ベンチャーの文化を大企業のコンプライアンスで
社内には、スタートアップ社内によく見られる、お決まりのドラも。
撮影:竹下郁子
反対の声があるのも当然だろう。大企業とスタートアップの協業は失敗も多い。中でも課題となる「カルチャーの違い」を乗り越えるため、組織づくりには相当気を使ったという。
「多くのジョイントベンチャーはカルチャーで失敗します。たとえば三井物産主導の会社だからといって、全てを三井物産流でやろうとする」(上野さん)
MDMは創業時から一貫して、エンジニアを中心としたカルチャーをつくり上げてきた。
従業員は約40人。三井物産からは社長の上野さんのほか、社内公募で手を挙げた金融やアセマネ畑の社員らが4人、LayerXからはエンジニアを中心に15人が出向している。
社内のコミュニケーションツールはLayerXで使用しているものを踏襲。稟議の通し方もスピード感を削がないような設計にした。
一方で、金融業として重要なガバナンスは効かせる。定時は朝9時15分から夕方5時30分までで、勤務時間は7時間15分。立ち上げ期のスタートアップからすると異例の短さで、社員からは「やる気が削がれる」という声も上がったが、
「守りのコンプライアンスの考え方に、大企業とスタートアップではギャップがあるというのは承知しつつ、ここは『出資を受けるためのコストだと思って飲み込んでください』とお願いしました。金融はコンプライアンス遵守が重要です。そのあたりは研修を含めて手厚くやっています」(上野さん)
事業選定は「確実なもの×不確実なもの」を
撮影:竹下郁子
国はオープンイノベーション促進税制などで大企業からスタートアップへの出資を促す。この不況で大企業によるM&Aも増えるだろう。
福島さんはMDMがスタートアップと大企業が協業する際の「教科書」になるのではと語る。
「大企業×スタートアップでやってしまいがちなのが、不確実なもの同士を掛け合わせること。あるバズワード、たとえば最近だと『ChatGPTでなんかやりたいよね』とビジネスモデルもユーザーニーズも組織作りも正解が分からない事業を始めてしまう。
そうじゃなくて、確実なものと不確実なものの掛け算をすべきなんです。不確実なことに賭けて突破するスタートアップに対し、大企業は証明されたビジネスモデルをパワーでスケールさせるのが得意。そこを組み合わせることが大事なんだなと、僕もやりながら実感しました」(福島さん)
MDMでいうと、アセマネ事業はビジネスモデルとして確立されており、三井物産には豊富な実績もあった。一方で、デジタル証券として個人に販売したり、アナログな業務をデジタル化することはLayerXの強みだ。「不確実ではあるけど、なんか解けそうだよね、というものが協業に向いてるんです」(福島さん)
スピード感のため従業員の3分の1を投入
撮影:竹下郁子
加えて、「覚悟」も必要だという。協業は合意するコストがかかり、スピードでは絶対的な遅れをとる。
加えて、大企業の新規事業やイノベーション部署の担当者は複数プロジェクトを掛け持ちすることが多く、スタートアップ側はその決定を待つ時間が生じる。
今回は当初から上野さんがフルコミットでMDMに集中していたことが、事業立ち上げのスピード感につながったそうだ。
撮影:竹下郁子
同じくスタートアップ側のLayerXも、人的リソースの投入という大きなリスクを負った。
「今でこそLayerXは160人ほどの組織に成長しましたが、MDM立ち上げ当時の従業員は約30人でした。
その中で約3分の1を送り出したんです。『これはLayerXの生死をかけるプロジェクトだから、他の事業のことは一切気にせず行ってきてください』と。
1人2人出向させて、『芽が出たら人を増やしますね』なんてやってたら、この立ち上がりはなかったと思います。スタートアップ側も相当の覚悟をもって挑む必要がある」(福島さん)
こうしたかいあって、MDMはデジタル証券という新たな市場で先手を打つことができた。同社が組成した不動産デジタル証券ファンドは、いまや業界で国内最多だ。
いわゆるJTC「じゃない」人材どう育てるか
撮影:竹下郁子
とはいえ、ここまでの成果を出せたのは「上野さんの存在が大きい」と関係者は口を揃える。そんな上野さんの経歴は、世間が抱くいわゆる「JTCの管理職」のそれとは全く異なっている。
京都大学大学院工学研究科を卒業して新卒で三井物産に入社。これまでも不動産関連の資産運用会社を3社立ち上げており、うち2社を上場させ、自らCFOを務めたことも。
この激務の間にも、さらなる専門知識を求めて一橋大学の大学院で金融工学を学び、修士号を獲得している。
壁には金融業らしい文言が。ちなみに手前の自転車は上野さんのものだ。
撮影:竹下郁子
その後はアメリカ・シリコンバレーでスタートアップ投資に従事。主に再生可能エネルギーを活用したクリーンテック企業に投資した。
三井物産で23年間の在職中、16〜17年とほとんどを出向して過ごした上野さんは、「本社にいるほうが出向だと思ってます」と笑う。
「以前やりたかったプロジェクトが会社の中で潰れたことがありました。愚痴を言っていたら、そのときの大ボスだった役員に言われたんです。『通せなかったのは君だろう。責任は組織ではなく君にある。本当にやる気があったのか?』と。
そういう経験もあって、MDMは是が非でも通してやる、成功させてやると思って取り組んできました」(上野さん)
事業選定やカルチャーづくりに加え、上野さんのような「スタートアップマインド」を持つ人材を大企業が育成できるか? に、スタートアップと大企業の協業、いや日本のイノベーションの未来もかかっているのかもしれない。