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広島県教育委員会は2月半ば、中沢啓治さん作の漫画『はだしのゲン』を2023年度以降の小学3年生向け平和学習教材から削除すると決めたことが物議を醸した。
日本会議広島と住所を同じくする「平和と安全を求める被爆者たちの会」なる団体が削除の要望書を出していたことが分かり、教育の場で紹介される書籍をコントロールしようする動きが日本にも起きているのかとため息をついた。
アメリカでも今、公共図書館や公立学校の図書館から特定の図書を削除しようというムーブメントが保守派の草の根運動、また政治家の間で起きているのだ。
保守派が巻き起こす「禁書アクティビズム」
この「禁書アクティビズム」が芽吹いたのは2021年のことだ。コロナ禍による学校の休校やマスク/ワクチンの義務付けに反対する母親たちが設立した団体「Moms For Liberty(マムズ・フォー・リバティ)」が中心となって、特定の図書を削除するよう図書館に要求する活動を始めたのだ。
この団体が活発に活動する地域のひとつ、フロリダ州のインディアンリバー郡では、Moms For Libertyの動員によって150以上の図書が削除要求を受けた。ターゲットになったのは、例えばトランスジェンダーのアイデンティティをテーマにしたもの、非異性愛者の性描写のある作品、黒人の苦境や抑圧が描かれたノンフィクション本などである。
映画にもなったギリアン・フリンのサスペンス『ゴーン・ガール』やカート・ヴォネガットの小説『スローターハウス5』なども入っていた。
保守を自認する母親たちによる禁書アクティビズムの前線は、フロリダやテキサスなどの保守州だ。これと並行して、共和党の知事、共和党が過半数を占める州議会による学校教育からのリベラルな価値観の排斥が起きている。
こうしたムーブメントの中心人物の一人が、フロリダ州のロン・デサンティス知事だ。まだ正式に出馬表明はしていないものの、2024年の大統領選挙ではトランプの対抗候補になるとの呼び声が高い。
再選を果たし、家族とともに観衆に手を振るデサンティス知事(2023年1月3日、フロリダで撮影)。
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中絶可能な期間を短縮する法案に署名したり(裁判所に阻止された)、州内の都市の環境規制に介入したりと、2019年の就任以来、保守主義の政策を追求してきたデサンティス知事だが、彼が特に標的にしているのが学校教育である。
2021年6月には、トランスジェンダーの女学生が、中学、高校、大学のスポーツ競技に参加することを禁止する法案に署名した。これとほぼ同じタイミングで、デサンティス知事は公立学校でクリティカル・レース・セオリー(CRT:批判的人種理論)を教えることも禁止した。
CRTとは、1980年に米国の人種的平等は達成され、アファーマティブ・アクションは必要ないという考えに対抗して登場した、米国の制度は白人至上主義の上に成り立っているという理論だ。このCRTが最近の保守主義の間で、自虐的である、国を憎むことを教えているなどと批判されるようになった。
2022年には、通称「ゲイと言ってはいけない(Don’t Say Gay)」法案を通過させ、幼稚園から小学校3年生までの教育の現場で、ジェンダー・アイデンティティを論じることが禁じられた。
2022年11月の中間選挙をスムーズに勝ち抜いたことで、デサンティス知事はさらに勢いづいた。そしてこの2月、州内の大学で、DEI(ダイバーシティ、公平性、包括性)やCRTを教えることを禁じる法案を施行する予定であることを発表した。
もちろんこうした動きに対し、アメリカ図書館や国際ペンクラブ・アメリカ、アカデミア、教育の現場から批判の声が上がっている。中でも声が大きいのは学生たちだ。2月23日には、フロリダ大学、フロリダ州立大学、南フロリダ大学など、州内の大学に高校が加わり、学生による大規模なウォークアウト(ボイコット)が行われた。
禁書になるほど注目される
デサンティス知事が出版した新刊『The Courage to Be Free』のカバーデザインに「BAN THIS BOOK(この本を発禁に)」と上書きし、知事の禁書措置に抗議する女性(2023年2月28日、フロリダで撮影)。
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パフォーマンス性の高いデサンティス知事のやり方は特に目につくためここではフロリダを例に取り上げたが、禁書のムーブメントはフロリダに限ったことではない。
国際ペンクラブ・アメリカの調査によると、一番多くの図書を図書館から排除している州はテキサス州だし、その他、ワイオミング州、テネシー州、カンザス州といった保守州だけでなく、ペンシルバニア州やミシガン州などのパープル州(共和党・民主党の支持率が拮抗している州)を含む32州で、禁書のムーブメントが起きている。
この調査によると、2021年7月から2022年6月の期間に、図書館から禁書対象になった図書の数は全米で2532作。うち41%は主要キャラクターがLGBTQだったりLGBTQ関連のテーマを扱っているもの、40%は主要キャラクターが有色人種であるもの、22%が性的描写を含むもの、21%が人種やレイシズムを扱っているもの、10%が権利やアクティビズムに関するものだった。
(出所)“Subject Matter of Banned Content,” PEN America, September19, 2022.をもとに編集部作成。
このデータが示唆するのは、禁書アクティビズムは、マイノリティの声を反映する多様なナラティブを不可視化することを目的としている、ということだ。
もちろん、これに対するカウンターの活動が起きていないわけではない。書店やメディアが禁書扱いされた図書をフィーチャーしたり、書籍が排除された地域に版元がデジタルコピーを無料配布したりする動きもある。
こうしたことによって、書籍が図書館から排除されると、それが話題を呼んで売上が急増する。
マーケティング・リサーチ企業のNPDグループが行ったケーススタディによると、最多地域で禁書運動の標的となっているマイア・コバべの『ジェンダー・クイアー ある回想録』は、禁書が話題になるとその週の売上が前週比で1900部増えたという。
またカトゥーン作家アート・スピーゲルによるホロコーストをテーマにした『マウス』は、テネシー州の教育委員会から禁書指定を受けた翌週、3万部以上の売上増を記録した。
禁書アクティビズムの被害者は、周縁化された声を知ることで知見や視野を広げる機会を妨げられる子どもたちだけではない。最大の被害者は、学校教育の中で、マイノリティ性をもって生きている子どもたちである。
禁書アクティビズムは、人種的・性的・ジェンダー的マイノリティに対する一連の攻撃のほんの一面にすぎず、そのことを考えると心が痛む。
それでも、一度世の中に発せられた声を遮断することはできない。周縁化された声を不可視化しようとする禁書アクティビズムによって、逆にその声が拡散されていることに希望を感じる。
佐久間裕美子:1973年生まれ。文筆家。慶應義塾大学卒業、イェール大学大学院修士課程修了。1996年に渡米し、1998年よりニューヨーク在住。出版社、通信社勤務を経て2003年に独立。カルチャー、ファッションから政治、社会問題など幅広い分野で、インタビュー記事、ルポ、紀行文などを執筆。著書に『真面目にマリファナの話をしよう』『ヒップな生活革命』、翻訳書に『テロリストの息子』など。ポッドキャスト「こんにちは未来」「もしもし世界」の配信や『SakumagZine』の発行、ニュースレター「Sakumag」の発信といった活動も続けている。