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今週も、早稲田大学ビジネススクールの入山章栄先生が経営理論を思考の軸にしてイシューを語ります。参考にするのは先生の著書『世界標準の経営理論』。ただし、本連載はこの本がなくても平易に読み通せます。
中国EVメーカーのBYDが日本での販売を開始しました。となると日本の自動車メーカーも立場が危うくなるのでは……と思いきや、入山先生は意外にも「さざ波も立たないのでは」と言います。その理由とは?
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BYDが日本進出、勢力図はどう変わる?
こんにちは、入山章栄です。
いま世界中の自動車メーカーが、こぞってEV(電気自動車)の製造に乗り出しています。ガソリン車からEVに切り替わる未来を見据えてのことですが、そんななか、Business Insider Japan編集部の常盤亜由子さんは気になるニュースがあったようです。
BIJ編集部・常盤
中国のEV最大手、BYDが今年1月から日本での販売を始めました。自動車産業といえば日本のお家芸とも言われていましたが、このBYDの本格進出によって日本の自動車業界がどう変わっていくのかが気になります。入山先生はどのように予想しますか?
中国のBYDがついに日本に殴り込みをかけたことによって、日本の自動車産業はいよいよ危うくなったのか、ということですね。
これは僕の個人的な予想ですが、結論から言うと、BYDが参入してきたからといって、日本の自動車産業はほとんど変わらないと思います。
BIJ編集部・常盤
そうなんですか? なぜでしょうか。
少なくとも大きく、3つ理由があります。
第一に、そもそも自動車産業というのは「民族系」という言葉があるほど、伝統的に自国の会社が強いんです。
例えば日本では、一部の富裕層が外車に乗る人もいるけれど、やはり日本の自動車会社が強いでしょう。ほとんどの方がトヨタやホンダといった国産車に乗っています。
アメリカもいまだになんだかんだ言ってGM、フォード、クライスラーに乗る人は多い。ヨーロッパは、フランスに行けば自国のルノーとプジョーが強いし、ドイツに行けばみんなフォルクスワーゲンかベンツかアウディかBMWに乗っている。スウェーデンに行けばやはりボルボに乗るし、スペインに行けばセアト(SEAT)というクルマに多くの人が乗っている。
なぜかというと、まず母国メーカーの安心感がありますよね。加えて、自動車産業は裾野が広いので、自動車関連の仕事に関わっている人たちはみんな自社のクルマに乗る。だから売れるという理由が一つありますね。
BYDは中国の会社ですので、この中では根本的にハンデがあるわけです。
第二の理由は、さらに重要です。見落としがちなのですが、自動車業界の売れ行きを左右するのは、当たり前だけど販売網なのです。みなさん自動車というとクルマ本体のことしか言わないけれど、実は大事なのはディーラーの存在ですよ。
BIJ編集部・常盤
なるほど確かに……クルマを買うときはディーラーから買いますからね。
そう、だからディーラー網を築くのがすごく重要なのです。ところがディーラー網は一朝一夕には築けない。お店を日本各地に配置しなければいけないし、優秀な経営者と販売員がいないと売れない。ディーラー網を日本中に築くのは死ぬほど大変なのです。
例えば日本車は品質が優れていて、トヨタは世界で一番売れている車ですよね。それなのに、実はトヨタは、いまだにヨーロッパの市場には本当の意味で十分な成果を挙げられていません。トヨタはヨーロッパでも生産・販売しているのに、実はマーケットシェアは高くないのです。なぜなら、優れたディーラー網を民族系に押さえられているからです。
これはホンダも同じです。日本企業で欧州で一番シェアが高いのは日産ですが、これはルノーの販売網を使えるからです。つまり販売網を押さえられない会社は勝てないんですよ。
韓国の現代自動車(ヒョンデ)は、韓国では断トツNo.1のメーカーです。同社は過去に何度も日本に入ろうとしてきました。しかしことごとく失敗しています。やはり販売網を持っていないことが大きい。
そう考えると、BYDも日本では販売網をほとんど持っていない。日本の有力なディーラーと組もうとしても、そういうディーラーはすでにトヨタやホンダのクルマを専売で扱っているのでBYDは扱いません。ですから、少し申し訳ない言い方になるのですが、BYDが日本に上陸しても、まず何も起きない可能性が高いと思います。
なぜ日本にベンツがたくさん走っているのか?
BIJ編集部・常盤
でもBYDに限らず、外資の、特にEVのメーカーが日本のマーケットを目がけてやってくることは、今後もありそうじゃないですか。それでもやはり、さざ波も立たないのでしょうか。
うーん、当面は基本的に、さざ波も立たないでしょうね、おそらく。
実は僕はテスラに興味があって、青山のディーラーに行って試乗しようかと思ったこともあるんです。でもテスラも日本では販売網が弱い。僕の周囲にもテスラに乗っている人はいますが、ごく一部の人だけです。もちろんテスラはネット通販でもあるのですが、ネットで自動車のような高級品を買う人はまだ少ないですからね。
ではその中で、ベンツは売れていますよね。ベンツがなぜあれだけ日本で売れているかというと、あれはヤナセというディーラーを押さえたからです。だからこんなに普及したわけで、ベンツ単体では簡単にいかなかったでしょう。だからやはり大きなポイントはディーラーなんですよ。
本当に電気自動車は普及するのか
そしてBYDが成功しにくい理由の3つ目は、日本ではまだEV普及の壁が高いことです。僕はEVが本当に環境にいいのであれば(トータルで見ると環境によくないという説もあります)、当然、世界中に普及してほしいと思っています。でも当面は難しいのではないでしょうか。
BIJ編集部・常盤
これだけEVシフトが叫ばれているのに、それでもですか?
だってEVに乗ることで、何かメリットがありますか?
BIJ編集部・常盤
そうですねえ……「環境に貢献している」とアピールできるとか、自分でもいいことをした気持ちになるとか。
こう言ってはなんですが、それ以外にはあまりメリットを感じられないですよね。
BIJ編集部・常盤
確かに。私もいま乗り換えるかというと、ためらいますね。まだまだ充電ステーションも少ないし、もうしばらく様子見でいいかなと。野田さんはどうですか?
BIJ編集部・野田
僕も航続距離が不安ですね。何もないところで充電が切れたらと思うと、ガソリン車のほうが安心です。
BIJ編集部・常盤
電気自動車を普及させるためには、何が必要でしょうか。やはり減税ですか?
減税など経済的なメリットがあれば多少は普及が進むかもしれませんが、僕なら減税よりも利便性かな。僕は忙しいので、待つ時間が長いのが苦手なんですよ。いまのEVは充電に数時間かかるじゃないですか。それがもっと極端に短くなれば、普及するかもしれない。
例えばこれはオートバイではすでにある技術ですが、カートリッジ式のバッテリーにして、それをまるごと交換するだけにしたらチャージの時間がかなり短縮するはずです。いまはガソリンを入れるだけでも10分かかるけれど、カートリッジを着脱するだけならおそらく1〜2分で終わる。そうなればむしろ電気自動車のほうが利便性が高まるから、かなり追い風になると思いますよ。
やはりEVの普及には、ガソリン車と比べての圧倒的な安さ、あるいは利便性が必要になるはずです。今からそれを示唆する例をお示ししましょう。
変化が起きる時はあっという間
この写真を見てください。1枚目は1900年ちょうどの、ニューヨークのマンハッタンの五番街の写真です。
BIJ編集部・常盤
道を埋め尽くしているのはすべて馬車ですね。
National Archives
そうですね、では次にお見せするのは、1913年の同じ五番街です。
Wikimedia Commons
BIJ編集部・常盤
今度は全部、自動車になっている。すごい!
はい、当時のマンハッタンは一瞬でこのように変化が起きました。では、なぜここまで一気に変わったかというと、「クルマが発明されたから」ではないんですよ。なぜならガソリンで動くクルマは、1870年にはすでに発明されているのです。1900年の時点で、もうガソリンのクルマはあったんです。
ではなぜ1913年には自動車で道が埋め尽くされているかというと、1906~1907年にヘンリー・フォードが「T型フォード」の大量生産方式を編み出したからなんです。
つまりそれまでも自動車そのものはあったけれど、一般の人が買えるようなものではなかった。そこへフォードが、高品質でありながら圧倒的に安い車を製造するようになったんです。結果、お客さんが「あっ、自動車は馬より圧倒的に便利だね。しかも想像以上に安い!」と便益を感じたので、一気に普及したわけです。
だから、当時の自動車の普及の鍵となったのは、「自動車が発明されたこと」が決め手ではないんですよ。自動車は安くて圧倒的に便利なものだと一般の人が実感できるようなイノベーション(=フォードの大量生産方式)が起きたことが大事なんです。
1900年と1913年の写真で比較しましたが、自動車が大量生産できるようになったのが1906~1907年ですから、マンハッタンにクルマがあふれるまで、実質的に6年しかかかっていないことになります。
今日申し上げたいのは、「人間は本質的に合理的」だと言うことです。なので、自分にメリットがあると思えば買うし、なければ買わない。EVが普及しないのは、お客さんへのメリットがまだ弱いからです。ガソリン車よりも圧倒的に安く、かつ圧倒的に利便性が高くなるところにイノベーションが起きれば、それをきっかけに一気に普及するはずです。
BIJ編集部・常盤
なるほど。BYDが日本に進出したくらいでは、日本の自動車産業が大きく変わるほどのインパクトはない。EVが一般の人の手に届く価格になり、かつ人々が利便性を感じるようになって初めて普及し始める、というのが先生の見立てというわけですね。
はい。とはいえ、そういう意味で僕がおもしろいと思っているのが、先ほども少し触れたテスラなんですよ。長くなってしまったので、続きは次回、お話ししたいと思います。
入山章栄:早稲田大学大学院経営管理研究科(ビジネススクール)教授。慶應義塾大学経済学部卒業、同大学院経済学研究科修士課程修了。三菱総合研究所に勤務した後、2008年に米ピッツバーグ大学経営大学院よりPh.D.を取得。同年より米ニューヨーク州立大学バッファロー校ビジネススクールアシスタントプロフェッサー。2013年より早稲田大学大学院経営管理研究科(ビジネススクール)准教授。2019年から現職。著書に『世界の経営学者はいま何を考えているのか』『ビジネススクールでは学べない世界最先端の経営学』『世界標準の経営理論』など。