3月9日に日本と対戦した中国チーム。予想以上の善戦で日本人ファンから喝さいを浴びた。
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日本はこの1カ月、WBC(カーネクスト2023ワールド・ベースボール・クラシック)一色に染まっている。過去最強との呼び声高い日本代表は順当に1次ラウンドを突破し、2009年以来の優勝に近づいた。
一方、日本が入ったBプールの環境格差を見ると、野球が世界的スポーツでないことがよく分かる。メジャーリーグでトップレベルの大谷翔平がチャーター機で移動したのに対し、チェコは監督と選手の大半が本職を持つアマチュアだ。1次ラウンドで敗退した中国も野球はマイナースポーツに過ぎず、将来のドル箱に育てたいMLB(メジャーリーグ)が懸命にチームを育てている。
代表チームスタッフには日本人
中国代表に密着したドキュメンタリーはMLBの支援を受け制作された。
3月6日、WBC中国代表に密着したドキュメンタリー「昇・撃」が中国の動画サイトで公開された。作品からは、中国の野球振興がMLBと日本人に支えられていることが伝わってくる。
制作には中国プロ野球連盟(CNBL)とMLBが全面協力。合宿では英語が飛び交い、日本育ちの選手と日本人トレーナーが日本語で会話するシーンも登場する。監督を務めた厳泳俊は、日本の大学で映画制作を専攻し、野球にもある程度詳しいという。
老練な手腕とユーモアを交えた話術で日本でもファンが増えたディーン・リロイ監督(75)はマイナーリーグで長くコーチを務めたほか、メキシコやドミニカでも指導経験があり、育成を得意としている。現地での報道やドキュメンタリーを見る限り、水際対策が緩和された今年に入ってMLBを通じて中国チームに派遣されたようだ。彼はチームの課題を「試合経験が積めていないこと」と語っていた。
中国は3年近くにわたってゼロコロナ政策を続け、オミクロン株が広がった2021年末以降は厳格な行動制限を課した。同政策が見直された今年に入って急ピッチでチーム作りが進められたことが推察できる。選手の育成も見極めもままならない中で、超ベテランや出場資格のある外国籍の選手をかき集め、層の薄さを補った。
父が中国籍であることから中国代表に選出された元ソフトバンクホークスの真砂勇介はメディアに対し、「1月に突然代表入りの打診があった」と語っている。マイナーリーグでの経験が豊富な中国系アメリカ人の張宝樹(レイ・チャン)選手(39)は6年前に現役を引退し、MLBの中国事業の責任者に就いたが、今回は選手兼コーチとして大会に復帰した。
韓国戦前の記者会見で孫と一緒に同席させた陸昀(ルー・ユン)捕手は琴平高(香川)、四日市大(三重)出身で、リロイ監督が「チームの精神的支柱」と信頼している。大会前の合宿でけがをしたことがドキュメンタリーで明かされており、大会での出場機会が少ないのはその影響かもしれない。
MLB、北京五輪を機に中国市場を強化
2008年、ドジャース対パドレスのオープン戦が北京で行われた。
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中国では卓球、サッカー、バスケットボールの人気が高く、野球はマイナースポーツだが、中国市場の潜在力に注目したMLBは以前から競技の振興に取り組んできた。
最初のチャンスは2008年の北京五輪だった。北京開催が決まった翌2002年、代表チーム強化を目的に中国野球リーグ(CBL)が発足、日米から指導者を招聘し最盛期には6球団が所属した。リーグ戦の入場料は無料、地方のテレビ局にお金を払って試合中継をしてもらい、裾野の拡大に努めた。2007年にMLB中国オフィスが北京に設立され、青少年野球普及プロジェクトが始まった。そして北京五輪開催の年には中国初の大リーグの試合となるドジャース対パドレスのオープン戦が北京で行われた。
3月9日のWBC日本戦でリリーフとして登板した蘇長竜(スー・ジャンロン)は41歳で、その年齢にTwitterが湧き上がった。過去の新華社の報道によると、彼は若手の有望株として2006年に横浜ベイスターズに派遣されている。北京五輪に向け期待をかけられていた選手だったのだろう。
ただ、追い風は長くは続かなかった。2012年のロンドン五輪で野球が正式種目から除外されることが決まると、CBLは北京五輪で役目を終えたものと見なされ急速に衰退していく。野球振興が停滞する間に順調に海外ビジネスを伸ばしていたのが米バスケリーグ「NBA」だ。
NBAの手法踏襲するMLB
NBAは早くから世界中で若手選手の育成に投資し、海外での放映権ビジネスに力を入れてきた。
中国市場では、2000年代前半に中国人の姚明(ヤオ・ミン)がNBAを代表するスターになったことで成長の足がかりを得た。NBAは2015年に中国メガテックのテンセントとインターネット配信で全試合を中国で生中継できる独占配信契約を締結、報道によると2018~2019シーズンには4億9000万人がテンセントのプラットフォームを通じてNBAの試合の生中継や動画番組を視聴したという。NBAはその後も提携先を広げ、今年2月にはアリババグループ傘下のフィンテック企業であるアント・グループとも戦略的提携を結んだ。
海外収益、とりわけ巨大な中国市場を諦めきれないMBLは2019年に再び動き出した。形骸化していたCBLが発展解消して設立されたCNBLと戦略的提携を行い、試合管理、リーグ運営、プロモーションなど全面的な支援に着手した。その後新型コロナウイルスが流行し、身動きが取れなくなったのは誤算だっただろうが、そういった背景を知った上でWBCでの中国チームの戦いぶりやリロイ監督のコメントを振り返ると、中国のプロ野球の現状やMLBの狙いがより鮮明に浮かび上がる。
監督期待のショートは大谷からヒット
中国人の親を持つ日本人や日本育ちの選手も中国代表に加わった。
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ドキュメンタリー「昇・撃」は中国代表の国内合宿を描いている。序盤で代表チームは、地元のプロ野球チームにも敗戦を重ね、自信喪失していた。リロイ監督がおとなしい選手たちに「自信を持て」「自分を信じろ」「私は負けることが大嫌い」と檄を飛ばし、大谷に憧れのまなざしを送る選手たちには「大谷を打つぞ」と発破をかけた。
監督の選手を見る目は確かだ。大会前のインタビューで「運動能力はチーム一。身体能力と守備は一流」と高い評価をしていたショートの楊晋(ヤン・ジン)は、日本戦で大谷からヒットを打った。
メディアのインタビューで、リロイ監督は中国チームを常に「素晴らしい、やる気に満ちあふれたチーム」「勝利への渇望はメジャーのどの選手にも負けていない」と褒めているが、まず選手たちが自信を持って100%の力を投じなければ、1次ラウンドで日本や韓国に惨敗するという危機感もあったのだろう。日本戦前に日本メディアの報道に「我々は白旗を揚げていない」とわざわざ発言したのも、「監督が勝利を信じなければ、選手たちが全力を尽くせない」と思っていたからかもしれない。
ほとんどの強化試合は(関心が薄いがゆえの)無観客だったが、満員の球場を知らない選手たちのために、地元住民を招待し、音楽を鳴らして練習試合を行うこともあった。
「勝利」欲するのは選手よりMLB
動画サイト「ビリビリ(bilibili)」で配信されている同ドキュメンタリーには、日本戦でホームランを打った日本生まれ・日本育ちの梁培(リャン・ペイ)が映ると、「ホームランを打った」「よくやった」と弾幕が流れた。「日本戦はよく頑張った」「チェコ戦は惜しかった」という弾幕もあり、試合後に中国代表に興味を持ち、ドキュメンタリーを観た視聴者が一定数いることがうかがえる。
リロイ監督はWBC出場を「世界のテレビで自分の能力、中国の野球の実力を見せることができる。このような大規模な国際試合は彼らにとって一生忘れられない体験。年をとったときに子どもたちに自慢できる栄誉」と述べ、選手のほとんどが本職を持ち、有給休暇などを使ってWBCに参加しているチェコとの試合後には、「中国選手は良い戦いをしたことを誇りに思うとともに、チェコの選手に学んでほしい」とコメントした。
中国で野球ビジネスが成長するためには、NBAの姚明のようなスター選手を育てるとともに、国民の関心を引き付けなければならない。負けてもリロイ監督の言葉から厳しい言葉が少ないのは、中国人に大会の大きさをアピールし、選手を啓蒙する段階だからだろう。
闘志あふれる監督が率いるひたむきな選手たちの姿は、今大会で日本の野球ファンに小さくない感動を与えた。だが、中国では国際大会で勝利を挙げないことには、なかなか注目されない。中国の勝利を最も欲していたのは、リロイ監督とその背後にいるMLBだったに違いない。
浦上早苗: 経済ジャーナリスト、法政大学MBA実務家講師、英語・中国語翻訳者。早稲田大学政治経済学部卒。西日本新聞社(12年半)を経て、中国・大連に国費博士留学(経営学)および少数民族向けの大学で講師のため6年滞在。最新刊「新型コロナ VS 中国14億人」。未婚の母歴13年、42歳にして子連れ初婚。