H3試験機1号機
撮影:秋山文野
2023年3月7日午前10時37分55秒、H3ロケット試験機1号機(H3TF1)は大気を震わせながら種子島宇宙センターの射点を離れていった。
「2年の開発延期の末に、ようやく前進する新型基幹ロケット」になるはずだった機体は、指令破壊によって先進光学衛星「だいち3号(ALOS-3)」を軌道へ届けることなく落下し、海へと沈んだ。
筆者は、この打ち上げ失敗が日本の宇宙開発に次の4つの影響をもたらすと考える。
1. だいち3号(ALOS-3)の喪失で、日本の光学観測に大きな空白期間
2. だいち4号(ALOS-4)の打ち上げや国際宇宙ステーション(ISS)の補給再開に遅れ
3.火星衛星探査計画「MMX」に懸念。国際的な存在感が薄れる恐れ
4.H3による商業打ち上げの需要取り込みが困難になる懸念
順番に考察していこう。
H3のリスクを被った「だいち3号」
種子島宇宙センターでは感染予防のためH3プロジェクトチームは対面取材を制限しているが、H3試験機1号機の打ち上げ失敗後、岡田匡史プロジェクトマネージャはプレスルームに姿を見せた。エンジニア達は「誰も帰ろうと言い出さない」と原因究明に必死になっているという。
撮影:秋山文野
部品点数の多い巨大システムであるロケットは、その性質上完全な統合試験が難しい。だからこそ、全てのコンポーネントを組み合わせたテストのために、試験機が存在する。
ロケットの開発には失敗もありうるとはいえ、今回はリスクのある試験機に、喪失の痛手が大きい地球観測衛星「だいち3号(ALOS-3)」を搭載した。
ALOS-3は、2006年から2011年まで運用されたJAXAの陸域観測技術衛星「だいち(ALOS)」の後継機にあたる。同じ後継機の「だいち2号(ALOS-2)」はALOSからレーダー観測機能を受け継いでいるが、ALOS-3は可視光で地表を観測する機能を受け継ぐ光学地球観測衛星だ。
2011年にALOSの運用が停止してから、JAXAの光学地球観測衛星には空白期間がある。これは、ALOS-3の開発計画が「他のプロジェクトより優先度が低い」と、途中で中止に追い込まれてしまったからだ。予算に余裕があることを条件に再開されたALOS-3プロジェクトだったが、当初はH-IIAロケットによる打ち上げを予定。その後、H3試験機への搭載に変更となっていた。
日本の衛星地球観測計画は、2011年のだいち(ALOS)の運用終了後、2014年にALOS-2を打ち上げたことでかろうじて続いている。しかし、運用期間が途切れ途切れになっている点は大きな課題だ。
地図の整備や防災、気候変動対策に力を発揮する衛星による観測には「長期間の継続的な観測」という要素が不可欠。ただ、少なくとも今回の失敗によって、光学観測の空白期間が、現状の12年よりもさらに広がってしまうことになる。
H3と同時期に開発された海外の大型ロケット、ヨーロッパの「アリアン6」や米国の「ヴァルカン」なども、当初の打ち上げ予定の2020年から現在まで、開発が遅延している。だが、試験機であるロケットに1機しかない、代わりのきかない衛星を搭載したことで、日本の場合はロケット側のリスクをALOS-3が被ることになった。
打ち上げ前の「だいち3号(ALOS-3)」。
Credit: JAXA
日本の衛星地球観測網構築に大ダメージ
世界では欧州のSentinel計画やエアバスによるプレアデス衛星、米国のLANDSATや商用高分解能衛星群など、多くの地球観測衛星があり、災害時などにはデータ提供を受けることもできるとはいえ、日本独自に観測網を持てない点は大きな痛手だ。
打ち上げの失敗そのものは、なにも日本だけに起こっていることではない。
欧州のアリアンスペースが運用する新型固体ロケットのVEGA-Cは、2022年12月に打ち上げに失敗し、搭載していたエアバスの地球観測衛星「プレアデス・ネオ」2機を失った。
ただ、プレアデス・ネオは4機の同型衛星で運用する(コンステレーション運用)計画で、先に打ち上げられた2機がすでに軌道上で活動している。1機しかないALOS-3とは事情がまったく違う。
また、ALOS-3の喪失により、日本の先を行く中国へのビハインド期間はさらに広がることも想定される。
中国は、日本が初代ALOSを打ち上げた2006年に、国としての地球観測衛星整備計画を開始した。
最初の衛星「高分1号」が2013年に打ち上げられると、翌年の2014年にはALOS-3と同じ0.8メートルの分解能を持つ高分2号を打ち上げ、日本を追い抜いていった。現在は2019年に打ち上げられた高分7号までの整備が進んでいる。
日本では、ALOS-3打ち上げ後の2024年からその後継機を開発し、2028年に打ち上げる計画があった。この後継機をALOS-3の代替機として前倒しで開発することが、衛星の運用期間の空白を最短に留める現実的な方法だろう。ただそれでも、すでに12年にもなるブランクが更に拡大してしまうことは避けられない。
H3試験機失敗で日本の宇宙開発計画への影響は?
宇宙基本計画⼯程表の資料
提供:宇宙基本計画⼯程表より引用
今後の日本の宇宙政策における影響については、H-IIAロケットからH3ロケットへの基幹ロケットの交代計画を確認する必要がある。
H-IIAは50号機まで予定(現在46号機まで打ち上げ完了)されているが、部品の枯渇からこれ以上の製造は難しく、H3との交代が求められていた。2023年は今回打ち上げに失敗したH3の試験機を皮切りに、H-IIAと交互に打ち上げていく移行期間だったわけだ。
今回のH3の打ち上げ失敗によって、どれほど影響が及ぶのか。
「宇宙基本計画」に付随する「工程表」の最新版によれば、2022年度末から2024年にかけて、H3ロケットで打ち上げられる計画だった衛星は「だいち3号(ALOS-3)」「だいち4号(ALOS-4)」「準天頂衛星5、6、7号機」「Xバンド防衛通信衛星3号機」「火星衛星探査計画(MMX)」「HTV-X1号機、2号機」などがある。
この中で、最も影響を受けるのは、H3試験機2号機に搭載される予定だったALOS-4だ。
H3試験機2号機は、第1段エンジン「LE-9」に3Dプリンタ製造を取り入れて完成形とする計画となっていたが、試験機1号機失敗の原因調査と対策が終わるまで2号機の打ち上げはできない。
当初、2023年後半と見られていた打ち上げは2024年にずれ込む可能性がある。
地球観測衛星「だいち」シリーズで現在唯一運用中のだいち2号(ALOS-2)はALOS-4と同じ合成開口レーダー(SAR)衛星だが、2014年4月の打ち上げからほぼ9年を迎えており、5年の設計寿命を大幅に超過しており、突然運用できなくなることも十分ありうる。後継機ALOS-4の遅れが長期化すれば、光学観測だけではなくレーダーによる衛星地球観測にも空白が生じ、災害時に海外や民間の衛星データを急遽調達しなければならないことも増えるだろう。
準天頂衛星は、もともと複数の衛星で運用される計画で、初号機「みちびき」の後継機が2021年に打ち上げられたばかりだ。
また日本の準天頂衛星計画だけでなく、GPSや欧州のガリレオなど、世界で運用される測位衛星の信号を利用するGNSSの仕組みもある。遅れは歓迎されるものではないが、衛星地球観測のように空白期間が生じるリスクはまだ小さい。
また防衛省が運用する通信衛星であるXバンド防衛通信衛星の3号機も、2017年、2018年にそれぞれ2号機、1号機が打ち上げられており、運用に余裕がある。1号機(きらめき1号)は欧州のアリアンスペースに打ち上げを委託した経緯もあり、H3が運用できなければ後がないとまではいえない。
国際宇宙ステーション(ISS)への物資補給を担う予定のHTV-X1号機、2号機は現在まだ開発中だ。旧HTV(こうのとり)の運用終了以降、日本はISSへの補給事業を担っておらず、HTV-X1号機運用開始が遅れた場合、運用の空白期間が長くなることが懸念される。
H3の失敗で火星探査系計画にも遅れが?
火星衛星探査計画「MMX」のイメージ図。
画像:JAXA
火星衛星探査計画「MMX」も、H3の開発遅れの影響が大きい。
MMX計画は、小惑星探査機「はやぶさ」「はやぶさ2」で培った小天体からのサンプルリターン技術を生かし、火星の衛星「フォボス」から表面の物質を持ち帰る計画だ。そこで必要とされる探査機は、打ち上げ時の重量が約4トンと日本最大の深宇宙探査機になる予定で、H3以外に日本で代替できるロケットはない。
また探査機を火星圏へ送り込むためには、地球と火星の位置関係などを踏まえた適切な期間に打ち上げる必要がある。その打ち上げ可能期間(ウインドウ)は、およそ2年に1度にしかやってこない。2024年中に予定している打ち上げを逃すと次は2026年となり、運用計画を大幅に見直す必要が生じる。
日本は24時間火星圏と通信ができる深宇宙通信施設を持たないため、MMX計画では米国のディープ・スペース・ネットワーク(DSN)を頼りにすることになっていた。ただ、その利用についてもさらに調整が必要になる。当初予定されていた2029年の帰還予定も2年後となり、2020年代中のミッション達成はできなくなる。
宇宙探査は一番乗り競争ではないとはいえ、米中が火星サンプルリターン計画を競う中で最初に火星圏からのサンプルを持ち帰る予定だった日本の計画が後ろにずれ込めば「存在感」が薄れる可能性はある。
「焦らず急いで」対策は可能なのか
射場へと移動するH3試験機1号機
撮影:秋山文野
H3ロケット試験機1号機の打ち上げ失敗による短期的な大きな影響は、地球観測衛星ALOS-3の喪失と2023年中に予定していたALOS-4打ち上げの遅れによるJAXAの衛星地球観測のブランク長期化だ。
その間に海外では各国と民間企業による地球観測衛星の拡充が進み、上述してきたようにそこに遅れて参入する日本の衛星の存在感が低下することが考えられる。
また、同様の懸念はロケットにもある。
H3失敗の原因究明と対策が長期化する場合、複数衛星の搭載機能といった現在の打ち上げ市場で求められている機能の実現も遅くなる。世界的な需要増に対応しきれないまま、海外にシェアを持っていかれるとすれば、H3が目指していた商業打ち上げ需要の取り込みが難しくなることは避けられない。
まずはH3の打ち上げを成功させるべく、焦らず急いで対策を進める必要がある。世界の打ち上げ市場で日本の存在感を保つためには、対策にかけられる期限を正確見極める必要があるだろう。
これまでの経緯:2月の打ち上げ中止に続き「電源系」に異常が発生
打ち上げ直後のH3。「ようやく新型基幹ロケットが前に進める」と思った矢先、2段エンジンの着火が確認できていないことが分かった。
撮影:秋山文野
3月7日、打ち上げ失敗の後、午後2時から始まったJAXAの山川宏理事長、岡田匡史プロジェクトマネージャが登壇した記者会見は3時間以上におよんだ。会見後、誰もが疲れ果ててプレスセンターを後にした。
3月8日には文部科学省で調査・安全有識者会合が開催され、飛行の様子と事故発生までの詳細が明らかになった。
H3ロケットは、第1段エンジン(以下、1段)と第2段エンジン(以下、2段)のエンジンを段階的に稼働させることで、宇宙へと到達するための推進力を得る設計になっている。
報告によれば、H3ロケットのリフトオフから1段の燃焼と1段・2段の分離まではほぼ計画通り。開発で手を焼かせた新型エンジンである1段主エンジンの「LE-9」は設計通りに機能したと考えられている。
打ち上げ結果
3月8日 宇宙開発利用に係る調査・安全有識者会合 会議資料
異常が起きたのは2段分離後に機体(2段機体に搭載された制御装置)から2段エンジンへ指示を送り、2段「LE-5B-3」エンジンを着火する部分だ。
記録されたテレメトリー(通信データ)によれば「2段エンジン着火(SEIG)」の信号そのものは届いていたものの、着火して2段エンジンが正常に噴射を開始したことを確認する「2段エンジン着火判定(SELI)」には至らなかった。
有識者会合では「2段エンジン付近で、電源系統の異常を確認した」との報告があり、2月17日の打ち上げ停止に続き、またしても電源に関連する異常が発生したとみられている。
2段エンジン着火シーケンスおよびこれまでに確認された事象
画像:3月8日 宇宙開発利用に係る調査・安全有識者会合
2月の打ち上げ停止の原因となったのは、1段主エンジンのエンジンコントロールユニット付近の異常だ。今回の異常の発生箇所は異なるものの、H3プロジェクトは開発段階で難航したエンジンそのものとは異なる部分に苦しめられている。