SmartHR社の芹澤雅人CEO。黒字化に向けて「筋肉質な経営」への転換をはかる。
撮影:竹下郁子
人事労務ソフトのSmartHRが、「T2D3」の成長を遂げ「ARR100億円」を突破した。770人の従業員を抱え、2024年内には1000人超の組織になるよう今後も積極採用していくという。
その一方で進めてきた不採算事業の撤退や“チリツモ”のコストカット、そして気になるAIの活用について聞いた。
5割の市場シェア占めても、さらに90%の拡大余地
提供:SmartHR
ARR(年間経常収益)とT2D3(ARRを3倍→3倍→2倍→2倍→2倍と毎年増やしていくこと)達成の経緯は上記のグラフの通りだ。
現在のARRは、すでに受注を獲得しているものも合わせると約110億円にのぼる。
SmartHRの核である労務管理市場での同社のシェアは50.4%と圧倒的だ。3月14日の記者会見に登壇した取締役COOの倉橋隆文さんは、
「この領域では絶対に負けないという覚悟でやっています。それでも日本全体の労務管理におけるクラウド浸透率はわずか3.1%で、まだまだ紙や手作業が一般的です。つまり我々にはまだまだ拡大の余地がある」(倉橋さん)
と話した。
第二の核は「人的資本経営」関連サービス
倉橋隆文COO。働き方改革の一丁目一番地は「人事評価制度」だと話す。
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加えて同社が注力しているのが、世界的な潮流である「人的資本経営」や「人的資本開示」に対応する「タレントマネジメント」サービスだ。労務管理で得たデータを活用し、人事評価や従業員サーベイ、人事配置シミュレーションができる機能を立て続けにローンチしてきた。
2023年中には「リスキリング」に役立つ、従業員のスキルや資格を管理する機能を追加する予定だ。
プロダクトの拡大に向けては、自社開発以外にM&A(合併・買収)も視野に入れる。
「国内のSaaS企業が増える一方で、市況はかなり変化しました。今後、寡占化が進んでいくでしょう。SmartHRは幸いなことに資金的な余裕があるので、M&Aも間違いなくやっていくだろうという意気込みでいます」(倉橋さん)
T2D3の成長と黒字化のバランスは
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成長目覚ましい同社だが、現時点ではまだ黒字化していない。“スタートアップ冬の時代”と言われ、“成長率より利益”を重視する傾向も強まっているが、黒字化についてはどのように考えているのだろうか。芹澤雅人CEOは言う。
「黒字化に対する考え方に大きな変化が起きていると感じます。一方で、僕たちのようなクラウド系のテック企業は、黒字化を急ぐことが正解かどうか難しいビジネスモデルです。
今後も成長を続けながら、中長期的に黒字化をはかります」(芹澤さん)
コストカットで飲み会、SaaS利用料の見直しも
気になる上場については「ノーコメント」。2021年に約156億円を調達したキャッシュが残っているため、「多様な選択肢を取る余裕がある。IPOを目的化せず、組織として最善の資本政策を取っていく」そう。
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黒字化に向けて「少しずつ筋肉質な経営体制に変えてきた」と語る芹澤さん。2022年1月に創業者の宮田昇始さんからCEOを引き継ぎ、その直後から始まったロシアによるウクライナ侵攻や、アメリカのインフレ・金利上昇・株価の下落などによる、不安定な世界経済の影響をキャッチアップして対応してきた。
「いくつか引き締めたところはもちろんあります。特に、売り上げの成長に直接的には貢献しない福利厚生のようなもの、たとえば『全社的な飲み会などは一旦やめましょう』と。
『SaaSの利用費』も見直しました。僕たちもSaaS事業者なので、従業員も積極的にいろんなサービスを使っていたのですが、使っていないものは棚卸ししてもらって。こういったことのチリツモで、とんでもない金額になっていたりするんですよね」(芹澤さん)
小さなコストカットにも思えるが、「ランウェイ(会社の資金がなくなるまでの期間)には確実にポジティブな影響があった」(芹澤さん)という。
新規事業の「撤退ライン」、どう見極める?
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コストカットといえば、不採算事業の清算も重要だ。人事労務関連サービスを提供する5つの子会社を傘下におくなど拡大を続ける同社だが、2023年2月には子会社だった会議DXの「SmartMeeting」のサービス終了を発表した。
芹澤さんは「撤退ラインの考え方は非常に難しい」と前置きした上で言う。
SmartHR社の従業員は770人(2023年2月時点)。東京六本木の本社に加え、大阪、福岡、名古屋市に支社を構える。
撮影:竹下郁子
「思っていたような事業成長を描けなかったので、クローズしました。決め手となったのは、ここに社員を携わらせておくよりも、別のことをやってもらったほうが全社的にみて成長するだろうという判断からです。
成功するスタートアップが10社に1社と言われるように、成功する新規事業も少ないことはもちろん分かっています。
でも、事業をゾンビ化させないことも大切です。何より優秀な社員が飼い殺し状態になるのはよくありません」(芹澤さん)
元CTOが考えるSmartHR×大規模言語モデルの可能性
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芹澤さんはエンジニア出身で、元CTOだ。LLM(大規模言語モデル)によるChatGPTなどの生成系AIが世間を席巻しているが、SmartHR社で導入の予定はあるのだろうか。
「プロダクトにも従業員の働き方にも、間違いなくLLMは取り入れていくと思います。ただ、現時点ではどういった活用法があるのか一歩引いて見ている感じですね。
プロダクトに組み込む場合、特にBtoBのSaaSでは、その精度って誰が担保するんだ? という疑問も個人的にあって。『流行しているからプロダクトに取り入れよう』というのではなく、まずはAIやLLMに詳しく適切な判断ができる人材を確保するところから始めます」(芹澤さん)
SmartHR社が持つ労務管理から人事評価までの豊富なデータを活用すれば、人事担当者が考えつかないような人事配置や、評価側のバイアスをなくす手助けもできるかもしれない。
「異動のレコメンドなど、人間の思考のリミットをはずしてくれるような提案ができるのがAIのいいところです。
人が持つバイアスに介入することも、改善価値がある、人間とシステムの共存としてすごく良いかたちだと思っています」(芹澤さん)