「神山まるごと高専」がいよいよ開校する。写真は3月13日の竣工式の様子。
撮影:竹下郁子
19年ぶりの新設高専「神山まるごと高専」が4月、徳島県・神山町の地にいよいよ開校する。
完成を祝う竣工式では「慣れない」(寺田氏)というネクタイを締め、スーツに身を包んだ理事長の寺田親弘氏の姿があった。周りをずらりと囲むのは、地元町議会のベテラン男性議員たちだ。
実は神山まるごと高専の設立には、地元住民との衝突もあったという。学費の実質無償化を実現した奨学金基金の組成発表会見では、VTRを通じてこんな声が紹介された。
「東京の人にだまされてない?と、仲間内から言われました」(教員)
「『認可されるはずがない』同じ町民からの言葉が辛かった」(神山地域担当)
前編:未来の起業家を生む「木造校舎」。神山まるごと高専が初公開した教室、学生寮とは
高専が人口減の処方箋に「神山町は消えない」
神山町長の後藤正和氏。
撮影:竹下郁子
後藤正和・神山町長は竣工式(3月13日)の挨拶で、
「神山町は人口減少が続いており、2060年には1145人になるというシミュレーションもある。この数字に我々は常に抗ってきた。今回の高専を機に、神山は消えない、間違いなく持続可能な町として生き残っていくであろうと確信している」
と話した。また別の町議会議員は、率直な思いを口にした。
「こんな過疎の町に学校を建てるなんて、本気なのか?と思った」
自治体によるIT企業のサテライトオフィス誘致の成功例として語られることの多い神山町だが、深刻な人口減少、特に若者離れに常に悩まされてきた。
「できるはずない」「夢物語だ」と懸念も
完成した校舎や寮を見学する町民たち。
撮影:竹下郁子
後藤町長はこの数年間を振り返って言う。
「全国的に学校の統廃合が進む中で、新しく学校をつくるなんて時代に逆行している。『できるはずがない』『夢物語だ』と不安視する町民もいたのは事実です。
そんな中で本当にやっちゃったんだから、びっくりですよ。ただただ感心しています」(後藤正和・神山町長)
Sansan社長の寺田親弘氏が「神山まるごと高専」を設立すると発表したのは、2019年6月。その後も学校側は町民に説明会を開いてきたが、プロジェクト進捗の都合などもあって情報を出せないことも少なくなかった。「なんで何も教えてくれないんだ」。前述の不安にこうした事情も重なり、町民と衝突することもあったそうだ。
架け橋は地元に住む担当者
神山まるごと高専の発起人で理事長を務める、Sansanの寺田親弘社長。
撮影:竹下郁子
こうした住民との調整を引き受けたのが、自らも神山町に暮らすNPO法人グリーンバレー創設メンバーで、神山まるごと高専設立準備財団・代表理事の大南信也氏だ。寺田氏は言う。
「僕は起業家なので、できるかできないかじゃなく、まずやると決めて宣言して、そこから実現していく。そういう物事の進め方に慣れていない町の皆さんにとっては、実現出来るか分からないようなことをサポートしてもバカをみるだけなんじゃないかと疑うのも当然です。
そんな中でも学校をつくることができたのは、大南さんが水先案内人になってくれたから。風当たりも強かっただろうと思いますが、とても僕には分からないような勘所も押さえてやってくれました」(寺田氏)
社長も学校理事も「ダブルフルコミット」で
神山まるごと高専の校舎。起業家教育に注力する同校らしく「OFFICE」と呼ぶ。
撮影:竹下郁子
一方で、社内や株主の反応はどうだったのだろうか。プロジェクト立ち上げ時は東証マザーズ市場(現在のグロース市場)だったSansanは、今や東証プライム市場で時価総額は2000億円を超える。
大企業の経営者が畑違いの学校を新設し、理事長に就く。この両立に不安の声はなかったのか寺田氏にたずねると、「この数年を振り返って、そうした声は記憶にありません」。
「業績含め、市場の期待を裏切ることはなかったと思います。神山まるごと高専の理事長になるときは、もちろんSansanの取締役会で議論してもらいました。
僕自身は『ダブルフルコミット』と言ってたんです。Sansanがあるから、神山があるからと自分自身に言い訳しないように。
いやぁ、我ながらハードワークでしたね」(寺田氏)
寄付集めに面談した企業は200社超
出典: UB VENTURES「SaaS年間レポート2022年」
困難がなかったわけではない。Sansanの主力事業は名刺管理SaaSだが、コロナ禍で需要が鈍化した。
「名刺交換が減る向かい風の中を企業としてどう乗り越えていくか、かなり集中して危機感を持ちながらやりました」(寺田氏)
オンラインでの名刺交換機能を新設したり、請求書管理の「Bill One」を第二のコア事業とすべく急拡大させた結果、2022年のARR(年間経常収益)は208億円と、国内BtoB SaaS企業で首位を誇るまでに(UB Ventures調べ)。
「HOME」と呼ばれる寮は、旧神山中学校舎をリノベーションしたもの。桜も咲き始めていた。
撮影:竹下郁子
一方で、コロナ禍は追い風にもなった。神山まるごと高専の設立と運営は、「企業版ふるさと納税」や、企業から寄付を集めてファンドに運営を託す「奨学金基金」などによって成り立っている。その寄付金を集める営業パーソンとしての役割を担ったのが、寺田氏だ。「この2年間、日本で一番社長に会ったのは僕なんじゃないかな(笑)。あの毎日は本当につらかったですが、僕自身が成長させてもらいました」と言う通り、面談した企業は200社を超える。
「少し前は『寄付のお願いは対面でやるべき』という空気でしたが、コロナ禍でそれがオンラインで出来たのも大きかったです。時間効率をグッと上げて、たくさんの機会を作れましたから」(寺田氏)
「神山モデル」活かして社会課題の解決を
撮影:竹下郁子
複数のスキームの寄付金を組み合わせて学校を新設し、学費の実質無償化を実現した寺田氏のもとには今、NPOなどから多くの相談が寄せられている。
「ソーシャルセクターは爪に火を点すような運営でないといけない、そんな感覚が日本にはまだ根強いと感じます。これは変えていかないといけない。
そのためにも今回、僕たちがやったことが『神山モデル』として流行って欲しいと思います。規模はもっと小さくても、安定的な財源確保に役立つはずです」(寺田氏)
特に寺田氏が勧めるのが、開校資金集めに活用した「企業版ふるさと納税」だ。国が認めた地方公共団体の地方創生プロジェクトに対して企業が寄付した場合、法人関係税が最大90%税額控除される。
経団連や経済同友会の集まりで経営者同士が、「今年の企業版ふるさと納税はどこにいくら寄付しました?」と会話する光景が当たり前になって欲しいという。
校舎内の様子。棚田の地形を活かしており段差が多い。建材は地元の神山杉だ。
撮影:竹下郁子
「奨学金基金の仕組みも、経営者の方からテクニカルな意味で『できるわけない』と言われたこともありました。こうしたお金の回り方、仕組みで意外と知られていないこと、試していないことはまだたくさんあると思います。
金融知識はもっと社会的なことに使うべきです。ともすると“死に金”になるようなものが、すごい未来をつくっていく。そんな可能性に興味があるし、これからも賭けていきたいんです」(寺田氏)
神山まるごと高専は倍率9倍、男女比50:50でも話題になった。
撮影:竹下郁子
神山まるごと高専の実現は、教育におけるジェンダーギャップや経済格差の解消、そして起業家教育に、企業の大人たちが本気で挑んだ証でもある。「これから学生が入ってきて、生き物として学校が変化していくのに理事長として責任を持って向き合っていく」と語る寺田氏。その行く先から今後も目が離せない。