高校時代の友人でビジネスパートナーのアリア・コスラヴィ氏(左)とアラン・ブルー氏。
Courtesy of Aria Khosravi and Alan Blue
アリア・コスラヴィ(Aria Khosravi)氏とアラン・ブルー(Alan Blue)氏が高校で出会った時、彼らがさして成績優秀な生徒でなかったことは誰もが認めるところだ。
コスラヴィ氏は何とか5年をかけて1.9のGPAで卒業した。「私たちはあまり良い生徒ではありませんでしたが、非常にクリエイティブでした」とInsider取材に応じた彼は語る。
2人はそろってコロラド州立大学に入学した。まさにこの場所で、彼らは自分たちの創造性を初めて実務に生かすことになる。
彼らはキャンパス外のアパートをコロラド州フォートコリンズにいる他の友人4人と共同で借り、毎月家主に家賃を払っていた。しかしそこでハタと思い至った。自分で不動産を所有することもできるのに、どうして他人に家賃を払い続けているのだろう、と。
「それで思いついたんです。家を買って、自分たちだけじゃなく何人かの友人も一緒に住まわせればいいんじゃないか、と」(ブルー)
Insiderが確認した資料によると、この最初の物件購入が多くの物件購入につながり(中には数千ドルを失うような失敗もあったが)、最終的には数百万ドル規模の不動産転売ビジネスに発展した。途中、水タバコラウンジやバーを手掛けたりもしたものの、2019年には不動産事業に専念することにした。
「アランも私も、みなさんが求めるようなありがちなサクセスストーリーの主人公ではありませんよ」とコスラヴィ氏は言い、次のように続ける。
「私たちは裕福な家庭の出ではないので、引き継ぐべき事業もありませんでした。だから信託資金とか貯蓄とか、それに類するものを元手にして事業を始めたわけではありません」
貯金をしてキャンパス内に最初の不動産を購入
コスラヴィ氏とブルー氏は、自分たちと大学の友人が住むための家を購入することを決意し、頭金のための貯金を始めた。
ブルー氏は学童保育所で、午前6時半から午前9時までと、午後3時半から午後6時まで働いた。コスラヴィ氏はファーマーズ・インシュアランス(Farmers Insurance)で事務のアルバイトをこなした。
不動産エージェントに物件を紹介してもらったりもしたが、結局、2人は最初の不動産を自分たちで見つけた。
「2人で所有者の家の玄関へ行き、ノックしたんです」とコスラヴィ氏は当時を振り返る。
「そこで10〜15分ほど物件を見て、『この家は良さそうだ』となりました。値段も適正でしたしね」
2人は大学時代に最初の物件を購入した。
Courtesy of Aria Khosravi and Alan Blue
その物件は19万ドル(約2470万円、1ドル=130円換算)の4ベッドルームで、頭金を5%支払ったという。2004年6月に契約し、簡単なリノベーションをしてから引っ越し、残る2部屋を友人に貸した。
「引っ越した最初の夜にみんなでお祝いをしたんですが、その最中に突然、大きな電車の音が聞こえたんです」とコスラヴィ氏は話す。
「購入するまで気づかなかったんですが、その場所には通り1つ2つ隔てて線路が走っていたんです」
この時の購入は実験といってもいいものだった。コスラヴィ氏いわく、当時はキャッシュフローのためにやっていたわけではなかったからだ。友人2人から入る家賃収入は住宅ローン負担を軽減するのには役立ったが、利益はまったく出ていなかった。「自分たちが本当にやっていけるのか見極めようと思っていた」のだという。
加えて、即座に利益を得られないにしても、それが賢明な長期投資であることも分かっていた。
「これまでに不動産を購入して30〜40年保有し続けた人で、失敗した人はいません」(コスラヴィ氏)
2件目の賃貸物件の購入と水タバコラウンジの開店
最初の購入を成功と判断した2人は、「夢中になって、もっと賃貸物件が欲しくなった」(ブルー氏)。そこで彼らは2006年、2軒目の物件としてフォートコリンズの繁華なエリアの新築を購入した。
しかし、「この物件は財政的な意味ではまったくダメでした。家賃収入よりも住宅ローン支払いのほうが多かったので、この物件は毎月150〜200ドルの赤字でした」とブルー氏は言う。住宅ローンを払うために手元の資金から毎月数百ドル出費し続けること数年、彼らは結局2013年にその物件を売った。
「その物件の立地はその後かなり良いエリアになったので、あの家を持ち続けておけばよかったかもしれません。しかし当時の私たちは月に200ドル失うことに耐えられませんでした」
2人は2006年に水タバコラウンジを開店した。
Courtesy of Arai Khosravi and Alan Blue
同年、彼らはまったく別の冒険を試してみた。水タバコラウンジを開くというもので、アリゾナを旅したコスラヴィ氏のアイデアだった。
「アリゾナ州立大学の友人と会ったとき、水タバコラウンジを見かけたんです。それで初めて水タバコというものを知ったんですが、とても人気がありました。
私はペルシャ系のハーフなので、自分のルーツの文化に興味を持ちました。そこでコロラド州にこれを持ち込んで何かうまくやれないだろうかと考えたのです」
ブルー氏もそのアイデアに乗り、2人は水タバコラウンジの場所を探し始めた。だが自分の物件を喫煙ラウンジに変えたい所有者などそうそういない。「まるで干し草の中の針を探しているようだった」とコスラヴィ氏は振り返る。
「キャンパスの近くの立地で、なおかつ大家が喫煙を許可してくれる物件ですから、難易度は相当高かったです」
「賃貸」という看板を探しながらフォートコリンズ中を車で回り、建物の所有者に電話をかけて、ようやく条件に見合う物件が1つ見つかった。
「彼女にアイデアを売り込んだところ、詳しくプレゼンテーションをしてくれということになりました」とコスラヴィ氏は言う。
「プレゼンテーションに華を添えようと、シーシャ(タバコ)のサンプルを手に入れ、ウォルマートで2ドルで見つけたキャンドルホルダーに入れました。タバコの匂いを嗅いでもらい、その文化的な側面も伝えました。すると彼女は乗り気になってくれたんです」
所有者は彼らと1年の賃貸契約を交わしたうえに、忠告もしてくれたという。
「彼女は私たちにこう言いました。『私は最初の事業で全財産を失った』と。私たちを戒めようとしたんだと思います」
2人が開店した水タバコラウンジ「Narghile Nights」。
Courtesy of Aria Khosravi and Alan Blue
彼らはお金を失いはしなかったが、大金を稼ぐこともできなかった。特に最初のうちは軌道に乗らず、「時間がかかりました」とブルーは語る。
当時、彼らはまだコロラド州立大学の学生で、2人ともウェルズ・ファーゴ(Wells Fargo)で窓口係のアルバイトをしていた。計画の資金を捻出するために自分たちの車も売った。
「何も儲けが出ていないしお金も全然なかったので、アルバイトを辞めることができませんでした。ウェルズ・ファーゴのわずかなバイト代を水タバコラウンジからの収入で置き換えるのに約1年かかりました」
2006年に始めた水タバコラウンジ「Narghile Nights」は、2人が不動産事業に専念すると決意した2016年まで10年間営業を続けた。
不動産事業へ集中し、デンバーで何百万ドルものビジネスを築く
2007年に大学を卒業し、ウェルズ・ファーゴの仕事を辞めたことで彼らには時間ができた。2009年の初め、彼らは腰を据えて自分たちの長期的目標について議論した。
「お互いに自分がやりたいことを10個書き出し、どこに共通項があるか確認しました。その結果、不動産業に専念すると決断したのです」(ブルー氏)
彼らは地元の不動産投資家協会(REIA)が主催する集会やセミナーに通い始めた。
「ようやくいくらか本物の知識を得て、何人かの投資家に会うようになったのはこの頃です」とコスラヴィは語る。
こうして彼らが築いた人脈は、初めてのフリップ(中古物件を購入し、リノベーションをすることで物件の価値を高めて転売する手法)で役立った。それは2009年12月に約9万5000ドル(約1235万円)で購入したフォートコリンズの小さな家だった。
「その最初のフリップを経験する前までは、不動産といえば電球を交換したことくらいしかありませんでした」とコスラヴィ氏は言う。
「その家を買ったことで建築を理解する必要に迫られました。何度もホーム・デポに足を運んでは、ペンキ・ドア・飾り枠・トイレについて従業員に教えてもらったことを覚えています」
3万5000ドル(約455万円)以下の費用で家を修繕し、売却したことで、彼らの計算では約2万ドル(約260万円)の利益を得られたことになる。
それは「想像を超える金額だった」とブルー氏は言う。当時、水タバコラウンジからの収入はせいぜい年に3万5000ドル(約455万円)程度だったからだ。
「ボロボロの家を買ってリノベーションを施し、売ることで、水タバコラウンジなら6カ月はかかる金額かそれ以上を稼げるなんて、信じられませんでした」
しかし、ビギナーズラックは2軒目のフリップには訪れなかった。その物件もフォートコリンズにあった。
「2軒目の物件にも相当労力をかけたんですが、結果は9000ドル(約117万円)の損失でした」とブルー氏は話す。「あれはショックでしたね」
コスラヴィ氏とブルー氏の最初の転売物件。コロラド州フォートコリンズにある。
Courtesy of Aria Khosravi and Alan Blue
しかし彼らは立ち止まることなく、自分たちの間違いを分析して進み続けた。
「心血を注いだのに9000ドルを失うというのは痛手でした。でも同時に、あの経験から多くを学び、自分たちの間違いに気付くことができました。諦めようとは微塵も考えませんでした」(ブルー氏)
もし自分たちがこの失敗を真摯に受け止めて改善すれば、デンバーにははるかに多くのチャンスがあるはずだ。2人はそう考え、3軒目の物件をデンバーで購入することに決めた。
この考えが当たった。彼らは「再び上昇トレンドに乗った」(ブルー氏)のだ。
2人は2009年に初めてフリップを経験して以降、デンバーを中心に91軒をフリップの手法で転売したという。Insiderが確認した彼らの合同会社の損益計算書によると、2022年だけで15軒のフリップを行い、120万ドル(約1億5600万円)の利益を上げている。
「住宅を転売するためには、本当のコストや修理にかかる費用を把握できなければそもそも厳しい」とコスラヴィ氏は言う。
「こういう物件はしかるべき価格で購入し、諸々の数字を熟知していないかぎり損をすることになります」
また、「計画通りにスムーズにいくフリップはない」ことも学んだとブルー氏は言う。
「常にいろいろなことが起こります。しかしやり方が分かっていれば、そのような事態に遭遇してもいい結果を得ることができるはずです」
不動産購入、水タバコラウンジ、そして2014年から2019年まではバーの経営など、最近までいくつかの事業を掛け持ちしていた2人だが、2019年にバーを売却して以降は不動産に集中するようになり、余裕が出てきたという。
「サービス業の問題は、些細なことだけれど急を要するようなものが多いんです。レモンを切らした、というようなね」とブルー氏は説明する。
「そういう小さなことが日々何十個も浮上するので対処しなければならないのに、不動産に110%の力を注ぐことができないでいたんです」
現在、彼らは数百万ドル規模のフリップ事業だけでなく、16戸の賃貸住宅も所有している。
物件を購入する前には「その物件が賃貸に適しているのか、それともフリップに適しているのか、両方のシナリオで数字を計算する」とコスラヴィ氏は言い、次のように付け加えた。
「フリップ事業は継続的な仕事で銀行にお金が貯まります。賃貸は、より長期的な視野に立ったビジネスで、20年後に食べるデザートになるんです」