相次ぐ賃上げや人的資本開示の義務化など、企業における「人への投資」が重要視されている。ただ、「若者への投資」ともいえる奨学金制度に目を向けると、日本は米国などと比較して不十分だと指摘される。
学生の2人に1人が何らかの奨学金を受けている。
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日本学生支援機構(JASSO)の「学生生活調査」によると、国内の学生(短大、大学、大学院などに通う学生)のうち、およそ2人に1人が何らかの奨学金を受けている。
国内の2019年度の奨学金事業額は約1兆1000億円。一方、教育系NPOのカレッジボードの調査では、米国で2021〜2022年に支給された金額は2346億ドル(約30兆5000億円、1ドル130円で計算)に上る。
「海外は学生にお金が集まる仕組みができあがっています」
こう指摘するのは、奨学金市場のDXを進めるスタートアップ、ガクシーの松原良輔代表(45)だ。
ガクシーでは、奨学金情報を集約した国内最大級のプラットフォーム「ガクシー」や、奨学金を運営する団体向けの業務管理システム「ガクシーAgent」を運営。2022年7月には、みずほキャピタルやCAMPFIREの家入一真氏らが創業したVCのNOWなどから約1億円の資金調達を実施するなど、「大きなマーケットを目指せると思っています」(松原さん)と、「学生の支援」と捉えられやすい奨学金制度のビジネスによる活性化を狙っている。
ガクシーの松原良輔代表。
撮影:三ツ村 崇志
奨学金市場は「非効率で明確なペインがあった」
松原さんはいわゆる連続起業家。
新卒で三井化学に入社すると、経営企画や採用業務に携わった後、会社の先輩と起業。海外の高度人材と日本企業をマッチングするグローバル採用支援事業をグロースさせ、2017年に人材会社のネオキャリアに事業売却を果たす。
「起業には興味はなかったんですが」とはいうものの、その後、元同僚ら気の合う友人と次の事業の芽を探す中で2019年3月に創業したのがガクシーだった(創業当時の社名はSCHOL)。
しかし、最初から奨学金に関する事業を構想していたわけではなかった。
「最初は介護や農業の分野で事業をできないかと、VCと壁打ちをしていました。ただ、なかなかうまく資金調達ができませんでした」(松原さん)
ビジネスとしてスケールする可能性を持ちながら、社会を良くできる事業……。そんな視点でVCや共同創業者らと新しい事業を模索していく中で見いだしたのが「奨学金」という領域だった。
「前職で海外の学生と関わる機会が多かったのですが、欧米には日本より多くの奨学金制度や寄付文化があり、彼らの方が恵まれていると感じました。日本の奨学金に目を向けると、非効率な市場で明確なペインがあった。解決すべきはここじゃないかと思いました。
それまで提案した事業は(VCに)1時間説明しても首を縦に振ってもらえませんでした。でも、ガクシ―の事業は、奨学金制度の問題をシステムで解決するという明確さと、実現すれば世の中を良くできることが明らかでした。5分くらいで、『それだね、やっときたね』となりました」(松原さん)
「日本の奨学金の仕組みは非常に非効率です」と松原さんは指摘する。
撮影:三ツ村 崇志
「給付型でも定員割れ」の現実
松原さんは創業当初、国内の「奨学金の総量」を増やす仕組みを作ろうと考えたが、
「それ以前に、日本の奨学金の仕組みに課題があることに気づきました」(松原さん)
と話す。
松原さんが指摘する日本の奨学金制度の課題は大きく分けて二つ。
一つは「情報の非対称性」だ。国内の奨学金といえば、日本学生支援機構の奨学金がよく知られている。ただ、企業や学校が独自に運営する奨学金を含めると、実際には何千種類もの仕組みが存在する。
しかし、その情報は一カ所にまとめられておらず、学生からすると奨学金の情報へのアクセス性が悪い。
「(奨学金を)届けるべき人に届かないし、届けたい側もどう届ければいいか分らない状況です。返済の必要がない給付型奨学金でも、応募者が定数割れしているケースもあります」(松原さん)
また、奨学金運営団体の仕組みのアナログさも大きな課題だ。多くはいまだに郵送での申し込みが必要で、運営団体も学生も負担が大きい。
「学生からすると、『どこで(郵送のための)切手を買うの?』というレベルからのスタートです。運営側も、応募受付から選考、給付手続きまで煩雑な事務手続きが多いにもかかわらず、一元化されたプラットフォームが整っていません」(松原さん)
2年で約14万人。国内の奨学金情報を網羅
国内最大の奨学金サイト「ガクシー」。
出典:ガクシ―webサイトより編集部キャプチャ
ガクシーは、2021年7月に奨学金情報サイト「ガクシー」を公開。「日本にあるほぼ全て」にあたる約1万6千(2023年3月時点)の奨学金情報が集約されている国内最大級のサイトへと成長した。
サイト内では、「もらえる(給付型)奨学金」「所得制限なし」「成績制限なし」などの条件検索が可能で、学生は自分に合った奨学金を探すことができる。
松原さんによると、ガクシーに情報を掲載した後、名古屋市のある財団が運営する奨学金の申込者数が約3倍になったケースもあるという。「地方の学生からの申し込みが増えた」という声が出てくるなど、これまでリーチできなかった学生へ情報が行き渡り始めた手応えも得始めている。
ガクシーにアカウント登録をしている学生や保護者は約14万人。広告は一切出していないが、会員数は毎月約1万人のペースで増えている。
ただ、ガクシーは、会員から利用料金を得て収益にするようなビジネスモデルではない。
「ガクシーの利用者はお金に困っている人。そこからお金をいただくのは現状やりたくない」(松原さん)
現在、ガクシーの売り上げの9割を占めるのが、奨学金を運営する団体向けの管理システム「ガクシーAgent」と、それに付随するBPOサービスだ。奨学金運営団体は、応募者の受付や選考、給付手続きなど、管理すべき情報が多い。その業務負担をSaaSサービスで効率化する。
大学などでは、職員が他業務と並行して奨学金の業務に携わることが多く、アナログなやり取りも相まって大きな負担となっている。実際に奨学金事業に関わる教職員らを対象に行ったヒアリングでは、全員が課題を感じていた。
ガクシーAgentのウェブサイト。
出典:ガクシーAgentwebサイトより編集部キャプチャ
「ここはPMF(プロダクト・マーケット・フィット)の状態で、どんぴしゃなものができたと思っています。お客様も自然に増えていくと考えています。ガクシーAgentのシステム自体は、人件費のリプレイスです。今関わっている人だけでも、2千億円規模のマーケットになると考えています」(松原さん)
価格は団体や奨学金の規模によるが、月5万円から高くても7〜10万円という。奨学金情報の掲載のみなら無料だ。
2022年9月には、学校法人向けに日本学生支援機構の業務管理機能や授業料減免機能を実装。既に25団体が導入しており、今年は150の学校または団体への導入を目指す。
奨学金市場「決して小さくない」
「マーケットはあるのか」とよく聞かれるという松原さん。「我々が一番知りたいと思っています」とも。
撮影:三ツ村 崇志
加えて松原さんが今後注目しているのが、新たに奨学金を配る財団を設立するケースだ。
メルカリの山田進太郎CEOが、理系女性を支援するための「STEM(理系)女子奨学助成金」を創設したことは記憶に新しい。
「やりたい人は少なからずいると考えています。日本でも成功した人が増えてきて、何か貢献したいと思った時に奨学金という手段は分かりやすい。その仕組みを我々が担っていきたいと思っています」(松原さん)
新たな奨学金を創設する際に、ガクシーが運営などを請け負うことでマーケットはさらに拡大するのではないかと想定しているという。これは「奨学金の総量を増やさないと、若者支援の根本的な解決にならない」という創業当初の思いを体現した取り組みでもある。
また、奨学金を配る担い手は他にも考えられる。
「将来的には、数十兆円あると言われている遺贈のマーケットにも入りたいと思っています。遺贈の選択肢として奨学金を提示し、眠っているお金を若者支援に流れるようにしたい。プラットフォーマーである我々を通して、日本にいる学生が毎年助かる仕組みを作っていきたいです」(松原さん)
モデルとしてイメージするのはリクルートの就活支援サイト「リクナビ」だ。
「リクナビは企業が採用を独自に行っていた時に、採用のプラットフォームを作りました。企業が採用活動をしようと思ったときに、お金はかかりますが多くの学生とつながる窓口です。奨学金も同じように『やりたい』と思う人が必ず出てくるはずです」