さまざまな分野の専門家が最新のゲームを見ながら独自の見方を語りつくすYouTubeコンテンツ「ゲームさんぽ」が人気だ。ゲームを通して、人によって世界の見え方がこんなにも違うのかと驚かされる。その案内役を務めるのが「なむ」氏だ。
そのなむ氏が、日本におけるゲーミフィケーション(ゲームのデザイン要素や原則を他分野に応用すること)の第一人者であり、立命館大学映像学部の講師である井上明人氏と共に、ゲームを軸にするからこそ見えてくる未来を語る。
「ゲームさんぽ」でゲームや世界の見え方が変わる?
以前からお互いを知っていたという井上氏となむ氏。井上氏は、大学の学生から「ゲームさんぽ」の存在を教えてもらい「出演しないんですか?」と言われたこともあるという。そんな中、なむ氏の本業である美術館の学芸員としての仕事で話す機会があり、今回の対談が実現した。
「本業は学芸員で、教育やアートに携わっています。2017年ごろから始めたのがYouTubeの『ゲームさんぽ』。2年くらいは、登録者が知り合いしかいないような底辺YouTuberでしたが、もともと友人だった編集者のいいださんからお声がけがあり、2019年から企業とのコラボレーションが実現。特に、気象予報士としての石原良純さんや、精神科医の名越康文さん、弁護士の水野祐さんに出ていただいた回が話題になりました」(なむ氏)
なむさんは「ゲームさんぽ」を、一定の条件を守れば誰でも商標権を利用できるオープンな枠組みにした。そんな「ゲームさんぽ」を絶賛するのが、井上明人氏。
「僕はコンピュータ・ゲームを主に研究対象にしていますが、『ゲーム』という概念は人類史において数千年前から存在する営みと考えて研究をすすめています。『ゲームさんぽ』は、ゲームというメディアの多彩な側面をとても柔らかく、とっつきやすい形で伝えていますよね。単に専門家がコメントしているというだけではなくて、ゲームの映像を見てすぐ指摘できて、映像を手がかりに指摘の内容を視聴者に理解できるような構成が作られている。そういう工夫が土台にある中でカジュアルな雰囲気を作れているのはすごいと思います。」(井上氏)
動画を見ると分かるが、専門家の目線から感じたことを話してもらうと、新たな視点が手に入る。専門家の話を聞く前と後では、見える景色が変わるのだ。
なむ氏/YouTube実況者。実家のお寺を継ぐか悩んでいる、なまぐさ坊主。本業は美術館の職員。2017年、ゲームさんぽを開始するも数年間はYouTubeの最下層をさまよう。現在はおそろしく低い更新頻度ながら活動継続中。ゆるくオープンなゲームさんぽコミュニティーづくりを目指している。https://www.saynum.com/
「美術の『対話型鑑賞』を応用したものなんです。目的や出自の異なる人たちが同じ作品を見て感想を語っていくと、人によって見えるものが違う。それを共有するのが面白い。アート作品の代わりに、ゲームという豊かな表現を媒介として、他者を知る試みなんです」(なむ氏)
社会的な問題をテーマにするものや、シミュレーターとしての役割も
「ゲームは子どものもの」だった時代は過ぎ去り、現代は子どもから大人までがゲームを楽しむ時代だ。細切れの時間にできるソーシャルゲームから、じっくり腰を据えてプレイする大作ゲームまで幅広い。
「最近では、社会的な問題を扱うケースも増えています。2022年に登場した『Ukraine War Stories』は、ロシアによるウクライナ侵攻を描いたゲームで、キーウの戦場にあるゲームスタジオで作られました。かつて報道やドキュメンタリーが担ってきたものを、ゲームが担う場面も増えてくると思います」(井上氏)
ただプレイして楽しく遊ぶだけでなく、消費者が体感・体験できる「表現の媒体」として発表される場合もあるのだ。
「『The Last of Us Part II』というゲームは、高度なアクセシビリティ機能が付いていて全盲の人でも音声だけでクリアできる仕様になっている。周囲のものの動きに対して細かく違う音が設定されていて、過去に全盲の人と一緒にプレイしてみたのですが、僕には同じように聞こえる音も、彼らは別個のものとして認識しているのが分かるんです。現実世界では、すべてのものの動きに音を付けることはできないですよね。でも、技術が発達して現実世界でも実現できるようになれば、目が見えない人でも不自由なく生活できようになるかもしれない。そういう意味で、ゲーム空間は現実世界の先を行くシミュレーターとも言えますよね」(なむ氏)
ゲームの中で「これならうまくいく」を実現したうえで、それを目指して現実世界を作る。ある種の理想的な未来が、漠然としたイメージではなく、確かに見えるものとしてゲーム内に存在しているのかもしれない。
さらに、生きづらさを抱えるマイノリティの人たちがプレイすることで、現実世界での助け舟になることもある。
井上明人(いのうえ・あきと)氏/ゲーム研究者。現在、立命館大学講師。ゲームという経験が何なのかについて論じる『中心をもたない、現象としてのゲームについて』を連載中。単著に『ゲーミフィケーション』(NHK出版,2012)。開発したゲームとしては、震災時にリリースした節電ゲーム『#denkimeter』や『コモンズの悲喜劇』などがある。
「オンラインゲームやメタバースの世界で、自閉スペクトラム傾向の人のコミュニケーションしやすくなることもあります。具体的には、間の取り方や、対話相手の目線の動きなどを手がかりにしながらの実空間でのコミュニケーションが苦手な人たちが、オンラインゲームでは、細かな『空気を読む』必要がないので、むしろコミュニケーションしやすくなるという研究があります」(井上氏)
他にも、テーブルトークRPGというゲームをすると、自閉スペクトラム症の傾向がある子どもが、コミュニケーションや交流機会の成功体験を蓄積できる、と実証した研究者もいる。
ポケモンGOをはじめ、現実社会にも影響を与えるゲーム
表現するためのテクノロジーとして、ゲームが「メディア」になり得ると考える2人。従来のメディア以上に、人々に強い影響を与えられる。
「人類史上的にも、今までできなかったことができるようになってきました。ここ10年ほどなら、『ポケモンGO』の登場はインパクトが大きい。家にこもりがちのゲーマーを外に出したのも大きな功績ですが、高齢者の方の日々の運動に役立っているというデータもあります」(井上氏)
なむ氏も、ポケモンGOは強く推しているゲームのひとつだという。
「ポケモンGOを作ったNiantic(ナイアンテック)のCEOであるジョン・ハンケは、身体や現実を大事にする思想を持っていて、僕もその考えに共感しています。開発者がこれからの技術と人間と社会のあり方を案じ、語ってくれることは一人の消費者として安心感があります。いくらゲームが楽しくても、自分自身が身体から解放されることはありません。Well-Beingな社会を実現していくためにも、身体をおろそかにしてはいけないと思っています」(なむ氏)
井上氏は過去に、現実と繋がるゲームとして、「節電」に取り組む『#denkimeter』をデザインしたこともある。現在は個人情報の取り扱いなどにハードルがあるものの、家庭におけるカーボンニュートラルに向けた取り組みとして一役買う可能性もありそうだ。
現実社会とつながりやすいからこそ、注意すべきことも
一方、ゲームが持つのはポジティブな側面だけではない。これまでのメディアよりも現実社会と繋がりやすい存在だからこそ、注意すべきことがあるのだ。
「ChatGPTも含めて、人格を感じさせる人工知能は気になっています。ゲームはストーリー性があって没入でき、愛着や愛情も感じ得ます。人格を感じられるような人工知能が投入されたら、脳が簡単に『バグる』と思います。良くも悪くも、実際の人間と区別がつかなくなっていくんじゃないでしょうか」(なむ氏)
最近は現実世界の人間ともリアルで会わず、リモートで済ませるケースも多い。画面上の相手が人工知能なのか、現実の人間なのか——。頭で分かっていても、相手に対する感情をコントロールできなくなる可能性は十分にある。
「おそらくかなり近いうちにゲーム内のキャラクターにChatGPTが実装されるのではないでしょうか。そうなるとGPTで動いている仮想の恋人にはまってしまうプレーヤーも出てくるでしょう。その場合に、『危険だ』と考えてゲームからプレーヤーを切り離すべきなのか。それとも『本人にとって大切な存在』として扱うのか。こういったことが近々、とてもヘビーな話題になっていくでしょうね」(井上氏)
「新たな技術が実装されるときには必ず社会摩擦がおこります。過去、遺伝子組み換えの技術が登場したときに科学者たちが自主的に集まり『アシロマ会議』が開催され、現在の各国のガイドラインの原形になる議論が交わされました。こうした新しい技術が国家や研究機関の中だけでブラックボックス化していくと、過度な社会不安につながり、イノベーションが阻害される可能性もあります。ゲームも同様に、最先端であり社会に大きなインパクトを起こす対象であるからこそ、倫理の議論が必要だし、透明性が必要になっていくと思っています」(なむ氏)
小説や映画なら、没入しても生活とのつながりは薄く、起きている時間すべてを注ぐことは難しい。ところが、ゲームは今の段階でも、現実を阻害するほどに没頭する人が存在する。
「過激な内容でも、小説や映画など既存メディアなら『表現の自由』として守られます。それは、原則的にはゲームでも同じです。しかし、テクノロジーの発展とともに現実とゲームが実質的に混じっているようなゲームが展開され、プレーヤーの生活の中にゲームが入ってくると『表現の自由』という理屈だけでは扱えないケースが出てきます。こうした状況に対して、倫理的な議論をきちんと構築していく必要があります。それは『ゲームはダメなもの』みたいな文化の一領域に対する差別的な話とは、別の水準でやらなければいけません。」(井上氏)
未来を写す最先端テクノロジーという側面と、これまでにない表現ができるメディアとしての側面が見事にクロスする「ゲーム」。人類の未来を大きく動かすものになることは間違いなさそうだ。だからこそ、両方の可能性をポジティブ面、ネガティブ面を含めて考えていかなくてはならない。
教養の入り口や、体感を知るためのツールになり得る
変化の激しい時代において、「学び」の重要性が増している。学生はもとより、社会人の「学び直し」も注目されつつある。学びの中で、ゲームはどのような可能性があるのだろうか。
「『ゲームさんぽ』を始めたとき、教養の一歩手前の『楽しい』という感覚を伝えたいと思っていました。教養は小難しいイメージで、専門的なものや受験用などが多く、気軽な入り口が少ない。遊びを通して社会問題に介入することを『プレイフル・インターベンション』と呼びますが、『誰かと一緒になにかを見る(=共視)』という手法で、学びの楽しさを伝えたかったんです。学校だけでなく、ゲームを含むいろいろなところに学びの機会があるような社会になってほしいし、僕もその一助になれればいいと思います」(なむ氏)
また、井上氏は「体感的なものはゲームで学ぶ利点がある」と言う。井上氏自身も、これまで面白さが分からなかったものが、ゲームをきっかけに体感的に分わかるようになった経験を持つ。
「もともと僕は、平面のデザインを見たり作ったりするのが個人的にも好きなのですが、建築の良さはあまりわからなかったんです。ところが『マインクラフト』という建築などもできるゲームで、パースペクティブ(遠近感を表現する透視図法)の制御や、歩いていくにつれて変わる景色の設計などを把握して、建築自体の面白さの一端を体感できましたね」(井上氏)
ただし現実的には、ゲームだけで学びが完結することはない。井上氏が学生にもよく話しているのは、ゲームだけでなく、書籍や映像などを組み合わせて学ぶことだ。
最先端テクノロジーとしてだけでなく、メディアとして、学びのツールとして、私たちの生活に切っても切り離せなくなったゲーム。それ以外のメディアや私たちの現実世界とつなげながら、これからの未来を作っていくことになるだろう。