撮影:三ツ村崇志
3月初旬、夜の六本木のとあるクラブ——。
大音量でクラブミュージックが響きわたる店内では、あるイベントが開かれていた。
ステージで飛び交っていたのは「ブラックホール」や「ビッグバン」といった、科学番組やSF映画で耳にする「宇宙物理」に関する言葉たち。フロアにいる観客は、入れ替わり登場する研究者やDJのトーク・パフォーマンスに喝采を浴びせていた。
“超実験的サイエンスエンターテインメント”と銘打たれた『夜学/Naked Singularities 3』の一幕だ。
会場には約100人ほどの物理ファンが集結。来場者の多くが「クラブに初めて来た」という人だった。また、参加者の3分の1ほどが女性だった。
写真:夜学/Naked Singularities 3
「六本木のクラブ」に対するイメージと専門用語が飛び交う空間のギャップに、長年科学を伝える活動(いわゆるアウトリーチ活動)を取材してきた筆者としても、正直、頭が混乱した。
この謎のイベントの仕掛け人は、NHKの番組『思考ガチャ!』でもMCを務める東京学芸大学の物理学者・小林晋平准教授だ。いったい何が彼をクラブイベントへと掻き立てたのか。
「分からなくても面白い」伝えたいのは熱量
東京学芸大学で理論物理学を専門とする小林晋平准教授。学生からは「やる気の無料配布」というニックネームで呼ばれているというが、トークの熱量からその理由が伺えた。
撮影:三ツ村崇志
「昔からダンスミュージックがすごく好きだったんです。学生の頃は、ちょうどユーロビートブームで、僕もパラパラを踊っていました。大学院生時代には、クラブに研究道具を持ち込んで、好きな曲がかかったときにフロアで踊って、合間に計算(研究)していたんですよ(笑)」
後日、改めて話を聞きに行くと、小林准教授は笑いながらそう話した。
もちろん「自分が好きだから」ということだけで、クラブで物理学のイベントを開催したわけではない。
「僕からするとクラブでのワクワク感と、例えば物理の話でワクワクする感じってそんなに差がないんです」(小林准教授)
物理に限らず、広く科学を楽しむための催しは日本各地で数多く開催されている。
ただ、教育やサイエンスにまつわるイベントでは、どうしても面白さを「分かってもらうこと」に重きが置かれがちな印象がある。
確かに科学を理解することは重要だ。そこで初めて分かる面白さもある。小林さんが専門とする「物理学」も、理解していく中でふとした瞬間に世界の見方(解像度)が変わる学問の一つだ。
ただ、小林准教授は
「理解できなくてもワクワクする方法や、『よく分かんないけどなんかすごいよね』という楽しみ方もあるんじゃないかと。特に物理は(分からないとだめだと)誤解されてるところが多い学問。もっと気楽に、文化の一つとして楽しめることを伝えたいと思っているんです」
と語る。
そこできっかけの一つにしようとしたのが、小林准教授自身が学生時代から好きだったクラブにダンスミュージック。そのパフォーマンスの中に物理を組み合わせるとどうなるのか。その壮大な「実験」が『夜学/Naked Singularities 3』なのだという。
「学問のスーパープレー」を魅せる
イベントでは、ブラックホールに関する方程式も登場。小林准教授曰く「鉄板ネタ」だという。軽快なトークの合間に、会場からは笑いや歓声が飛んでいた。
写真:夜学/Naked Singularities 3
小林准教授は
「物理学を『かっこよくしたい』というのも、クラブで開催した理由の一つです。
子どもたちがサッカー選手のスーパープレーを見て『うわっ、かっこいい。僕もなりたい』と憧れるような対象を(科学の世界にも)作りたいと思っているんです」(小林准教授)
とも話す。
日本にも世界最高峰の科学者たちは確実にいる。
例えば講演会でブラックホールや相対性理論について分かりやすく解説して、その世界観に驚いたり、感動したりしてもらうことはできるかもしれない。ただ、そこから科学者そのものを「憧れの対象」にすることの間には、大きな壁がある。
それを変えようというのであれば、「学問のスーパープレー」とも言える、誰から見ても思わず感嘆してしまうような「すごさ」や「かっこよさ」を見せつける必要がある、というのが小林准教授の狙いだ。
イベントでは、物理学者の小林さん(手前)と、『ダンゴムシに心はあるのか』(PHP出版)の著者で生物学者の森山徹(奥)さんとの異分野融合セッションもあった。クラブ内に設置されたスクリーンには、ダンゴムシの実験動画も流れていた。
撮影:三ツ村崇志
思い返すと、小林准教授は新型コロナウイルスの流行がまだ始まったばかりの2020年3月にもYouTubeで「24時間ぶっ続けで物理学の講義を行う」という前代未聞のイベントを開催。このときも「物理を伝えることはただの枕でしかありません。そこにある熱狂や感動を伝えたい」と、兼ねてより学問としての物理学を突き詰めるだけではなく、そこに眠る熱量を広く伝える方法を模索し続けてきた。
今回のイベントも根底にある想いは同じだ。
「何かのための科学」ではなく……
夜学3の後、改めて東京学芸大学にある研究室で小林准教授に話を聞いた。
撮影:三ツ村崇志
日本では特に、科学技術は「役に立つもの」であることを求められることが多い。
一方で、科学を「文化」として楽しんだり、嗜んだりする土壌の必要性もまた、長らく指摘され続けてきたことでもある。
小林准教授には、科学が文化として根ざしていることをまざまざと見せつけられた経験がある。車椅子に乗った天才物理学者スティーヴン・ホーキング博士の研究会に参加するためにイギリスに行った時のことだ。
「まだ博士課程の学生だった頃なのですが、研究会の前の晩にレストランでご飯食べていたら、老夫婦に話しかけられたんです。『お前、ホーキングに会ったか?』って。明日会う予定だと話したら、おじいさんが『必ず彼に会っていけ、彼は私たちの国の宝だから』と言ったんです」
ホーキング博士は、物理学者として大きな成果を残しただけではなく、『ホーキング、宇宙を語る』をはじめとした一般書を多数執筆し、世界中の人々にロマンを与えた偉人だ。
「これを聞いたとき、日本で『あいつはこの国の宝だ』と科学者が普通の人に言われることってあるんだろうかと考えました。(ヨーロッパでは)科学や科学者というものが一つの文化として理解されているのを目の当たりにして、すごく感動したんです」
小林さんは、ホーキング博士が世界に与えた「普遍的な価値」は、何百年と連面と受け継がれてきた学問からしか出てこないものではないかと指摘する。
「学問って人類が寄ってたかって作り上げた、最高の芸術作品みたいなものだと思うんです。だからやっぱりみんなにそれを味わえる喜びをもっと知ってほしいし、最終的には、学校教育の形も少しずつ変えていきたいと思っているんです。
何かのためになる学問ではなく、それ自体を楽しめる方法があって、学問の先には世界が広がっているんだということをもっと伝えていきたい。その具体例として、本当に『ただ楽しむこと』ができるサンプル。その一つが、夜学なんです」