カバーの谷郷元昭社長と同社所属VTuberの「ときのそら」。(2020年12月撮影)
撮影:伊藤圭
2Dや3Dのキャラクターをアバターに用い、ネット上で活動するバーチャルYouTuber(VTuber。バーチャルライバーとも呼ぶ)の事務所「ホロライブプロダクション」を運営するCOVER(カバー)が3月27日、東証グロース市場に上場した。VTuberを本業とする上場は「にじさんじ」を運営するANYCOLORに続き2社目となる。
発行済株式数は6112万4200株。公開価格は750円だったが、初値は1750円で公募価格の約2.3倍をマークした。その後は一時2000円まで高騰したが、初値形成後に大株主へのロックアップ解除を受けてか、一転して売り気配の展開に。上場初日の終値は初値比20%安の1400円。時価総額は約856億円となった。
ただ、急成長する業界のリーディング企業の一つとして株式市場の注目を集めたことは確かなようだ。Twitterでは「カバーの株」がトレンド入りするほどだった。
カバーの歴史と谷郷社長、そして「ホロライブプロダクション」とは?
谷郷元昭社長の経歴。
Business Insider Japan
カバーは谷郷元昭氏が2016年6月に立ち上げたエンターテインメント企業だ。谷郷氏にとって、カバーの立ち上げは2度目の起業だった。
もともとゲームが好きだった谷郷は1997年に慶應義塾大学理工学部を卒業後、新卒でゲーム開発ベンチャーのイマジニアに入社。サンリオとのゲーム開発のプロデュースやテレビ局・出版社とのメディアミックス事業などを取り仕切った。
その後、化粧品の口コミサイト「@cosme」で知られるアイスタイルで、EC事業の立ち上げに従事。UGC(User Generated Contents)をもとにしたビジネス手法を学ぶ。
2008年に初めて独立。写真とともにグルメ情報などの「まとめ」が作成できるスマホアプリを主軸としたサンゼロミニッツを起業し、O2O(Online to Offline)事業を展開。2014年、イードに事業譲渡した。
2016年6月には、イマジニアで培った経験を活かすべく、成長が見込まれるVR業界への参入を考え、カバーを設立した。当初はCTOの福田一行氏とともにVRゲームの投資・開発に注力。対戦型の卓球ゲームで勝負しようとするも、ビジネスには結びつかなかった。
これと前後して、国内のVR業界では一つのシンギュラリティが起こっていた。
2016年11月、バーチャル世界に一人のアイドルが降臨。「親分」と呼ばれ、のちのVTuber文化の先駆けとなった「キズナアイ」さん、その人だった。このことはカバーにとって大きなヒントになったと谷郷氏は回顧する。
ときのそらさん。「hololive 4th fes. Our Bright Paeade」より。
(C) 2016 COVER Corp.
2017年9月、カバー初のバーチャルアイドル「ときのそら」さんがデビューした。
当初はカバーが開発していたバーチャルアイドルのライブなどをスマホで楽しめるオリジナルアプリのプロモーションのためのキャラクターという位置付けだった。
その後、17LIVEで実現したライブ配信で視聴者は2万人に。やがて活動の主戦場をYouTubeへ移し、自らを「バーチャルYouTuber」であると宣言。人気は高まっていった。
事業を拡大すべく、カバーは独自のオーディションも開き、新たな才能も発掘。女性VTuberグループ「ホロライブ」のみならず、男性VTuberグループ「ホロスターズ」も登場。タレントの幅も徐々に広がった。
事務所名は、のちにオリジナルアプリの名前から「ホロライブプロダクション」と名付けられた。ときのそらさんはホロライブプロダクションの「始祖」として、尊敬を集めている。
2023年2月現在、75名のVTuberが在籍。このうち30名超がYouTubeチャンネル登録者数100万人を突破。カバーによると、VTuberのチャンネル登録数世界ランキングで業界のトップ10をほぼ独占している。
出典:カバー株式会社
現在は「つくろう。世界が愛するカルチャーを。」を合言葉に北米などの英語圏や、日本語の英語や日本語を学ぶ人が多いインドネシアなどにも進出している。
2020年には「ホロライブインドネシア(ID)」や「ホロライブEnglish(EN)」がスタート。他社に先駆けて日本のサブカルチャーコンテンツが受け入れられている海外でも人気を集め、業界最大手の企業の一つとして急成長。日本発のVTuber文化の一翼を担う存在となった。
「hololive SUPER EXPO 2023」のオープニング・セレモニーで鏡開きをする谷郷社長。
撮影:吉川慧
谷郷氏自身もVTuber界隈で「YAGOO(ヤゴー)」の愛称で知られ、海外のネット掲示板「reddit」ではファンが作るネットミームにされるほどだ。
「hololive SUPER EXPO 2023」では所属VTuberが制作した谷郷氏の像が展示された。
撮影:吉川慧
一部の熱狂的ファンからはホロライブの「Best Idol(ベストアイドル)」として支持され、ホロメン(ホロライブ所属Vtuber)からはMinecraft内で一頭身のキャラクターとして用いられるなど、半ばフリー素材としてネタにされている。
2023年3月期の単独売上高は180億5600万円、営業利益は21億円、純利益は14億円を見込む。
出典:カバー株式会社
在籍するVTuber全てのチャンネル登録総数は2022年末時点で延べ7200万超。自社IPの影響力が伸びるにつれてビジネスも成長し、2022年3月期時点でVTuber一人あたりの収益は年間約2億円に成長した。
四半期売上高推移
出典:カバー株式会社
急成長するカバーの事業分野の柱は大きく4つにわけられる。
出典:カバー株式会社
以下、主な事業分野と2022年3月期における売上比率を紹介する。
配信・コンテンツ(38.4%)
一つ目はVTuberにとって活動のホームグラウンドであるYouTubeを中心とした動画配信プラットフォームでの活動だ。ライブ配信や動画コンテンツ、音楽ストリーミングサービスでの楽曲コンテンツを積極的に展開している。
この分野での主な収益源は、視聴者から受け取る“投げ銭”の「スーパーチャット」や月額コミュニティ(YouTubeメンバーシップなど)会員費用、動画配信プラットフォーム上での広告収益、 音楽ストリーミングサービス上での楽曲販売の収益などだ。
特筆すべきは海外におけるファンの熱量の高さだ。特にカバーに在籍するVTuberは海外での人気が高く、YouTubeの配信における月間の海外再生数比率は41%(2022年12月現在)を占めている。
ライブ・イベント(16.1%)
「hololive 4th fes. Our Bright Parade Day1」より。
(C) 2016 COVER Corp.
2つ目は所属VTuberのライブやフェス、ファンミーティングなどのイベントだ。
主な収益項目はオフライン・オンラインでのチケット販売の収益、イベントにおける物販やイベントを収録した映像販売の収益などだ。
2020年1月にはホロライブ初となるフェス「ノンストップ・ストーリー」を開催。以降、オンライン・オフラインを問わずステージ経験をいくつも重ねてきた。今後はユニットのプロデュースなども期待される。
2022年は北米、ヨーロッパ、オーストラリア、アジア等での出展やファンミーティングイベントを開催。2023年夏にはロサンゼルスでホロライブENのイベントを計画している。
直近の2023年3月には幕張メッセで一大リアルイベント「hololive SUPER EXPO 2023」と4度目のフェス「hololive 4th fes. Our Bright Parade」を開催。国内外から多くのファンが集まり、VTuberたちが創作した展示物や日頃の配信企画から着想を得たアトラクションなどを楽しんだ。
フェス会場では場内モニターに海外から訪れたファンが映し出されると大きな拍手と歓声が送られるなど、ファン同志の温かい交流も見られた。
マーチャンダイジング(35.4%)
出典:hololive production OFFICIAL SHOP
三つ目は「マーチャンダイジングサービス」。具体的には、所属VTuberのキャラクターグッズやシチュエーションボイスなどの販売だ。自社ECサイト「hololive production OFFICIAL SHOP」を通じ、国内外で商品が展開されている
グッズ展開は幅広い。代表的なものではアクリルスタンドやキーホルダー、ぬいぐるみ、VTuberの衣装をモチーフにしたアパレルなどだ。
シチュエーションボイスとは、季節に応じて収録されたドラマCDのようなボイスコンテンツのこと。バレンタインや夏休み、クリスマスなどでVTuberと一緒に過ごしている気分が味わえることが魅力で、推し活シーンのメインの一つにもなっている。
カバーによると、売上構成ではVTuberの誕生日や記念日などに展開される「特別受注生産・販売前提の商品の構成が大きい」という。現在は幅広い層に向けて常時販売可能な収益性の高い商品の開発を進めているという。
ライセンス・タイアップ(10.1%)
四つ目は「ライセンス・タイアップ」。企業の商品やゲームなどのコンテンツとのタイアップ広告やメディア出演など。いわゆる「案件」と呼ばれるPR活動や出演で得られる収益だ。
主には新作のゲームの宣伝や、食品会社やコンビニとのコラボなどがメインになっている。日清食品の「カレーメシ」や、ブシロードのトレーディングカードゲーム「ヴァイスシュヴァルツ」とのコラボは代表的な一例だ。
タイアップ広告では「VTuberの直接の稼働無しに商品パッケージやポスター等で活用される事例」があることで、「演者稼働を伴う一般的なインフルエンサー広告の事例よりも効率性の観点から収益性が高くなる」という。一案件あたりの収益性が高いことは特筆すべきかもしれない。
「大吟醸 雪夜月」の「IWC2022」ブロンズメダル受賞を記念してつくられた特別モデル「雪夜月Season3 Celebration Model」。
撮影:吉川慧
一方で、ライバーのこだわりが“逸品”に育った事例もある。
日本酒をこよなく愛するホロライブ5期生の「雪花ラミィ」さんは、酒造メーカーとプロジェクトを発足。原料米、精米歩合、酵母、アルコール度数まで一からこだわり、「雪夜月」と名付けられた日本酒が誕生。そのこだわりが実り、IWC(インターナショナル・ワイン・チャレンジ)でブロンズメダルを獲得した。
新しい事業領域にもカバーは挑戦している。
ホロライブプロダクションの発足から5年、VTuber事業の収益モデルは基礎部分が固まってきたと言えるだろう。今後の展開を見据えて、カバーは新規事業にも取り組んでいる。
企業の歴史を紐解くと分かる通り、カバーはVRを祖業とする会社だ。業界内でも配信や3Dなど技術力にも定評があり、近年はメタバースプラットフォーム「ホロアース」の開発に力を注ぐ。
これまでの技術を活かし、VTuberとファンが双方向で交流、活動できるメタバースのプラットフォームの実現を目指している。
躍進を遂げる「ホロライブプロダクション」の魅力に迫る。
撮影:吉川慧
ここからは、70名を超えるホロライブプロダクションのVTuberたちの魅力の一環を紹介したい。
これまでにホロメンたちは日々の配信活動をはじめ、オリジナル楽曲の発表、さらにはメジャーアーティストとしてのデビューやテレビ・ラジオ出演、国内外の大規模イベントへの出演なども果たしている。
インターネットを超えて活躍するホロメンたち。その道を切り開いたホロライブプロダクションの「始祖」とも言える存在が「ときのそら」さんだ。
デビューは2017年9月。最初の生配信を見ていた人々は、関係者を除くとわずか13人だったとされる。この13人はアーサー王伝説になぞらえて「円卓の騎士」と呼ばれ、ファンの間で伝説となっている。
2019年3月にはメジャーデビューアルバム『Dreaming!』を発表。ワンマンライブの実現や外部フェスへの出演。2019年にはテレビ東京の連続ドラマ『四月一日さん家の』に出演を果たした。
「四月一日さん家の」オフィシャルファンブック。
撮影:吉川慧
今でこそVTuberが地上波のテレビに出演したり、声優を務める事例もある。だが、当時としてはVTuberが俳優として、フィクションを演じることは極めて実験的なことだった。
2022年7月にはチャンネル登録者100万人を達成。強烈な個性を持つVTuberが数多いる中で、「自分の個性とはなにか」を問い続け、ホロライブの歴史を切り開いてきたそらさん。その軌跡は、ホロライブプロダクションの象徴と言えるだろう。
アベンジャーズのような存在感。尊敬集める「0期生」
こうした「アイドル」としてのサクセスストーリーや物語性も、ホロメンたちの魅力の一端だ。
さらに、人脈の広さで知られる「ロボ子さん」や、都の観光大使に任命されるなど誰がなんと言おうと“トップエリートの巫女アイドル”であることに疑いの余地はない「さくらみこ」さんも黎明期からカバーを支えてきた存在だ。
また、初期には自社レーベル「イノナカミュージック」を立ち上げるなど試行錯誤も続いた。同レーベルには「AZKi(あずき)」さんや「星街すいせい」さんが所属したことでも知られる。
のちに二人は「ホロライブ」に合流するが、類まれなる歌唱力と音楽センスは、のちにVTuberが音楽シーンで活動の幅を広げる礎の一つとなったと言えるだろう。
以上、ときのそらさんをはじめ初期からカバーを支えてきた5人は、のちに「ホロライブ0期生」として定義された。ホロライブ2期生の「大空スバル」さんは「アベンジャーズのようにアッセンブルした(存在)」と讃える。
他にも個性豊かなホロメンたちが、ホロライブプロダクションには集っている。
例えば特撮やアニメへの深い造詣を持つ「白上フブキ」さんは平沢進さんのファン(通称「馬の骨」)という一面でも知られている。
栄えあるホロライブ1期生の一人として後輩たちを見守る立場としても存在感を示しており、配信を予定していながら寝坊したホロメンがいた場合は起床するまで実況配信を突発で企画してフォローするなど、数々の神配信を残している。
ホロライブ3期生では「宝鐘マリン」さんは自らアルバムジャケットをデザインする抜群のイラスト力を誇る。ゲーム「サクラ大戦」シリーズをこよなく愛し、同シリーズの音楽を担当した田中公平さんとのコラボ楽曲を実現する夢を叶えた。
最近ではオリジナル楽曲『I'm Your Treasure Box *あなたは マリンせんちょうを たからばこからみつけた。』(通称「マリ箱」)がTikTokで人気となっている。
同じく3期生の「兎田ぺこら」さんは、中毒性のある笑い声と語尾で視聴者を虜にするハイテンションな配信で知られる。「魔界村」シリーズなど超難易度のクリア耐久配信などに挑戦するなど、負けず嫌いな意志の強さから数々のドラマも起こしている。
ぺこらさんがチャンネル登録者100万人を突破した際に、母親にVTuber活動をカミングアウトした時の配信は伝説となっている。親子間でどんなやり取りがあったのか、ぜひ動画を見てほしい。
ゲームの実力の高さに定評があるホロメンも多い。
例えば、ホロライブ4期生の「常闇トワ」さんはAPEXなどのFPSゲームに通じており、数々の大会に出場。2期生の「湊あくあ」さんらと共にマリオカートの腕前の高さでも知られる。芯の強い低音で奏でる歌声も魅力でオリジナル楽曲「ライメイ」は必聴すべき曲だ。
「アイドル」として知られるホロライブの面々だが、時に「地獄企画」と呼ばれるものがある。
言葉で説明することは難しいのだが、その場の成り行き任せでアドリブが求められたり、過去の失敗談や共感性羞恥をえぐるような会話が交わされたりするようなネタ企画とでも言えばよいだろうか。
例えば、ホロライブゲーマーズの「大神ミオ」さんが主催する「ホロライブ幼稚園」は、地獄企画の代表的なものだろう。ホロメンたちが幼稚園児になりきって、さまざまなお題に答える。
笑いとともに、ホロメンたちの意外な一面や本音、丁々発止のやり取りが拝めるのも「地獄企画」の魅力の一つだ。
海外勢の活躍も華々しい。デビューからわずか39日でチャンネル登録者100万人を達成した「がうる・ぐら」さん、唯一無二の歌声やラップで多くのファンを引きつけメジャーデビューも果たしている「森カリオペ」さんなどの活躍にも注目だ。
がうる・ぐらさんの初配信での第一声「a」は、語り草となっている。
ホロライブIDにも個性派が集まり、ID2期生の「Kureiji Ollie」さんは過去に数学の解説を配信するなどホロライブプロダクションでもきっての頭脳派として知られる。
プロダクション設立の経緯から女性VTuberの活躍が特筆されやすいが、男性グループ「ホロスターズ」もまた独特な魅力で輝きを放っている。
バーのマスターである「夕刻ロベル」さんは、昼さがりの雑談配信でのトークの軽妙さに定評がある。
配信サムネイルには得も言われぬ独特の魅力があり、事務所内外のVTuberとの巧みな「おしゃべりよ!!!」はロベルさんの代名詞だ。
個人勢の「神楽めあ」さんとのコラボ「ロベルないとめあ」は、絶妙な言葉の掛け合いもありベテラン漫才コンビのような風格さえある。
ホロライブプロダクションの音楽シーンでの活躍も触れておきたい。
星街すいせいさんの初のフルアルバム『Still Still Stellar』
撮影:吉川慧
数万人いるとされるVTuber全体の中でもトップレベルの歌唱力を持つのが、先に挙げた「星街すいせい」さんだ。
元々は個人勢であり、自身のキャラクターデザインやイラスト、動画の編集など全てをこなすマルチクリエーターとしての側面も持つ。またテトリスの腕前がプロ級であることでも知られている。
星街さんはデビュー後、カバーの自社レーベル「イノナカミュージック」を経て、ホロライブに移籍。当初からオリジナル楽曲を発表し、2021年9月には初のフルアルバム『Still Still Stellar』を発表。星街さんが作詞し、TAKU INOUE(井上拓、通称“イノタク”)さんが作曲を手掛けたリードトラック「Stellar Stellar」は星街さんを代表する一曲となった。
2023年1月には、VTuberとして初めて「THE FIRST TAKE」(一発取りで収録した楽曲を披露するプロジェクト)に登場。現在までに1000万再生を突破。
「彗星の如く現れたスターの原石」は、今や名実ともにスターとしての輝きを放っている。
誹謗中傷への対策でANYCOLORと連携
VTuber業界の大手2社がタッグを組むことで、所属ライバー・タレントが安心して活動できる環境を断固守っていく姿勢を改めて示したかたちだ。
出典:ANYCOLOR、カバーの公式サイトより。
VTuberという文化が勃興して以来、運営企業はタレントたちが自由かつ安心・安全に個性や才能を発揮し活動できる環境の構築・保持のために対策を取ってきた。
実際、誹謗中傷など攻撃的な行為による被害も生じている。中にはVTuber活動自体を休止せざるを得なくなってしまった事例もあった。
カバーは2020年5月、所属タレントに対して「犯罪を示唆するような脅迫行為」や「プライバシーを侵すような悪質な発言」があるとして、「法的措置」も視野にいれると表明。2022年の一年間では146件の誹謗中傷行為に対応した。
これまでにネット掲示板やSNSにおけるIPアドレスの開示請求を実施し、タレントの人格権が侵害されたとして、裁判所が開示請求を認めた事例もある。
カバーによると誹謗中傷による被害は日本にのみにとどまらず「世界規模」となっているとし、「世界各国における所属タレントに対する誹謗中傷についても、必要な取り組み」をとる方針を明示している。
2021年9月には所属タレントに対する「誹謗中傷」と「権利侵害を伴う悪質画像の投稿」について、和解金の支払いで合意したと報告している。
こうした背景から2022年12月、競合するANYCOLORとの連携を発表。所属するVTuberに対する誹謗中傷行為などの根絶に向けた対策でタッグを組んだ。
業界の大手2社が協力体制を組むことで、所属VTuberたちが安心して活動できる環境を断固守っていく姿勢を改めて示した。
「いかに社会の公器となり得るか」事業リスクと向き合う
撮影:伊藤圭
事業の性格上、VTuber事業はタレントの人気やコンテンツ供給の頻度に一定程度依存している。カバーも有価証券届出書でも、以下のように例示している。
「不適切なコンテンツの配信、スキャンダル、炎上、誹謗中傷、その他健康上の理由等により、当社所属コンテンツ・クリエイターが視聴者からの継続的な支持を得ることができなくなった場合、活動頻度が著しく低下した場合、又は活動の継続が困 難になった場合等には、関連するIP、コンテンツ又は商品等の付加価値の低下を通じて当社のレピュテーション、事業、業績及び財政状態に影響を及ぼす可能性があります」
例えば、過去には権利者に配信許諾を得ていなかった事例が発覚したことがある。また、秘密保持に抵触する情報漏えいなどで契約を解除した事例もファンの記憶には新しい。
海外に事業が広がったことで新たな火種も生まれた。VTuberの影響力が増し、国境を超えてファンが広がることは、意図せず国際問題や政治問題に抵触することも起こりうる。“炎上”の影響でbilibiliで配信していたホロライブ中国は6人全員が「卒業」に至る事態もあった。
こうした経験から、谷郷氏は「カバーという会社が、そしてVTuberが、いかに社会の公器となり得るか」という問いと向き合っていると、過去のインタビューで語っている。
失敗を経験し、谷郷氏はカバーの組織づくりにも務めた。権利関係の問題を受けて、カバーは著作物利用に関する包括契約を任天堂など複数の企業と締結。法人としてゲーム実況が許され、収益化もできるようになった。
社内ではリスクコンプライアンス委員会も立ち上げ、所属VTuberに向けた著作権や法令に関するリテラシー教育や情報共有も進めた。
一方で谷郷氏は、社員やクリエイターを守りつつ自由な活動環境を整えることも経営者の仕事だとも語っている。
「VTuberを縛ったり、コントロールしたりだとか、そういう考え方では全くないんですね。それはUGC(User Generated Contents=ユーザー生成コンテンツ)ではありません。公序良俗に反することだったり、ナショナリズムの問題に触れたり、著作権など法的に問題があること以外は、なるべく自由に活動して欲しい」(2021年3月25日インタビュー記事)
ホロライブプロダクションは2022年9月で5周年を迎えたが、所属するVTuberたちの安心と安全を確保しつつ、やりたいことができる環境を整え、個性や才能を発揮できるステージを確保できるか。それによって、さらにVTuberというエンターテインメントを愛する人を増やせるかどうか。
言うなれば、VTuberという存在が多くの人にとって「日常」となりうるか、それが上場後の成長のキーとなりそうだ。
これは、先日カバーが展開したブランド広告に記されていた言葉に通じるかもしれない。
「あたらしい日常は、すぐそばにいる。」
新宿で展開されたホロライブプロダクションのブランド広告。
撮影:吉川慧
コロナ禍という未曽有の危機。思うように外に出れない暮らしの中、VTuberによるライブ配信は私たちに世界を癒やす可能性を示した。
感染状況が落ち着いた中で、先日幕張で開かれた4thフェス。コロナ禍でデビューした秘密結社「holoX」(6期生)やホロライブEN、IDメンバーの中には、初めて憧れの「舞台」に立ったVTuberもいる。
この日のためにダンス、歌、MCを一生懸命に練習したことだろう。その努力に応えようと観客は一体となって、懸命にペンライトを振り、“推し”に声援を届けていた。
コロナ禍を経て、VTuberという文化は確実に私たちの「日常」を彩る存在になりつつある。
谷郷氏は、過去のインタビューでこう語っている。日本の第一線級クリエイターを結集し、世界で戦いたい。そして、「演じる側も楽しむ側も、アバター的な概念やバーチャル的な概念は、国境や年齢を超えられる。我々としても、そういうサービスを今後も作っていきたい」と。
ホロライブプロダクションの物語はこれからも、とまらない。そして、クリエイターが活躍する舞台とファンの輪はこれからも世界に広がる──。上場に際して発表した谷郷氏のメッセージには、そんなカバーの志が込められているようだ。
「現在は、VTuberという日本から生まれたカルチャーを世界に広げていくと同時に、IPを活用したメディアミックスへの取り組みを積極化しており、今後はVTuber企業ならではのメタバース展開をすることで、日本や、日本のコンテンツが好きなクリエイターが世界で輝ける舞台を提供していきたいと考えています」
(文・吉川慧)
※編集部より:初出時に「雪夜酒」としておりましたが、正しくは「雪夜月」でした。お詫びして訂正します。(2023/03/28 12:35)