工場作業員などノンデスクワーカー向けのSaaSを手掛けるスタートアップ「カミナシ」が、シリーズBで約30億円を資金調達した。
新たにHR機能を備え、マルチプロダクト化に舵を切る。目指すは2028年にARR(年間経常収益)100億円のユニコーン企業として上場することだ。
バリュエーションが上がりにくい現状も
カミナシの諸岡裕人CEO。家業での原体験をきっかけに起業した。
撮影:竹下郁子
今回の資金調達ではCoral Capital、ALL STAR SAAS FUND、千葉道場、みずほキャピタルを引受先とした第三者割当増資で約25億円。昨今増えているベンチャーデット(新株予約券付融資)で日本政策金融公庫から約2億円、また融資枠でみずほ銀行らから約3億円を調達した。
エクイティと融資を組み合わせた理由について、カミナシの諸岡裕人CEOはシリーズAで約11億調達した2021年3月時と比較して言う。
「今の資金調達はバリュエーション(企業価値評価)が上がりにくくなっています。2021年と比べると圧倒的に。
そうは言っても、ほぼ既存投資家によるエクイティで25億円を調達できたので、残りの5億円は調達コストを下げるためにもデットを選択しました」(諸岡さん)
市場規模は最大22.6兆円
現場の作業は紙とペンで溢れている。
提供:カミナシ
そんな市況でもバリュエーションについて「高い評価をもらい、満足のいくものになった」と話す諸岡さん。投資家から評価されたポイントは「成長率」「企業カルチャー」「人材獲得力」「市場規模」の四つだという。
カミナシは工場やホテル、飲食などの現場で働く際に発生する帳票管理などをアプリ化し、紙とペンから労働者を解放することを目指すソフトウェア(SaaS)だ。
ユーザーとなるノンデスクワーカーは日本の就業人口の半数以上を占め、最大の市場規模は22.6兆円だと同社は推計している。
提供:カミナシ
カミナシの創業は2016年12月。当初は食品製造業に特化したサービス(バーティカルSaaS)を提供していたが、2020年6月にピボットし、宿泊・飲食・交通などあらゆる業界に対応できるようにした(ホリゾンタルSaaS)。その結果、現在は30を超える業界、300企業・7000現場以上で導入されるまでに。
セブンイレブンの食品製造工場の8割で導入されていることは既報の通りだが、ほかにもホテルルートイン、ロイヤルホスト、天丼てんやなど業界大手での活用が多いのもポイントだろう。
企業ミッションは「現場ドリブン」
カミナシを導入することでミスも確認時間も減らすことができる。
提供:カミナシ
なぜカミナシがここまで多くの企業に導入されるようになったのか。
プログラミング知識が不要で、現場で働く担当者が最も使いやすい形にカスタムできる「ノーコード」アプリであることが評価されたことに加え、営業力と導入後の手厚いサポートが効いていると諸岡さんは言う。
営業はIT部門ではなく、現場で制服を来ている人に直接かける。
カミナシを現場で使う作業員は高齢化しており、普段はガラケーを使い、iPadなどのタブレット型端末に抵抗感がある人も少なくないという。「使いこなせないんじゃないか」という不安を払拭するため、導入にあたり複数回のボーディングプログラムを組んでいる。
その結果、チャーンレート(解約率)は直近1年平均で0.39%、NRR(売上継続率)は約130%を誇る。
2028年にユニコーンとして上場したい
セブンイレブンの食品製造工場での活用状況を話す諸岡さん。3月22日撮影。
撮影:竹下郁子
そんなカミナシは「2028年」に、「想定時価総額1000億円」超のユニコーン企業として上場することを目指している。そのためにも達成したいのが「ARR(年間経常収益)100億円」だ。
ARRといえば、人事労務ソフトで知られるユニコーン企業・SmartHRがT2D3(ARRを3倍→3倍→2倍→2倍→2倍と毎年増やしていくこと)を達成し、ARR100億円に到達したことを発表したばかりだ。
SmartHRとカミナシはどちらもBtoBのSaaS企業で、Coral CapitalやALL STAR SAAS FUNDなど同じVCから出資を受けるなど共通点が多い。今回のラウンドでリードを務めたCoral Capitalのジェームズ・ライニー氏は、カミナシを「次のSmartHR」と評価している。
ARR100億円の登山、現在は「3号目」
提供:SmartHR
カミナシが現在のプロダクトになってから約3年が経つ。SmartHRは、サービスをローンチした2015年11月の約3年後にあたる2018年8月時点で、ARRが3億5800万円だった。
ARR100億円を山頂だとすると現在地はどこか? また約3年という区切りでSmartHRと比較した場合はどうか。
「彼ら(SmartHR)はそこからの伸びがすごいですが、同じ年数でいうと僕らもそれ以上にはきているかなと。ARRが多いか少ないかで言うと多いかな? という感じでしょうか。
100億円に対しては、大体3合目くらいだと思います。もちろん今後の新規プロダクトや、検討しているAIの活用によって状況は全く異なってきますが」(諸岡さん)
新プロダクトのきっかけは現場の悲鳴
提供:カミナシ
ARR100億円に向けた命運を握る新たなプロダクトの名前は「カミナシEmployee(エンプロイー)」。
名前の通りHRテックで、入退社手続きから現場での作業までを支援するサービスになる予定だ。
年内のローンチを目指し、今回調達した資金は主にこの開発や人件費に充てていく。
開発のきっかけは、ノンデスクワーカーの在籍期間が短く、人の入れ替わりが激しくなっていることだ。いわゆる「スキマバイト」の流行もあるのだろうか、中には入社した従業員の8割が1年間のうちに辞めたケースもあったそうだ。受け入れる企業側にとっては、事務手続きや教育など入退社にまつわるコストがかさみ、経営課題になっている。
既存HRテックがカバーしない領域をやる
諸岡さんの実家はホテルやビル、空港などのアウトソーシングを手掛けており、自身も工場で働いた経験を持つ。
提供:カミナシ
「既存のHRテックは多くが正社員向けに作られていて、こうした現場の悩みにフィットするか分かりません。例えば評価機能。ノンデスクワーカーの場合は『このスキルがつけば時給が50円上がる』とか、そういう世界なんですよ。
従業員を管理したり戦力化するためのプロダクトを、僕らならではの『現場起点で再定義』して提供していきます」(諸岡さん)
カミナシEmployeeは制服の準備から、事前教育、現場でのOJTなど、ノンデスクワーカーの現場ならではの課題を解決するサービスになる予定だ。
「入社手続きのオンボーディングといっても範囲広いですよね。書類を回収したり、社会保険の申請をしたり、給与システムとつなげたりといった『ザHRテック』な部分、僕たちは『コアHR』と呼んでいるんですが、ここはやりません。
これら勤怠・労務・給与にまつわるものは既存サービスと連携させていただき、僕らはその先の現場固有のことをやります」(諸岡さん)
カミナシが描く「まるごと現場DX構想」とは
提供:カミナシ
他にもデスクワーカーにとってのslackに相当する「コミュニケーション」ツールもつくる予定だ。
カミナシの導入先は、従業員個人がメールアドレスを持っていないことも多く、アドレスは部署に一つのみというケースもある。本社が現場の従業員にアクセスする方法がないため、ミスが起きた際の再発防止の連絡にもタイムラグが生じている。
こうした注意喚起や、引き継ぎ、シフトなどの業務連絡ができるプロダクトを作るという。
帳票管理などオペレーションを担う「カミナシ」、HRの「カミナシEmployee」、その先の「コミュニケーション」ツールの三つで、現場の作業を全てデジタル化する構想だ。
「カミナシはオールインワンSaaSをつくりたいんです」と諸岡さんは言う。
オールインワンSaaS目指し、M&Aも検討
撮影:竹下郁子
「導入先企業から最も多い要望が『これ一つにできないの?』なんです。ITツールって一つ導入すると次から次へと入れたくなるんですよ、やっぱり便利なので。でも導入すればするほど、あのIoTのデータはここに、教育マニュアルはあっちに、みたいな感じでデジタルコンテンツが乱立、散在してしまう。
これはオフィスワーカーのDXの歴史と全く同じです。ただ彼らは異なるアプリを何十、何百と導入した後で、それらをまとめるハブを持つ状態を作っていきましたが、ノンデスクワーカーにはそれは難しいと考えています」(諸岡さん)
課題は三つある。
従業員が入れ替わるたびにUI、UXを習熟させる必要があること。時間に追われる現場作業員がタブレット上で複数のアプリを切り替えて使用する煩雑、非効率さ。そして最も大きいのが予算だ。利益が大きい現場ばかりではない中で、複数のアプリに投資する余力はない。
「ノンデスクワーカーの現場DXを進めるには、より多くのことを一つで、しかも安価にできるSaaSが必要なんです。
ノンデスクワーカー向けのSaaSを提供する企業も増えつつありますが、早いうちにまとまる動きもあるかもしれないですね。僕らもマルチプロダクト化していきますが、自社だけでは解決できないことも多い。このシリーズBの資本を使ってM&Aや業務提携、資本提携など幅広い連携も考えていきたいです」(諸岡さん)