撮影:今村拓馬
北陸新幹線が富山県に入ると、海と山の距離がぐっと近くなる。
富山県内の最も新潟県寄りの町、朝日町。春になると、海の青、菜の花の黄色、桜のピンク、雪を被った北アルプスの残雪の白の4色が並走する「四重奏」と呼ばれる景色で知られる。
博報堂マーケットデザインコンサルティング局で局長代理を務める畠山洋平(43)がこの町に通うようになって4年目になる。今でも週に1、2日は東京から通い、ついに家まで購入した。
畠山の5歳になる次女は、誕生日には人気の遊園地より朝日町にある温泉施設に行きたいと言い、バレンタインデーには町役場の職員に手作りクッキーをプレゼントするほど、この町を気に入っている。
畠山が率いる博報堂チームがなぜ1地方自治体とここまで深く関わるようになったのか。そこには日本の地方自治体、ひいては日本という国全体が抱える深刻で切実な課題がある。
地方自治体が悩む地域の足確保
少子高齢化は地域のインフラまで直撃している(写真はイメージです)。
撮影:今村拓馬
予想より10年前倒しで出生数が80万人を割り込むなど、日本の少子化は想像以上のスピードで進んでいる。
同時に進行しているのが急速な高齢化だ。このペースで人口が減り高齢者の割合が増えれば、今後日本では労働力が不足するだけでなく、生活を支えるインフラの維持すら厳しい地域が出てくる。
中でも日々の暮らしを直撃するのが、地域交通、生活の足をどう確保するのか、という問題だ。
高齢運転者による死亡事故の割合は年々増え続け、2022年には全体の16%を超えた。報道でも連日のように取り上げられるようになって社会問題化し、高齢者に免許返納を求める声も大きくなっている。
だが、自家用車での移動が前提の地方では、車を手放すことは即通院や買い物などが不自由になることを意味する。高齢者が家から出ることもままならない、ひいては住む場所も選べない。移動の自由を奪われることは、高齢者の生きていく楽しみや希望すら失わせかねない。
一方、地域の公共交通の維持には莫大なコストがかかる。
2022年版交通政策白書によると、人口減に加え、コロナの影響もあり、99%のバス事業者は赤字経営だ。これまで税金を投入して経営を支えてきた自治体も、今後厳しい財政の中、いつまでも支えきれるわけではない。
いくつかの自治体では企業と組んだ自動運転の実証実験なども進めているが、これが“正解”というようなモデルケースがないのが現状だ。
住民同士の助け合いを仕組み化
ノッカルあさひまちは、莫大なコストがかかる公共交通ではなく、すでに町にたくさんあるマイカーに目を付ける。
撮影:今村拓馬
朝日町の人口は1万0525人(2022年)。高齢化率は45%と、富山県内でも最も高い。2014年に日本創成会議はいわゆる「増田レポート」で、消滅可能性都市として896の自治体を名指しして衝撃を与えたが、朝日町は特に若い女性たちの人口流出が深刻な自治体として名前が上った。いわば日本の課題先進地域でもある。
畠山ら博報堂チームと朝日町との出逢いは後の回で紹介するが、彼らがまず町と取り組んだのが、「ノッカルあさひまち」という住民のマイカーを使った乗合交通サービスだった。
町は当時も今もコミュニティバスを走らせているが、その維持には大きな課題を抱えていた。当時から公共交通を担当する朝日町の「みんなで未来!課」課長代理の寺崎壮は、こう話す。
「利用者は増え続けていたんですが、日に2、3本しか便がなく、朝10時に病院に行くと、帰りは夕方4時の便までない地区もありました。バスをもう1台増やすと膨大なコストがかかってしまう。運転手の高齢化も課題でした。そこで僕たちの思考はストップしていたんです」
公共交通のコストの大部分を占めるのは、車両費と人件費だ。バス1台を導入すれば2000〜3000万円かかる。町にもう1台導入するような余裕はなかった。
一方で、人口1万人の町にマイカーは8000台もある。このマイカーを活かせないか。畠山らは、住民同士の助け合いの気持ちを形にした交通サービス、ノッカルあさひまちを考え出した。
博報堂公式ホームページよりキャプチャ
ドライバーに登録した住民がスマホアプリで自分の予定を入れると、利用したい住民は登録情報を見て、スマホか電話で予約する。近所の人がドライバーになるケースが多いので安心して利用できる。利用料も1回600円とバスよりは高いがタクシーよりは安いという金額に設定した。
運行主体は自治体だが、予約など運行管理を町に1つある地元のタクシー会社に任せることで、地元の交通事業者との共存も目指した。
何より車両も住民のマイカーを利用するので、運営費は年間200万円ほどで済む。住民同士のお互い様の気持ちを利用した共助の形を作ることで、地域交通を維持していくという仕組みだ。
生活者発想の原点は父の急死と残された母
自動車メーカーの課題は、地域交通の課題でもあった(写真はイメージです)。
Janon Stock/ShutterStock
それにしてもなぜ、博報堂が地域交通なのか。
畠山は入社から長く自動車メーカーを担当し、CMの制作や東京モーターショーの運営などにも関わってきた。だが、自動車業界は今、EVや自動運転など100年に一度の大転換期と言われる。同時に日本国内では、人口減によるマーケットの縮小という課題を抱えていた。
博報堂には「生活者発想」と「パートナー主義」という2つのフィロソフィーがある。パートナーとは多岐にわたるさまざまなクライアント。生活者とクライアント双方に立つということは、例えば新車が発売される場合、その車に乗る人がどんなシーンで車に乗るのか生活全体からその時の気持ちまで想像するということだという。
「これまではパートナーである企業が新しく創出するサービスや商品を起点にして、生活者をどう豊かにするかという発想でした。
しかし今は近い将来でさえ見通せず、どんなサービスや商品が『売れる』のか解がない時代。クライアントだけに向き合っていては、どう新しい市場や顧客を創っていくかという答えは見つからないんです」
生活者発想の原点に戻ろう。畠山がそう思い始めた頃、父が急死した。通勤途中の駅で心臓発作で倒れ、そのまま帰らぬ人となった。
奈良の実家には1人、母親が残された。実家の生活には自家用車が欠かせない。高齢になり運転ができなくなれば生活にも支障が出る。東京に呼び寄せることも考えたが、母親は地元に残ることを切望した。
父の死によって日々社会を賑わせているニュースが一気に自分ごとになった。
「この問題を解決できれば社会のためにも、得意先のためにも、会社の未来のためにもなるなと思ったんです。
母のような人たちが移動難民にならないような地域をつくることは、自動車メーカーの未来のビジネスにもなるかもしれない。そんな新しい仕組みを作ることは、広告会社という自分達の会社の未来を考えていくことにもなる」
会社の将来を議論する上で、広告業だけでは限界があるという危機感は社内で共有されていた。自分達にできることは、社会にある課題を分析して、市場を見立てることなのではないか。畠山が地域交通に注目した背景には、会社の生き残りという文脈もあった。
早急な横展開より深く入り込む
撮影:今村拓馬
私が畠山と出会ったのは、PRアワードの審査会だった。朝日町と博報堂がエントリーした「共助×共創による、これからの公共サービスの実現〜マイカー乗合交通『ノッカル』挑戦の3年〜」は結果としてPRアワード2022のグランプリを受賞した。
事業内容や町民に対する周知などのPR戦略などもさることながら、審査会での畠山のプレゼンが審査員たちを圧倒した。それほど熱かった。
審査員として出席していた私は、ちょっと意地悪な質問をした。これまで地方創生という名の下に、企業が国からの補助金目当てに法外な金額で自治体のコンサルティングに入っているケースや、補助金の期間が終わるとさっさと撤退しているケースを見てきた。一つの「型」をつくって複数の自治体に展開してうまくいかないケースもある。
朝日町でノッカル事業が成功したら他の自治体に横展開するのか、という私の質問に、畠山は言い切った。
「僕たちは朝日町でビジネスモデルをつくって、それをすぐに他の自治体で展開して儲けようとは思っていません。朝日町にもっと深く入って、他の課題も含めて公共サービス全体の課題を解決してきたいと思っています」
2022年4月には町と博報堂が連携して、DXやカーボンニュートラル、情報発信などを担当する「みんなで未来!課」も設置した。地域交通から始まり、今取り組んでいるのが教育事業だ。
乗り合いサービスの基盤にもなった住民同士お互い様の関係。それを生かして、子どもたちの放課後教育事業として、地域の大人と子どもたちが学び合える場「みんまなび」事業も立ち上げた。
町の図書館の一室では、放課後学習事業「みんまなび」が開かれていた。
撮影:今村拓馬
さらにノッカル事業を発展させた「こどもノッカルあさひまち」と組み合わせることで、学校外での子どもの学びや移動の自由の選択肢を増やそうとしている。これらの事業は岸田政権が進める地方創生と社会のデジタル化の同時実現に向けた「デジタル田園都市国家構想」の主要事業にも採択された。
ノッカル事業が畠山自身の母親の“足”問題と、自分のクライアントの課題という“公私混同”から始まったように、「みんまなび」もまた畠山自身の家族が関わっている。
「僕には3人の子どもがいますが、これからの子どもにとって必要な学びとか居場所ってなんだろうという課題意識は常に持っていました。
これって日本の子どもたち全てが抱えている問題だけれど、中でも地方は選択肢が少ない。地方における子どもたちの学ぶ環境をどうつくっていくのか。これも公共サービスの課題の一つなんです」
新規事業生み出せない大企業
日本の大企業の成長に翳りが見え、既存事業だけでは立ち行かないことは明らかだ。どの企業でも新規事業の必要性は叫ばれているが、既存事業に特化した人材が多くを占める日本企業で新しいことを始めるのは容易ではない。
一方で、企業は社会や地域の課題をビジネスで解決したいと口では言いながら、新規事業として始めても、2、3年で黒字化というように早急に結果を求める。結果として途中で撤退するケースも少なくない。
地方自治体が抱える課題は大きすぎて解決の糸口さえ見つけるのが難しいからこそ、解決されずに来た。課題の大きさと時間軸のミスマッチが、行政と民間がタッグを組む上では障害となっていた。
自治体側から見れば、乏しい財源や人材を補ってくれる民間企業との連携は、公共サービス維持の切り札だとも捉えられ、官民連携は一種のブームにもなっているが、そこには可能性と同時に難しさもある。
次回以降は、大企業で突破人材となった畠山のキャリアを紐解いていく。
(敬称略、続きはこちら▼)
浜田敬子:1989年に朝日新聞社に入社。週刊朝日編集部などを経て、1999年からAERA編集部。副編集長などを経て2014年から編集長に就任。2017年3月末で朝日新聞社を退社し、4月よりBusiness Insider Japanの統括編集長に。2020年12月末に退任し、フリーランスのジャーナリストに。「羽鳥慎一モーニングショー」や「サンデーモーニング」などのコメンテーター、ダイバーシティーや働き方改革についての講演なども行う。著書に『働く女子と罪悪感』『男性中心企業の終焉』『いいね!ボタンを押す前に』(共著)。