年200万円の地域交通モデルの戦略描いた後輩社員。「大企業の資産は人」【博報堂・畠山洋平3】

博報堂・畠山洋平

撮影:今村拓馬

地域の公共サービスが抱える課題に取り組む博報堂の畠山洋平(43)は、「わらしべ長者作戦」で全国の自治体を回り、富山県朝日町と出合った。

畠山が言うところの「わらしべ長者作戦」とは、自分の考えやビジョンをいろんな人にぶつけることによって、味方を増やしていくことだ。その作戦は社内に対しても奏功した。

一見シンプルなノッカルあさひまちの仕組みだが、それを支えるのは精緻なテクノロジーだ。仕組み全体の戦略を描き、開発を主導したのは、博報堂DXソリューションデザイン局でマーケティングプラニングディレクターを務める堀内悠(42)だ。

ノッカルは畠山のビジョンと突破力、巻き込み力と堀内の戦略、マーケティング力の二人三脚の賜物と言っていい。

2人はかつて同じクライアントを担当していた。地域の足問題の解決を考えていた畠山に、成立するための戦略をアドバイスしてくれたのは堀内だった。ノッカルの仕組みができたのは、「半分以上、彼のおかげ」と畠山は言う。

「大企業の資産はまさにこういう人のネットワーク。堀内と仕事をして改めて博報堂を選んで良かったと思いました。

堀内には課題を分析し、市場を見立てる力がある。僕たちがやる以上、単に社会課題を解決するだけでなく、将来的には会社としてのビジネス戦略も持っていなくてはいけないので」

住民の声を聞き、乗合サービスに変更

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畠山のバディとも言える堀内(写真左)は、博報堂DXソリューションデザイン局でマーケティングプラニングディレクターを務める。

撮影:今村拓馬

堀内は朝日町のプロジェクトにかかわる前から、鉄道会社や他の自動車販売会社とMaaS(Mobility as a Service)や5Gを使ったプロジェクトを進めていた。自動車メーカーを担当した経験から、今自動車業界に起きている「100年に1度」とも言われる大変化にも人一倍敏感だった。

広告を作ってきた自分達のビジネスモデルも変わらざるを得なくなっている時に、自動車という枠組みを超えて、もっと広く「移動」という課題に対して自分達ができることを考え続けていた。

堀内は早くから、MaaSビジネスは都市部では難しいかもしれないが、地方では成り立つと感じてきたという。それは「広告会社の強みであるマーケットを客観的に見ることができたから」だという。

それでもノッカルが今の形に落ち着くまでには何度も仕組み自体を見直している。

当初博報堂チームが町に提案したものは住民同士の乗合の形ではなかった。実際住民の声のヒアリングを重ねるうちに、近所のおじいちゃん、おばあちゃんを当たり前に送っていく文化があることに気づき、今の形になったという。

「町の人にヒアリングしていると、乗せてあげたいのだけどコロナで声をかけにくい、という声を聞いたんです。北陸って自分から手を挙げる人は少ない土地柄なんですが、仕組みがあれば集まってくれるんです。

ドライバーさんには利用料の1回600円のうち200円をお支払いしていますが、『お金のためにやっているわけじゃない』という声を聞いています」(堀内)

人口1万人の街に、8000台というマイカーの存在。住民がお互い様の気持ちで少しずつサービスの提供者になれば成り立つ。そう戦略を描いた。

気軽に使ってもらうには、運賃を高くするわけにはいかない。バスの運賃が1回200円、ノッカルはバスのチケット3枚分で利用できる。コストを抑えるために、バスのチケットを代用し、関連会社のエンジニアを頼った。

結果、朝日町へのノッカルのシステム提供料は月10万円に抑えられ、年間200万円で運営できる地域交通のモデルを作った。

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ノッカルはあさひまちバスのチケット3枚分で利用できる仕組みだ。

撮影:今村拓馬

堀内は大学時代は地球工学を専攻し、CO2を地中で処理するという研究に取り組んでいた。当時、地球温暖化が地球規模で問題になり始めていた頃で、堀内も環境系のコンサルティング会社やエネルギー関係企業に就職することを考えていた時期もある。

博報堂を選んだのは、地球規模の課題でも正攻法で突破するより、戦略的に解決する方法があるのではないかと考えたからだ。

数学の教師だった父親の影響で、小学校の頃から数学の難問を考えることが好きだった。どんな難問でも補助線を1本スッと引くと解けることがある。

畠山がビジョンを情熱的に語り人を巻き込んでいく役割だとしたら、一見八方塞がりに見える壮大な課題に、1本の補助線を見つけるのが堀内なのだ。

昭和的な熱さは令和にも変換できる

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町の図書館の一室では放課後学習事業の「みんまなび」が開かれ、10人以上の小学生が参加していた。

撮影:今村拓馬

今朝日町に関わる博報堂のメンバーは25人。専任は2人だけで、ほとんどが自分の所属する部署の“本業”との掛け持ちだ。そのうちの1人が鎌田臣則(29)だ。

私が朝日町を訪れた日、町の図書館の一室では放課後学習事業「みんまなび」が開かれていた。この日は、町の住民が講師を務めるGoogleマップを使った学び。子どもたちは手元のタブレットでGoogleマップにアクセスして、世界中の国だけでなく宇宙まで「旅をしていた」。

マップの使い方が分からない子、Wi-Fiにうまくつなげない子一人ひとりに使い方を教えていたのが鎌田だった。畠山チームで「みんまなび」を主に担当している。今では朝日町の小学生全員に知られる存在だ。

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小学生をサポートする鎌田(写真上)は現在29歳。もともと社会課題に関心を持っていたという。

撮影:今村拓馬

鎌田はみんまなび事業には立ち上げから深く関わっている。町が主催する「まちゼミ」で講師を務めている住民をリスト化して、みんまなびへの協力を依頼した。告知と集客には小学校を回った。今は週1、2日町に通って、授業前にはタブレットを用意するなど運営を担う。

もともと社会課題に関心があったが、新卒で入社した別の大企業でははなかなか仕事として取り組むことができず転職してきた。

ともすれば若い世代からは敬遠されるのではないかと危惧するほどの畠山の熱さは、ひと回り下の鎌田にはどう映るのか。

「社内でもあそこまで仕事する人はいないです。僕たちに求めるものも高いけど、それが自分都合ではないので共感できます。かつて働いていた会社はどこか社内に諦めムードがあったのですが、こういう人と働けば大企業でもここまで熱く気持ちよく働けるんだと感じてます」

畠山は、「本気のフィールドを用意すれば若い人も変わる」と確信を持って言う。

「昭和的な熱さは、令和にも変換できると思うんです。就職時から『社会課題を解決したい』という学生は増えています。そういう若者たちと未来を作っていきたい」

さらに畠山が今巻き込みたいと考えているのが、会社にいる大先輩たちだ。地方自治体との交渉にはシニアの経験が生きる。

「中高年の社員に故郷の地域課題を解決しませんか?と呼びかけると、手を挙げる人は多いです。年齢に限らず、みんな社会の役に立ちたいという気持ちはある。

何かを本気でやり切る気持ちと経験だけが人を繋いでいくし、そこが繋がると社会は変わる気がするんですよね」

(敬称略、続きはこちら▼)

(第1回はこちら▼)

浜田敬子:1989年に朝日新聞社に入社。週刊朝日編集部などを経て、1999年からAERA編集部。副編集長などを経て2014年から編集長に就任。2017年3月末で朝日新聞社を退社し、4月よりBusiness Insider Japanの統括編集長に。2020年12月末に退任し、フリーランスのジャーナリストに。「羽鳥慎一モーニングショー」や「サンデーモーニング」などのコメンテーター、ダイバーシティーや働き方改革についての講演なども行う。著書に『働く女子と罪悪感』『男性中心企業の終焉』。


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