日銀の正副総裁の人事が固まった。国内では「手堅い布陣」と好意的な受け止めが多いが……。
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2013年から10年間日銀総裁を務めてきた黒田東彦氏が4月8日で任期を終える。後任には、元日銀審議委員で経済学者の植田和男氏が、副総裁には内田真一・日銀理事と氷見野良三・前金融庁長官が決まった。
2月にこの人事が発表されると、「バランスの取れた陣容」「手堅い布陣」というようにポジティブに評価する識者や金融業界関係者たちの声が多く報じられた。金融界を強い不透明感と不安が覆うなか、まずは一安心という雰囲気だった。
これらの報道を見ながら疑問に思ったことがある。
黒田氏退任が迫り、昨年秋ごろから日本のメディアで次期日銀人事について報じられるようになるなかで、「今回は、正副総裁のうち一人は女性になるのでは」という観測がそれなりに広く語られていたと記憶していたのだが、結果的に今回の人事に女性が一人も選ばれなかったことについては、完全にスルーされていたからだ。
後で詳しく述べるが、人事発表からしばらくして探し続けても、この点について突っ込んだ日本語の新聞記事はほとんど目にしなかった。そのことを私がTwitterで指摘すると、そのツイートがやたらと拡散され、結果的にインプレッションは6万を超えた。その反応を見て、もしかしたら、今回発表された新幹部に女性がゼロであったという事実に気が付いてすらいない人も多かったのかもしれないと感じた。
不発に終わった期待
日銀140年の歴史で、正副総裁のポジションに女性がいたことは一度もない。ただ、今回のトップ交代に際しては、後述する国際的な潮流や、「多様性を尊重する社会を目指す」という岸田首相自身のスタンスから、「もしかして今回は」という期待がこれまでになく高まっており、そういう報道も少なくなかった。
総裁候補には女性の名前は出ていなかったが、副総裁候補としては、日銀出身で日本総研理事長の翁百合氏のほか、清水季子・日銀理事の名前も挙がっていた。
翁氏は、経済や金融政策への見識が高いと評される人物で、岸田政権の「新しい資本主義実現会議」で有識者構成員も務めている。清水氏は、1987年に日銀入行、国際金融の経験が豊富で、2020年に女性初の日銀理事(民間企業でいう執行役員に相当)となり注目を集めた。
今回の日銀リーダーシップ交代は、歴史的なドル高(それにともなう円安)、インフレの波と、経済的不安が高まる中での任命となった。そのため、市場に対して手堅さをアピールすることが最大のプライオリティであり、ジェンダーという観点はその過程で吹っ飛んでしまったのかもしれない。
ただ、「ジェンダー問題は、余裕のある時に取り組めばいいこと(今はそれどころではない)」、つまりさして切迫性のない問題であると無意識に捉えられているのであれば、いつまで経っても思い切った変化は望めないだろう。
日銀人事の男性支配を英シンクタンクも問題視
世界の中央銀行の意思決定層における男女比は伝統的に男性に偏っており、現在も偏りは歴然としてあるものの、それを修正するべきだという意識は年々強まっており、実際に改善されている国や地域も少なくない。
英国のシンクタンク公的通貨金融機関フォーラム(OMFIF: Official Monetary and Financial Institutions Forum)が今年3月に発表した「ジェンダーバランス指数2022」の中央銀行部門(地区連銀を含む)によれば、過去5年間でジェンダーバランス指数(GBI)が最も一貫して向上している地域は中南米とカリブ諸国であり、アジアは中東の次に低い水準にとどまっている。
そして国別ランキングでいうと、日銀はOMFIFが調査対象としている世界185行のうち142位だ。「G7で最下位」という次元の話ではなく、日本と近い低スコアの国は、イラク(136位)、タジキスタン(139位)、オマーン(144位)、モンゴル(145位)という感じだ(下表を参照)。
「中央銀行は、ジェンダーバランスを達成するには程遠い」と題された当報告書のサマリーの冒頭には、日銀の話が名指しで出てくる。
「この2月の植田和男氏の日銀新総裁、加えて2名の男性副総裁の任命は、中央銀行におけるジェンダー平等——あるいはその欠落——という問題にスポットライトを当てるものであった。このたびの任命は、(日銀という)ジェンダー平等という分野において決して良い経歴を持つとは言えない機関において、前進の機会を少なくとも5年は遅らせるものだ。
世界を見渡すと、中央銀行のリーダーシップ層における女性の役割が改善している例もある。日本とは対照的に、インドネシア中銀では、女性が副総裁として任命されたばかりだ」(翻訳筆者)
たしかにこの数年だけを見ても、世界の中央銀行における女性のリーダーシップは目に見えて強くなっている。言うまでもなく最も目立つのはアメリカで、米連邦準備制度理事会(FRB)では、イエレン現・米財務長官(アメリカ史上初の女性財務長官)が2014年からの4年間、女性として初めてFRB議長を務めた。
また、昨年5月にはブレイナード理事がFRB副議長に昇格しているが、彼女はパウエル現FRB議長と、議長の座をめぐって最後まで争った。米連邦公開市場委員会(FOMC)のメンバーにも近年女性が増えているし、12ある地区連銀のうちサンフランシスコ、ダラスはじめ4つで女性が総裁を務めている。
2019年11月に欧州中央銀行の総裁に就任したラガルド氏。同年9月までは女性初となるIMF専務理事を務めていた。
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欧州中央銀行(ECB)は、過去、女性活用の後れが最も問題視されてきた中央銀行の一つだったが、近年大きく改善している。2019年11月にフランス財務相や国際通貨基金(IMF)専務理事を歴任したラガルド氏が女性初の総裁となり、現在、欧州中銀ではマネジメントの約30%が女性となっている。
なお、IMFでラガルド氏の後任として2019年から専務理事を務めるゲオルギエバ氏も女性で、ブルガリア出身のエコノミスト、前職は世界銀行の最高経営責任者(CEO)だった。
全体を見渡すと、OMFIFが調査対象としている185の銀行のうち、女性がトップを務めるのは上記のFRB、ECBに加え、ノルウェー、ベトナム、ロシアなど21行だ。報告書は「これは決して満足な比率ではないものの、2018年には13行だったことを考えると意味のある前進である」としている。
また、過去1年間でリーダー交代があった中銀26行のうち、6つにおいてはトップが男性から女性に代わったという。そのうち3つは中南米だ(チリ、ホンジュラス、メキシコ)。
前進のチャンスはさらに5年遠のいた
日銀職員の男女比はほぼ半々と偏りは少ないものの、管理職の女性比率はまだ低い。
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日銀は黒田体制がスタートした2013年、企画役級以上の管理職に占める女性職員の割合を、当時の4%から2018年に5%、2023年に10%に上げる目標を掲げた。
日銀のデータによると、職員に占める女性の割合は2022年3月末時点で49%。女性は決して少なくない。採用時の男女比は約6:4、日銀のウェブサイトにもこのような記述がある。
「日本銀行では、女性が職員のほぼ半数を占め、このホームページでも紹介されているような様々な分野で活躍しています。日本銀行では、結婚や出産後も仕事を続け、能力を発揮している女性は以前から珍しくありませんでした」
2020年度において出産した女性職員の継続就業率が100%というデータもある(2022年3月末時点)。「女性が仕事を続けやすい環境の整備」という意味では、決して悪くない職場なのかもしれない。
ただし、管理職に占める女性の割合は15.7%(2022年3月末時点)と、この10年間で2倍以上に増えているものの、政府が掲げる「女性管理職30%」という目標にはまだ程遠い。
また、金融政策を決める上部組織のメンバーに占める女性の割合も低迷している。金融政策の決定権を持つ日銀政策委員会(正副総裁を含む9人で構成される)においては、女性は1人だけ(11.1%)という状況が固定化している(現時点で女性は中川順子審議委員のみ)。
これは、例えばFRB、ECBの33.3%という数字に比べるとかなり見劣りするし、さらに問題なのは、その数字が変化していないということだ。
このたびの正副総裁任命を振り返ってみると、今までどおりのやり方で選んだら今までどおり全員男性になるのは最初から目に見えていたと思う。これまでと違う方向に舵を切らない限り、今走っている船を違う方向に進ませることはできない。変化を促すには、これまでとは違う方向に強い力をかける必要がある。そこには明確な意志が必要だ。
「包摂社会の実現」を掲げる岸田政権だが、女性が一人も含まれない日銀人事に違和感はなかったのだろうか。
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日銀リーダーシップの人事は、内閣が任命権を持つ。岸田首相は、ことあるごとに「個性と多様性を尊重する社会を目指す」「包摂的な社会を」と強調する。
それを本当に目指しているのなら、その本気度を示すべく、「正副総裁3つの席のうち、最低でも1つには女性を選ぶ」という方針を打ち出してもよかったのではないか。それができていたら、大きな変化の象徴と捉えられたであろうし、国民に対するメッセージとしても、歴史的節目としても、大きな功績になっていたのではないかと思う。
OMFIFのレポートがわざわざ名指しで指摘していたことが示すとおり、このたびの日銀幹部交代は国際的にも大きな注目を集めていたので、世界に対しても「日本は変わった」という強烈なメッセージ発信になったはずだ。残念ながら今回は期待外れに終わってしまった。次のチャンスが来るまで、少なくともあと5年は待たなければならない。
中央銀行がジェンダーバランス欠くことの弊害
女性が意思決定の中枢に増えることはあらゆる分野で必要なことだが、中央銀行における男性中心主義を修正することには独特の意義があると思う。
まず、大多数とは異なる属性のメンバーが意思決定に加わると、多様な視点や考え方が議論に取り入れられ「エコー・チェンバー(反響部屋)現象」や「グループシンク(Groupthink)」を防ぐ、ということはよく言われることだ。
中央銀行は、一国の金融政策を決める機関だ。そこでの意思決定が包摂的であるか、「すべての人のためのもの」になっているかは、金融にとどまらず、社会の多方面に影響を及ぼす話であろう。
過去数年だけをとっても、欧州やアメリカの中銀は、経済状況に合わせてこまめに政策を転換し、積極的な役割を果たしてきた。それに比べると、日銀の政策は、これまで10年以上の間、事実上硬直し行き詰まっているように見える。そのように難しい時期であればこそ、「ボーイズクラブ」に新たな発想や視点を取り込むことに意味があるのではないだろうか。
ラガルド氏が言ったとされる「リーマン・シスターズ仮説」(リーマン・ブラザーズの経営がリーマン・シスターズ、つまり女性たちに委ねられていたら、あのような金融危機は起きなかったかもしれない、という説)は半分冗談のように受け止められているが、イエレン氏はダイバーシティをテーマにしたブルッキングス研究所での講演で次のように述べている。
「ラガルドの指摘にはかなり真理があると思う。例えば、女性のほうが男性よりもリスクを回避し、慎重で、自信過剰に陥る可能性が低いということは、多くの調査が示していることだ」(翻訳筆者)
金融政策を決める場に女性がいないことで、耳を傾けるべき意見が見過ごされているかもしれない(写真はイメージ)。
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また、現在、経済・金融の世界では、ESG/SDGsに対する考慮、「サステナブルなファイナンス」といったことが一つの大きな潮流となっているが、SDGsの目標の1つ目は「貧困をなくそう」だ。これを達成するためには、世界レベルで男女格差をなくすことが必要なのは言うまでもない。
日本でもアメリカでも、貧困問題は経済力における男女格差、シングルマザーの生活難の問題と密接に関わっている。女子教育の問題と子育ての関係も大きい。これらの問題を考えるうえでは、女性の経験に基づいた意見に耳を傾ける意義が特に大きいだろう。
前述のOMFIFの報告書にも、このようなくだりがある。
「職場における多様性(これはジェンダーに限らないが)は、新たなものの見方や態度を取り入れることになり、エコー・チェンバー現象を防ぐ。新たな視点はイノベーションを刺激する。そして包摂性は、中央銀行にとって特に重要なものである。そこで権力ある立場にいる者たち(そしてそれ以外の、中銀で働く人たち)が国全体の人口構成をきちんと反映していれば、国民の一部ではなく、すべての国民のためになる金融政策というものが確保されることとなろう」(翻訳筆者)
報告書は、世界中の中銀におけるジェンダーバランスが思うように達成されていない原因として、女性人材のパイプラインの細さという問題を指摘し、もっと改善に力を入れるよう求めている。
長い目で見て将来リーダーになるポテンシャルのある女性を育成していないから、パイプがいつまでも太くならず、「リーダーにふさわしい女性の人材がいないので……」という言い訳につながってしまっているということだ。
「女性ゼロの日銀人事」が問題視されない異様さ
このたびの日銀のニュースを機にいろいろ調べてみて、中銀におけるジェンダーバランスの偏り(男性支配)が日本に限らないことはよく分かった。同時に、世界では、その改善に向けて(期待どおりとは言えないまでも)近年確実に前進していることも知った。
しかし今回の日銀人事についての報道を見ていて何より問題だと思ったのは、男性ばかりの幹部任命が、日本においてはまったく問題視されていないということだ。あまりにもお馴染みの風景すぎて、それがどのくらい異様なことか、目に映っていないのかもしれないと感じた。
今回の日銀人事に関して、女性が一人も選出されなかったことに疑問を呈する声は日本ではほとんど聞かれなかった。
撮影:今村拓馬
私はアメリカから日本に来るたびに、日本の駅や電車で、周囲にいる人が全員同じような顔をした日本人という風景に慣れるまでに数日かかる。日本企業の役員が出席する会議に行って、ほぼ全員が似たようなグレーのスーツを着た、似たような年齢層の日本人男性ばかりであるのも、目が慣れるまでに少しかかる。女性や人種の違う人がいないこと、違う格好をした人が皆無であることに慣れないのだ。
でも、日本で毎日生活していればそれが日常であり、それに慣れた目では、何ら違和感を覚えないのだろう。それと同じことだ。国の金融政策を握る3人のリーダーが全員日本人男性であることは、日本にとって「当たり前のこと」なのだから。
2月に日銀新幹部候補の名前が挙がった時点で、女性がゼロであることをある程度の長さの記事で報じていたのは、ロイター、ブルームバーグ、日本の新聞では毎日新聞と東京新聞だった。
ロイターは「男ばかりの日銀人事は、日本のジェンダー平等にとってさらなる打撃」、ブルームバーグは「日銀人事に女性不在であることは、多様性の面での日本の後れをさらに深刻化させる」としている。
日本の他の大手メディアが真剣にこの問題を取り上げなかったということは、結局のところそれほど問題視していないということなのか……と感じ、そのこと自体が残念でならなかった。
一つ思うのは、近年、ジェンダー関連の問題において「日本はG7で最低」「さらに順位を下げ、過去最下位」などという話があまりにも多く、そのことに慣れてきている(麻痺してきている)のではないかということだ。報じる側も、情報の受け手側も「あぁまたか」となってしまっており、かつて感じたショックを感じなくなり、諦めモードになっているのではないだろうか。
世界経済フォーラムの「The Global Gender Gap Report 2022」において、日本のジェンダー・ギャップ指数は146カ国中116位だった。先進国としては最低レベル、アジアでは中国(102位)、韓国(99位)、インドネシア(92位)、ミャンマー(106位)よりも低い結果だった。これにも、デジャブ感を感じた人が多かったのではないかと思う。
今年3月には、世界銀行が「女性・ビジネス・法律2023」(WBL)という報告書を発表した。これは、可動性、職場、賃金、結婚、育児、起業、資産、年金という女性の経済参加に関する8つの分野の法整備の進み具合を、190カ国・地域の男女格差の現状から検証したものだ。こちらでは日本は104位で、これまた先進国で最下位だった。職場でのセクハラを罰する法律がないなど、特に労働分野で後れをとっていると評価された。
この報告書のプレスリリースは、女性の平等な権利に向けた改革が20年ぶりの緩慢なペースに陥っていることをハイライトしている。これを読むと、一種の改革疲れ、飽き、諦めのようなものが、日本だけでなく世界に広く起きているのかもしれないと感じる。
ただ、現在の世界経済の成長鈍化や、先進諸国における少子高齢化など、今後予想されるさまざまなチャレンジを考えると、男女かかわらず自分の能力を伸ばし、経済力をつけ、国の経済発展に貢献することがこれまで以上に求められているはずだとも思う。
報告書によると、現在、女性に男性と同じ法的権利を認めている国はわずか14カ国で、それらはいずれも高所得国だという。男女間の雇用格差を解消すれば、国民一人あたりの長期的GDPを各国で平均20%近く引き上げることも可能という指摘もなされている。
当報告書のプレスリリースは、世界銀行グループ上級副総裁(開発経済担当)兼チーフエコノミストのこんな言葉を引用している。
「世界経済の成長が鈍化する中、すべての国は生産力を総動員することで、複合的危機に立ち向かう必要がある」
「女性は人口の半分を占めており、各国政府には彼女たちを脇に追いやっている余裕は残されていない」(太字は筆者)
これはまさに、今の日本に当てはまる言葉と思えてならない。
渡邊裕子:ニューヨーク在住。ハーバード大学ケネディ・スクール大学院修了。ニューヨークのジャパン・ソサエティーで各種シンポジウム、人物交流などを企画運営。地政学リスク分析の米コンサルティング会社ユーラシア・グループで日本担当ディレクターを務める。2017年7月退社、11月までアドバイザー。約1年間の自主休業(サバティカル)を経て、2019年、中東北アフリカ諸国の政治情勢がビジネスに与える影響の分析を専門とするコンサルティング会社、HSWジャパンを設立。複数の企業の日本戦略アドバイザー、執筆活動も行う。株式会社サイボウズ社外取締役。Twitterは YukoWatanabe @ywny