羽生善治九段と『水曜どうでしょう』の藤村忠寿ディレクター・嬉野雅道ディレクター。
撮影:小岩井ハナ
“将棋界のレジェンド”羽生善治九段が、2022年10月『水曜どうでしょう』の藤村忠寿ディレクター・嬉野雅道ディレクターとネット配信番組「どうで荘ゼミナール」で対談しました。
「羽生睨み」と呼ばれる対局中の表情や「勝ちを確信すると手が震える」といった“伝説”の真相から、中学生でプロ棋士となった羽生九段が当時感じた“孤独”について、ざっくばらんに語りました。
(本記事は2022年10月21日に配信された「どうで荘ゼミナール」の番組内容を編集・再構成したものです)
目次
喜怒哀楽はあまり出さないように……。
撮影:小岩井ハナ
藤村:羽生さんの対局をよく映像で見るとき、大体こう、グッと目を(睨むような)お顔をされてますよね?
羽生:表情はあまり変わってないと思います。習慣として、あまり喜怒哀楽を出すと相手に分かっちゃう。やっぱり(顔に)出ると(手を)読まれちゃうんで。
藤村:小さい頃から何となく身に付いてきちゃった。
羽生:はい。習慣的なものはやっぱりありますよね。私生活でも、そんなに変わらないですけど。
藤村:怒ったりすることってあるんですか?
羽生:ありますよ。でも、私生活ではあんまりロジックには……。疲れちゃうんで。将棋で全部そういうのをずっと理詰めでやっているので、日常はかなり適当です(笑)。
「羽生睨み」実は睨んでいない?
撮影:小岩井ハナ
羽生:私は(普通に相手を)見ているつもりなんです。だけど、単に目つきが悪いから睨んでるって(言われる)。ただそれだけの話なんです(笑)。盤面を見て、下から目を見上げると、きつい感じに見えるんですよ。
嬉野:お互い、対局相手の顔を見るものなのですか?
羽生:いや、実はあまり見てないんです。ただ目を上げているだけで。局面のことを考えてるんで、頭の中の将棋盤を見ている。目は上げて、一応(相手を)見ているようには見えるんですけど、あんまり見ていないんですよ。
藤村:勝負の世界は「相手が何を考えているんだろう」とチラッと(相手の様子を見たり)。そういうタイプの人もいるにはいるんですか?
羽生:相手を観察して「どういう手でいこうか」と考えるタイプの人も多いです。
例えば、将棋の世界の大先輩で大山(康晴)十五世名人がいたのですが、すごく洞察力に長けていた先生でした。
「この人はこういう癖があるから、今日はちょっとうまく攻めていこう」とか、そういうところも加味して手を選んでいた。
時代がどんどん下っていくと、段々そういう傾向はなくなっていって。今は皆さん技術的なところに重きを置いてやる感じになってきています。
羽生九段の手が「震える」のは、我に返った時
撮影:小岩井ハナ
(※勝利や「詰み」を確信したら手が震えるという伝説について)
羽生:これもまぁ、そうですね。はっきり分かった時には「我に返って」という感じ。そういう時(手が震える時)もあります。
藤村:それは(勝利への)プレッシャーというか、「やったな」という(感情から)?
羽生:でも、やっぱり「我に返る」という感じなんですよね。
藤村:今まで、この(ゾーンに入ったような)世界でやってたのが……。
羽生:リアルの世界に帰ってきたような。(これで)終わったかな、という感じがすごくありますね。
藤村:素に戻るというか、一瞬ここから離れるということだ。
嬉野:「勝ちが見える」とは、「勝ってしまう」ところが見えたってことですか?
羽生:そうですね。「読み切る」という表現があるんですが、最後(詰み)まで全部計算ができる状態の時があるんですね。その時になる。
藤村:最後までの計算って、手で言うとどのぐらいの先のことを言っているんですか?
羽生:例えば、10手先を一つ読んだら、10手。3手ずつ読んでいくと、相手も3手やるので3×3の9手。
10手先であれば3の10乗で6万手弱ぐらいになってしまう(笑)。だから、意外とそんな先までは読んでいないんですね。
手としては、5手とか7手とかそれぐらい。2手、3手でも結構な数になっちゃうんです。
対局中は「時間の観念が希薄になる」
撮影:小岩井ハナ
羽生:面白いもので、対局で集中してる時とかは、その時の周りの景色とかもよく覚えてるんですよ。
集中して考えていたら、縁側で猫が歩いていて、そこに3匹いたなとか。どうでもいいことなんですけど、集中して考えている時って、そういうのは覚えている。でも、日常のことは忘れてる(笑)
藤村:こういう機会、我々にもきっとどっかであるはずなんだよね。でも、悩んでしまった時に一番陥りやすいのが周りの猫も見えないぐらいところに行ってしまう。「何とかこれを明日までに解決しなきゃ」となると多分病んでしまって、周りが見えないと思う。
嬉野:集中してる時に何で猫が見えたんだろう?考えることがずっとできる状況だったんですかね。
羽生:時間の観念が希薄になってるというのもありますね。
でも、それって子供の時に遊んでるのと同じですよね。没頭している。子供の時の遊んでる感覚と集中してる時って、それが長く続くか続かないかだけの話。
嬉野:集中してるというのは、自分で集中させようと思ってそこに持っていくってことができるものなんですか。
羽生:それはうまくパチッとはまったらって感じですね。
10代で感じた“孤独”──「道を外れた」
撮影:小岩井ハナ
(※「気が付いたら、思ったより持ち時間を消費していたことはある?」という質問について)
羽生:そうですね。どれぐらい考えたのか分からないので、記録係に何分ぐらい考えましたかと聞くこともあります。無言の部屋にいると、だんだん時間が分からなくなってきますよ。なかなか一般の方は経験しないと思うんですが。
確かに一人で、個人競技で、そういう(孤独な)世界といえばそうですけど。でも、もう習慣というか、普通になっているんで。
嬉野:孤独だということを意識したことは。
羽生:小さい頃からずっとそういう感覚だったので、逆に感じることがないってことが間違いなくあると思います。6歳、7歳からずっとやってると、それが普通になっているので。
嬉野:僕らの感じる孤独と、どう違うんでしょうね。
羽生:それでいうと、15、16歳とかでプロになって対局を夜中までやるんですね。終電がなくなっちゃって将棋会館に泊まって、家に翌朝帰るんですよ。
これから通勤・通学する人たちと、自分は逆方向に向かって家に帰るという経験を10代の時にした。この時、「完全に自分は道を外れたな」という孤独は感じました。
世の中の大部分の人たちが、こっちの方向に向かっていくときに、自分は反対方向に帰っていく。逸れた道に来たなって感覚はすごくありました。でも、それが習慣というか、それが当たり前でした。
昼も夜もうなぎ…加藤一二三九段のすごさ
加藤一二三九段は1954年、当時の史上最年少記録(14歳7カ月)で史上初の中学生プロ棋士に。“神武以来の天才”と呼ばれ、2017年に引退。「ひふみん」の愛称でも知られる。写真は加藤九段が表紙を飾った『将棋世界』2001年5月号。
撮影:吉川慧
羽生:大先輩といえば、将棋の世界には加藤一二三先生という方がいます。
将棋以外の世界でも大活躍されていますけど、あの先生のすごいのは現役生活を63年続けられたこと。当時最年少の14歳で棋士になり、(2017年に)77歳で引退された。
私は棋士生活37年ぐらいですが、更にとんでもなく長くやっている人が将棋の世界にはいる。ある程度年齢が上がってくると枯淡の境地というか、丸くなってくるというか、円熟するという感じなんです。
だから、闘争心みたいなものとかテンションとか(を維持することが)すごい大事なんですよね。
嬉野:そこは勝負ですものね。
羽生:加藤先生は現役を長く続けられて、そこが全然衰えていなかった。昼食・夕食(の休憩時間)に連続でうなぎを平気で頼んだりしていましたから。
藤村:闘争心あるねえ……。
羽生:私も年齢が上がってきてだんだん分かるんですけど、気持ちというか心がついていかないというような……。やっぱりそういう(闘争心)は、大事なんだなというのは思いますね。
藤村:長く続くからこそ、あまり面白くないことがあっても、それも一つの踏み台にしてまだまだ2年後、3年後を見据えることができるんでしょうね。
将棋会館近くにある「ふじもと」の「うな重」。加藤九段がよく注文した。棋士たちに愛されてきた「将棋めし」の一つ。
撮影:吉川慧
「長い」からこそ、将棋は面白くなる?
撮影:小岩井ハナ
羽生:長いと言えば、将棋は一試合を長時間かけてやります。
なので、あまり内容がなかった対局をやると、一日無駄にしたなという徒労感みたいなものが大きいんですよ(笑)
一時間ぐらいで終わるんだったら、またちょっと違うと思うんですけど。1日で、一番長いと一人の持ち時間が6時間。2日制なら一番長いのは一人9時間ですね。
だから一日目が朝9時に始まって、終わるのが次の日の夜の8時、9時ぐらいまでになることもあります。
今の世の中では、例えばコンテンツも2時間で収まるようにとか、そういう感じになってきている。
将棋の世界も実はその傾向があって、昔よりどんどん短くなってるんですけど、それでも他の世界と比較したら、まだかなり長い方だと思います。
将棋の世界では、プロになる前に「奨励会」という養成学校に入らなきゃいけない。10代前半で、地元では敵なしみたいな子どもたちばかりいるんです。
私が入った時には大先輩の先生が来て、こんな訓話というか講話をしてくれました。
「今は君たちは周りの大人たちをポンポン負かして簡単に勝てているだろう。だけど将棋というのはそんな甘いもんじゃない。持ち時間が1時間とか1時間半とか、それぐらいを短いと感じるようにならなければ、ちゃんとしたプロにはなれない」
(将棋とは)それぐらい深いものなんだってことを最初に教わる。ただ、これは主観ですが、自分がやってると結構1時間ぐらいってあっという間に経つんですけど、人が考えてる1時間は長いですよね。
嬉野:その時、どうされてるんですか、頭の中で。
羽生:その時は、待ってます。手を考えてる時もあるし、何をやられるのかもう分かんないから、本当にお茶飲んで待ってることも……。
藤村:考えたってしょうがない、と。
羽生:結構そういう場面もあるんです。何をやってくるか全然分かんないので、そこで対応するしかないってこともありますね。
でもまあ、それでも今はかなり(対局時間は)短くなったんです。
将棋の世界で一番長い対局といえば、昭和12年(1937年)の木村義雄先生という人と坂田三吉先生という人の対局。京都の南禅寺で、一人持ち時間が30時間だった。
完全に修行の世界ですよね。真冬の京都で、一人30時間も籠って。もう80年以上も前ですが、8時間くらい長考するのが当たり前だった。すごいですよね。
藤村:羽生さんできます?
羽生:いや、できないです(笑)。30時間は無理。もはや将棋ではないですよね、明らかに違う競技。何か違うことを競ってますよね。
嬉野:すごいね……。
撮影:小岩井ハナ
藤村:実際スピーディーになったとはいえ、将棋の世界にはそういう側面も確かにあった。
羽生:昔はとても長く対局をやっていたというところはあります。
あと歴史的な背景として、江戸時代は将棋の「名人」は家元制度だったんですね。だから、世襲でお茶とかお花とかと同じように代々家元が継いでいくという感じ。
年に一回、将軍家の目の前で模範試合をするというのが家元の最大の務め。その家元の称号を「名人」と呼んでいた。囲碁の場合はそれが本因坊。
藤村:そういう時は、やっぱり面白い試合をしないと……。
羽生:そうなんです。年に一回面白い試合というか、模範試合をすること。そして将軍家に詰将棋の問題集を献上することもです。
将棋を知らない人から見ると、どうでもいい話かもしれないですが、今の目で見ても実はものすごく芸術性が高かった。和算とかと同じ世界でしょうね。
(後編:羽生善治九段は年齢を重ね、理想の将棋を追い求める。記憶力は落ちても「“判断”は上がっている」)も公開中。
【「どうで荘ゼミナール」とは?】
「生徒役のプロ」こと藤村・嬉野が、さまざまな専門分野に素朴にアプローチする学びの場、それが「どうで荘ゼミナール」略して「どうゼミ」です。
第5回となった今回の「どうゼミ」には水曜どうでしょうを視聴されているという将棋棋士・羽生善治九段をお招きし、どうしようもない局面をごまかしごまかし突破する力、ていたらくな生存戦略、「人生」「創作」「仕事」に必要なさまざまな【力】を考えました。
【3時間に及ぶ全編の視聴の仕方】
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*「どうで荘」入居の仕方は、こちらのページをご参照ください。