羽生善治九段(52)は1985年に中学生でプロ棋士になって以来、戦ってきた公式戦は2000局超。通算タイトル獲得は99期という“将棋界のレジェンド”です。年齢と経験を重ねた今、どのように将棋と向き合っているのか。胸中を語りました。
撮影:小岩井ハナ
“将棋界のレジェンド”羽生善治九段が、2022年10月、『水曜どうでしょう』の藤村忠寿ディレクター・嬉野雅道ディレクターとネット配信番組「どうで荘ゼミナール」で対談しました。
1985年に中学生でプロ棋士となって以来、2000局以上の公式戦を戦ってきた羽生九段。52歳の今、どのように将棋と向き合っているのか。この先、どんな棋士になりたいのか。羽生九段が胸中を語りました。
(本記事は2022年10月21日に配信された「どうで荘ゼミナール」の番組内容を編集・再構成したものです)
目次
- 羽生九段が考える「将棋のやりがい」
- 時代で変わる棋士の世界 〜羽生九段と藤井六冠〜
- どんな事も「基礎」を鍛えることが大事
- 「偶然性」がある=「自由」とは限らない。
- 年齢とともに「衰えた能力」「向上した能力」
- 目標は大山康晴十五世名人「一枚の絵を見ているような指し方」
羽生九段が考える「将棋のやりがい」
『水曜どうでしょう』の藤村忠寿ディレクター・嬉野雅道ディレクターと対談する羽生九段。
撮影:小岩井ハナ
羽生:将棋は一人ではできません。対局相手がいて、相手の個性とか独自性みたいなものがあって、そこで自分の力・才能を引き出してもらえる面があります。
ただ、将棋の世界って、あまり似たタイプの人同士でやっても試合的には面白くならない。全然合わないという人のほうが、かえって泥仕合みたいな感じになって(笑)
全員:(笑)
羽生:泥仕合のほうが面白いんですね。その一方で、「美しい棋譜」のようなものもあります。
藤村:いいですね。「美しい」って。
羽生:「こういう手、やりたくないな」「こういう手、違和感あるな」とか、そういったこだわりを持ってやっている面も結構あります。
藤村:相手の個性があって、それが全然自分とは違う中で、自分の指し手や自分の個性を発揮していく。
羽生:個性のループがうまくいく時もあるし、お互いに相手の弱点を見つけて、力を発揮させないようにするときもあり、自分の力も発揮できるんです。醜い足の引っ張り合いが起こる(笑)。
藤村:同じ相手であっても、違う局面がいろいろある。
羽生:将棋の世界って、プロ棋士は170人ぐらいしかいない。基本的には同じ人たちとずっと対局していくことが多いですし、多い人だと一人の人と何十局や100局以上対戦することがあります。
だから、基本的に新しい人と対戦することはあまりないんです。限られた中でやっていく。
藤村:見知った相手の特徴も分かってる。指しているうちにだんだん波長が合ってくる瞬間があったりとか。「今日は合わないな」とかというのが……。
羽生:やはり人間なので、その日の体調とか、コンディションとか……。
嬉野:すごい世界ですね……。同じ方と何回も対局する機会があるけど、対局の始め方はいつも同じ。その中で変化が起こっていく。
撮影:小岩井ハナ
羽生:以前はこの形でやったから、今日はちょっと違うことやってみようかなとか。そこにはやっぱり心理的なものがありますね。
例えば、前と同じ手で来られたら「何か対策を練られているんじゃないか」とか。そういうことも考えます。過去から今までにあった全ての対局がもとになって、いま目の前の対局があるので。
嬉野:「面白い勝負」というのは、どういう感覚ですか。
羽生:結局は内容的なものを上げていくことになります。
例えば将棋の世界って、(棋士生活の)期間が長い。30年、40年ぐらいの単位でやっていくので。スポーツのアスリートの方なら、4年に一回のオリンピックとか一発勝負で全て決まることもありますよね。
ですけど、(将棋は)長い期間でやるので、かなり長いアプローチになる。もちろん勝負は大事ですけれど、総合的にどうやって棋力を上げていくかが問われる世界です。
嬉野:誰が見ても面白い対局があるでしょうし、対局するご本人も「面白かったな」と思うことが……。
羽生:もちろんそれもありますね。そういうのがあることが、やりがいみたいなものになっていることもある。だからこそ2000局以上の公式戦をやってこられた面もありますね。
時代で変わる棋士の世界 〜羽生九段と藤井六冠〜
撮影:小岩井ハナ
羽生:棋士の世界も基本的にどんどん変わっていくのが普通。変わっていない状態のほうが珍しいかもしれないです。
いろんな流行とか考え方がどんどん変わっていく。今でこそ、AIだ何だとすごいデジタルな世界ですけど、昭和の時代に棋士になっているので、めちゃくちゃアナログの昔ながらの感じのところと同じ世界なのかなと思うくらい変わっている。ビックリしますよ。
他の世界で言ったら、例えばゴルフのパターでもすごい長いのがでてきたりとか、いろいろ出てくるじゃないですか。
将棋でも、駒は変わらないんですけど使い方で、今までこういう使い方はしなかった、最近ではこういう使い方が普通になってるとか。そういうのは変わってきます。
例えば、こっちの駒の価値はこれまで低いと思ってたけど、意外と高くなってるとか。表面上は400年前も今も、対局室の風景は変わっていないんですけど、中身はどんどん変わっていく。
撮影:小岩井ハナ
藤村:ルールは変わってないですよね。
羽生:変わっていないんですけど、昭和の棋士が今の将棋を見たら、邪道だと思われるようなことは、いっぱい起こっています。
本筋とか本格派とか王道とか、「これが正統なものだ」というようなものが根強く残っていた世界なので、それが今は全て変わっちゃっている。アレルギーみたいなものもかなりあるのかなと思います。
藤村:その時代、時代で、誰かがやって勝ち続けたら、やっぱりこれが王道だみたいなふうに。自分たちでカテゴライズして、将棋の世界を狭めることってあったんでしょうかね。
羽生:それもありますし。でも、新しいものは若い人の発想から出てくることが多いですね。
全部が若い人じゃなくて、その中のほんの一部がすごくキラッと光るもので、それが新しいトレンドであり、画期的なイノベーションを生むことがよくあります。
だから結構、そういうところをよく見るのは大事なことです。
藤村:羽生さんがやってきた将棋と、藤井聡太さんがやっている将棋というのも、全然違う?
羽生:全然違います。もちろん定石として共通しているものはあるとは思いますけど、育ってきた環境というか勉強してきた将棋が全然違うので。
藤村:そうすると、指す手も全然違ってくる?
羽生:全く違うとまでは言わないですけど、違うところもあるって感じですかね。
撮影:吉川慧
──藤井六冠が指す手で「自分ならやらないなと思う」手はあったりしますか。
羽生:ああ、そういう手も結構あります。でも、そういうのをいっぱい見る機会が増えると、それがスタンダードになって、どんどんまた変わってきます。
藤村:羽生さんが一時代を築いたのも、それまでのやり方とは違ったんですか。
羽生:うーん……。いや、でも多分そんなには違ってなかった気がします。何か変わったことは特別してなかったような気が。
環境的なことで言うと、私に近い世代で強い棋士の人がいっぱいいて、すごい切磋琢磨がありました。そこは恵まれていたことは間違いない。
何十年も将棋をやっているので、本当にマラソンを走ってるような感じなんです。それを集団で走っているというのが結構大事なところで。
集団で走っていると、ある程度みんなペース上がるじゃないですか。お互いが風除けになってくれたりとか、そういうことがあって。
長い距離を走るので。集団でいるほうがタイムが上がるんです。たまたまそういう環境だった。それは本当に巡り合わせというやつで。
どんな事も「基礎」を鍛えることが大事
撮影:小岩井ハナ
藤村:羽生さんと我々で、脳や考え方の差ってあるじゃないかと思っているんですが……。
羽生:私は多分同じだと思っています。
棋士は若い頃、とても短い時間で将棋を指すというトレーニングを結構やるんですね。例えば、一手10秒で指し続けるとか、10分で対局を全部やるとか。
何を鍛えているかというと、パッと見た時の直感を鍛えている。プロとアマの人の違いって何というと、実は手をたくさん読めることではなくて、パッと見た一瞬の直感で正しい手が入ってるか入ってないか、確率の違いなんです。
パッと局面を見た瞬間に「これとこれとこれが手の候補」という精度、正確性が違う。瞬間的に手を選ぶとき「この手がいいんじゃないか」というのが正しく入っているのが大事で。基礎的なところを鍛えることが結構大きいんですよ。知識とかは後付けでいくらでもできるんで。
例えば、音楽でも絶対音感があるじゃないですか。体の中に染み込ませるような感じのトレーニングは、他の世界でも言葉がないだけで、実は同じことやってるはずです。
藤村:これは将棋だけじゃなく、社会生活でもやらなきゃいけないかもしれない。でも我々は多分、最初の一手が出せないと思うんですよね。
生活においても、仕事においても、右に行くのか左に行くのかでも、何万通りも可能性があるという教育をされている。でも、将棋の世界ではそうじゃない。まずは「指せ」と。これは社会生活ではなかなかできない。
羽生九段の著書『羽生善治の将棋入門ジュニア版』。ルールを覚えたら、楽しみながらどんどん将棋を指すことを勧めています。
撮影:吉川慧
嬉野:対局で「この手を指したくなる」ってこともあるんですか。
羽生:そういうこともありますし、大事ですよ。善悪よりも自分がやりたい手を指すというのも大事なことです。幅を広げるというか。
藤村:今の時代は、あまりに「まずはこっちから指さなきゃいけない」「その次はこことここ」って考えちゃうので、幅が狭まってると思うんですよ。
羽生:知識から入ると、そういうことになりやすいかもしれません。考える余地をなくすためにも短い時間で対局したりします。考えると、いろいろと過去を照らし合わせちゃうので。
「偶然性」がある=「自由」とは限らない。
撮影:小岩井ハナ
藤村:将棋の世界は、もう歴史がどれだけあるか分からない。いろいろな名人と言われる人たちがやってきて、定石もある。でも、今日の話を聞いたら直感があり、勝負を面白くする機微もある。
もしかしたら社会のほうが、将棋盤よりも選択肢が狭いのかもしれない。
羽生:私がちょっと思っているのは、意外と偶然性が入ったり、不確実性が入ったりするもののほうが、むしろあまり選択の余地がないと思っていて。
つまり、それって全て確率的に判断できてしまう。そうすると、逆に選択がもう決まっちゃう。
偶然性が入っていない世界のほうが選択の幅が広いというところがあるような気がしているんです。逆に偶然性が入っているほうが、確率的や統計的に「これを選んだほうがいいですよ」というのが明確に出ちゃう。
ゲームの例で言えば、バックギャモンがあります。サイコロを振りますが、何が出るかは分からない。それ自体は偶然性が高い。だけど、何が正しい手かは確率的にほぼ出ているんですよ。
手が限られちゃうところはあるので、偶然性があるからといって自由があるかと思ったら、そうではないんです。
偶然性はあるけど、ちゃんとセオリー通りにやっている。だから、長い目で見たら結果は覆らない。結局、偶然性が入る中でもうまくやってる人は、それを理解して選んでいるからこそ、常に勝ち続けられると思うんです。
年齢とともに「衰えた能力」「向上した能力」
撮影:小岩井ハナ
藤村:羽生さん、いま52歳ですか?
羽生:52歳です。
嬉野:若いころに比べると当然、記憶力は落ちるわけじゃないですか。
羽生:そりゃあそうですね。
嬉野:でも、代わりに出てくる力があったり。
羽生:経験を積んでくると、それが反映される世界もあるじゃないですか。職人さんの世界とか、あるいは落語家さんの世界とか。
藤村:絵描きさんもそうですね。若い時の作品より味があるみたいになる。
羽生:そういう世界と将棋の世界は何が違うのかなあと考えることがあって。
藤村:直感は強まりますか、弱まりますか。
羽生:何と言えばいいのかな。「判断」だけは上がってる感じがします。例えば、ある局面を見て、これがいいか悪いかという判断は上がっている。だけど、具体的に何をやればいいか分からない(笑)。
藤村:具体的には分からないけど、分かれ道だというのは分かる。
羽生:具体的には分からないけど、そういう感じはある。場面を読む力みたいな。「ここはこういう状況」「今はまだ大した局面ではない」とか、そういうことは分かる。
藤村:でも、次の一手をどうするかというのは……。
羽生:一番もどかしい。そこが一番難しいです。
撮影:小岩井ハナ
藤村:でも、将棋は勝ち負けがはっきりしている。
羽生:そうなんです。逆にはっきりしてるから、そこで切り替えられる。結果が毎回、明快な形で出てくれる。だから一日で完結できるところはありますね。世の中の他の出来事って玉虫色のまま何となく進んでいくので。
藤村:社会だと、老齢化が進めば進むほど自分の判断が果たしていいのか悪いのか分からなくなりがち。
部下たちが「ああ、さすがですね」とか言って、「いいのかな」て思いながら、悶々としたものを抱える。でも将棋の世界ではそれがない。
羽生:「勝ち」と言われたら勝ち、「負け」と言われたら負け。割り切ってていいなって思うところですよね。
目標は大山康晴十五世名人「一枚の絵を見ているような指し方」
河口俊彦著『大山康晴の晩節』(ちくま文庫)
撮影:吉川慧
藤村:年を重ねていくと上がってくる能力と、逆に下がってくる能力も割とはっきりしちゃう。
羽生:大先輩の先生で印象に残っているのが、これも大山先生。本当に大名人なのですが、すごい失礼なんですけど、対局していると全然考えているように見えないんですよね。
他の人が相手だと「たくさん考えているな」「これぐらい読めているな」とか、気配で何となく分かる。
でも、大山先生は本当に読んでることを感じさせない先生。だけど、手はいいところにくるんです。
本当に達人みたいな先生で、それができたらいいなと思うんですけれど。50歳を超えても、まだ全然できないんです。
(大山先生は)一枚の絵を見ているというか、そんな感じで手を選んでるような。指し方が「次、どこに筆をおくかな」みたいな、そんな感じなんですよ。でも、手が急所にいってるから全く形勢が悪くならない。すごい芸当だなと。
私が10代だったころ、60代後半だった大山先生に何局か教わってるんですけど、すごい不思議だった。こっちは何百手も読んで指してたんですけど、全て“柳に風”みたいな感じでした。
『水曜どうでしょう』の視聴者でもある羽生九段。タイトル戦の滞在先で着物を畳みながら見たこともあるそうです。
撮影:小岩井ハナ
藤村:そういう姿を見て、やっぱり何かいいなと。
羽生:楽そうですよね。考えなくていいじゃないですか。
藤村:究極だね。年を重ねていって、仙人みたいにスーッと指した手が割と急所を突いている。
嬉野:いいなぁ、羽生さん。「楽そうだからいいな」なんて。
藤村:本当に。相手が20分考えているときに、こちらはお茶を飲んで……。それは究極の姿だね。
羽生:そうですね。でも、まだまだですねえ。やっぱりなかなか大変ですね。
藤村:もしかしたら夢物語のような話かもしれないけど、そういうものが将棋の世界では、年を重ねた時にはあるだろうな……みたいな感覚があったりするんですか。
羽生:私もまだちょっと分からないんですけど、さっき話した絵描きさんの世界とか、落語家さんのような世界と、逆に純粋なスポーツみたいな世界もある。若くないと駄目だし、できる期間も決まってる世界。
将棋がどっちに入るのか、ちょっと興味があります。
(前編:羽生善治九段が10代で感じた孤独、対局後の帰り道で見た景色「完全に自分は道を外れた」も公開中)
【「どうで荘ゼミナール」とは?】
「生徒役のプロ」こと藤村・嬉野が、さまざまな専門分野に素朴にアプローチする学びの場、それが「どうで荘ゼミナール」略して「どうゼミ」です。
第5回となった今回の「どうゼミ」には水曜どうでしょうを視聴されているという将棋棋士・羽生善治九段をお招きし、どうしようもない局面をごまかしごまかし突破する力、ていたらくな生存戦略、「人生」「創作」「仕事」に必要なさまざまな【力】を考えました。
【3時間に及ぶ全編の視聴の仕方】
「藤村・嬉野のHP どうで荘」に入居(月額購読)する。
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*「どうで荘」入居の仕方は、こちらのページをご参照ください。